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38 鳩の行方

 西東京のとある病院の病室では、丸々とした体型で見事な造形美としか言えない二重顎の中年の男が、苦しげに『ぶふぅ』と息を吐いている。

 エアコンの効いた室内にもかかわらず、男は顔じゅうに不自然なほどの汗をかき苦しげに身悶えしている。

 時折頭を掻きむしり、明らかに興奮した様子で荒い呼吸を繰り返していた。


「よう、思ったより元気そうじゃねぇか」


 ノックの直後、返事を聞く前に病室の扉を開いたのは、大柄なドーベルマンを思わせる刑事、戌井だった。

 

「なんだ、汗だくだな。自家発電の真っ最中だったか? 邪魔して悪いな」

「な、何で、何なんだお前、何で私がこんな目に! これは人権侵害だ! 信教の自由への重大な挑戦だぁ!」

「あ? 葉っぱキメて無辜(むこ)の市民を拉致ってクスリ漬けにした挙句、手前ェんとこでヤバいクスリ作りまくってたからだよ。わかったか? 心配すんな、大人しくゲロっちまえば基本的人権に配慮して接してやるよ」

「私は何も知らん! 何も見てないし何も聞いてない!」

「責任者がその言い訳ってのは随分幼稚だなぁオイ。この期に及んで知らぬ存ぜぬが通じると思ってるのは、警察ナメてるとしか思えねぇな。ま、嘗めていたけりゃ嘗めてりゃいいさ。こっちはこっちで滞り無く事情聴取するだけだ」


 大柄な男、猪俣は離脱症状に伴う攻撃性の増長を理由として、ベッドに拘束されている。

 太い腕や足を動かすたびに、派手な音を立ててベッドのフレームが軋む。熊川ほどではないにせよ、大柄といえるであろう体格の猪俣は、護身の心得のない者にとっては十分に脅威になるだろう。

 身長175センチ、体重175キロと、身長と体重が几帳面に一致する猪俣は、戌井を細い目で睨みつけて『ぶふぅ』と嫌な音のする呼吸を繰り返していた。


「とりあえず、一番大事なところから聞こうか。鳩ヶ谷妙見はどこにいる?」

「大聖歓喜観音菩薩の仏罰が下るぞ! お前にも! 警察にも! お前の家族にも!」

「あぁハイハイ。で? お前らんとこのボスはどこだ」

「ぶふふふ、歓喜観音菩薩は全てお見通しだ! お前、家族がいるだろう!」

「誰にだっているだろそんなもん」

「お前の母親が見えるぞ、あぁ、お前のすぐ背後にいるぅ!」

「お袋なら今頃家でテレビショッピングでも見てるよ。俺の後ろにゃ何もいない」

「そうだ、生霊だ、お前の母親の生霊がお前のすぐ背後にいるぅ! ぶふふふ、お前は呪われる、呪われる、母親によって呪われるぅ!」

「それで?」


 猪俣の『折伏(しゃくぶく)のための説法(せっぽう)』は、教祖鳩ヶ谷妙見と比較して、あまりにも稚拙であった。


「お前、ひょっとして警察相手に脅しが通じるとか思ってんのか? 麻薬及び向精神薬取締法違反、大麻取締法違反、監禁、強要、傷害、未成年者略取、東京都青少年健全育成条例違反に加えて脅迫罪もトッピングだな。随分と欲しがるじゃねぇか。あと何がいい? あ? 公務執行妨害もオマケにつけてやろうか」

「あ、あぅ……」

 

 かつて妙見が馬渕陽平の父、陽一を言葉巧みに連れ去った時にも、『実際に弱っていそうな相手』を慎重に見定めた上で、非常にありきたりながらも言葉をかけられた本人が『そうかもしれない』と思える言葉を、相手の心に届くように言わねばならない。

 脅せば良いと思っているようでは、宗教の勧誘を行うものとしては二流以下である。


「で? 鳩ヶ谷妙見はどこにいる」

「お前ごときが教祖様にお目見え出来ると思っているのかこの無礼者! 教祖様は生き仏様だ! 大聖歓喜観音菩薩の生まれ変わりだ!」

「なぁ猪俣耕太郎、お前さん29歳なんだってな? そんなナリで。どう見ても50代だぜ? 今までお前んとこのヤクをキメた奴らは、全員が異様に老け込んでる。科捜研でも調べてるが、まぁおよそ通常じゃ考えられないくらいの老け込みようだ」


 猪俣の顔はパンパンに浮腫(むく)んでいるためにシワのたぐいはあまり無かったものの、お世辞にも年齢相応とは言えない外見だ。

 どう贔屓目に見ても50代半ばの肥満の男である

 

「お前らは自分がどんなクスリ使ってるかわかってんのか? MDMA、合成麻薬だ。アメリカで大流行してるフェンタニルなんかと同じような、人格も何もかもガタガタにぶっ壊すようなクスリ作っておいて、手前ぇじゃ大麻しか使わねぇか。随分とご都合主義な菩薩様だな? あ?」

「歓喜草は大麻などではない! アレは大聖歓喜観音菩薩様が人間にもたらした『歓喜の煙』で——」

「要は大麻だよ。手前勝手な言い換えで法の目をかいくぐろうとするんじゃねぇ」

「そ、そもそも大麻はタバコよりも健康被害は少ない! 依存性も低いだろうが!」

「タバコは法が認めた嗜好品、大麻は禁止薬物。お前の『貴重なご意見』なんざ聞いちゃいねぇ。で? 鳩ヶ谷妙見はどこだ。あの山奥の『工場』が奥多摩支部だとしたら、歓喜観音会の本部はどこにある? そもそも宗教法人の本部として登記されてる住所、あれ猿渡って信者の個人の住宅じゃねぇかよ」


 歓喜観音会は、宗教法人として正式に登記されてはいるが、本部として記載されている住所は信者の個人の住宅であった。

 それも以前、スナックFOXの常連であった穴熊がスイカ泥棒をした挙句、住居侵入まで行った猿渡という老婆の自宅である。

 

「妙見様はどこにもおられない、だが同時にどこにでもおられる! 全てを見通しておいでだ! あのお方は生き仏様だ!」

「はいはい、事情聴取には極めて非協力的——っと。まだ葉っぱの成分が抜けてねぇな」

「大聖歓喜観音菩薩の歓喜草の効果は永遠だ! 我々は『善行』を積んで歓喜の涅槃に導かれる!」

「ったく、どうせその涅槃とやらはマリファナパーティかなんかだろ。全員ガンギマリになってる涅槃なんざ見たくもねぇ。葉っぱが抜けたころにまた来るぜ」

「妙見様は! どこにもおられない! ぶふはははは! 警察ごときが妙見様を見つけられるワケがない! 私ですら知らんのだからな! ぶははははは!」


 猪俣の勝ち誇った笑い声を聞きながら戌井は病室を後にする。

 忌々しげに舌打ちをしてから病院の建物を出ると、ジャケットの内ポケットからタバコを取り出した。


「あの、病院は建物内だけでなく敷地内全面禁煙です」


 警備員から注意され、小さく『すんません』と返して取り出したばかりのタバコをポケットに収め直す。

 ふぅ、と残念そうにため息を漏らした。

 戌井がふと視線を向けた先にあったのは、病院の入口に貼られたポスターだ。

 

「禁煙外来……タバコ、辞めるかぁ」


 誰にともなくそう呟いて、再び戌井はとぼとぼと歩き出した。

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