最終話 黒猫は、夜の港で待っている。
夜の漁港は、昼間よりもずっと広く感じる。
岸壁に当たる波が、ちゃぷちゃぷと小さな音を立てている。船は黒い影になって並び、遠くの防波堤の灯りだけが、海の上でぼんやり揺れていた。昼間は連なるように見える海の向こうの島々は、夜の闇に溶けてしまったようにその姿を隠していた。
蓮は、いつもの場所に腰を下ろしていた。
隣には、黒猫がいる。
蓮が探偵と呼んでいるその猫は、尻尾を足元に巻きつけるようにして座り、さっきから黙って数日前までの蓮たちの話を聞いていた。
常土山でタイムカプセルを見つけたこと。
親友が泣いたこと。
土守様のお返しということにして、みんなで飴を分けたこと。
結局、五つの袋は開けなかったこと。
タイムカプセルの半斗缶は、二十歳になるまで柑奈の家で預かることになったこと。
話し終える頃には、蓮の声も少しだけかすれていた。
「……って感じでさ」
蓮は、夜に染まる海を見ながら言った。
「なんとか、元に戻れたと思う」
黒猫は、しばらく何も言わなかった。ただ、海の方を見ていた。
「お前が言ってた、六年前にそこを選んだ理由ってやつ。たぶん柑奈には、なにか思い当たることがあったんだと思う。でも、俺には最後まで分からなかった。それでも、六年前のことを思い出そうとしたから、写真の存在に気付けた」
「なら、十分だろう」
ようやく、それだけ黒猫は言った。
波の音だけが、二人の間に残る。
しばらくして、黒猫が小さく鼻を鳴らした。
「まず、ひとついいか?」
「なんだ?」
「……煮干しは?」
「え」
「今度来るとき、煮干しを持ってくると言っていただろう」
「あー……」
蓮は、思わず視線をそらした。
「悪い。忘れてた」
「ふん」
黒猫は、分かっていた、というように目を細め、プイ、と海の方に顔を向けた。
「まあいいさ。人間用の煮干しは塩分が高すぎる。それに、無塩のものでも食べ過ぎるとミネラルの過剰摂取に繋がるという説もあるからな」
「さすが探偵、博識だ」
「自分の好むものだけを欲しがるようでは、駄目ということさ」
思わせぶりないつもの発言に、蓮は言葉の真意を考えようとして、すぐにやめた。今夜はなんとなく、そんな気分にはならなかった。
黒猫が、海から視線を戻す。
「元に戻った、か」
「……違うのか?」
「缶は、元の場所には戻らなかったんだろう?」
「そう言われると、全部が元通りっていうのとは違うかもしれないけど」
「でもまあ、悪くはないな」
黒猫は、ぽつりと言った。
「何でも元に戻せばいいというものじゃない。戻らなかったから、置き場所を選べた。開けなかったから、開ける日を選べた」
蓮は、黙って聞いていた。
「変わるのは面倒だ。怖いし、失敗もする。前の方がよかったと思うこともある」
黒猫は蓮の目を見た。
「それでも、人間は変わる。変わってしまう。だから、また選ぶしかない」
「選ぶ?」
「どこに置くか。いつ開けるか」
黒猫は、尻尾をひと振りした。
「まったく、人間は面倒だ」
「面倒、か」
「本当のことだろう」
黒猫は、欠伸をするように口を開けた。
「なくしたものを探しているうちに、別のものを掘り返す。掘り返したものに驚いて、また埋めるかどうかで悩む。勘違いしたり、泣いたり、怒ったり、許したり、飴の味に文句を言ったりする。まったく、面倒が服を着て歩いているのかとすら思える」
「……そんなことまで話したっけ?」
「顔に書いてある」
思わず右手で自分の頬に触れる蓮。
「読めるのか?」
「レンの顔は読みやすいからな」
蓮は、言い返さなかった。
「でもまあ、少しはいい顔になった」
黒猫は、街灯の薄い光を浴びて、微笑んだように見えた。
「褒めてくれたのか?」
「別に褒めたわけじゃないさ」
黒猫は立ち上がり、漁港の建物の方に身体を向けた。細い背中が、黒く光る。
「飴がさ」
蓮は、呼び止めるようにその背中に言った。
「七つあったんだ。俺が入れたのは、人数分の五つだったのに」
土守様からのお返し、ということにして用意した『あわあわキャンディ ソーダ味』は、五つだけだった。弥太郎、珠美、三咲、柑奈、そして蓮。五人でひとつずつ分けるための、五つ。
けれど、あの日、珠美が半斗缶から取り出した透明な袋の中には、青い包み紙の飴が七つ入っていた。
黒猫は振り返らなかった。
「土守様ってさ。やっぱ、本当にいるのかもしれないな」
「さあね」
「ん?前みたいに否定しないのか?」
「猫は気まぐれだからな」
フン、と鼻を鳴らした。
「人間がそういうことにしておきたいなら、それでいい」
「……そっか」
「もう連休も終わりだろ。早く帰って寝て、学校に備えろ」
黒猫は言った。
「それと。今度は、忘れるなよ」
「……煮干し?」
「それはもういい」
黒猫は、尻尾をひと振りした。
「今回見つけたものだ」
そう言って、黒猫は建屋の影へ向かって歩き出した。蓮は、その背中を見送る。
黒猫は途中で一度だけ立ち止まり、面倒くさそうに振り返った。
「次はカリカリがいいな」
「分かったよ、探偵」
蓮がそう言うと、黒猫は満足したのか、今度こそ夜の漁港の暗がりへ消えていった。
蓮も立ち上がった。夜の海に背を向けて、港の灯りの方へ歩き出す。
明日から、また学校だ。
弥太郎がいて、珠美がいて、三咲がいて、柑奈がいる。
きっと、自分たちはこれからたくさん変わって、勘違いしたり、元に戻ったり、元に戻らなかったりを繰り返していくんだろう。
そして二十歳になって、タイムカプセルを開けるとき、何を思うのだろう。小学三年生の自分たちに、何を言えるのだろう。
まだ、わからない。
それでも。
きっとまた、ちゃんと見つけられる気がした。




