17 償うことが出来る罪
大学のキャンパスの直ぐ側には、大勢の報道陣が陣取っていた。
さらに、キャンパス内にはユーチューバーと思しき者たちが何人も入り込んでおり、大学はにわかに厳戒態勢になっている。
薬学部の准教授が、東京都内で活動する半グレ集団に、合成麻薬の生成につながる化学薬品を横流ししていた、というニュースが報道番組で報じられたのは、なんとこの日の朝早くである。
渦中の薬学部の学部長と学長が急ぎ記者会見を行う中、薬学部の学生は『緊急対応のため』という具体性が何もない理由で登校不要の旨が通達されている。
要は、『学生への報道陣やユーチューバーらの不用意な接触を避ける』という大義名分のもと、『学生からの意図しない情報流出を避ける』という明確な目的があっての対処だ。
「大学の学長の会見だそうだが、見るか?」
「いえ、どうせ『現場の人間が勝手にやった、自分たちは知らなかった。責任はないが不徳のいたすところであると痛感している』と繰り返して終わりです。大学の上層部なんて、そんなものですよ」
実験室とは比較にならないほど血色が良くなった鷺宮は、取調室の中で何故か晴れやかな表情になっていた。
「しかし鷺宮センセイ、あんたも思い切ったな。大学の上じゃなくて、直接警察に来るとはさ」
安い事務用机に書類をどさ、と置いて、カフェオレを一口味わった戌井は、鷺宮が腰掛けているのと同じパイプ椅子に腰を下ろした。
「鷲崎准教授のような方を、教育者として置いているような大学ですからね。仮に僕が鷲崎准教授に横流しを辞めるように言っても、とりあえず握りつぶされます。その上の教授に言っても、今の教授は学部長ですけど、徹底したことなかれ主義です。 報告をしても『調査する』と言って終わりでしょう」
「なるほどな、上で苦労してるんだな……でもな、お前さんは実行犯じゃないとは言え、法律の違反には問われるんだろ? どうなんだ?」
「そこはわかりません。どうなるんでしょうね。麻薬及向精神薬取締法違反……ですかね。一応薬剤師の免許は持ってはいますが……今回の一件で僕も鷲崎准教授も名前が出ちゃいましたし、研究者としてはとりあえず終わりですね。——就職活動かぁ……今更、無理だろうなぁ」
「とか言う割には、最初に署に来た時と比べたら、随分明るい良い顔してるぜ」
「そうですか」
「ま、その分じゃあアンタはどっちかっちゃ解放された側か。この際だ、洗いざらいブチ撒けちまえ。どうせ大学も辞めるんだろ? あとは野となれ山となれってやつだ」
「そうですね。じゃあ、すみません。ちょっとスマホ、良いですか? 過去の記録、全部スマホに記録してあるんです」
戌井にとっては拍子抜けするほどにサクサクと情報が集まっていった。
テレビで大学の記者会見を見ている熊川は、今まさに学長が話す内容が鷺宮の語る『どうせこう言います』という内容と一言一句変わらないものであることを知るよしもない。
「ヤクの原料横流しを、管理責任者の教授が知らない、そんな言い訳は通りませんよね……」
デスクにおいた大きな湯呑を口に運んで、あまり美味とは言えないほうじ茶で口を濡らすと太い指を器用にキーボード上で踊らせる。
しばらくデスクワークに励んでいた熊川のもとに、少し困ったような表情の女性警官が歩み寄ってきた。
彼は大柄ではあるが、その穏やかな性格は署内でも知られており、女性職員からの人気は本人も想像できないほどに高い。
「あの、熊川警部補、戌井さんはまだ事情聴取中ですか?」
「戌井くんですか? えぇ、さっき取調室に入ってましたけど、どうしました?」
「戌井さんを尋ねてお客様がいらっしゃってて、馬渕さんっていう方なんですけど……あの、例の、お父さんが失踪されてた」
のそ、とできるだけ周囲に威圧感を与えないようにゆっくりと熊川が立ち上がる。彼は気配りの人でもあるのだ。
「僕が行きましょうか。それか、取り調べを僕が変わって、戌井くんに行かせます。1階で待ってもらうように伝えてください」
「わかりました。よろしくお願いします」
熊川はすぐに取調室に向かい、静かにドアを叩いて室内へ顔をのぞかせた。
「戌井くん、変わりましょうか」
「熊川さん? どうしました? なにかありました?」
「戌井くんに来客です。馬渕さんだそうですよ」
がた、と勢いよく戌井が立ち上がる。
驚いたような顔の鷺宮に一礼して、戌井は大急ぎで取調室を出ていった。
代わりにとばかりに熊川が巨体をパイプ椅子に乗せると、『ぎしぃ』とステンレス製のパイプが悲鳴を上げる。
「すみません、急に交代で申し訳ありません」
「いえ、何か急ぎの用件があったんですよね。警察もお忙しいですね」
「いやぁ、警察と消防と自衛隊は、暇なのが一番なんですがね」
はは、と軽く笑い声。実に和やかな鷺宮の取調室とは対照的に、別の署へ連行された鷲崎はツバを飛ばして喚き散らしていた。
私は知らん。
何も聞いていない。
管理簿の残量と実際残量が違う? そんな事は聞いてない。
実際の管理をしていたのは鷺宮だ。全部あいつが勝手にやったことだ。
管理簿の確認印? 私は知らん。とにかく私は何もやっていない。
博士号も持っていないバカが私を尋問するなど、侮辱以外の何者でもない。
「准教授は、認めていないでしょうね」
「まぁ、そこは私からは何とも」
熊川は否定も肯定もしない。実際彼自身、鷲崎の話す内容を正確には把握していない。
ただ、別の署にいる元同僚から『頭がいいセンセイの反論は面倒くさくて分かりづらいが、警察をバカにしてることだけはよく分かる』とぼやいていた。
「鷺宮先生は協力的だと戌井から伺ってます。今日はここから先は私が担当しますので、よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
留置場でしっかりと休めたからだろうか、『娑婆にいるときよりも快適』と感じ始めた鷺宮は、熊川と同じく穏やかに礼儀正しく、ぺこりと頭を下げた。




