第300話 自信には根拠がある
ランディがザイフの気配を捉えたのは、ルークが帰ってしばらく経ってからであった。
忍び寄るように近づく気配、ゆっくりとだが、着実にランディのもとへと向かってくる気配に、ランディが顔を上げた。
大通りから伸びる路地の一つ。その角からザイフが顔をだした。落ち着いてきたとはいえ、まだまだ多い人波に紛れるように、ザイフはゆらゆらと近づきながら、ランディを伺っている。
「ストーカーか」
苦笑いとともに立ち上がったランディが、ザイフに身体ごと向き直った。
人混みの中、二人の視線が交わる。人の流れがゆっくり感られる程、ランディがザイフにキッチリと焦点を合わせた時、
――ついて来い。
そう言いたげに笑い、ザイフがランディに背を向け歩き出した。
人混みに紛れるザイフを確認したランディは、それを完全に無視。逆にザイフに背を向け、歩き始めた。
遠ざかるランディの気配に驚いたのだろう、慌てて振り返ったザイフが、人混みを縫うようにランディを追いかける。
追いかけてくるザイフの気配に、ランディが歩く足を速めた。
早歩きになったランディに、ザイフも早歩きになる。
再び詰まってきた距離に、ランディの足が徐々に速くなり……気がつけばそれは駆け足へとなっている。
人混みを避け、走り出したランディを、ザイフが追いかける。
徐々にスピードが上がっていく両者の追いかけっこは、屋根を飛び越え、狭い路地裏を風のように通り抜け、最早常人では目で追えない速度になっている。
壁や屋根を足場に駆ける、ランディの視界に、城壁が見えてきた。
城壁の上には、もちろん街を守るための衛兵がいる。城壁の上の衛兵は、街の外に目を光らせ、同時に街中で問題が起きないかも監視している。
そんな彼らですら捉えきれぬ速度で、城壁の上に着地したランディは、目にも止まらぬ速さで、旧王都の外へ飛び出した。
最早一陣の風。
吹き抜けた一際強い風に、衛兵が「おっ」と驚いた声を上げ目を瞑った時、今度はすぐ近くを、別の風が通り抜けた。
連続した風に、衛兵たちが「すごい風だったな」と城壁の外を振り返る。彼らの目に映るのは、暗くなった街道と静かな草原という、いつもの穏やかな壁外であった。
城壁を飛び出し、街道を駆け抜けたランディは、旧王都から十分離れたところで停止した。
だだっ広い草原の真ん中。近くに人の気配もなく、いくつか魔獣らしき視線は感じるが、遠目からランディを伺う程度のものだ。
ランディが停止して間もなく、黒装束に身を包んだザイフも現れた。
「何かある……と、思っていたのだが――」
ザイフが辺りを見回す。息一つ切らさず、逆に準備万端といった雰囲気のザイフが、「観念しただけか?」と腰の剣を引き抜いた。黒い刃に薄っすらと浮かぶ魔術刻印。これこそ、ザイフが使う魔剣【呪刻剣】である。
ザイフが剣を一振すれば、淡く光る魔術刻印が、暗くなった周囲に怪しい軌跡を描く。
「まあどこでも同じだが――」
鼻で笑うザイフに「うるせえ馬鹿」と振り返るランディは呆れ顔だ。
「挑戦者の分際で、俺について来て貰えると思ったのか?」
無手のランディが構えた。
「挑戦者、だと……?」
「そうだろうが。たからほら、さっさと『再戦させて下さい。よろしくお願いします』って言え」
ランディが嘲笑を浮かべたその時、ザイフが姿を消した。
一瞬でランディの前に現れ、「死ね――」剣を突き出すザイフ。
迫る切っ先に、ランディがヘッドスリップ。
ランディの右耳が風を捉えるのと同時、ランディの右カウンターが、ザイフの顔面に叩きつけられた。
完ぺきにとらえた一撃……は、ザイフの髪を揺らしただけ。
模擬戦での身体能力差を考えれば、当たってもおかしくないタイミング――それが躱された事実は、少なくともランディに驚きを与えた。
