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08 快活な娘

「ただいまぁ」


 からからから、と勢いよく、何の遠慮もなく店のドアを開いたのは、ジェニーことジャネット・貂とよく似た褐色の肌の少女だった。

 高校の制服と思しきブレザーとミニスカートをまとい、小さなアクセサリーがこれでもかとぶら下げられたバッグを肩にかけている。


「あらマリアちゃん、お帰り」

「あ、ママ。お母さんは?」

「ジャネットなら2階じゃないかしら? いない?」

「んー、わかんない。今帰ってきたばっかりだから」


 カウンター奥で座りスマホをいじっていたママ、木常珠代の正面、カウンター席に腰掛けた少女は、当然スナックの客ではない。

 ジェニーことジャネット・貂の一人娘、マリア・貂である。

 日本語表記では貂真理亜と書く、れっきとした日本人の女子高生だ。


「ねーねーそんな事よりママ聞いて? なんかさ、最近駅の近くに変なのがいんの」


 真理亜にとって、ジャネットは『お母さん』であり、珠代は『ママ』である。

 ついでに言えば、チーママの伊立麻子の事は『お姉ちゃん』と呼んで慕っており、美真の事も『ミマ姉ちゃん』と呼んでいる。


 フィリピン出身の母に日本人の父を持つ真理亜だったが、彼女に父親の記憶はない。

 物心付く前に両親は離婚しているため、彼女は母親の女手ひとつで育てられた。

 当の本人は『えー別にお父さんいなくても困らないし、私にはお母さんとママがいるし、お姉ちゃんもいるし。最近ミマお姉ちゃんも勉強教えてくれるし、別に良くない?』と実にあっけらかんとしたものだ。

 真理亜のこの大雑把で細かいことにこだわらない性格は、完全に母親のジャネットの遺伝だと言われている。


 今年から高校に通い始めた真理亜は、スナック『FOX』が入るビルの2階に母ジャネットと2人で住んでいる。

 公立高校に電車で通う彼女は、勉学は苦手であるものの運動神経と母譲りの美貌は抜群だ。芸能関係の事務所からのスカウトは何度も断った経験がある。


「変なの? 痴漢とか?」

「んーん、違うの。なんかね、カンノンさまの妙薬がーとか、すっごいしつこくってさ。ひとりブン投げて来ちゃった」

「あらら」


 実に軽く話しているが、真理亜は護身術として合気道を学んでいる。

 指導をしているのは、なんと身長148センチと最も小柄なチーママ、麻子である。

 麻子は幼少期から合気道を嗜んでおり、非力で小柄、幼く見える外見からはまったく想像もつかないが、なんと合気道錬士五段の腕前だ。

 これまでに店で暴れる酔客をあしらうこと数知れず、へし折ったアバラと指の骨は『30本から先は数えるのやめちゃった』というのが、本人の談である。


「でさ? 不気味だったのが、そのしつこいやつ、なんかいかにも宗教やってますみたいなのじゃなくて、私とあんま変わらないくらいの奴なの。ガラ悪くってヤンキー崩れみたいな感じのやつがさ、『妙薬が』とか言ってくるの。なんかもうキモくてヤだって思っちゃって」

「妙薬……真理亜ちゃん、その妙薬とかいうの、受け取ったりしてない?」

「してないしてない! わたしもうマジでああいうキモいの無理!」

「鞄とか、ちゃんと確認してみなさい? 無理やり入れて来てるかもしれないわよ?」

「えーヤダぁ、そんなの絶対ヤバいクス——」


 心底嫌そうな顔をしながらも鞄の外側のポケットを探るマリアの手と、言葉がはたと止まった。


「……真理亜ちゃん?」

「ね、ねぇママ、どうしよ、これ……」


 真理亜が取り出したのは、小さな透明の袋に密封された、カラフルな飴のような錠剤。

 直径は1センチもないだろうか、市販薬ではないであろうことがわかる、蛍光ピンクのどぎついカラーリングだ。


「やだやだやだ怖い! 何これ!」

「真理亜ちゃん、ちょっとそれ置きなさい。触らないの」

「うえええママどうしよ、どうしよ? やだ私こんなの受け取ってない!」

「うん、分かってる。真理亜ちゃんがこういうのに手を出すようなバカな子じゃないって、ママも知ってるから。だから落ち着きなさい。ね? ほら深呼吸」

 

 真理亜が深呼吸を何度か繰り返す内に、上下ジャージ姿のジャネットとチーママ麻子が店に入ってきた。ちなみに今日は、美真は大学の実験のためにオフである。

 泣きそうな顔をしている愛娘の様子に気付いたのか、ジャネットは慌ててカウンターに歩み寄る。


「真理亜? あんたどうしたの?」

「お、お母さんどうしよ、これ、私あの、こんなの受け取った覚えないのに、鞄のポケットに——」

「ジャネットも真理亜ちゃんも落ち着いて。いい? コレにはこれ以上さわらない」


 かた、とウィスキー用のグラスを伏せるように上から被せて、珠代が怪しげな錠剤を覆い隠す。


「あ、もしもしぃ? 戌井さぁん? こないだはどうもぉ。今日ってお店——や、あの、営業じゃなくってぇ、ちょっと困った事になっちゃってぇ。助けてほしいなぁって」


 店の奥では、すでにチーママこと麻子がスマホで電話をかけていた。

 通話相手は、つい三日前に熊川と共にやってきて、酔いつぶれるまでジャネットに飲まされていた戌井である。


「ほら、私バカだから忘れちゃったんだけどぉ? なんでしたっけ? ガンギマリナントカっていうの? アレ関連っぽいの、ウチの子が押し付けられたらしくって」


 ちら、と愛弟子であり妹分の真理亜に視線をむけた麻子は、にっこりと天真爛漫な笑みを浮かべて親指をぐっと立ててみせた。


「はぁい、じゃあ今日開店の18時に。お待ちしてまぁす」


 どこからどう聞いても営業の電話を終えて、麻子は真理亜に歩み寄り、少し大柄な妹分の背中を優しくさする。


「大丈夫だよ真理亜ちゃん。お巡りさん、お店来てくれるって。ジャネットも心配しないで。今日もガッツリ飲ませちゃお?」

「マコちゃん? 今日は戌井さん、お客さんとしてくるのかしら?」


 ママ、木常珠代が少し呆れた顔を浮かべると、マコは満面の笑みを浮かべる。


「オトコがスナックに来るんだもん、お店入った時点でお客様でしょ? さぁさぁ、今日も呑め呑め客の酒っ。張り切って準備しなきゃ」

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