21 雑学女王
「なるほどねぇ、薬物と洗脳。それはまた怖いねぇ」
すでに黒ビールを瓶で5本飲み干した熊川は、カウンターで大きなため息を吐いた。
珍しくテーブル席ではなく、カウンター席で熊川の隣に座っている鶴岡は、お気に入りの白ワインとチーズの組み合わせを少しずつ楽しんでいる。
「熊川さん、それはちょっと、もとに戻るのは厳しいんじゃないかな。MDMA、とくにメタンフェタミン系の薬物で長いこと使ってると肝臓とか腎臓にダメージが大きいでしょ。どうだったっけねぇ、ミマちゃんわかるかな?」
「ハイ、あの、確かMDMAは肝臓で分解スルのにすごく負担が大きクて、でも確かアンフェタミン系より中毒発生頻度は低い……って鷺宮センセイから教わりマした」
「ま、いわゆるメタンフェタミン系だねぇ。中毒の発生頻度と依存の誘発は別物だったっけね?」
「そうデすね。耐性も少しずつデすけど付いて行きマす。離脱症状の重さハたしか利用期間が長くなルほど出やスイはずです。離脱症状は、1日以内に始まるみタイで、重度の症状は1週間から何か月か続く……だったと思いマす」
「凄いわねミマちゃん、ちゃんと勉強してるの、偉いわぁ」
木常とジャネットがぱちぱちと拍手をすると、少しばかり照れたような表情で美真がぺこぺこと会釈を繰り返す。
「ミマさん、あなたはまたどうしてそんなに詳しいんですか?」
「熊川さんは知らなかったっけ? 彼女は薬学部で勉強してる大学生だよ」
「ほう、薬学部の?」
「そうそう。それもね、ほら、こないだ内部告発した鷺宮センセイの、彼の教え子」
「そうだったんですか……しかし鶴岡さんも、随分とお詳しい」
「ま、歳を取るとね。いろんなことを見聞きするもんだからねぇ。しかし珍しいねぇ、ミマちゃんが店に出てるのに、タヌさんがこの時間になっても——」
鶴岡が途中まで話しかけたところで、からんからんとドアの鈴が音を立てる。
店に入ってきたのは、寅之介と田貫だった。
「ありゃ、噂をすれば、ってやつだね。おかえりタヌさん」
「ただいま、ママもチーママも、ミマちゃんも。いやぁ大変な目に遭ったよ……あ、ジェニーさん、コロッケある? 今日フード割引だったよね?」
「はいはいあるわよ。コロッケだけでいいの? あとオススメはポテサラと、あとササミのシソ梅揚げもあるわよ?」
「おっ、良いね、全部もらおうかな。腹減っちゃったよ」
「はぁい。じゃあ寅ちゃん、キッチン手伝ってちょうだい」
ジェニーが手際よくエプロンを身に着けてカウンターの奥にあるキッチンへと入り込む。
店でのフードメニュー担当は、ジェニーことシングルマザーのジャネットに、実は手先が器用で料理も上手い寅之介の二人だ。
「タヌキさん、大変なメて、何あったですか?」
「ん? あぁゴメンねミマちゃん、心配させちゃったか。なんかねぇ、駅んところでチンピラっぽいのに絡まれちゃってさ。たまたま寅ちゃんが通りがかってくれたから良かったんだけどね。アレかな、前ほら、真理亜ちゃんが変な薬押し付けられたっていう、何だっけ? 半グレ? だったかな、そういう連中だったのかな。変だったのはさぁ、その中の1人が他の人に絡んで『穴熊ってやつしらねぇか』みたいに言ってたんだよね。穴熊って、あの穴熊さんかなと思ったけど、怖くて逃げてきちゃったよ」
「穴熊さん? あの、こないだ亡くなった?」
「あっ、タヌさんも見たのぉ? 私もね、この前駅の近くで『穴熊って知ってるか』って聞き込みしてる人見かけたの。聞き間違いかなーって思ったんだけどね? 穴熊さん、なんかヤバいところからお金借りたりしてたんじゃないのかなぁ?」
「ヤだわ、物騒ねぇ。ねぇ熊川さん? そういうのって警察で何とか出来ないの?」
6本目のビールを熊川のグラスに注ぎながら、木常が大柄な熊川の顔を見上げる。
今日は疲れが見えるようではあるが、酔っているようには見えない。熊川自身は『酒は嗜む程度』と語っているが、なかなかにアルコールへの耐性は高いようだ。
「そうですね、駅周辺の巡回を増やすように近隣の交番の者に伝えておきましょうか。最近あの駅の辺りで動きが活発なのは、半グレ集団の『ジャッカル』という奴らかもしれませんね……穴熊氏については戌井の方でも調べてるんですが、どうやら歓喜観音会に出入りしていたこと、入信していた事は確かなようです。その穴熊氏を探しているということは、そのジャッカルの連中も——」
「ガンギマリ会に関係してるってことぉ? やだぁ怖ぁい」
ことさらに怖がっていそうな声を上げたチーママ、マコは事実上この店の中でも最も武闘派である。総合格闘技を嗜む寅之介を制圧することができ、さらにジャネットの娘真理亜にも合気道を手ほどきしている。さらに言えば、酔って暴れた酔客の骨を居ること数十本。本人曰く『パキった』本数はもはや数えていないというほどの猛者だ。
「ねぇ寅ちゃん、タヌさんに絡んだのってやっぱ半グレっぽかったぁ? それか何か格闘技とかやってそう? プロ?」
寅之介はキッチンから顔をのぞかせて『知らないッスよ』という、ちょっと困ったような表情をマコに向ける。
これだけでコミュニケーションが採れるのだから、スナックFOXの店内の人間関係はかなり濃密だ。
「ま、いずれにせよ気を付けないとねぇ。タヌさんも災難だったね、ミマちゃん、タヌさんにハイボール出してあげて。僕が奢るからさ」
「え、ツルさん良いんですか? ありがとうございます」
「じゃあタヌキさん、ハイボールいつものでいいデすか?」
「うん、やっぱミマちゃんのハイボールじゃないとねぇ」
相変わらず鼻の下を伸ばしまくった田貫は、上着を壁にかけようとジャケットを脱ぐ。
その表紙に、ジャケットのポケットからカウンターに『ころ』と何かが転がり出てきた。
「え?」
「あらやだ」
「これは」
よりによって熊川の目の前に滑り出たもの、それは毒々しいほどに鮮やかな蛍光色の錠剤の包であった。




