29 私的な話
「じゃ、じゃあジャッカル会が鮫原組の下部組織だっていう情報は、ツルさんから?」
「そうそう。ワンちゃんがほら、ママの店で言ったでしょ。半グレは仁義も筋もないから始末に負えないっていうアレね。確かにそうなんだよ」
会席料理は滞り無く運ばれてくる。
ゆったりとした贅沢な食事の時間。
当地で採れた旬の食材に、最高の仕事を施して供される料理は『これこそ本物の贅沢』といえるものだ。
熊川はかろうじて、大柄な身体に似合わない美しい所作で食事を口に運び、戌井はまるで定食屋のような勢いでバクバクと絶品料理を口に運んでいく。
恐らくは、戌井の給与ではおいそれと頼もうなどとは思えない価格の料理。残念なことに、カップ焼きそばとチェーン店の牛丼、フライドチキンになれた戌井の舌ではただ『美味い』としか表現ができなかった。
「鮫原組はねぇ、昔はまぁお行儀もそこそこ良かったんだけどね。クスリを扱い始めたのは僕が引退してからだねぇ」
「鶴岡か——いや、ツルさんは鶴岡会に麻薬を扱わせませんでしたからね」
「そうだねぇ」
くい、と鶴岡が唐津焼のぐい呑みを煽ると、熊川は品の良い備前焼の徳利から福島県の日本酒をゆっくりと注ぐ。
嬉しそうにひょい、とぐい呑みを掲げ、酒を一口含む。
まるで酒の後味を楽しむかのように大きく息を吐き出すと、細い目をさらに細めた。
「麻薬はね、アレはだめだよ。あれは人を狂わし、家を壊し、国を滅ぼすものだ。ヤクザ者にはヤクザ者の道理と筋ってものがあるはずなんだよ。今の若い連中は任侠というものを理解してないねぇ。嘆かわしいことだよ」
「仰るとおりです……」
「あ、あの、それじゃあ、ここ数年で麻薬が急激に増え始めてるのって、まさか——」
落ち着いた様子の熊川と対照的に、戌井は食事の美味さと鶴岡の話に驚きを隠すことができない。
「僕が引退してからだねぇ。二代目は、ある程度目をかけてたヤツだったんだけどね、僕が引退してから3年も持たずにクスリを扱い始めちゃったよ。イヤになっちゃうねぇ」
鶴岡は少しばかり悲しげな表情を浮かべ、再び酒杯を煽る。
続けて熊川が酌をすると徳利が空になった。
酒の追加を頼もうと熊川が手を挙げると、鶴岡が手をひょいとあげた。
「あぁ、良いの良いの。今日はこれくらいにしようかな。焼き物も揚げ物も出たからね、後はご飯と味噌汁だね。後は、お茶を頂くとしようか」
「そうなんですか」
「そうそう。日本料理はね、ちゃんとストーリーがあって順番がある。道理と、筋ってやつだねぇ」
鶴岡の言葉通り、板前は熊川や戌井の目の前で土鍋から炊きたてのご飯を九州は波佐見焼の茶碗によそう。
「山形県の『雪若丸』です。味噌汁は赤味噌のなめこ、漬物は自家製の浅漬です。ご飯はおかわりがありますので、お申し付けください」
「ありがとう、今日のも美味しかったよ。イサキの炙りなんて絶品だったねぇ?」
「いつもありがとうございます。お食事のあとは、デザートがあります。今日のデザートは自家製の大福です」
「ほうほう、そりゃ良いねぇ。楽しみだ。まずは炊きたての内にご飯を頂きましょうか」
戌井にとっては、ご飯と味噌汁など『なんでこんなモノを最後に』と思うようなものだったが、器に軽く盛られたご飯を一口ほおばると、まるで驚いたドーベルマンのように目を見開いた。
信じられないほどに美味かった。
出汁の味が濃い、味噌が申し訳程度にとかれた味噌汁でご飯を流し込むと、芳醇な魚介の出汁の風味が口に広がる。
どの料理よりも美味な、ただの『ご飯と味噌汁』だ。
「どれ、おかわりは——そうだねぇ、塩むすびでもらおうかな」
「はい。お客様はどうなさいますか? 普通のご飯か、塩むすびか、お選び頂けますよ?」
この日、戌井と熊川は、恐らく東日本で一番美味い塩むすびを食べることになった。
土鍋に3合炊かれたご飯を、おこげも残さず平らげた戌井と熊川のもとに、仕上げのデザート、大福が運ばれてきた。
が、運んできたのは板前の男ではない。スーツ姿の男で、皿を差し出した手には小指の第2関節から先がなかった。
「ワンちゃんは初めましてかな? 紹介するよ、鮫原組組長の、鮫原和人君。鮫原くん? こちらは警視庁の熊川警部補——は知ってるかな。お若い方は戌井刑事」
「なっ」
条件反射的に戌井は立ち上がろうとするが、再度熊川に抑えられる。
熊川も、椅子に腰掛けたままの格好でいつでも立ち上がれるよう、足の位置を微妙にずらしていた。
「鶴岡さん、これは?」
「いやぁ、鮫原くんがね、どうしても警察に詫びを入れたいっていうもんだからねぇ?」
「も、もっ、申し訳ありませんでした! まさかその、せ、先代と御縁のある方のシマとは知らず!」
「鮫原くん、違うでしょ? 彼らは、警察なの。わかるかな? ダメじゃないの、ちゃぁんと下のモンにも目を光らせてないとさ。あんな雑居ビルで粗末なクスリ作らせて、事故でも起きたらカタギの皆さんにもご迷惑がかかるでしょ」
「お、おおおお仰るとおりです……申し訳ございません、申し訳ございません!」
戌井が見ていて気の毒になるほど、組長であるはずの鮫原は怯えていた。
「クマさん? 今日は彼がね、どーーーーしても、下のモンの責任取って警察に協力したいっていうもんだからね? ゴメンねぇ、騙し討ちみたいな感じになっちゃって」
「い、いえ……」
「あの、ツルさん、鮫原組の下のモンの責任って、やっぱりジャッカルのやつらのMDMA……?」
「そうそう。ジャッカルってのがほら、お店のチーママとか寅ちゃんに手ぇ出したって聞いてね? ありゃあこれはダメだと思って調べたんだよ。そしたらびっくり、ジャッカルの上にいるのが鮫原くんだっていうじゃない。それでね、ジャッカルって子たちの居場所を鮫原くんに聞いたら快く教えてくれて。それでクマさんに『匿名の善意の通報』を差し上げた、ってワケだねぇ」
「ジャッカルの捜索令状もな、ツルさんのタレコミがあったから取れたんだよ……鶴岡さん、本当にご協力、ありがとうございました」
熊川は深々と頭を下げる。その高さがたまたま鮫原が下げた頭よりも下になってしまったからであろう、鮫原は慌てて土間に膝をついて土下座の格好になった。
「ま、騙し討ちになっちゃったのは、ここの美味しい料理に免じて、許してちょうだいよ。ね?」
「もちろんです。では、鮫原組長は——」
「当然、これから警察署に自首するよねぇ? だって国を滅ぼすようなクスリを扱っちゃったんだから。ヤクザの親分さんとして、ちゃぁんとケジメとらなきゃ。道理も筋も通らないでしょ。ねぇ? 鮫原くん?」
「は、はい、自首します、自首させていただきます……」
仮にも暴力団の組長があからさまに怯える姿は、甘党の戌井をして、目の前の大福の存在を忘れさせるほど、強烈なものであった。




