26 ジャッカルの巣
「警察だ! 全員動くな!」
蹴破られるような勢いで開いたドアの奥には、数名の男がいた。
いずれもソファに座ったまま、やたらと老け込んだ顔で口は半開き、あるものは白目をむいて発情期の猫のような奇妙な声を上げている。
「……動くなっつっても、動きようがねぇか。ガンギマリじゃねぇか」
戌井は呆れ返ったような声を上げて、刑事課の若手の一人として事務所内に土足で入り込む。
「あー、一応な。見せなきゃいけねぇんだよ。これ、裁判所が発行した家宅捜索令状。麻薬及び向精神薬取締法違反の疑いで家宅捜索をする。……って聞いちゃいねぇ」
恐らくは事務所の責任者であろう壮年の男は、白目を剥いてよだれをたらしたまま、およそ正気とは思えない笑い声を上げている。
「ったく、粗末なモンおっ勃てやがって、良い歳したオッサンが。よぉし、ラリってるやつらは麻薬及び向精神薬取締法違反の現行犯で全員しょっぴくぞ。応援呼んどけ」
「戌井くん、念のために上のフロアも見に行きましょう。匿名の情報だと、この上のフロアもジャッカルの拠点です」
「うっす、了解っす。じゃあ2人、こっち頼む。俺と熊川さんは上見てくる」
数名の刑事たちが手早くガンギマリ状態の男たちに手錠をかけて、引きずるように雑居ビルから連れ出したのを見届けて、戌井と熊川は狭い階段を上がっていく。
刑事ドラマのように拳銃を抜いたりはしない。戌井はトンファー型の警棒を構え、雑居ビル3階の入口のドアの前に立った。
どんどんどん、とノックにしてはかなり乱暴な音をたててドアを叩き、数秒待つ。
「警察だ、開けろ!」
変事はない。
「おい警察だっつってんだろ! 返事しろ返事ぃ!」
「う、撃たないで、撃たないでください! 開けます、鍵開けますから!」
怯えきったような声が、ドアの向こう側から聞こえてきた。
戌井はトンファーを構え、熊川はぎゅっと拳を握りしめる。
「鍵開けたら壁まで下がれ。中にいるのは何人だ」
「お、俺も入れて6人です、でもあの、俺以外は全員あの、何ていうか、こんなキマるはずじゃなかったんすよ!」
「ガタガタ言うな! さっさと開けろオラぁ!」
「ひぃ、は、はひ、開けます! 開けますから撃たないで!」
「開けねぇとブッ放すぞ手前ェこの野郎ォ!」
相変わらず、戌井の恫喝の迫力は凄まじい。
かつて、濡れ衣事件のときに田貫が硬直するほどの迫力を見せた事は、上司である熊川ととばっちりを食った田貫の記憶に新しいことだ。
がちゃ、と金属音の直後、慌ただしくドアから足音が遠ざかっていく。
少し離れた場所からは半泣きで『開けましたぁ!』と悲鳴のような声。
戌井がドアノブを静かに回すとドアがわずかに動く。
がいん、という派手な音と共に、戌井の安全靴がスチール製のドアを派手に蹴り飛ばした。
「オるラァ警察だ! 両手を頭の後ろで組んで跪けェ!」
「戌井くん、FBIじゃないんですから」
少し悪ノリをはじめた戌井を、後ろから冷静な声で熊川が止める。
小さく会釈をして『さーせん』と呟くと、トンファーを構えて部屋へ押し入ると、古い雑居ビルには場違いなほどの実験器具が並んでいる。
蒸留器にフラスコ、ビーカー、ガスバーナーに、高校の化学や生物の時間は決まって漫画を読んでいた戌井では名前も思いつかない器具の数々。
数名の男たちが、床に寝転がったり椅子の背もたれに身体を預けた状態で、あるものは白目を剥き、あるものは泡を吹いて痙攣をしていた。
「おい! タオル! タオル噛ませろ、舌噛むぞコイツラ!」
「え? へ? あ、え? あの、た、タオル?」
「良いからさっさと動けオラァ!」
「は、はひィ!」
何らかの化学実験を趣味とするものの拠点でもなければ、この部屋で何が行われていたか、警察官なら誰でもが事情を理解できる状況だ。
熊川は、3階でひとりだけ無事であった男に歩み寄り、ゆっくりとした動作で顔を近づけた。
「こちらの部屋では、一体何を?」
顔に小さなタトゥーが入った中年の男にとっては、さぞ恐ろしかったことだろう。
何しろツキノワグマどころかヒグマ並の体格で、おまけに筋肉の鎧をまとったような巨漢が間近にいるのだ。
低いバリトンの音域の声は、怯えた男にはヒグマの唸り声に聞こえたに違いない。
「あ、あの、や、違、違うんすよ、俺ら、あの、う、上の、上の人たちに言われて——」
「上の人たち? それは誰ですか? ひょっとしたら鮫原組ですか?」
ひゅぅ、と奇妙な呼吸音の直後、タトゥーの中年男は呼吸を止めてしまった。
この上なく分かりやすい、肯定の意思表示だ。
「それで、鮫原組に何と言われたんです?」
「こ、ころ、殺される、そん、そんな、いいいい言ったら、言ったら殺される」
「おう、オッサン」
どか、と派手に椅子を蹴り飛ばして、戌井が身をかがめ熊川と挟み込むようにして中年の男の顔を覗き込む。
「ここまで来ちまったら、言っても地獄、言わなくても地獄だぜ。なら、お上の後ろ盾がある俺等の地獄の方が、ヤクザ者の地獄よりゃあまだマシじゃねぇか? あ?」
中年の男は生きた心地が全くしなかった。
何しろ、ヒグマとドーベルマンが牙をむき出しにして唸り声を挙げているようなものなのだ。
「では、署までご同行願います。よろしいですね?」
バリトンの声は穏やかで優しい。
が、タトゥーの中年男には、もはやその優しい声に逆らおうなどという意識すら残っていなかった。




