第298話 流石に一行では終わりませんよ……
それは一瞬だった。その場に集まった一年生――いやグスタフ含め――全員が、何が起きたか全く見えなかった。唯一かろうじて見えていたのは、ガルドとバルクだけである。
開始と同時に踏み切ったランディ。
彼我の距離を一瞬で詰め、地面を割る踏み込みと同時に繰り出した拳骨。
それがザイフの脳天を捉え、地面に叩きつけたのだ。
まさに一瞬。そしてたったの一撃。大きすぎる実力差だが、それを理解できたのはガルドとバルクだけという悲劇。叩きつけられてしまったザイフ本人も、何が起きたか殆ど理解できていないだろう。
無理もない。今のランディは〝抑制〟シャツを着ていない。もちろん出来る範囲での手加減はしているが、それでも〝抑制〟シャツの弱体化に及ぶべくもない。
ランディが〝抑制〟シャツを脱いできた理由はただ一つ。ザイフにそれだけの実力がある……からなどではなく、この戦いはガルドとバルクの名誉を守る戦いでもあるからだ。
二人がランディは自分より強い、と称してくれたのだ。弱体化したまま〝いい勝負〟など見せるわけにはいかない。
彼らの期待に応えるための戦い。だからこそ、圧倒的でなければならない。
弱体化から解き放たれたランディが、未だ地に伏すザイフを手加減しつつ蹴り上げた。
「おら、さっさと起きろ。俺の試験をしにきたんだろーが」
ゴロゴロと転がったザイフに、ガルドが思わず「止め」と制止の声を上げようとしたその時、ザイフが跳ねるように跳び上がった。
「よぉ、起きたか」
「……想像以上だな。どうやら本気の私と戦う資格はあるようだ」
顔についた土を払うザイフに、「値打ちこくな、馬鹿が」とランディがため息を返す。
「うちの入隊試験なら、お前はアウトだからな」
鼻を鳴らすランディの言う通り、ランディが試験する側であれば、ザイフは今の一撃で一発アウトだ。
それは決して勝ち負けなどの単純な話ではない。
ヴィクトール騎士隊において、「油断してました」などの言い訳は決して通用しないからだ。その言葉を紡いだ瞬間、その者の前にヴィクトール騎士隊の門が開かれる事は二度とない。
「どうする? 不合格のお前が、俺の合否を決めんのか?」
眉を寄せるランディに、ザイフがニヤリと笑ってみせた。
「何とでも言え。あの一撃で私を殺せなかった以上、貴様の負けは確定だ」
「誰が殺すか、馬鹿」
鼻で笑ったランディが、構えを取る。
「かわいい後輩の前で、テメーの汚え脳髄を撒き散らすかよ」
殺そうと思えば簡単に殺せる。そんな発言のランディに、ザイフが分かりやすく顔を顰めた。貼り付けていた笑みが消え、顔を歪めるザイフを前に、ランディが左つま先で「トントン」と地面を叩いた。
「じゃあもう一発、同じのいくから……。よろしく――」
ニヤリとランディが笑った瞬間、再びザイフは地面に叩きつけられていた。宣誓していた通り、全く同じ動きで、同じ軌道を通ったランディの拳。
分かっていても回避も防御も間に合わない。先程よりも強く、そして速い一撃が、ザイフの顔面をより強く地面にめり込ませ……
めり込むザイフの頭を、ランディの右足が踏み抜いた。
――ズシン。
運動場全体が揺れるような地響きに、ガルドから「それまで」と小さく制止の声が上がった。
「勝者、ランドルフ・ヴィクトール――」
勝ち名乗りを受けたランディは、ポカンとする一年生に再び顔だけ振り返り、「清き一票を」とまたVサインを見せた。
ようやく状況が飲み込めた生徒達が、大きな歓声を上げる。割れんばかりの歓声は広い運動場を駆け抜け、校舎の中へと飛び込んだ。
校舎の窓からも、「何事か」と沢山の生徒達が顔を見せる中、ランディはというと……
「さて、管理官殿。結果はどうでしょうか?」
……呆けるグスタフへとゆっくり近づいていた。
「ま、待て。ザイフの実力は――」
グスタフが後ずさりながら、ブツブツと呟いた。
「――まだ奴は本来の半分も……」
ブツブツと呟いたみたものの、叩き伏せられたザイフが動く気配はない。確かにグスタフの言う通り、【黒狼】とも呼ばれたザイフは、その実力の半分も示せていない。
実際ランディもそれは理解している。相手の姿勢や雰囲気を見るに、剣を持って始めてというところだろう。恐らくルーク同様、魔法にも長けている雰囲気すらある。加えて身体強化を使った素振りもなかった。
だがそれは、ランディにも言える事だ。
お互い同じ条件で戦って、結果はこうなのだ。それでも認められないのか、グスタフは「実力が……」と往生際の悪い呟きを続けている。
それがランディの本当の目的とも知らず……
「え? なんですって? 俺の実力がよくわからない?」
……ニヤリと笑ったランディに、グスタフが「は?」と声を漏らした。これこそランディの狙いであり、敢えて相手が本気を出す前に叩き潰した理由でもある。どうせ模擬戦なのだ。どこまでいってもお互い〝本気〟など出せるはずがない。
ならば、始めから付き合う必要などない。逆にその発言を利用してやれ、と。
「困りましたね。俺の実力が分かってもらえないなら、推薦は――」
白々しく、気がついたと言わんばかりの顔を見せたランディが、グスタフに満面の笑みを見せた。
「管理官が立ち会えば、解決ですね」
紡がれた言葉をグスタフが理解した頃には遅かった。
「おーい。管理官が戦うらしいから、誰か木剣を貸してくれ」
