第301話 燻る炎――
ランディは振り抜いた左拳に、確かな感触を得ていた。
それは骨と肉を潰し、相手の頚椎もへし折った感触。
幾度となく経験してきたランディだからこそ分かる、殺った、という事実が。だが同時に納得のいっていない事もある。
(まさか残るとはな……)
頭を弾けさせるつもりが――首をへし折り、潰れこそすれ――身体に残ったままなのだ。
もちろん今もザイフは、人に殴られたとは思えぬ勢いで、何度もバウンドして地面を転がっている。だがランディは、吹き飛ばすのは頭だけの予定であった。あれだけ身体ごと転がるのは、予定外なのだ。
絶妙のタイミングかつ間合い、そして十分な力を込めた。ハッキリ言えば、ランディは本気で殴っていた。技こそ使用していないが、拳を振り抜く勢いも、踏み込みも、何もかも掛け値無しの本気だ。
ランディの見立てでは、ザイフの身体能力と強度では、頭が耐えきれず弾けるはずであった。だが、結果は見ての通りだ。ザイフの頭は潰れ、首は折れたものの、身体に残ったまま勢いよく吹き飛んでいる。
地面を跳ね、ゴロゴロと転がり、ようやくザイフが止まった。想像とは違う決着に、ランディは思わず笑みをこぼさずにいられない。
それは――殺しこそしたが――完璧に仕留め損ねた理由が、ザイフの咄嗟の判断によるものだったからだ。
あの時、ランディの攻撃を避けられぬと悟ったザイフは、ありったけの防護壁で己を包んでいた。
魔剣すら使わぬ咄嗟の展開。ランディの攻撃に間に合わせ、直撃を緩和したザイフの判断と行動。もちろんそれすら打ち破ったランディだが、ザイフの執念がわずかにランディの一撃を上回った瞬間でもある。
監視者がいる中、技や大剣こそ控えているが、肉体が出せる全力の一撃を、ザイフのセンスが超えてきた事実は、ランディからしたら嬉しすぎる誤算だ。
決して舐めてかかったわけではない。相手を見極め、状況に応じ、出来る限りの力で文字通り叩き伏せた。それでも己の予想を超えてくる相手に、自身にもまだ先があると感じられるからだ。
「才能か……。世の中には俺の知らねー強者が、まだまだいるんだな」
この世界では父であるアランを始めヴィクトールの連中や、ロルフ、そして帝国最強であるライオネルくらいしか、相手はいないと思っていたランディにとって、ザイフのようなイレギュラーの出現は、身が引き締まる思いもある。
「まだ……強くならねーと」
嬉しそうに呟くランディだが、だからこそ残念な気持ちもある。ザイフが己の才能に胡座をかかず、ひたむきに努力していれば、前情報に偽り無く、ライオネルに比肩する猛者になっていたはずだからだ。
複雑な魔剣を使いこなす戦闘センス。それに負けぬ魔法への理解。剣と魔法を組み合わせた戦術。どれもこれも、ザイフの才能を示している。その才能を真っ直ぐ磨き続けたならば、大剣すら使うランディの本気と渡り合える実力があったはずだ。
ピクリとも動かぬザイフの亡骸に思ったところで仕方がないのだが、ランディ並に努力をしたザイフと戦ってみたかった、と思ってしまうのも無理はない。
そのくらいザイフの持つ才能というのは、ランディの知る中でも上位に入るのだ。
(才能だけで言やぁ、ルーク、ハリスンとタメを張るかもな)
彼らのようにガムシャラであったら……。ザイフの年齢分、経験値は計り知れない。間違いなく世界最強候補に、【黒狼】ザイフ・アルドレンの名前があった事を、ランディは確信している。
「まあ……結局は、『たら、れば』なんだが――」
どれだけセンスや才能を持っていたとしても、磨かねば意味がない。そしてそれを怠ったザイフは、今際の際に潜在能力を爆発させたものの、それでもランディには遠く及ばず散ってしまった。
形はどうあれ、ザイフは死んだ。ならば後は死体と魔剣を回収し、行政府の一画にでも放り込んでやろう。そんな事を考えたランディが、ザイフへ一歩近づいたその時、ランディを取り囲むように無数の影が現れた。
その数は十を超える。全員が一糸乱れぬ動きで、現れた事にランディは彼らの高い練度をひしひしと感じている。
「……何の用だ?」
眉を寄せるランディに、影の一人が一歩前に出た。一人だけ銀の仮面をつけた、集団の長と見える男だ。
「ここまでにして頂こう」
抑揚のない声に、ランディが「断る……と言えば?」と影に一歩近づいた。
「帝国への反抗、ととることになる」
「帝国……ねぇ」
ランディが黒尽くめを見回すが、彼らは誰一人動かないどころか、気配も最小限に押さえ、完全に個の意思を消している様に見える。
「我々は帝国特殊機関【黒月庁】の人間だ」
銀仮面の言葉に「こくげつ?」とランディが更に眉を寄せた。
(確か帝国版の暗部だったよな……)
「そんな連中が何でこんな場所に?」
眉を寄せるランディに、銀仮面が語ったのは、ザイフが元々【黒月庁】に属していた人間だという話だ。
(皇太子の私兵って話じゃなかったか?)
