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その黒猫は、夜の港で待っている。  作者: 幸円一


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第9話 思い出って、ひとつじゃない。

「蓮くん」


 背後から、いつもより少しだけ硬い声がした。

 振り返ると、柑奈が立っていた。呼び止めるまでに少し迷ったのだろうか、柑奈は胸の前で片手を握り、蓮を見て、それからすぐに視線を逸らした。

「ちょっと、いい?」

「うん」

 蓮は頷いた。

「どうした?」

 柑奈はすぐには答えなかった。


 そのまま二人は、向かいの島へ向かう渡船乗り場の近くまで歩いた。海沿いの道から少し外れたところに、古びたベンチがある。観光客が通るには少し中途半端で、地元の人間が待ち合わせに使うには少し目立たない。そんな場所だった。

 二人で並んで腰を下ろす。しばらくの間、気まずい沈黙が続いた。呼び止められたのだし、柑奈の態度からも、何かを言おうとしていることだけは分かった。けれど、それが何なのかは分からない。


 タイムカプセルのことで何か思い出したことがあるのだろうか。

 土守様の話を聞いて、何か思い当たることがあったのだろうか。

 あるいは、もっと別の、何かを知っているのか。


 蓮は、隣に座る柑奈を横目で見た。

 柑奈は足元を見つめている。靴の先で、小さな石を軽く押しては戻し、押しては戻している。


 気まずい。

 とりあえず天気の話でもするべきだろうか。明日から学校だな、面倒だな、というどうでもいい話でもいい。いや、こういう時にどうでもいい話をすると、変に広がってしまって結局何を話したかったのかわからなくなってしまったりすることがあるし、よしたほうがいいか。

 話があると呼び止めたのは柑奈の方だったが、柑奈自身もこの沈黙の置き場所に困っているらしい。二人の間に置いた柑奈のリュックのサイドポケットから水筒を取り出すと、ふたに中身を注いで一気に飲み干した。

 その時、水筒に引っかかっていたらしいものが、ぽとりと地面に落ちた。

「ん?」

 蓮は反射的にそれを拾い上げた。くしゃくしゃに丸められた透明なテープのようだった。丸まった端の方に、白い四角につぶらな黒い目が描かれて顔のように見える絵が、少しだけ見える。何かイラストが印刷されているようだが、くしゃくしゃに丸められていてよくわからない。

「落ちたぞ」

 柑奈に差し出すと、

「あ、ごめん。ゴミかな」

 と恥ずかしそうにそそくさとリュックの中に押し込んだ。

 蓮は、気まずい空気を切り替えるきっかけをようやく見つけた気がして、少し声を作って言う。

「気を付けろよ。常土山で落としてたら、土守様に祟られてたかもしれないぞ。そんなゴミでも、オバケになって帰ってくるかも……!」

「ちょ、やめてよ!蓮くん、私が怖い話苦手なの知ってるでしょ!」

 焦った顔をした柑奈を見て、蓮は思わず笑ってしまった。それを見た柑奈もつられるように口元を緩める。

 二人を包む空気は、少しだけ軽くなった。そんな些細な変化でも、言葉を出すための足場になったのか、柑奈は海の方に視線を逃がし、少し間をおいて小さく息を吐いてから、口を開いた。


