34 ささやかな祝杯
「ねー戌井さぁん? シュークリームはぁ?」
「え? あ、いや……」
スナックFOXは、いつも通りの景色だった。
ミマのすぐ前には田貫が、店の奥のテーブル席には鶴岡とチーママが腰掛けている。
いつもと少しだけ違うのは、カウンターで田貫の隣に戌井と熊川が腰掛けて、それぞれジェニーとママが酒を出しているというところだ。
「だってほら、情報役に立ったんでしょ? ホントならさぁ? こないだ持ってきてくれるかなぁ? って思ったのにぃ」
まるで小学生女児のように頬をふくらませるチーママに、申し訳なさそうな苦笑を浮かべた熊川が軽く頭を下げる。
「いやぁ、その節はありがとうございました。戌井くん、コレで全員分、そこのファミマで買ってきて下さい」
「え、俺っすか」
「あらクマさん、良いのよそんな。ウチの若いのにパシらせるから。ね、寅ちゃん行ってきてくれる?」
キッチンに引っ込んでいた寅之介は、軽く眉間にシワを寄せはしたものの『しゃーないっすね』という表情を向けて店から出ていった。
「もちろん、お会計にいれますから」
「えぇ、そうして下さい」
「それにしてもクマさん、その奥多摩道場っていうのはまた、随分と大変だったんだねぇ? クスリ作ってたの?」
「もう酷いものでしたよ……ハウスでの大麻栽培に、合成麻薬の製造工場もありました。ご丁寧に『レシピ』と題がつけられた文書もありました。恐らくですが、自前でクスリを調達し始めたんでしょう。大学の例の元准教授から、材料と『レシピ』の横流しを受けていたジャッカルも潰されましたし、供給源が断たれましたからね。もっとも、MDMAに手を出し始めたのは最近の話では無かったようです。自前で原料を調達するルートに、自前で精製できるだけの設備も用意してましたよ」
今回の家宅捜索では、戌井や熊川ら警察が予測していたよりも、事態がはるかに重いものであるということが明らかになった。
東京都西部で頻発していた失踪事件については、その全てではないものの、数件の失踪に観音会が関わっていたことが判明している。
実際に奥多摩道場のプレハブで保護された者たちは、その多くがMDMAを使用された上で洗脳を受けており、心身ともに大きなダメージを受けている。
中でも深刻だったのは美真が通う大学の薬学部の学生だった。
美真とは学年が違うために接点は無かったが、彼は鷲崎元准教授の授業を受けていた学生で、なんとジャッカルとの連絡役として鷲崎に雇われていた。
この学生はジャッカルの拠点からくすねたMDMAを自分でも使用しており、大学内でも売り捌いて金に変えていた。
内部でのネコババに気付いたジャッカルは、報復と見せしめのために、まだ中学生のこの学生の弟を拉致し、観音会の道場へ監禁した。
事実上の人質を取られたことで学生は追い詰められ、鷲崎准教授の失脚後もジャッカルの使い走りとして利用され続けることとなる。
「うへぇ、うまい話には裏があるもんだね……でも大学でクスリが出回るって、かなりマズいんじゃないですか? ミマちゃんは大丈夫だったの?」
いつものミマが作ったハイボールと、いつも通りのナッツ盛り合わせと交互に口に運びつつ田貫が心配そうな顔をミマに向ける。
「あ、ハイ、鷺宮センセイとか、他の教授からも『医療に携わルなら、間違ってもそういうクスリには手を出スな』って言われてマす」
「だよねぇ……それでもやっぱり手ぇ出しちゃう子がいるんだね。怖いなぁ、クスリって」
「田貫さんのように考えてくれる人が多ければ、我々警察も安心なんですが」
苦笑を浮かべた熊川も、田貫と同じハイボールのグラスをぐい、と煽る。
「最近のガキどもは甘ったれてる、とは言わねぇが……安易だなとは思うな、俺ぁ」
今日もいい具合に飲まされている戌井は、やや呂律が回らない口を懸命に動かし始めた。
ちょうどそのタイミングで戻ってきた寅之介が、無言のままジェニーにコンビニのレジ袋を差し出す。
「あら寅ちゃん、おかえり。ありがと」
ぴく、と片眉だけを動かして『や、良いっすよ』とでもいいたげな顔を見せてから、またキッチンへと戻っていった。
「さぁさぁ、クマさんのおごりのシュークリーム、みんな頂きましょ? クマさん、ごちそうさま、ありがと」
「いや、これくらいで良いなら。今回の教えて頂いた情報のお陰で、6人が救い出されて、合成麻薬の精製工場の摘発ができたんです。本来ならシュークリームなんかじゃ足りません」
「え、なんだぁ、じゃあどっか高い店のモンブランとかチーズケーキとかにしときゃよかったぁ?」
あははは、と明るい笑い声をあげるチーママの横で、鶴岡はシュークリームをそっとママの木常へと戻すように手渡した。
「僕は良いから、コレは真理亜ちゃんに食べさせてあげてちょうだいよ。道順、っていうアイディアを思いついたのはあの子なんだから。ね?」
「あら、そういやそうだったわね。じゃあツルさん、お言葉に甘えてこのシュークリームは真理亜にあげちゃうわね?」
「いやいや、そういう事なら追加でもっと他のものでも大丈夫ですよ」
「はいはいはい、じゃ私モンブラン!」
他のもの、というキーワードに反応したのか、チーママ伊立が勢いよく手を挙げた。
「マコちゃん? あんまりお客様にタカらないの。私はエクレアが良いかしらね? 出来るだけでっかいの」
「ちょっと、ママもチーママも注文出してるじゃないの。私は生クリームものなら何でも。ちょっと前に流行ったマリトッツォなんて美味しかったけど、最近見ないわよね? あ、真理亜はカスタードが好きよ? 寅ちゃんは真理亜のと同じで——良いみたいね。ミマちゃんは?」
「私、コンビニスイーツならセブンイレブンのバタークッキーとカスタードプリンが好きデす」
「あ、あの、すみません。ママもジェニーさんミマさんも、これはさすがに経費では出せないので、出来ればお手柔らかに——」
わいわいと賑やかな店内では、終電近くになるまで和やかなパーティが続くことになった。