分かりやすく顔に出ていたのだろう、ランディの眼の前で銀仮面が「表向きはラグナル皇太子殿下の私兵だがな」とため息混じりに教えてくれた。
それ以上は何も教えてくれぬ銀仮面だが、ランディも別にザイフの立ち位置に興味があるわけではない。
「で、お仲間の死亡に駆けつけたおたくらは、結局なんの用だ?」
「やつの身柄を引き取りに来た」
銀仮面が振り返るのは、動かぬまま地に伏すザイフだ。壊れた人形のように横たわるザイフに、「身柄って……」とランディが困ったような顔を見せた。
「もう死んでるだろ」
「構わない。やつの身体も、そして魔剣も……どちらも貴重な帝国の財産だからな」
銀仮面が指を「パチン」と鳴らすと、ランディを囲んでいた影達がザイフの身体を取り囲むように一瞬で移動した。
ザイフの死体を行政府へ投げ込もうと思っていたランディからしたら、正直あまり面白い話ではない。ただここでゴネたところで、相手は帝国の正式な組織だ。
ここは自治区とはいえ、帝国の一部な以上、帝国が定める法に従うのは道理。下手に話を拗らせて、メインである新しい街ヴェリネアの発展に水を指すほうが、ランディにとっては問題である。
「やつの死体と剣の扱いについては理解した」
ため息混じりのランディに、「ご理解、感謝する」と銀仮面が小さく頭を下げた。
「んじゃまー、皇太子殿下と……あとは総督に宜しく言っといてくれ」
後ろ向きで手を振ったランディが姿を消す――。これ以上この場に留まる意味がない、と街へ向かったのだ。
既に夜の闇に紛れ、見えなくなったランディの背中に、影が呟く。
「総督には言っておく。しっかりと、な」
雲間から差し込む月光が、銀仮面を怪しく輝かせた。仮面で顔は見えぬが、先程の声にはわずかに笑みが含まれていた。
そんな銀仮面が、もう見えなくなったランディの背を見つめ続けることしばらく……
「銀月卿。ザイフの解体が終了しました」
銀仮面の背後に、一人の影が魔剣【呪刻剣】を携えて現れた。
「そうか……」
呟いた銀仮面が差し出された【呪刻剣】を手に、ザイフが倒れていた場所を振り返る。そこには既にザイフの死体はなく、周囲に飛び散った血の跡が、そこで惨劇が起きたことだけを教えてくれている。
「死体の一部はラグナル殿下に届けて、状況を説明しろ。残りは――」
銀仮面が周囲に気を配り声を落とした。
「ホレス翁の残した隠れ家へ――」
【真理の巡礼者】の四聖、その一人であるホレスの名前に、影達は驚くどころか黙ったまま頷き一瞬で散開する。
「さて私は、総督殿に伝えに行くか」
呟いた銀仮面が「その前に……」と血が飛び散った草地へ向け、【呪刻剣】を振る。いくつもの剣閃が宙を走り、そこから吐き出された炎が、草地に残った血の跡を尽く焼き払っていく。
「流石に【黒狼】程使いこなせぬか……。やはり、持ち主が振るうべきだな」
銀仮面が仮面の奥で、小さな笑みをこぼし再び雲に隠れそうな月を見上げた。
「【真理】の実現には、まだもうしばらく準備が必要だな――」
それだけ呟くと、銀仮面も姿を消し、吹き抜ける風が先程までの騒動が嘘だったかのように静かに草花を揺らすだけであった。
あの時レオニウスを逮捕し、四聖も尽く潰されたことで終わったと思われている集団。彼らはその小さく燻る炎に、焚べるための薪を少しずつ集めている。
……誰にも気づかれぬように、少しずつ――
☆☆☆
時を同じくして、行政府にある地下収容所――。
ここの独房には帝国第二皇子であるレオニウスが収容されている。
第二皇子でありながら、カルト教団と通じ、国家転覆を図った罪に問われ、この独房に収容さえてすでに一ヶ月あまり。本来なら、帝国本国への移送が叫ばれているのだが、未だ根強い支持者が各地にいるせいで、簡単に身柄を動かせず、今もまだ旧王国の地下収容所の奥で、日々を過ごしている。
そんな住み慣れた独房で、レオニウスは天井を見上げて、笑みを浮かべていた。
「……さあ、新しく始めようか〝真理への巡礼〟を――」
誰にも聞こえる事のない呟き。だが、再び世界を混乱へと導く者たちが、静かにだが確実に動き始めた時であった。





