第302話 ちなみについ最近裏表を知りました
草原から姿を消した銀仮面は、【呪刻剣】を片手に夜の王都を駆けていた。人目につかぬよう、屋根や路地裏を駆け、そうして行政府にたどり着いた銀仮面は、小さく開いた窓からスルリと身体を滑り込ませた。
行政府へと入り込んだ銀仮面を、数人の影が取り囲む。彼らはグスタフの護衛で、元々王国暗部を裏切った連中だ。
そんな元暗部達に囲まれた銀仮面だが、落ち着いた素振りで、「味方だ」と両手を挙げる。
元暗部もその特徴的な銀仮面に、「銀月卿……」と呟き、道を開けるように姿を消した。
元暗部達が道を譲ってくれた事で、銀仮面は行政府の中を堂々と歩き、そうしてグスタフがいるだろう寝室の前にたどり着いた。本来であれば――まだ就寝には早い時間といえど――自治区総督の寝所に、何のアポイントもなく訪れる事など出来るはずがない。
それが可能になる……。つまり銀仮面には、それだけの権力が与えられていることの証左である。
そんな銀仮面が、扉の脇に控える使用人に声をかけ、彼女を下がらせ自らが扉をノックした。
部屋と廊下に響くノックの音に、しばしの沈黙を破り「入れ」とグスタフが扉の向こうから声を返した。
扉を開いた銀仮面に、グスタフが眉を寄せたのは一瞬……。特徴的な銀仮面を見るや否や、「銀月卿――」と慌てて銀仮面を迎えに来る始末である。
「……こんな場所、こんな時間に、なぜ?」
慌てるグスタフに、銀仮面が黙ったまま【呪刻剣】を見せた。ザイフの持っていた剣だと理解したグスタフが、思わず顔を青くして息を呑んだ。
剣だけが戻ってきた事実は、ザイフが駄目だったことの証左である。だがそれ以上にグスタフが息を呑んでいるのは……
「銀月卿、これには理由が――」
……眼の前にいる銀仮面のせいだ。帝国の暗部ともいえる【黒月庁】には、トップである黒月の下に、月伍将と呼ばれる五人の幹部が存在するのだが、そのうちの一人がこの銀仮面をつけた銀月である。
誰も顔を知らぬ月伍将達だが、銀仮面だけはその特徴的な仮面のせいで有名だ。同時に彼の任務も有名である。
――内部監察官。
帝国内部の不正を調査し、裏切り者に処刑の理由を与える存在。「銀月が目の前に現れれば、それ即ち処刑の通告だと思え」そう言われるほど、恐れられている存在だからだ。
グスタフは己の判断でザイフを動かしたこと、そしてそのザイフが殺されてしまったことに責任を感じ、今も「これには――」と必死で弁明を続けている。
みっともなく狼狽えるグスタフを前に、銀月は「ハァ――」と盛大なため息をもらした。
「ロートハイム卿。心配せずとも、卿を断罪しに来たわけではない」
ため息混じりの銀月の言葉に、「え?」とグスタフが思わず声をもらした。
「ザイフ・アルドレンとランドルフ・ヴィクトールとの問題は、我ら【黒月庁】も把握済みだ」
銀月の言葉にグスタフの顔がまた青くなる。ザイフとランディとの騒動が知られているということは、その背後にあったグスタフの行動も知られているわけだ。だが銀仮面は、尚もため息混じりにグスタフをどうこうするつもりはない、と言う。
「勝手にザイフを動かした事は少々問題だが……。大方あのザイフが独断であの学生へ報復をしたのだろう」
ため息が止まらぬ銀月に「そ、そうなんだ」とグスタフが慌てて頷いた。
実際グスタフは「計画を立ててから」と言ったのに、ザイフが脅すような形で報復を提案してきたのは事実。
今グスタフの頭の中では、そのやりとりが自分の都合のいいように、ザイフの暴走だとすり替えられている。
「ザイフが――」
