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その黒猫は、夜の港で待っている。  作者: 幸円一


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第24話 思い出は、ソーダ味。

 蓮が、半斗缶のふたを開けた。おおっ、と珠美と弥太郎が短く声を上げる。


 柑奈は、だいぶ落ち着いていた。けれど目は赤く腫れていて、まだ時々、すん、と小さく鼻を鳴らしている。あの大号泣のあとだから、仕方がない。


 半斗缶の中には、濃いグレーの袋が五つ入っていた。どれも中身は見えない。小三の頃の自分たちにとっては、間違いなく宝物だった。けれど、六年以上ぶりに見るそれは、少なくとも見た目にはずいぶんと地味に見えた。


「こっちのグレーのは、私たちのだよね?」

 珠美が、わざとらしく演技がかった声で言う。そして、半斗缶の隅に入っていた小さな透明な袋をつまみ上げた。

「では、こちらは?」

 透明な袋の中には、青い包み紙の飴が入っていた。包み紙には、丸っこい字で『あわあわキャンディ ソーダ味』と書いてある。

「こんなの、俺たち入れてないよな?」

 弥太郎が、にやにやしながら言った。

「ということは、これは土守様のお返しだね」

 三咲も、少しだけはしゃいだような声で言う。

「うん、そうかもしれないな」

 蓮は、まじめな顔で頷いた。


 四人の視線が、ちらりと柑奈へ向く。

 もう、このやり取りが四人の演技だということには、柑奈も気づいているはずだった。それでも柑奈は、小さく鼻をすすりながら、時々、大泣きしたあとの小さな子どもみたいに、ひっく、と肩を揺らしている。


「……ちょっと調子に乗りすぎたかな?」

 珠美が、小声で言った。今回の作戦が柑奈を泣かせすぎてしまったことに、少し罪悪感を覚えているようだった。

「あはは……」

 三咲も小さく笑ったけれど、その表情は少し不安げで、横目でチラリと柑奈の様子を伺った。

 蓮も内心、結局二日連続友達を泣かせることになってしまったことに後悔を感じていた。

 と、「ちょっといいか」と声をかけて、弥太郎が珠美の手から袋を受け取った。中から飴をひとつ取り出し、柑奈に差し出す。

「ほら、柑奈」

 泣いている幼い子どもの機嫌を取るみたいに、少し困ったような、けれど優しい声で言う。

「土守様からのお返しだってさ」

 柑奈は、少しだけ迷った様子を見せたあと、飴を受け取った。それから、しばらくその青い包み紙を見つめる。


 ソーダ味の飴。

 土守様のお返し。

 ……そういう、四人が用意した、優しい嘘。


「……私」


 泣き疲れたあとのような、かすれた声だった。


「オレンジ味がいい……」


 一瞬、誰も何も言わなかった。だけどすぐに、展望台は笑い声で満ちた。


「神様からのお返しに文句言うなよ」

「柑奈、オレンジとかみかんとか好きだもんね」

「やっぱ柑奈は大物だな!」

「今度はオレンジ味でってお願いしようか」


 口々にそう言われて、柑奈はようやく、へへ、と笑った。赤く腫れた目のまま、鼻をすすりながら。

 それでも、いつもの柑奈みたいに。

 蓮は、ようやく五人が五人に戻った気がした。そしてきっと、みんなも同じように思っている気もした。


 ひとしきり笑ったあと、珠美が「あの、さ」と切り出した。

「ちょっといい?」

 みんなの視線が、珠美に集まる。

 珠美は、半斗缶の中に並んだ五つの袋を見下ろした。濃いグレーの、誰のものか分からない五つの袋。中に何が入っているのかは、開けてみなければ分からない。


「……これ、やっぱり開けるのやめない?」


 弥太郎が、きょとんとした顔をする。


「え。言い出しっぺはお前だろ?」

 心底驚いた表情の弥太郎。それは演技には見えなかったし、実際に演技ではなかった。

 昨日決めた『柑奈がみんなに嘘ついたんだから、今度はみんなで柑奈に嘘つこう大作戦』の段取りでは、このあと三咲が、袋をひとつずつ少しだけ確認しよう、と言い出すことになっていた。珠美の袋でなければ、すぐに封をし直す。珠美のものだと分かったら、五万円だけ取り出して、また封をする。余計なものは見ない。そういう段取りだった。

