11 錠剤の正体
戌井は豪快に生ビールを飲み干すと、『ぶはぁ』と息を吐いてうなだれた。
スナックFOXのカウンター奥には、いつもの木常ママとチーママの『マコ』こと伊立、そしてもう一人、戌井が初めて見る顔がシェイカーを振っている。
「やだ戌井さん、そんな飲み方したら身体に悪いわよ? ほらほら、お酒は美味しく適量を。ね?」
前回戌井が来店した時、潰れるまで飲ませた張本人とは思えない言い草で、ジャネットがたった今空になったグラスになみなみとビールを注ぐ。
彼女は『飲ませ上手』な上、自身もウィスキーを麦茶のように飲めてしまうという強靭な肝臓の持ち主である。彼女にとっての『ほどほどの飲み方』では、日本人男性なら10人7人は酔いつぶれてしまうことだろう。
この日も、ジャネットの酌が止まらずにすでにビールを2本飲んでしまった戌井は、またしても口をすべらせることになる。
「ねぇねぇ戌井さぁん、じゃさ? そのお土産物屋さんにいた人って、結局探してたお父さんだったのぉ?」
「あ、あのさチーママ? そういう捜査情報っていうか機密情報ってあんまり聞かないほうが良いんじゃない?」
相変わらず、カウンターの隅でミマこと美真と向かい合って座っている田貫は、伊立を何とか止めようと試みるが、彼女はそんな弱腰ブレーキで止まるような女ではない。
「てかさぁ? タヌさんだって無関係じゃないでしょ? タヌさんの部下の男の子のお父さん、ってことでしょ? あ、その部下の男の子って成人してる? お酒何好き? 今度お店連れてきてね?」
しっかり営業を入れる辺り、スナックFOXの従業員の中でも最大の人脈を誇るチーママ伊立らしいところだ。
「まぁそうなんだけどね。いやぁ彼もショックだったみたいでさ……昨日今日と会社休んじゃったんだよねぇ。ま、整備課はしばらくなら一人でも回せるから良いんだけど、心配だねぇ」
「タヌキさん、優しイんデスね」
「そうかなぁ?」
でへ、と実にだらしない笑みを浮かべる田貫の手に、美真がそっと指を乗せる。ジャネット直伝の『固定客を掴んで離さない小技』だ。
「あー……捜査情報だからな……あんま話せねぇんだよ。あのー、何だったか、娘の? あの高校生の子だったか? あの子の錠剤、やっぱMDMAだったしよ、あのオヤジっていうオッサンからも薬物反応出るしよ……ったく何だってんだよまったくよぉ」
「あらあら、大変だったわねぇ戌井さん。どうする? 次もビール? 何かカクテルでも作る?」
「んぁ? あー……なんか甘いやつ。甘いカクテル」
「はいはい、甘いカクテルね、寅ちゃん、スクリュードライバーかカルーアミルクか、作ったげて」
カウンターの奥にいる若い男は無言で頷くと、手際よくカクテルを作り始めた。
バーテン、寅之介は週に1度程度しか店に立つことがない。毎日店にいることはいるのだが、あまりにも無口なため、接客には回らず奥まったキッチンで軽食を作る事が多い。
金髪の坊主に雷模様の刈り込み、さらに左腕の前腕にはなぜか円周率のタトゥーを入れている、という実にエキセントリックな出で立ちなため、昼でも夜でも街を歩く彼にちょっかいをかけようというものはあまりいない。
「寅之介くん、カウンターに立つの久しぶりだよね?」
こくり、と金髪の頭が小さく縦に動く。
じろ、と声をかけてきた田貫に視線を向け『たまには何かカクテルどうッスか』という表情を見せる。
「あぁ、私は良いや。ミマちゃん、ハイボールお替り」
「はい、ありがとうゴザいマす。いつもと同ジで、レモン多めにしマスね」
「ありがとミマちゃん。いやぁ、やっぱりミマちゃんが作るハイボールが一番美味しいよねぇ」
またしてもカピバラ並に鼻の下を伸ばす田貫をちらりと見て、寅之介は何か言いたそうな表情を浮かべるが、すぐに手元のカクテルグラスに視線を戻す。
「それでそれで? 戌井さぁん、そのMDMAって何ぃ? 私バカだからわかんなぁい」
「あー……MDMAっつうのはアレだ、あのー……何だっけ……ビタミン? だかなんだか——」
「MDMAは麻薬デス。メタンフェタミンとかケタミンとか、主成分はメチレンジオキシメタンフェタミンで、それで略称がMDMAなんデス」
ハイボールを作りながら、何時になくミマが饒舌に話しだした。
「分子式はC11-H15-N-O2デ、覚醒剤とか幻覚剤とかト似た化学物質デスね。ドーパミン活性強化とかセロトニンの大量分泌とかが起きテ、親近感とか、他の人との共感が強クなッタりしマス」
「へぇー……ミマちゃん、さすが薬学部、詳しいんだね? そういうのも大学で勉強するの?」
「あ、いえ、アノ、講師の先生が大学のそうイウおクスリの管理をしてテ、危ナイから絶対手を出しチャダメって」
「だよねぇ……なんか怖いよね、そういうクスリってさ。私はもうミマちゃんのハイボールさえあれば良いかなぁ」
「えへへへ……ありがとうゴざいマす、はい、ちょと濃いめにしマシた」
「おっ、ありがとミマちゃん」
恐ろしい話の直後でも公然とイチャつく美真と田貫を尻目に、チーママ伊立の熟練の尋問は続いていく。
「はいはい、あそこでいちゃついてるのは放っておいてぇ? んで? そのパパさんにもクスリの反応が出たってどゆこと? パパさんもクスリ使ってたってこと?」
「あー……だろうな。結局熊川さんがあの店のふたり、任意同行で引っ張ったらオッサンの方だけ、尿検査で反応出たんだけどなぁ」
寅之介が作ったスクリュードライバーを一気にぐいっと煽った戌井は、まるで目が回るような仕草をしてから背もたれにどかっと身体を預ける。
「結局、病院送りになっちまってよぉ……ったく、何なんだよホントによぉ……」
「MDMAで病院送り……うへぇ、そりゃ大変だねぇ」
よいしょ、と軽く声を出しながら立ち上がった店のテーブル席の主、鶴岡はジャケットを羽織って帽子を手に取った。
「チーママ、そろそろお会計、良いかな?」
「えー? ツルさんもう行っちゃうのぉ? あ、私が刑事さんとお話してたから、ヤキモチ?」
「あははは、そうだねぇ。でもチーママはモテモテだから。独り占めしちゃ悪いと思ってさ。それに、たまには日付変わる前に家に着かないとね」
穏やかにそう話して、鶴岡はカウンターの田貫にも『じゃタヌさん、また』と気軽に挨拶をすると、木常ママとジャネットの『行ってらっしゃい』の声に見送られて、店を後にした。




