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10 早すぎた再会

「父さん」


 奥多摩の土産物屋にたった青年は、店の奥に入り込むなり迷いなく言い切った。

 21歳の会社員、馬渕陽平はなんと独力で父馬渕陽一が勤めているであろう土産物屋へたどり着いていた。

 テレビに映されている店の名前や店員の顔、周囲の景色に『奥多摩の隠れた名所特集』という番組のサブタイトルから、愛車のバイクで何度も奥多摩を訪れては店を探していた。


 そしてこの日、ついに陽平は7年ぶりの父親との対面を果たした。


「父さんだよな」

「……人違いじゃないですか」


 陽一はほんの少しだけ眉を動かしたが、すぐに顔を伏せて土産物のクッキーを並べ直す。

 その疲れ果てた、老いた顔は表情も虚ろで、言葉もあまり呂律が回っていない。


「何トボケてんだよ! 父さん、わかるだろ!? 僕だ、陽平だよ!」

「あ、あの、お客様! 大声やめてください!」


 声を荒げた陽平に、店の奥からやや長身の女が声をかけてきた。


「何なんですか、警察呼びますよ!?」

「あぁ呼べよ、っていうか呼んでくれ。いや、僕が呼んだほうが良いか。なぁ父さん、忘れたのか!? 陽平だよ、あんたの息子だ!」

「よう……へい……?」

「忘れたのかよ! 泰子って名前は!? あんたの妻で、俺の母さんの名前!」

「やすこ……」

「そうだよ! 本当に忘れ——」


 顔をあげた父、陽一の顔を見た陽平は言葉を失った

 初老の男の目は、焦点が合っていない。どこか虚空の、何もない一点をじっと凝視するかのような目だ。

 口の端からはよだれが筋を作って垂れており、表情筋のどこにも力が入っていない。

 立っていてもゆらゆらと身体が微妙に揺れ、健康健全な精神状態でないことは、どこからどう見ても明らかである。


「帰ってください! この人は私の夫です! あなたの父親じゃありません! 馬渕陽一なんて方も知りません!」


 長身の女は声を張り上げる。

 周囲の店や観光客の視線が、陽平に集まりつつあった。

 はたから見れば、土産物屋に立ち入って最初に大声を出して騒ぎ立てた若者に、店主夫婦が脅されている、というようにしか映らないであろう。

 

 本来ならば陽平が21歳、父親は49歳であるはずだ。

 だが、陽平の目の前に立っている男は、どうみても70代、若く見ても還暦は過ぎているようにしか見えない。


「失礼」


 立ち尽くしてしまった陽平の後ろに、まるで壁のような大男が歩み寄り、肩に手を置いた。

 振り返った陽平が、『うぉ』と妙な声を上げてから顔を上へと向け直す。

 身長199センチ、体重130キロの巨漢、熊川警部補だ。


「先ほど警察を、と聞こえましたので。警視庁の熊川というものです。何かお困りのことでも?」

「あ、あの! この人が店で騒ぎ始めて! 夫のことを自分の父親だとかいうんです! この人は鳥井健三、馬渕陽一なんて人は知りません!」

「そうですか。すみません、実は事の顛末は先程からそこで拝見していたんですが——」


 熊川はのそのそと、ゆっくりと動いて陽平のすぐ横へと並び立つ。


「えぇと、鳥井健三さん? の奥様ですか、失礼ですがお名前を伺ってもよろしいですか」

「え、えぇ。鳥井美奈子です。本当にもう、誰なんですかこの人。早く捕まえてください」

「まぁまぁ、彼にもちゃんと事情は聞きます。が、私からひとつ質問してもよろしいですか?」

「なんですか? もう、営業妨害もいいとこだわ」


 奮然と腕を組む長身の女を見下ろしてから、熊川はちらりと視線を初老の男へと向ける。


「先ほど『鳥井健三さん』が、彼の父親じゃない、と言った時、あなたは確か『馬渕陽一なんて方知りません』とおっしゃいましたね。どうして行方不明で捜索願が出ている馬渕陽一さんの名前をご存知だったんですか?」

「え——」


 女は絶句した。

 陽平は何かに気付いたかのように、女を睨みつける。


「先ほどから彼、陽平くんは、彼のことを『父さん』としか呼んでいませんでした。自分の苗字も名乗っていませんでした。なのにあなたの口からは『馬渕陽一なんて方も知りません』と、確かにそうおっしゃいましたね」

「な、何のことです!? 何かの聞き間違いなんじゃないですか?」

「いやぁ、最近はそういう『言った言わない』のトラブルも多いもので、我々警察官も弁護士の先生方にアドバイスを頂きましてね、お声がけするときには『記録』を取るようにしてるんです。まぁ記録は後でちゃんと確認しますがね。奥さん、ちょっとお話を伺いたいんです、職務質問にご協力、お願いできませんか?」

「い、いや、あの、それは困ります……今仕事中ですので……」

「そうですか、それはこちらとしても困りましたね。まぁ、幸い私も部下と一緒に来ていますので、彼への事情聴取は部下に任せて、『行方不明者の捜索』にご協力頂けませんか。それとも——」


 大柄な熊川の体躯はどうしても周囲の注目を集めてしまう。

 実は、鳥井美奈子を名乗る女が、『馬渕』の名前を知っていてもおかしくはなかった。以前戌井が店を尋ねた際に名前を出している。

 だが中年の女は慌てたのか、そのことをとっさに切り出せなかった。まんまと熊川の策にハマってしまった形だ。

 

 もはや営業妨害云々の話ではない。周囲には人だかりが出来ており、すぐ近くから『何だ何だ、何の騒ぎだ?』とさらに騒ぎを大きくする声が聞こえてきていた。


「何か、ご都合の悪いことでも?」


 警察官の決め台詞としては悪質なものだろう。

 だが、鳥井健三の妻、鳥井美奈子を名乗る長身の女にとっては、チェックメイトに近い手であったようだ。

 精一杯の強がりなのか、今にも刃物でも持ち出しそうな程に険しい形相で熊川を睨みつけている。


「では、職務質問に快くご協力いただけるようで。警察の捜査活動へのご理解とご協力、ありがとうございます。じゃあ戌井さん、馬渕さんへの『職質』、よろしくお願いしますね」


 少し離れた場所から駆け寄ってきた戌井は、悲壮な表情の陽平を見て、即座に事情を理解した。

 強面に似合わず優しく陽平の肩に手を置くと、戌井は土産物店から離れていった。


「さて、では()()()にお伺いしたいことはいくつかあるんですが、ちなみに変わった仏像ですね?」


 熊川の視線が、店の奥に安置されている象頭人身の異形の観音像に向けられているのを気付いたのか、鳥井美奈子はなぜか『ぎり』と歯ぎしりをしてからうつむいてしまった。

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