 だから珠美の今の言葉は、台本にはない言葉だったのだ。


「そうなんだけど」

 珠美はもう一度、半斗缶の中を見る。

「でもさ。いざ開けてみると、二十歳まで取っておきたいなって思ったんだよね」

 さっきまでのふざけた調子ではなかった。珠美の声は静かで、トーフちゃんのことを思い出したときのように、少しだけしんみりしていた。

「小三の時の私たちが、二十歳の自分たちに見せようと思って入れたものなんだし。ここで開けちゃうの、なんかもったいない気がしてさ」

「ちょ、ちょっと待って」

 柑奈が、慌てたように顔を上げる。

「珠の五万円は?ピクステ2は、どうするの?」


 その質問は、もっともだった。

 弥太郎も、三咲も、蓮も、もう一度珠美を見る。


「実はさ」

 珠美は、今度こそ少し照れくさそうに頬をかいた。

「昨日、メイカのおじさんに正直に話したんだよね。ピクステ2の代金、まだ用意できてませんって」

「え」

 柑奈が目を丸くする。

「そしたら、おじさん、笑って許してくれてさ。珠ちゃんがお金用意できるまで、預かっといてあげるよって」

「……そうなの?」

「うん。だから、私の方の問題は大丈夫」


 珠美は、そこで一度言葉を切った。それから、半斗缶の中の五つの袋を見て、少しだけ真面目な顔になる。


「私のせいで始まったことで、自分勝手で申し訳ないけど」

 珠美はまた、恥ずかしそうに笑った。

「どうかな」


「うん」

 最初に頷いたのは、三咲だった。

「私は、それでいいと思う」

「俺も」

 蓮も頷く。

「いいんじゃね。みんながそれでいいなら」

 弥太郎が言った。

 最後に、柑奈が小さく息を吸う。

「……うん。そうしよっか」

 それから柑奈は、改めて珠美を見た。


「ありがとね、珠」


 珠美は何も言わなかった。ただ、笑顔で親指を立てた。


「じゃあ、開けないとして」

 蓮は、半斗缶のふたを閉めながら言った。

「これ、どうする?」

「埋め直す、っていうのは……」

 弥太郎が言いかけて、途中で自分でも首をかしげた。

「いや、でもなあ」

「現金が入ってるって知っちゃったから……」

 三咲が言う。

「改めてもう一回山に埋めるのは、ちょっと気が引けるかも」

「だよねえ……。じゃあやっぱり」

 珠美が指を立てて言う。

「土守様が返してくれたものなんだし、今度は私たちでちゃんと持っていた方がいいのかもね」

「二十歳まで、誰かの家で預かるってことか」

 弥太郎が腕を組む。

「そうなるな」

 蓮も頷いた。

「誰の家にする?」


 その言葉で、みんなは少し考え込んだ。


 五万円が入っていることを考えると、いい加減な場所には置けない。けれど、置き場所に困るほど大きなものでもない。


 蓮はふと、柑奈の方を見た。

 柑奈は、半斗缶を見つめていた。何かを言いたそうで、でも言えないような顔をしている。

 気づくと、弥太郎も、珠美も、三咲も、同じように柑奈を見ていた。

 四人の目が合う。それから、誰ともなく、少しだけ笑った。


「柑奈の家でいいんじゃね?」

 弥太郎が、あっさりと言った。柑奈が驚いたように顔を上げる。


「え?」

「いや、柑奈の家ってガレージあるし。あれ鍵かかるんだろ?」

 弥太郎は、それ以上の理由を言わなかった。

 言わなくても、分かった。

「うん」

 珠美も頷く。

「柑奈になら、二十歳の私のピクステ“3”購入代金、預けられるな!」

「まだ2も買える目処が立ってないくせに」

「実はもうアルバイトの目星もついてるのだ」

「早っ!」

 三咲が、くすりと笑った。

「私も、柑奈なら大丈夫だと思う」


「え、え?」

 柑奈は、戸惑ったように四人を見回した。

 まだ少し赤い目で、けれど、その顔には、さっきまでとは違う色があった。

 蓮は、柑奈を見る。

「どうだ? 柑奈」

 柑奈は、少しだけ半斗缶を見た。


 最初にそれを家へ持ち帰った時とは、違う。

 今度は、隠すためじゃない。

 預かったものとして、きちんと、守るためだ。

 柑奈は、ぎゅっと口元を結ぶ。

 それから、元気よく頷いた。


「うん!」


 その声は、少しだけ鼻にかかっていた。

「私が預かる。二十歳まで、ちゃんと!」

 珠美が、また親指を立てる。

「もしピクステ3が五万以上したら、その時は頼む!」

「利子はつきません!」

 柑奈がすぐにそう返すと、今度は五人で笑った。

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