遠く、一年生に向けて手を振るランディに、「ちょ――」とグスタフが声を上げるがもう遅い。駆け寄ってきた男子生徒から木剣を受け取ったランディが、「どうぞ」とグスタフに手渡した。
「も、もう必要は――」
「大丈夫ですよ。再試は慣れっこなんで」
話を聞かないランディが、また「どうぞ」と木剣を差し出した。
「元とはいえ、王国の貴族。剣に覚えくらいはあるでしょう」
木剣を差し出すランディに、グスタフが「あ、あるとも」と言いながらも剣を受け取る事を躊躇う。
「もちろん。ここで受け取らなくても構いませんが」
チラリと後ろを見るランディの仕草に、グスタフが渋々と木剣を受け取った。ここで退けば、間違いなく腰抜けの烙印を押されてしまうことくらい、グスタフも理解しているのだ。
「じゃあ、再試の判定お願いします」
笑顔のランディが、グスタフを残し開始の位置へと歩きながら、ガルドへもう一戦あることを告げた。ランディの狙いに気がついたガルドが、ため息をつきながらそれを許可する。
いち早く開始線についたランディに、ガルドが囁いた。
「殺すなよ……」
「殺しませんよ」
肩をすくめるランディの眼の前へ、覚悟を決めたようなグスタフが歩いてくる。
開始線へとついたグスタフに、ガルドが視線を向ける……が、グスタフはガルドではなく、ランディを睨みつけたままだ。
驚きからの恐怖、そして羞恥は怒りへ。憤怒の表情を浮かべたグスタフに、ランディは「じゃあ、俺も――」とマジックバッグの中から、ランディ専用の木剣を引き抜いた。
まるで丸太――。その異様な木剣に、グスタフの顔が引き攣り、生徒達からもざわめきが起こる。これこそリズに頼んでいたものの一つだ。普通の木剣ではランディの膂力に耐えきれず折れてしまう。
相手の心を折るなら拳よりも、この木剣の方が向いていることは、制作者であり使用者でもあるランディが誰よりも知っている。
丸太を軽々と肩に預けたランディに、グスタフが「え……」と呆けた声で自身の手にある木剣と、ランディの木剣とを見比べた。
「大丈夫ですよ。死にはしませんから……」
笑顔のランディが、ゆっくりと腰を落とす。開始の合図を待つだけ、という体勢のランディに、グスタフも「くっ」と剣を構えた。ランディの知る誰よりも、杜撰で隙だらけの構えは、それだけグスタフが剣を持ってこなかった事の証左だ。
(そんな腕で、よくもまあ教官たちの実力を疑えたな)
だからこそ、この状況でもランディを前に剣を構えられているのだろうが、それにランディが感心する事はない。
「双方、殺しはなしだ。……では、はじめ――」
開始の合図の直後、砂埃が舞い上がり地響きが響いた。
砂埃に隠され、結果は分からないが、全員が固唾を呑んで見守る中、吹き抜ける風に攫われた砂埃の中から現れたのは……微動だにせず顔を青くするグスタフと、その真横に木剣を叩きつけるランディの姿であった。
「よ、よけたぞ! 管理官が避けた!」
生徒達が囃し立てるのだが、実際は避けたのではなく、外されただけだ。だからこそグスタフは未だ顔面蒼白で動くことは出来ないし、ランディも木剣を叩きつけたまま動かない。
ようやくグスタフが、己の横スレスレに叩きつけられた木剣をチラリと見た。地面を陥没させ、亀裂を走らせた一撃に、グスタフが思わず息を呑む。
「いやあ。左肩を持っていくつもりだったんですが……」
ゆっくりと木剣を担いだランディが、グスタフの耳元に囁く。
「管理官が想像以上に小さくなってるもんだから……。まあ次は当てますよ」
笑顔のランディにグスタフが思わず自身の左肩を見た。あの一撃を貰えば、間違いなく左肩から先が無くなることは理解できた。そして、それを防ぐ手立てがないことも。
「わ、分かった。君の実力は理解した」
青い顔のグスタフが、声を上ずらせつつも張り上げた。
「そうですか? まだこれからですけど――」
「いや、もう十分だ」
首を振ったグスタフが、ガルドに「終わりだ」と告げて早足で木剣を手渡し、遠くに控えていた他の護衛を呼び寄せる。
「ザイフを運べ。今日の視察は終わりだ」
早口でまくし立て、返っていくグスタフだが、生徒達は「管理官、やるじゃん」と先程の一撃を避けたと未だに大歓声だ。
居心地の悪い歓声を前に、グスタフがぎこちない笑みで手を挙げ応えつつ、護衛達を引き連れて運動場を去っていった。
「花を持たせたのか?」
「まあ、プライドまで砕けば、後々面倒そうなんで」
肩をすくめるランディに、「そうだな」とガルドも苦笑いで頷いた。目的はグスタフに認めさせることであり、別に彼を失脚させることではない。
戦争があったばかりなのだ。いくらグスタフが馬鹿なトップとはいえ、今のところ平和なのは事実。ランディがそれを、無理やり揺るがす必要は微塵もないわけである。
もちろん、相手がやり返してこなければ……の話であるが。
「じゃあ教官、お邪魔しました」
「ああ。機会があれば、あのヒヨッコ達に戦いを教えてやってくれ」
ガルドが顎でしゃくる先には、遠巻きにランディを見守る生徒達がいた。
「ヴィクトール式でいいなら……」
呟きながら手を挙げたランディに、生徒達が歓声を上げた。
その日、生徒会長候補ランドルフ・ヴィクトールの、尋常ならざる強さは一気に広がり、それを担保に多くの生徒がランディの実施する交流会へ興味を示すのであった。