「蓮くんってさ」

 その声で、ここから本題が始まることを蓮は悟った。思わず姿勢を正す。


「誰かに、言わなきゃいけないことがある時って、どうする?」


 言わなきゃいけないこと。

 今の蓮たち五人の状況で、真っ先に浮かぶ“言わなきゃいけないこと”と言えば――。


「内容に、よるかな」

 動揺が顔に出ないように、蓮はできるだけ普通の声で答えた。

「だよね」

 柑奈は困ったように笑って、足元の小石を軽く蹴った。コロコロと転がった石は、地面の上を不規則に転がって、すぐに止まった。

「……じゃあさ。言わないと、心が苦しくなって、耐えられないようなことだったら?」

「耐えられないなら、言うしかないんじゃないか」

「……それを言ったら、その人との関係が変わっちゃうかもしれなくても?」


 蓮は少し黙った。

「どういうこと?」

 心からの問い。

「いや、たとえばの話」

 柑奈は慌てたように手を振る。


「たとえば……弥太とかさ」

「弥太郎?」

「うん。ほら、弥太と私って、私たちの中でも付き合い長いじゃん。幼なじみっていうか」

 そこで柑奈は一度言葉を切って、ふぅ、と小さく息を吐くと、続けた。

「そういう相手だからこそ、言ったら今まで通りじゃいられなくなることがあるっていうか」


 蓮は、柑奈の横顔を見た。

 うつむき気味で、言葉を選びながら、それでも一生懸命に何かを伝えようとしている顔だった。


 ……あれ。


 なんか、これ。


 ひょっとして、恋愛相談ってやつか?


 蓮は返事に迷った。というより、頭の中で並べていたものが、一度ばらばらになった。

 タイムカプセル。土守様。誰かが持っていった可能性。柑奈の様子がおかしいと、三咲が言っていたこと。その全部とは違う方向から、弥太郎の名前が飛んできた。


 柑奈と弥太郎。


 言われてみれば、二人は五人の中でも一番付き合いが長い。遠慮なくものを言い合っているし、見ていると正直ハラハラする喧嘩のようなやり取りをしても、次の瞬間にはいつも通り笑っている。