それはほんの一瞬。
戦闘中のわずかな空白。
その間にザイフは剣を引き、身を翻して回転。
伸びたランディの右拳側から、剣を振り抜いた。
迫る刃に、ランディは拳を引きつつダッキング。
ランディの頭上を通過する刃。
ランディが再びカウンターを合わせようとしたその時、ランディの頭上で小さくない爆発が起きた。
ランディにダメージを与える程ではないが、視界と音を奪うには十分な一撃。
それを突き破って、ザイフの切っ先が現れる。
ランディの鼻先に迫る切っ先。
再びのヘッドスリップからのカウンター。
だが、それもザイフを捉えきれない。
一旦間合いを切ったランディに、ザイフは剣を指揮棒のように振り、左手で手招きを見せた。
余裕を見せるザイフに、ランディが接近。
拳を――ランディが握った瞬間、ランディの目の前に風の刃が出現する。
目と鼻の先、突然現れた風の刃に、ランディが踏み込みをブレーキに変え、仰け反るように風刃を躱す。
仰け反ったランディは、勢いそのままブリッジ――で手をついた地面が爆ぜた。
ランディの手に対したダメージはないが、抉れた地面がランディの体勢を崩す。
倒れそうになるランディへ、ザイフが剣を振り下ろす。
身を捩り、転がるように躱したランディが、跳ねるように立ち上がった。
「――死ね!」
そこに迫るザイフの切っ先。
「お前がな」
ランディが切っ先を躱しつつ、左のクロスカウンター。
一撃目と同じタイミングのそれが、ザイフの耳を掠める。
――ボッ!
ザイフの耳元で空気が弾けた。それが意味する事実に、ザイフは頬に冷や汗を垂らし、間合いを切った。
ザイフの頬を冷や汗が流れる。だがそれは一瞬で、今はその汗を楽しむように、ザイフが笑みを見せている。
拳圧だけで空気を弾けさせる威力だが、当たらねば意味はない。だからこそ、ザイフは冷や汗を余裕の笑みへと変えている。
「恐ろしい程の風圧だな」
ニヤリと笑うザイフの顔には、「当たらないが」とでも書いてあるようだ。だがそんな嘲笑ともとれるザイフに、ランディは「そりゃどーも」と肩をすくめるだけだ。
ランディの態度が気に食わなかったのだろう、ザイフがわずかに眉を寄せる。
「皮肉も分からぬか」
どれだけ強く速くとも、お前の拳は当たらぬのだぞ。相変わらず顔に書いてあるザイフが鼻を鳴らす。
「賛辞は素直に受け取るようにしてんだ」
ニヤリと笑うランディが、「俺ぁ褒められて伸びるタイプだからよ」と言いながら、拳を何度か握っては開いてを繰り返す。
軽口を叩いているが、ランディとしても、完璧に捉えたと思った一撃であった。それが二度も外れた事に、少々の驚きを感じているのだ。
とはいえ、少々、である。
「褒められて伸びるからよ――」
拳を握り直したランディが、ゆっくりと構えを取った。
「――少しだけ強くなったかもしんねーぞ?」
笑顔を見せるランディに、ザイフが「戯れ言を」と剣を構えた。
「試してみるか?」
「やってみるといい」
ザイフが嘲笑を浮かべた時、ランディの姿が消える。
一瞬でザイフの前に現れたランディの、右ラリアット。
ザイフの首へ、ランディの腕が吸い込まれ――たかに思えた一撃を、ザイフが仰け反り躱す。
勢いで通り過ぎたランディが反転。
振り返りざまに、大振りの拳を真上から叩きつけた。
ザイフが飛び退く。
地面を砕いたランディの拳が、礫を辺りに撒き散らした。
飛来する礫をザイフが剣で弾き、体捌きで躱す。
「この程度――」
口を開きかけたザイフの前に、ランディの姿。
一瞬で繰り出される右のジャブ二発。
空気を弾けさせ、ザイフの髪を乱すが、どちらも空を切るだけだ。
ヘッドスリップだけで躱されたジャブだが、ランディが右手を引く瞬間、ザイフが大きくサイドステップで距離を取った。