「だから、気にすることはない――などと言うと思ったか?」
銀月から放たれる殺気に、グスタフが再び顔を青くして息を呑んだ。
「貴殿が、ザイフを止めきれなかったこと。それは把握している」
「では……」
「落ち着け。貴殿を断罪しにきたわけではない、と言っただろう」
そうは言うものの、迫力のある銀月の気配に、グスタフはよく分からないと目を白黒させている。
「本来であれば貴殿も粛正対象にしてもおかしくはない。が……、ラグナル様及び我々【黒月庁】は、王国貴族の戦い方に非常に興味があってな」
銀仮面の中に響く声は、どこか嘲笑を孕んで聞こえる。
「王国……いや、領地貴族を侮った故、先の戦いでは手痛いしっぺ返しを貰った。だからこそ、貴殿にはそのサンプルとして活躍してもらいたいわけだ」
「……公国を攻めろと?」
「まさか。貴殿の用兵に期待はしていない。ただ――」
言葉を切った銀月は、銀仮面の奥で不気味に笑っているように見える。
「――〝平時の戦い〟を見せてくれるのだろう?」
グスタフが再び青い顔で息を呑んだ。そこまで聞かれていたとは、思いもよらなかった、そんな顔のグスタフに銀月が話を続ける。
「ラグナル様は、先の戦争で領地貴族の強かさもヴィクトールという特異点も、どちらも過小評価しすぎていたとお考えだ」
銀月が語るのは、特にヴィクトールという名の特異点の異常性だ。この大陸でも間違いなくトップに入る戦闘集団が、今や貧乏領地というネックすら克服しつつある。
「帝国の精鋭部隊すら凌ぐ戦闘集団が、ブラウベルグに匹敵する豊かさを得ればどうなると思う?」
銀月の言葉にグスタフも息を呑む。そんな集団は、あの戦いで見せたように旧領地貴族と懇意の中だ。ゆくゆくは旧王国全土を支配下に置きたいラグナルにとって、大きすぎる障害が生まれることになる。
「ヴィクトールの発展を少しでも遅らせる……。貴殿なら得意であろう?」
銀月の言葉にグスタフは黙ったまま頷いた。実際ザイフとは別に、ヴィクトールへの意趣返しは考えていたところだ。それこそ〝平時の戦い〟とまで口にするほどには。
だからこそやるべきは変わらない。それどころか、帝国側から推奨とも取れる言葉が貰えたのだ。グスタフが考えていたものを実行するのに、何の躊躇いもない。
グスタフの瞳に映るやる気に、「では……」とだけ言い残して部屋を後にした。
部屋に一人残ったグスタフが、ベッドに腰掛けしばし何かを考えたあと、サイドテーブルの上にあった呼び鈴を鳴らす――。響いた鈴の音に、一人の老人が現れた。
グスタフは腹心ともいえる老人に、「やつらを――」と真剣な顔を見せた。
「やつらを旧ロートハイム領から呼び寄せろ」
その言葉に老人が黙ったまま深く頭を下げ、静かに部屋を出ていった。
老人の背中を見送ったグスタフは、ベッドの上で指を組んだまま大きく息を吐き出す。頭の中を占めるのは、銀月とラグナル皇太子のことだ。
(利用しているつもりだろうが、そうはいかんぞ。この国は私のものだ……。地盤固めが済んだのなら、すぐにでも追い出してやる)
グスタフとて上手く利用されていることは理解している。これで上手くいけば、ヴィクトールの力を削ぐことが出来、失敗したとしても帝国側には何の痛手もない。仮にヴィクトール側にバレて、抗議を受けたとしても帝国はグスタフを処断すればいいだけなのだから。
それが分かっていても、グスタフが前に進まねばならぬのは、やはりランディにしてやられたことが大きい。あれだけ赤っ恥をかかされ、このまま引き下がれば、まだ中央すら掌握できていないグスタフから人が離れる恐れがあるのだ。
