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15 歓喜観音会

 その日、東京都西部にある某警察署の留置場を訪れたのは、背が高く痩せた女であった。

 留置場にいる中年の男への面会で、差し入れと着替えを持ってきたと語るその女は、年齢不詳で髪の長い美しいオトナの女であった。


「穴熊さん、久しぶりじゃないの」

「……あぁ……来てくれたのか? なぁ、早く出してくれよ! こんなとこいたくねぇよ!」

「はいこれ、差し入れと着替え。適当に買ってきたから、サイズ合わないかもしれないけど」

「こんなモンよりさ、な? 何とかしてくれよ、早く帰りたいんだよ、なぁ、アンタもアレだよ、俺がいないと色々困るだろ? な?」

「はいはい、心配しないで。それにしても……随分厄介なことしてくれたわね。突然奥多摩でスイカ泥棒に? それに横領に? 他にも迷惑防止条例違反に? 随分やらかしてるじゃない」

「しょうがねぇんだよ、だってアイツが、あの冴えない奴が俺のミマに手ぇ出そうとするからよ……」

「勝手に自分のものだって考えるから、そういうことするのよ」


 女はまるで汚物でも見るかのような冷たい視線を、50代にしか見えないほど老け込んだ穴熊に投げかける。

 彼は、田貫に濡れ衣を着せようとした事件で自滅して以来、ずっとこうして留置所にいる。

 弁護士を雇うだけの金もなく、国選弁護人はいまだ決まらない。

 当然保釈金を払う当てもなく、警察から書類送検されて現在公判待ちの状況である。


 切れ長の目をした美しい女を縋るような目で見上げるが、女が見下ろす視線は相変わらず冷たい。


「なぁ頼むよ、金ならここ出てから何とかするからさ」

「どうせ当てもないんでしょ? 自称パチプロに保釈金とか払う当てあるの? 出来ない約束なんてしないほうが良いわよ?」

「今度こそ! 今度こそ心を入れ替えて真面目に働くよ! 心を入れ替えて、歓喜観音さまのために——」

「やめて」


 女はひときわ低く、冷たい声で穴熊の言葉を遮った。


「あんたが変に騒ぎを起こしたせいで、信者が一人出ていった。あんたが忍び込んで畑を荒らした、猿渡のバアさんだよ。おまけに、1人は警察に捕まり、もう1人は今病院で処置を受けてる。あんたが助平根性丸出しにしたおかげで、下手すりゃ全部台無しよ。どうしてくれるのさ」


 面会室のアクリル板越しに、鋭い目の女は身をかがめて穴熊に顔を近づけた。


「あんたに出来ることは、もう何ひとつ無い」

「な、何ひとつって……ま、まさか……なぁ、そ、そんな、違うよな? なっ? 出してくれよ、こっから出してくれよぉ!」


 穴熊が、座り心地の悪いパイプ椅子を蹴り飛ばすような勢いで立ち上がった直後、同席の警察官が二人がかりで穴熊を押さえつけ、手錠をかける。


「嫌だ! 出してくれ! 俺は悪くない! 俺は何も悪くないんだぁ! 全部! 全部アイツが! 全部あのタヌキ野郎が悪いんじゃねぇか! 何で俺がぁ!」

「穴熊! 面会は終わりだ! 房に戻るぞ!」

「待て! 待ってくれ! 頼む、お願いだ! なぁ、出してくれよ! ()()()ぁ!」


 面会室の扉が重たい音を立てて閉じる。

 女性警察官がふたり、切れ長の目の女に歩み寄って声をかけてきた。


「あの、大丈夫でしたか? なにかトラブルでも?」

「いえ。やっぱり長く勾留されていて気が滅入っているんでしょうか。差し入れの肌着と、本を穴熊に渡してあげてください。私どもの教典が入っていますから、多少は心が落ち着くかと思います」

 

 年齢不詳の美女は、面会記録簿の自身の名前の横に退出時刻を書き入れる。

 

 鳩ヶ谷妙見、それが女の名であるようだった。

 穴熊は、彼女のことを『妙見(みょうけん)様』と呼んでいた。

 ここ十数年で信者数を少しずつではあるが増やし続けている、自称仏教系新興宗教、歓喜観音会の教主を名乗る女だった。


 東京都西部を中心に、現在信者数は数百人程度と、宗教団体としては小規模であるが、その殆どが出家信者であるというところが異様なところである。

 特に商売繁盛の現世利益(げんせりやく)を謳った教義は、世界中を大混乱に陥れたウィルスのパンデミックにより大打撃を受けた、個人商店の店主や中小零細企業の経営者の心を掴んでいた。

 信者どうしが金を出し合う『互助会』のようなものである、というのが教主妙見の主張であったが、その実態はサギの典型と呼ばれるポンジ・スキームと呼ばれるものに近いのではないか、というのが警察の見解である。


 さらに、教団が信者を離さないために、拉致監禁や洗脳、暴力に加え違法薬物を使っているのではないか、という疑いが持たれており、現在警視庁を中心に密かに捜査が進められている。


「どうか勘違いをなさらないでください。私ども歓喜観音会(がんぎかんのんかい)は、何も法を犯してはおりません。あの穴熊という男は、教団内でも素行が悪いことで知られておりました。御仏の、大聖(たいせい)歓喜天(がんぎてん)さまの御教で少しでも心が穏やかになればと思ったのですが……私の力不足だったようです」


 丁寧に、落ち着いたアルトの声で一気に言い切ると、妙見と名乗った女は深々と頭を下げ、警察署を悠々と歩いて出る。

 すぐ傍の駐車場に待たせていたであろう黒塗りの車に乗り込むと、美しく磨かれた国産車は、西へ向かって走り去っていった。


 穴熊という男が、留置場内で首を吊って自死している姿が発見されたのは、この翌朝のことである。

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