再び開いた両者の間合いに、ランディがニヤリと笑って頷いた。
「なるほど……なるほどな」
何度も頷くランディに、ザイフが「何だ?」と眉を寄せた。
「なんとなく、だが……。カラクリが分かってな」
悪い顔で笑うランディに、「……強がりか?」とザイフがまた剣をゆっくりと振った。空気を、大地を斬るように、剣を振るザイフがランディに嘲笑を見せる。
「お前の下手くそな攻撃は、私には当たらんぞ?」
皮肉だとしても、もう褒めない。そんな顔で笑うザイフにランディが嘲笑を返す。
「残念。俺ぁ、けなされても〝なにクソ〟で伸びる人間でよ――」
再び構えを取ったランディの姿が消える。
「――また強くなっちまったよ」
一瞬で現れるランディは、先程までの比ではない。それでも待ち構えていたかのように、またランディの眼の前で、いくつもの風刃が――発生した風刃に、ランディがそのまま突っ込む。
風刃を弾き飛ばし、ザイフに肉薄したランディの右ジャブ。
もちろんザイフに当たる事はない。
が、構わずランディが、両拳を高速で打ち付けた。
ランダムに繰り出される高速ラッシュ。
それらをザイフが全て躱す……のだが――
回を重ねる毎に、ランディの拳がザイフの身体を捉え始めた。もちろん掠るだけたが、完璧に避けられていた先程とは確実に違う。
ザイフもマズいと思ったのだろう。大きく間合いを開き、顔を歪めてランディを見ている。
「もうちょいで当たりそうだな」
鼻で笑うランディに「小僧……」とザイフが顔をさらに歪める。
グルグルと肩を回したランディが、「ちなみに、俺はまだギアが上がるぞ」と悪い顔で笑みを見せる。
事実ランディの言う通りで、ランディはまだまだ本気ではない。所謂小手調べが終わり、これからエンジンをかけようかという段階だ。
ランディが今の今まで全力で向かわなかった理由は、二つある。
一つは何だかんだ言いつつ、興味があったからだ。
あれだけ実力差を見せて尚、ザイフが向かってくるという事は、魔剣を使えば勝てる、という自信があるからに他ない。実力差を担保する魔剣の能力に、ランディは興味があったのだ。
その魔剣の能力を、見極めたい。
そんな一心で、様子見を決めたランディは、朧げではあるが、ザイフの持つ魔剣の能力に当たりをつけていた。
(なんとなく……だが、魔剣の性能が分かったな)
何度かの攻防で分かったのは、ザイフの持つ魔剣【呪刻剣】は、ノータイムで魔法を放つという事だ。爆発しかり、風の刃しかり、そして回避しかり。
どれもこれも魔術を使う際に感じる、独特な魔力の流れが無かった。
(エリーの累唱だったか? アレに近い気がするが)
ランディが思い出すのは、エリーが使う魔法の技術である累唱だ。本来なら同じ魔法式を累乗するように重ねて強くする技法だが、エリー曰くその真髄は、魔法式を己の中にストックしておく事にあるという。
累唱によるストックに慣れれば、それこそエリーのようにノータイムで様々な魔法を放つことが出来るようになるのだという。
エリーやリズのような、チート級な頭脳だからこそ出来る技術を、ザイフは魔剣を利用して実行している……とランディは睨んでいる。
(呪文を刻印した剣であり、呪文を刻印する剣でもあるわけで……)
刃に浮かぶ文様が魔術刻印。そして空気や大地を斬ることで、その場所に魔法を刻むことも出来る。
事実ランディの想像通りで、ザイフの使用する【呪刻剣】は、剣に魔術刻印を施し、ノータイムで魔法を放つことが出来る。ストック出来る魔法は三つだが、戦闘中だろうが書き換えも可能だ。もちろん書き換えには相応の演算能力を有するが。
そんな能力に加えて、魔術を空間や物、もちろん人に刻むことも出来る。
他にも使い手の術式を最適化する自己進化機構などもあるが、大まかに言えばそんな能力の剣だ。
