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13 ご新規様いらっしゃい

「なるほどなぁ、その鷺宮センセイって人は、鷲崎っていうお偉いさんにこき使われちゃってる訳だ。いや気の毒に……大学ってのもヤな世界だね」


 まるっきり他人事のように呟いてから、レモンが多めに入ったハイボールを喉に流し込んだ田貫は、おつまみの柿ピーをつまみながらカウンター奥のミマに目を向ける。


「そうナんです……鷺宮センセイ、すごく真面目なセンセイなんデスけど……」

「ねぇミマちゃん、その鷺宮センセ、お店に連れてきたら? 気晴らしに、サービスしとくからって」

「え、ママ? 良いんデスか?」

「良いわよ良いわよ、ミマちゃんの知り合い枠でちょっとお安くしとくから。ほら、ここみたいなお店って、お客様に癒しの空間を提供するワケじゃない? だったらねぇ? その追い詰められた可哀想なセンセイを癒してあげたいって思うのは、水商売やってる人間の(さが)ってモノじゃないかしらねぇ?」


 木常ママは妖艶に笑みを浮かべて、少し不安げに眉を『ハ』の字にしてしまっているミマの背中にそっと手を添える。


「ほらほら、だからミマちゃん? お客様の前でそんな泣きそうな顔しないの。タヌさんが不安になっちゃうじゃない? ねぇツルさん?」

「いやぁ、ミマちゃんは優しいね。タヌさんが入れ込むの分かっちゃうねぇ」


 相変わらずテーブル席の一番奥で、チーママを侍らせて白ワインを楽しむ鶴岡は今日も上機嫌だ。

 いつもにこやかで、穏やかな紳士、それがスナックFOXの常連客の頂点である鶴岡という男である。


「しかし、若い先生がそんなふうに使い潰されるっていうのは、ちょっと頂けないよねぇ。ミマちゃん、今度その先生、ぜひ連れてらっしゃい。オジさんがオゴってあげよう」

「あらツルさん、相変わらず太っ腹ねぇ?」


 スナックFOXで素性が一番はっきりしているのは、現在買い出しに出ているジェニーことジャネットと、ミマこと白美真のふたりだろう。

 客の側では田貫も素性と身元がはっきりしているが、この鶴岡という男は木常ママと並んで謎が多い人物だ。

 何しろどこに住んでいて、どういう経緯でこのスナックFOXに通うようになったのか、木常ママ以外誰も知らない。

 現在は年金暮らしという触れ込みだが、それ以前にどんな仕事をしていたのか、どういう立場だったのかを誰も知らないのだ。

 木常ママはある程度事情を知っている様子ではあるが、『お客様の秘密を厳守するのは、水商売の最低限のマナーよ』と誰にも語ろうとしない。


「ほら、僕も若い頃は色々あったからねぇ、若い子が苦労してるのを見るとつい、ね。おせっかいってわけじゃないんだけどね」

「ありがとございマす、ツルさん」

「うんうん、ぜひ連れといで。でもその嫌な教授だっけ? 准教授だったかな? その人とは飲みたくは無いけど、どういう人なのかちょっと興味はあるね」

「えーヤだツルさぁん、私その人にお酒つぎたくないなぁ。サービス業のこと穢らわしいとか言う人のお酌とかヤだぁ」

「そうだよねぇ、チーママだってイヤだよねぇ」


 チーママ伊立は子どものように頬をふくらませる。

 ただでさえ子供っぽい顔立ちの伊立が少し拗ねたような顔をすると、メイクをしていても中学生に見えてしまう。


「ほらチーママ、そう言わないの。ヤなこと言う客は『よく喋る財布』だと思ってればいいんだから」

「えー、だってママぁ」

「ほらほら、その場にいない、お客様でもない人のことでヤな顔しないの。はい笑って笑って」


 木常ママは、子どものようにあどけない伊立の頬を優しく『むにっ』とつまんで口角を上げさせる。

 明るい笑い声が店に響く。いつものスナックFOXの光景だ。


「ミマちゃん、その先生も大変だろうけどさ? できるだけ近い内に来てもらいなよ。ジェニーさんの料理と、ママのお酒でちょっとでも元気になってもらったほうが良いんじゃないかなぁ」

「そうデスよね……ツルさん、ありがとうござマす」

「うんうん。良いよね? タヌさんも」

「え? あ、私ですか? いや、そりゃもう……しかしアレだなぁ、なんかその、妙に老けて見えるっていうの……マブちゃんの親父さんもそうだって言うし、ちょっと前のさ? ほら、いたじゃない。穴熊さん。あの人も実は30代だったんだって」


 田貫が語る『穴熊』とは、かつてミマにやたらと執着し、さらに田貫に対して一方的な嫉妬という名の恨みを持ち、犯罪に巻き込んだ挙句に自身が逮捕されたという男である。


「えー? ウソぉ、あの人どう見ても50代だったよぉ? オヤジギャグとか下ネタのセンスは70代だったし、絶対30代じゃないと思うなぁ」

「だよねぇ、チーママもそう思うよね。でもほら、あの刑事さん。デカいひとから聞いたんだけどね、穴熊さんってまだ40前って話だったよ。私と同じか、私より若かったみたいだね」


 ワインを静かに飲んでいた鶴岡の目が少しだけ鋭くなり、わずかに身を乗り出した。

 水商売というサービス業、接客の仕事に従事して十数年のベテラン、チーママ伊立は、鶴岡の表情の僅かな変化を見逃さなかった。


「ツルさん? どしたのぉ? なにか怖い顔してるよ?」

「ん? あぁ……穴熊さんねぇ……まぁ、あんまり良い噂も聞かなかったしねぇ。でもあの外見で三十代だったってのは、ちょっと驚いたね。ま、あんまり思い出したくもないだろうからあの人の話はここまでにしようか。ミマちゃんもジェニーちゃんも、散々セクハラされてたんでしょ? ゴメンねぇ」

「あぁ、良いの良いの。ちょっと手癖が悪いけど最近は金払いも妙に良かったし、未払いもなかったし。ね? ママ?」


 この道一筋20年のジャネットもあっけらかんと流しているが、『本業』ではない美真はまだ笑い話に昇華出来ていないようだ。

 少し不安そうな顔を田貫に向ける。

 人相の悪かった穴熊の顔とは比較にならないほど頼りなく覇気もなく、だらしなく鼻の下を伸ばしているが、ママから『お人好しにも程があるわよ』と窘められるくらい人の良い田貫が、美真に苦笑交じりの笑顔を向けていた。

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