手を出した事が失敗だったのだが、ある意味でグスタフにとってはチャンスだ。ヴィクトールは、グスタフが取る手法について、全くの備えがないことを把握しているからだ。
(正面切ってなど戦わない。お前らの一番弱い部分を突付いてやろう)
「フフフフ……」
声を抑えたグスタフの不気味な笑い声が、しばらく部屋の中に響き渡っていた。
行政府にある尖塔の上、そこで街を見下ろしている銀月の背後に、一つの影が現れた。
「……万事、ご指示通りに動いております」
「そうか」
呟き頷く銀月の視線は、街から先程までいたグスタフの寝室へと向けられた。
「総督は動くでしょうか?」
影の声音には、「利用していることがバレているのでは」という思いが溢れている。
「動くとも。ピンチはチャンス。ロートハイム卿にとって、地盤を固めるための絶好の機会だからな」
先の戦における影の功労者、ヴィクトール。そこの嫡男と揉めている今の状況は、グスタフの脆弱な地盤を固めるための劇薬になりうる、と銀月は語る。
「どちらに転んでも、ラグナル様にとってはメリットがある……と」
「それも理解しているだろうがな」
笑う銀月が、「だがその程度だ」と再び視線を街へと戻した。
「ラグナル様も、ロートハイム卿も。どちらも自分たちが裏で動いていると信じて疑わない。本当の裏が、何なのかも知らず――」
仮面から覗く銀月の瞳には、平和を謳歌する街の様子が映っている。
「――故に今しばらくは我らも、この裏の顔をした表に隠れるとしよう」
銀月の言葉に影が黙ったまま頷き、二人が同時に姿を消した。誰もいなくなった尖塔の上には、遠く城下から楽しげな人々の声が小さく届いていた。
☆☆☆
「いいか? こっちが表だ」
「いーや、一緒! どっちもほぼ一緒!」
素っ頓狂なランディの声が、大衆食堂に響き渡った。ザイフを倒したランディは、本来家にいるはずの全員がセシリア邸に避難している事を思い出し、こうして一人大衆食堂へと顔を出していたのだが、そこで久しぶりの人達と再開していたのだ。
――【鋼翼の鷲】
ダンジョン研修でランディ達と一緒に護衛を務めたAランク冒険者パーティだ。
そんな彼らと一緒に夕飯を食べているランディはというと、大陸で共通して使われている硬貨の裏表談義で盛り上がっている。
その理由は、大陸共通の硬貨の裏表の判別がつきにくいからだ。どちらも同じ月桂樹が描かれているのだが、見た目にはほぼ判別がつかないのだ。
「よく見ろ。裏のほうは交差が左前になっているだろう」
「あ、ホントだ……」
コインをまじまじと見るランディに、「それが裏だ」とレオナードが笑顔で杯の水を呷った。
「いや……マジで知らなかった」
裏表などないと思っていたランディからしたら、これはかなり新しい発見である。何度も硬貨を裏返しては、「へぇー」と呟き、まじまじとそれを眺めている。
そんなランディが珍しかったのだろう、盗賊のセリナが「フフッ」と笑って口を開いた。
「どう? 裏があることを知った初めての感想は?」
「そうですね……。まあぶっちゃけると、裏でも表でもどっちでもいいかなーって」
身も蓋もないランディの意見に、【鋼翼の鷲】全員が顔を見合わせ笑みを見せた。
「それって、コインの話だよねー?」
「そりゃそうですよ。今、コインの話しかしてないですよ?」
眉を寄せるランディにまた、【鋼翼の鷲】全員が笑顔を見せた。先の戦いの裏側を少しだけ知っている彼らからしたら、裏表など関係なく叩き潰すランディを想像していたのかもしれない。
まだ夜は始まったばかり……彼らの裏表のない話は、それから夜が更けるまで続いていた。