相手の動きを先読みし、魔法をセットし、有利に立ち回る。それがザイフの戦い方であり、基本的にはランディのようなパワータイプでは、めっぽう相性の悪い相手でもある。
真っ直ぐ突っ込めば、尽く魔法をもらうのだから。
そしてザイフが【呪刻剣】にセットしている魔法の一つに、ランディの攻撃を躱し続けた秘密がある。
それこそザイフが模擬戦で、「先程の一撃で殺せなかった以上――」とランディに啖呵を切った最大の要因。
魔術反応野である。
身体の周囲に薄い魔力を纏い、接近するものを察知する。ザイフはそれを反射行動を促す術式を組み込み、ランディの攻撃が魔術反応野で感知した瞬間、反射による回避行動を取れるようにしてある。
考えるよりも、身体が先に動く。己の限界を引き出す、ザイフ渾身の魔法だ。
ちなみにエリーがランディのハグを察知するのも、同じ原理である。
そんな原理をランディは知っているか、もちろん否である。何となく魔力で反応速度でも上げてるのでは、というレベルの想像だ。
だがその勘を信じるくらいには、ランディも死線を潜ってきている。己の勘を信じ、笑みを浮かべるランディに、ザイフが不満気に鼻を鳴らした。
「確かにお前の攻撃は当たりそう……だが、当たってはいない――」
「馬鹿か。ギアを上げるっつったろ?」
ニヤリと笑ったランディが、再びザイフに接近。
繰り出された右が、ザイフの頬を掠めた。
「くっ――」
初手から回避が間に合わなかったことに、ザイフが驚き眉を寄せる。
だがランディは止まってくれない。
返す左が、今度は逆の頬を掠める。
遅れてザイフの両頬から血が滴る。
掠めただけ、それでも頬が裂けるという事実にザイフの顔が分かりやすく青くなる。
逆にランディはというと……
「来ない、と――」
……周囲に感じる気配に注意を向けていた。
始めから全力を出さなかった、もう一つの理由。この戦いが始まってすぐ、監視する連中が現れたからだ。ザイフがピンチになれば、もしかして……とランディは思っていたのだが、どうやら監視者は動く気はないらしい。
「どこを見ている!」
ザイフの鋭い突き。
膝を抜き、頭上へ切っ先を流したランディが、ザイフの腹へ拳を突き出した。
身を捩るザイフだが、完全には躱しきれない。
ランディの左拳がザイフの脇腹を抉る。
「ゴフッ――」
肉をわずかに抉っただけ。
それでも全身に走る衝撃に、ザイフは「バケモノめ――」と距離を取るように大きくバックステップしつつ、地面や空間を切っ先でなぞった。
そんなザイフをランディが追う。
一歩近づくごとに、爆発が視界を隠し、土の槍がランディの頬を掠める。それでも止まらぬランディが、更に一歩踏み出したそこから、再び土の槍がランディ目掛けて伸びてきた。
完全に決まったかに思われたザイフの魔法は、ランディの拳に寄って叩き折られた。
「くっ――」
ベストタイミングでの石槍すら、ランディの拳によってへし折られる。その事実にザイフは顔をしかめて、辺りにまた剣閃をばら撒く。
が、ランディはお構い無しと、トラップのど真ん中へ突っ込んだ。
今度は爆発はない。
石槍とその影に隠す風刃。
だがそのどれもが、発動と同時にランディの拳で叩き潰される。
ノータイムかつ魔力の揺らぎすらない、完全な不意打ち。それが尽く打ち落とされる。
有り得ぬ現象を起こしながら、ランディが再びザイフに迫る。
「クソッ――」
必死なザイフが、剣を薙ぐ。
ランディの蟀谷に迫る刃。
刃をぎりぎりまで引きつけたランディが、踏み込みと同時に身体を沈めた。
攻防一体のダッキング。
そこは完全にランディの間合い。
「しまっ――」
ザイフが気付いた時にはもう遅い。
ランディの左ストレートが、ザイフの顔面を捉え、その身体を吹き飛ばした。





