24 右、左、右
鳥井健三こと馬渕陽一が、地獄のような離脱症状から解放されたのは、保護されて10日後のことだった。
ただ、その『解放』は、息子である陽平が待ち望んだものではなく、父との永遠の別れという形をとったものだ。
恐らくはMDMAの長年の使用に依るものであろうか、肝臓と腎臓に深刻なダメージを抱えており、加えて肺がんも患ってしまっていた。
急性多臓器不全で彼が息を引き取ったその時、ベッドの傍らには息子の陽平の姿があった。
命を落とす2日前になって、ようやく『馬渕陽平の父』としての意識を取り戻した陽一は、繰り返し涙を流しながら息子に詫びていた。
最後の最後に、息子として父と言葉を交わせたことだけが、陽平にとっての唯一の救いだっただろう。
陽一は、拉致されたわけではなかった。
仕事で行き詰まり、追い詰められた陽一は勤め先へ向かう途中、鳩ヶ谷妙見という若々しい女に声をかけられた。
『あなた、悩みがありますね。相当苦しんでいらっしゃる』
と、そう声をかけた怪しい女の言葉など、通常なら無視していただろう。
だが、その時の陽一は、仕事で大きなミスをして上司に叱責され、家族に弱った父親の姿を見せられないという思い込みで雁字搦めになってしまっていた。
人は、弱ったときに差し伸べられた手があれば掴んでしまうものだ。
誘われるがままに妙見の言葉に耳を傾けてしまったのが、陽一の最大の不幸だった。
言葉巧みに思考を誘導され、さらには『歓喜観音の霊水』と称して出された、薄めたMDMA水溶液を飲んでしまった。
次に意識を取り戻したときには、陽一は山中の道場らしき場所にいた。
覚えのない白い装束に、象の頭をもった奇妙な仏像。どこの言葉かもわからない呪文が繰り返される薄暗い空間。
甘ったるい匂いの香が焚かれ、公民館のような建物の中は奇妙な煙が漂っていた。
『|オン・ガム・ガナパタイエ・ナモ・ナマハ《大いなるガネーシャ神に心より帰依し奉る》』
理由のわからない呪文が、周囲にいる白装束の集団からだけではなく、自分の口からも聞こえていることに気付いたときには、まるでそうすることが当然であるかのように象の頭の仏像に向かって頭を下げる。
若々しい女、妙見が差し出してきたピンク色の錠剤と、『歓喜観音の霊水』をためらいも無く飲み込んだときの、妙見の嬉しそうな笑顔は陽一の脳裏に強烈に刻まれている。
あぁ、生き仏さま——そう心の底からそう信じてしまったのだそうだ。
『あなたは馬渕陽一ではありません。馬渕陽一というのはあなたの仮の姿、あなたは真の姿である『鳥井健三』として、大聖歓喜観音さまのために人生をかけて働くのですよ』
何度も繰り返される内に、陽一は自身が『鳥井健三』であり、馬渕陽一という人生を『演じていた』と信じるようになった。
やがて彼には妻であるという女が寄り添うようになり、大いなる歓喜観音の妙薬を受け取り、妙見へ届けるという重要な『鳥井健三の役割』を与えられるようになる。
奥多摩の土産物店に時折やってきていたガラの悪い男は、確か穴熊と言った。
鳥井健三の役割は、穴熊と名乗るガラの悪い男から『妙薬』を受け取り、妙見から預かっていた現金を渡すことだった。
そんな彼のもとに、息子を名乗る若者が現れたのは、役割を果たし続けて7年が過ぎた頃のことだった。
『父さん』
そう呼ばれたときに、直感として『この若者は、自分の縁者だ』と理解した。
理屈ではなく、唐突な理解であった。
だが、頭が働かなかった。常に頭の中には霞がかかったような状態で、ただただ『生き仏、妙見さまの命令に従うこと』しか考えられなかった。
妻であろう鳥井美奈子は、毎日彼に『妙見さまのお言いつけどおりにしていれば、何も問題ない』と言い聞かせていた。
そんな『平穏』な日々は、自分の息子を名乗る、馬渕陽平という青年の来訪で唐突に終わりを迎えることとなった。
病院に運び込まれた陽一のカラダは、どれだけ控えめに言ってもボロボロであった。
持病の高血圧と高脂血症、さらには数年にわたる合成麻薬の常用は、彼のカラダから健康と『馬渕陽一』としての人生を奪い去っていった。
「すまんかった陽平、本当に、本当にすまんかった、全部俺のせいだ、全部思い出した、俺が弱かったせいだ……母さんにも、なんて詫びれば良いかわからん……」
涙ながらに息子陽平の手を握り、しゃがれた声でそう繰り返す男は、ようやく馬渕陽一という人格を取り戻した。
「父さん、もう良い。おかえり。今は色々考えなくていいから、ゆっくり休んで」
それが、彼が息子からかけられた最後の言葉となった。
多臓器不全のため、馬渕陽一が静かに息を引き取ったのは、息子陽平からの言葉を聞いたわずか2日後のことだった。
陽一は荼毘に付されたその日の内に馬渕家の墓へ、再会を果たせなかった妻の骨壺の隣に収められることとなる。
そんな彼の病床を片付けていた看護師が、枕の下から1枚のメモを見付けたのは、ちょうど陽一が火葬場へ運ばれているときだった。
『右、右、左、右、左、左、左、右、左』
震える字でそう書かれていたメモは、主治医を通じて熊川へ渡される事となった。




