06 酒の勢い
からんからん、とドアの鈴の音が鳴った。
店に入り浸る常連客2人がドアに視線を向けると、入ってきたのは身長2メートルはあろうかという巨漢に、ドーベルマンのような鋭い目つきの男の二人組。
「え——」
カウンターのいつもの席で、ミマと向かい合ってボトルの水割りを飲んでいた田貫は思わずのけぞった。
忘れもしない、奥多摩のスイカ泥棒疑惑で田貫を取り調べた狂犬のような刑事と、熊のような巨漢。戌井と熊川だった。
「おや、確か田貫さん、でしたか」
「あ、あの、私は何もやってませんよ?」
「その節は戌井が失礼しました。今日は特になにか田貫さんに御用があったわけではないんです。戌井が先日、こちらにお邪魔して一杯飲ませていただいたそうで」
カウンター奥、和服のママ木常は平然と頷いた。
「えぇ、ビール一杯だけでしたけど」
「それはまた、部下が重ね重ね失礼を。今日はちょっと、私も飲ませていただこうかなと思いまして」
「あら、何かの聞き込みじゃないんです?」
「勤務時間は終わってますからね。警察官だって酒を飲むことはありますよ。程々にね」
「奥様に悪いんじゃないですか?」
「ご心配無く、私も戌井も独身です。刑事なんて商売をしていると、結婚生活はなかなか難しいですから」
「あら——」
木常は片眉を上げて微笑んでから、すぐ隣に立つ長身の美女に目配せをした。
「ジェニーちゃん、ご新規さんだから、ナッツ盛り合わせサービスして差し上げて」
「はいママ。じゃあお客様、どうぞこちらの席へ」
グラマラスな肢体を惜しげもなく披露するような、露出の多いドレスのジェニーは、フィリピンと台湾のハーフである。
かつては銀座のクラブで勤めており、そこで知り合った男と若くして結婚、日本国籍も取得したが、程なくして離婚している。
「お二人とも、このお店は初めて?」
「いや、俺は前来たことがある。熊川さんは初めてだ。あなたは——前俺が来たときはいなかったな」
「あらそうなのね? 今後ともどうぞご贔屓に。それで、お飲み物は何になさいます?」
実に手慣れた接客。
この店に初めて来た客は、大抵ジェニーが対応する。
実に20年以上客商売をしている経験から、大抵のタイプの客をそつなくこなすことが出来る、というのが最大の理由。
もうひとつの理由が、彼女の美貌だ。
東南アジア系のエキゾチックな美貌に、グラドルもかくやと言わんばかりのメリハリのある身体を、いつもボディラインがくっきりと出るワンピースのドレスで包んでいる。
大抵の男はジェニーの色香に抗えず、2度3度と通い詰めることになるのだ。
田貫もかつてはそうだったが、通う内にジェニーの匂い立つ色香から、ママのオトナの魅力に目移りした挙句、水商売に慣れず初々しいミマこと白美真の魅力にのめり込んでいった。
普段の接客スキルやその若々しい見た目から、彼女に高校生の娘がいるなど、今まで初対面で見抜いたものは皆無である。
「ビールを。戌井さんも、良いですね」
「はい」
「じゃあママ、ビールお2つ」
「はいはい」
ママの木常は慣れた手つきでビールの栓を開けて熊川のグラスに、ジェニーは戌井のグラスにビールを注いでいく。
見事に泡とビールの黄金比となったグラスをひょい、と掲げて、熊川が会釈をする。
「じゃあ、お初のお客様ね。おかえりなさい」
「お帰りなさい?」
戌井が一息にグラスを空にしてから、ジェニーに不思議そうな視線を向けた。
「この店じゃ、慣れたお客様は『ただいま』って入ってくるし、私達は『お帰りなさい』で出迎えるんですよ。お戻りのときには『行ってらっしゃい』でお見送り」
「なるほど。それじゃあまた『帰って』来なきゃいけないわけですね」
「えぇ、いつでもどうぞ」
いつの間にか空になった熊川のグラスにも、ジェニーからビールが注がれた。
「お巡りさんもこういうお店、来られるのね」
「まぁ、こういう商売をしているとストレスもたまりますからね。時々は酒で洗い流さないとやってられないこともありますよ」
熊川は、いかつい見かけによらず、話し方も声も穏やかだった。
「まぁ、たまたまこういうお店で、懐かしい顔に逢うこともありますがね」
巨漢の視線は店の奥に向けられていた。
その先には、チーママの伊立が相手をしている常連の老人、鶴岡の姿がある。
「あら、お知り合い?」
「いや、知り合いというほどでは」
「あらそう。まぁ、こういうお店じゃお客さんどうし、あんまり事情を詮索しないのがマナーですからね。あと、店内は禁煙ですから」
つい内ポケットからタバコを取り出そうとした戌井に、ママが鋭い目を向ける。
「健康増進法。当店は法令遵守がモットーですから」
「それは良いことです。——だそうですよ、戌井さん」
「判りましたよ」
戌井は席を立ち、店の入口から外へと出ていった。
入口のドアが閉まったのを確認してから、田貫が水割りをちびりと口に含んでから顔を巨漢熊川に向けた。
「あの、刑事さん」
「はい」
「穴熊さんって、結局どうなりました?」
「あぁ、すみません。そういった情報は、公になってないものは口に出来ないんですよ。すみません」
「あ、そ、そうですよね。すみません。……いや、てっきりこう、穴熊さんの件か馬渕君の件で来られたんだとばっかり」
「馬渕さん?」
小さなグラスがテーブルに『かん』と静かな音をたてて置かれる。
「田貫さん、どうしてあなたが馬渕さんのことを?」
「え? あ、いや、あの、何でも——ってまぁ、そうですよね。怪しいですよね。いや、偶然というか、馬渕君は職場の後輩というか部下でして」
「ほう」
メガネの奥の熊川の目が大きく見開かれる。
「馬渕くんの親父さんをまた探し始めたって聞いたもので。その、さっきの戌井さん、でしたっけ?」
ジェニーが再びビールを熊川のグラスに注ぐと、今度は勢いよく喉に流し込んだ。
「まぁ、捜査情報ですので、詳しくはお話できません」
「あら、まるで刑事さんみたい」
木常は妖艶に微笑むと、新たなドリンクメニューを熊川に差し出した。
「さ、どうぞ。お次は何になさいます?」
苦笑を浮かべた熊川は、百戦錬磨の客商売のプロ、ジェニーに視線を向ける。
「じゃあ、お姉さんのオススメを。お姉さんの分も」
「あら、良いんですか? じゃあ遠慮なく」
ジェニーが注文したのは、ちょうど中間の価格帯である国産ウィスキーのロックであった。