 だからこそ、言えないことがある。

 つまりそれは、そういうことなのかもしれない。


「……まあ、言っちゃうと関係は変わるかもしれないな」

 まだ整理しきれないまま、蓮はひとまずそう答えた。

 柑奈の肩が、わずかに揺れた。

「やっぱり?」

 食いつくように、柑奈がこちらを見る。

 その反応を見て、蓮の中で、ひとまず形のある答えができた。


 柑奈が元気がなかった理由。

 自分を呼び止めた理由。

 三咲も気づいていた、柑奈のそんな異変。


 それはタイムカプセルではなく、今更言うに言えない弥太郎への想いに関する悩み、だったわけだ。そう思うと、少しだけ力が抜けた。

 同時に、なんだか笑いがこみ上げてきた。いや、笑ってはいけない。当人にとっては、タイムカプセルに負けず劣らずの問題であるはずだ。それでも、思わず小さく息が漏れた。

 柑奈が、不満そうに眉を寄せる。

「なんで笑うの」

「いや、ごめん」

 蓮は軽く首を振った。

「ちょっと、意外だったから」

「なにが」

「柑奈でも、そういうこと考えるんだなって」

「……なんか、失礼なこと言ってる?」

「失礼だったかも、ごめん」

 蓮がすぐに認めると、柑奈は未だよくわかってはいない様子のまま、頬を膨らませた。


「でもさ」

 蓮は、改めて柑奈の方を向いた。

「変わらないままっていうのも、たぶん無理なんじゃないか」

「……どういう意味?」

「いや、うまく言えないけど」

 蓮は頭をかいた。

 人の恋愛に助言できるほど、経験があるわけではない。むしろ、そういうものからはかなり遠い場所にいる自覚がある。気の利いたことは言えそうになかった。

 それでも、頼ってくれているんだ。思ったことを言うしかない。

「言いたいことがあるのにずっと黙ってたら、それはそれで、今まで通りでい続けるのは難しいと思う」

 柑奈は何も言わなかった。

「言って変わるか、言わないまま変わるか。……みたいな?」

 最後が疑問形になった。蓮の経験値でひねり出せる言葉は、この辺が限界なのかもしれない。

 柑奈は少しだけ目を丸くして、それから小さく笑った。

「なにそれ」

「俺にも分からない」

「蓮くん、たまにそれっぽいこと言うよね」

「それっぽいだけで、中身はないかもしれない」

「自分で言うんだ」

「言ってから、ちょっと思った」

 柑奈は笑った。

 少なくとも、さっきよりは少しだけ息がしやすそうに見えた。けれど、晴れたわけではない。笑ったあとも、柑奈の視線はまだ足元に落ちたままだった。


「でもさ」

 柑奈は、靴の先で小石を押した。

「言ったら……嫌われるかもしれないじゃん。今までの関係を壊すようなことをしたって、怒らせちゃうかもしれない」

 さっきよりは話しやすそうだった。それでもやはり、言葉を選んでいる。


 蓮は少し迷ってから、わざと軽く聞いた。

「嫌われるって、弥太郎に?」

 柑奈はほんの一瞬だけ目を丸くした。蓮と目が合うと、慌てたように視線を逸らす。

「あ、いや……そうじゃなくって。っていうか……そうじゃなくはないんだけど……。うん。まあ、たとえば弥太もそうだし、三咲も、珠もさ。もちろん……」

「弥太郎は、怒るかな?」

「……怒るよ。たぶん」

「そうか?」

「怒るって。ああ見えて、変なところで真面目だし。まっすぐって言えば、良い言い方だけど」

「まあ、それは分かる」

 弥太郎は普段こそ適当だが、仲間内の約束や、そういうものには妙にまっすぐなところがある。だから柑奈が不安になるのも、分からなくはなかった。


「でも、怒ったとしても」

 蓮は言葉を選びながら続けた。

「ずっと怒ってるやつじゃないと思う」

「……そうかな」

「少なくとも、ちゃんと話したらそれを無下に切り捨てるような奴じゃないと思う。柑奈もそれはわかるだろ?」

「……うん、うん。そう、だよね」

 柑奈はその言葉を、口の中で転がすようにつぶやいた。

「ちゃんと話すの、難しいんだけどね」

「まあな」

 蓮がそう言うと、柑奈は少しだけ安心したように息を吐いた。


「蓮くんってさ」

「うん?」

「やっぱり、たまにそれっぽいこと言うよね」

「今度は少しくらい、中身があったならいいけど」

「どうだろ」

「分からないのか?」

「うん。まだ分からない」

 柑奈はそう言って、少し笑った。今度の笑い方は、いつもの柑奈に近かった。まだ、完全にいつも通りではなかったけど。


 それから、何かを言いかけるように唇を開く。

 けれど、声は出なかった。これが、今日のところの柑奈の目一杯だったのかもしれない。そして、数秒の沈黙のあと、柑奈は小さく首を振った。


「ごめん。変なこと聞いた」

「別に。大丈夫」

「忘れて」

「忘れた方がいいやつ?」

「うん」

 柑奈は蓮の方を見ないまま頷いた。

「できれば」


 蓮はそれ以上、聞かなかった。

 聞かない方がいい気がした。

 少なくとも、今は。


「分かった」

 そう答えると、柑奈はほんの少しだけ肩の力を抜いたように見えた。

「ありがと、蓮くん」

「いや、何もしてないけど」

「たまに、優しいよね」

「優しさもたまになのか」

 柑奈は、ふふっと笑った。


 その笑顔は、潮風に押されるみたいに、すぐに少しだけ頼りなくなる。

「じゃあ、また明日」

「ああ。また明日」

 柑奈は小さく手を振って、少し足早に歩いていった。

 蓮はその背中を見送った。


 恋愛相談。


 たぶん、そういうことだったのだろう。

 そう思うと、肩から少しだけ力が抜けた。柑奈が何かを隠しているのではないか。タイムカプセルのことで、何か言い出すのではないか。そんなふうに身構えていた分、拍子抜けしたような気持ちもあった。

 けれど、拍子抜けできたことに、蓮は少し安心していた。

 柑奈は柑奈で、タイムカプセルとは別のことで悩んでいたのだ。たぶん。少なくとも、今はそう考えてよさそうだった。


 ただ、タイムカプセルが見つかっていないことが問題であることには変わりはない。誰かが持っていった可能性と、土守様。そのことを思い出すと、考えることは、まだいくつも残っていると少しだけうんざりした。


 遠くで、渡船のエンジン音が低く響く。蓮は海の向こうを見た。夕方にはまだ少し早い光が、水面の上で細かく揺れている。

 その光を見ているうちに、ふと、漁港の防波堤に座る黒い影が頭に浮かんだ。


 今夜、あいつのところに行こう。


 蓮はそう決めて、ゆっくりと立ち上がった。

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