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18 意外な救いの手

「釈放、ですか? でもどうして」


 取調室で、すっかり血色が良くなった鷺宮は驚きのあまり立ち上がってしまった。

 その正面に立つ熊川は、どこか満足げな笑みを浮かべている。

 

「検察の判断です。これまでの事情聴取への協力姿勢や、事実関係との整合性から、鷺宮さんには証拠隠滅や逃亡の恐れもないと判断されました。勾留請求も取り下げましたので」

「い、良いんですか? その、僕も逃げるかもしれませんよ?」

「経験上、逃げる人は自分が逃げるかもしれない、とは言いません。それに、鷺宮さんは自首が成立していますし、公益通報者でもありますので、今回は起訴猶予になる可能性も高いですね」

「そう……なんですね……」


 ホッとしたのか、それともどこか納得が行かないのか、鷺宮は立ち尽くしてしまっている。

 すでに手錠や腰縄は外されており、いつでも歩いて、堂々と正面入口から警察署を出ていける状況だ。


「鷺宮さん、あなたは確かに追い詰められて間違いを犯したかもしれません。ですが、鷲崎准教授……いや、『元』准教授ですか、彼と違ってあなたは自分で踏みとどまった。最後の最後で踏みとどまれた人は、まだやり直せます。これから大変なこともあると思います。それでも、今回告発してくださった勇気があれば、大抵のことは大丈夫です」

「……はい、ありがとうございます。とりあえず職探しから始めないとですが……」

「まぁ、それも少し休んでからでも良いんじゃないですか。私も戌井くんも、何でも相談に乗るとか無責任な事は言えませんが、力になれることがあったらご協力します」


 がちゃ、とノックも無しにドアを開けて戌井が取調室に駆け込んできた。


「鷺宮さん、お出迎えの方が来てます」

「えっ? 僕に出迎えの人、ですか?」


 戌井に連れられて警察署の入口まで出てきた鷺宮を出迎えたのは、美真と田貫、そしてもう1人が寅之介である。

 幸いなことに、鷺宮は内部告発者であり自首も成立しており、特に警察も騒いだりもしていないせいか、芸能人釈放の絵柄のように報道陣が押し寄せたりはしていない。

 出迎えたのは、冴えない中年と薬学部の教え子、そして『道で出会ったら迷わず視線をそらして避ける』であろう外見の金髪坊主の若者。


「鷺宮センセイ!」


 美真が鷺宮に駆け寄るが、抱きついたりするほどのドラマチックな展開は無かった。


(ハク)さん、迎えに来てくれたんですか」

「はい、アの、大学が結構大変で、今講義も実験もおヤスみになテます」

「そうですか…………すみません、僕が告発をしたせいですね」

「いやぁ、私は大学とか随分長いこと離れてるからよくわからないんだけど、センセイが告発をした『せい』じゃないんじゃないかなぁ?」


 田貫がいつもの気弱そうな顔で、実に自信のなさそうなセリフを口にする。


「多分、遅かれ早かれバレてたんじゃないかな? 多分だけど、そういう悪事ってどこかから、誰かからバレるモンだと思うよ?」

「そう、でしょうか……」

「そうだよぉ。ほら、言うじゃない、天網恢恢(てんもうかいかい)()にして漏らさずってさ? ほんとに悪いことしようと思ったら、完全犯罪になるくらいしっかり考えないとダメだと思うなぁ。ま、それでもね、何らかの形でバレるよ」

 

 たはは、といかにも気弱な笑い声をあげる田貫に、寅之介が『まだ出ないんスか』という視線を投げかける。


「あ、あぁそうだね。じゃあ鷺宮センセイ、どうぞ車に」

「え? 車って……あの、どこか行くんですか?」

「今日はスナックFOXで、鷺宮センセイの釈放祝いだよ。警察からの、じゃなくて、アカハラまみれの大学からのね?」

「アカハラからの、釈放……」


 ぷっ、と鷺宮が思わず吹き出してしまった。

 実際に警察からの釈放でもあるのだが、大学からの釈放というものは鷺宮も美真も考えていなかった。


 大学とは連絡を取り合っていなかったが、行動の自由が確保出来次第、退職の手続きを取る予定である。

 大学での内規では、不正の内部告発については告発者保護の仕組みが整備されている。が、今回の騒動は『大学ぐるみでの違法薬物製造』という大学創立以来の大スキャンダルになっている。

 公益通報者として鷺宮の名前は表沙汰にはなっていないものの、もはや大学への研究職としての復帰は鷺宮本人も考えていない。


「確かに、釈放ですね」

「でしょ? だったらほら、FOXの人たちはやたらと釈放祝いをしたがるから。私なんて逮捕されてもいないのに釈放祝いの乾杯までされちゃって。ねえミマちゃん?」

「うふふ、みんなタヌキさんダイスキですかラ」

「あははは、ありがと。嬉しいよ。まぁそんなワケでさ。ママからもね、ぜひ鷺宮センセイが自由になったお祝いを、だってさ」


 鷺宮にとっては、これから先のことなど想像もつかない状況だ。

 大学内部の不正を内部告発した、という『実績』は、これから先の研究者としての足かせになる可能性もある。

 最悪の場合、同じ業種である薬学の道を捨てざるを得ないかもしれない。払った代償は、決して安いものではなかった。


「鷺宮センセイ、だいジョブです。きっと、何とカなるデス」

「そうですね」


 鷺宮は大きく伸びをして空を見上げる。

 長いこと下ばかりを向いてきたせいか、久しぶりに雲というものを見たような心地だった。


「まぁ……今考えても仕方ないし、それに——」


 途中まで話して鷺宮が田貫と美真に顔を向けて指を指す。

 その指の向けられた先では、すでに運転席に乗り込んでいる寅之介が『まだッスか』と言わんばかりの表情で、田貫を睨みつけていた。

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