22 ジャッカル
スナックFOXは、決して立地条件が良いわけではない。
最寄りの電車の駅からは徒歩で20分程度かかるし、駅前の寂れた繁華街と比べても『どう考えても酒を出す店としては適していない』という場所だ。
だからこそであろうか、穴熊という名の男を探し回る半グレ集団は、FOXへ近づくことは無かった。
このところガラの悪い集団が駅周辺をうろついている、ということもあり、毎日電車を使う真理亜は、必ず寅之介が送り迎えをするようになっている。
もっとも、これは真理亜『を』守るというよりは、喧嘩っ早く口より先に手が出る性情の真理亜『から』半グレ集団を護る、という意味合いもある。
「じゃトラ兄ちゃん、行ってきまぁす」
快活そうな笑顔で真理亜が振り返る。その視線の先にいるのは金髪坊主で腕にタトゥーのある男だ
ひょい、と片手を挙げ、改札を通り過ぎていく真理亜を見送ると、ちら、と視線だけを動かして周囲の様子をうかがう。
警察官が数名、ちらちらと寅之介に視線を向けている。二人組の警官が寅之介へと歩み寄ってきたが、二人ともに寅之介とは顔見知りだ。
「よう、寅之介。きょうはお嬢の見送りか」
お嬢、というのが真理亜である事は、もはや3人の共通認識だ。
寅之介は相変わらず口を堅く閉ざしたまま、小さく頷くばかり。
「寅之介なら大丈夫だろうけどな、最近この辺半グレがうろついてるからな、気をつけろよ」
「ま、お前なら気をつけるって言っても、『相手を痛めつけないように』ってことになるけどな」
警官2人は軽く笑い声をあげてから、駅の出口近くの階段へと向かっていった。
寅之介は警官とは逆方向の階段へと向かい、隙のない流れる体捌きで階段を降りていく。
さすがに警官が巡回している中で、おまけに朝早くからうろつく半グレなどいない——などと甘い状況ではなかった。
寅之介の目に入る範囲内でも、5名ほどの『明らかにカタギの商売ではない』であろう男がバラバラの位置に立っている。
そのうちの1人が階段を降り喫煙所へ歩み入った寅之介へと歩み寄ってくる。その手には、バタフライナイフが握られていた。
「なぁ」
強面の寅之介に声をかけるだけでも、かなり度胸があると言えるだろう。
それか、怖いもの知らずであるか、相手の脅威を測れない『目がフシアナ』であるかのいずれかだろう。
「ニイちゃん、穴熊ってやつ知ら——」
突然寅之介が男の手首を掴んでねじり上げた。
ぽろ、と男の手から蛍光ピンクの錠剤がこぼれ落ちる。
「痛たたたたた! な、なに、何しやがる!」
鋭い目つきで寅之介が『お前が言うのかよ』といわんばかりに男を睨みつけると、わらわらと喫煙所にガラの悪い男たちが入り込んで来た。
「お、おい! コイツなんとかしろよ!」
ガラの悪い男たちは、寅之介を取り囲むように距離を詰める。
親指の関節を極められているのが1人、寅之介の周りを固めているのが3人。
総合格闘技経験を持つ寅之介であっても、流石にひとりで同時に4人を相手取るのは難しい。
この日、寅之介にとっては幸運なことがひとつ、そしてガラの悪い男たちにとっては不運なことが2つあった。
寅之介の幸運は、彼が真理亜を見送った後も『ひとり』ではなかったこと。
ガラの悪い男たちにとって不運なことは、寅之介にとっての『味方』が、やたら小柄な女であったことと、警察官がすぐ近くにいなかったことだった。
「やほー寅ちゃん、どしたぁ? お困りぃ?」
まるで中学生か、少し背の高い小学生くらいの体格の女がちいさな缶コーヒーを掲げて、まるで散歩でもしているかのような軽い足取りで『強面タトゥー入り金髪坊主を取り囲む半グレ集団』へと歩み寄ってきた。
「真理亜ちゃんはもう行ったかなぁ?」
寅之介は無言のまま小さく頷く。
「そかそか、おっけー。お巡りさんはぁ?」
小柄で馴れ馴れしい女、伊立麻子の問いに、寅之介は顎をくい、と動かして『あっち側ッス』と表情と目つきだけで答える。
「それじゃあアレだよね、これって多少ヤっちゃっても正当防衛でゴネ倒せる感じのアレだよね?」
「あ? 何だガキ、見せもんじゃねぇんだよ。おら痛い目みたくなきゃあっち行け」
「お、偉ぁい。ちゃんとコドモを遠ざけようとするとこは正解よぉ? でもねぇ、おねーさんコドモじゃなかったりするんだなぁコレが」
「あ? なんだ、じゃあオバサンか? ガキみたいなナリしやがってババアかよ」
「おいコラ手前ェ今なんつったクソガキ」
可愛らしいソプラノの麻子の声は、いつもなら子供っぽい人懐っこさを感じさせるものだ。
が、そんな麻子の声が少し低く、なおかつ冷たいものになる。
寅之介は眉根を寄せるように顔を顰め『やっちまったなぁ』という表情を3人の男に向けた。
ぱきん、という枯れ木が折れるような音の直後、まるで牛がうめき声をあげたかのような奇妙な声。
「親の顔が見てみてぇわ、ったく。まともな躾受けてねぇな? 女性は、原則、誰でも『おねえさん』だろうがよ? 義務教育で習わなかったか? あ? 『おねえさん』に言ってみろオラ」
ぱき、という音が続くが、麻子が手を握っている男は歯を思い切り食いしばって口の端から泡を吹いている。
「トラ、そいつやっちゃって。こっちは『小柄で非力でか弱いオンナノコに襲いかかって来たけど、バナナの皮を踏んづけて滑って転んで骨折した』可哀想なクソガキに、いろいろわからせないといけないから」
はぁ、と小さくため息を吐いて寅之介は頷き、今まさに自分が手首の関節を『靭帯を傷める』ように硬めている男に憐れみの視線を向けた。
ごき、という嫌な音に続いて、枯れ木が折れるような音に何かが引きちぎられるような嫌な音が続く。
さすがに喫煙所での騒ぎを聞きつけたのか、駆けつけた警官と、たまさか駅を訪れていた熊川に戌井の2人が目の当たりにしたのは、倒れ込んで苦しげに顔を歪めてひいひいと情けなく声を漏らして泣いている男達の姿。
そして——
「あぁんトラちゃんありがとー、おねえさん怖かったよぉ、ぴえん」
と棒読みにも程があるセリフを吐きながら寅之介にすがりつく、小学生のような小柄な少女(?)であった。




