第23話 思い出の、作り方。
その前の日の夕方。
柑奈がまだ何も知らずに家で電話を待っていた頃、蓮は半斗缶を抱えて、三咲の家を訪れていた。
通されたのは、二階にある三咲の部屋だった。蓮の部屋よりずっと広く、だから全員で集まるときは三咲の家が選ばれることが多かった。
窓際には白い勉強机があり、壁際の本棚には教科書や文庫本がきちんと並んでいる。淡い色のカーテンがかかっていて、ベッドの上には小さなぬいぐるみが二つ、行儀よく座っていた。派手ではないけれど、部屋の中のものはどれも丁寧に選ばれている感じがした。
床には丸いラグが敷かれていて、その上に低いテーブルが置かれている。そこを囲むように、弥太郎と珠美と三咲が座っていた。
三咲がテーブルの上に敷いてくれた古新聞の上に、大きめの透明なポリ袋に入れた半斗缶を置いた。土の中で半斗缶を包んでいたビニールシートも、トーフちゃんのテープも、その横に並べた。
弥太郎と珠美と三咲は、それを見たまま、しばらく何も言わなかった。
「柑奈が、持ってた」
この場に柑奈が呼ばれていないことで、何かがあることを察していた三人だったが、蓮のその言葉にはさすがに顔色を変えた。
最初に声を上げたのは、弥太郎と珠美だった。
「柑奈が!?」
二人の声が重なる。
「まあ……うん」
蓮は曖昧に頷いた。それから、ちらりと横目で三咲を見る。
三咲は半斗缶を見つめたまま、少しうつむいていた。
「……そっか」
小さな声だった。
三咲は、ひょっとして気づいていたのだろうか。いや、ただショックを受けているようにも見える。蓮には、それ以上のことは読み取れなかった。
「なんでだよ」
弥太郎が低い声で言った。続く言葉には、少し怒りが混じっているように聞こえた。
「なんで柑奈が……そんなことしたんだよ!」
やり場のない感情を蓮にぶつけて詰め寄っているようだった。
「弥太郎くん」
三咲が、弥太郎の肩に手を置く。
「弥太」
珠美も、いつもとは違う声で言った。
「ちょっと落ち着きな」
弥太郎は歯を食いしばるような顔をしたあと、ゆっくり息を吐いた。
「……悪い」
そう言って、座り直す。
蓮は、半斗缶の方へ視線を落とした。
「最初から話すよ」
そう言うと、蓮は話し始めた。
発掘作業の初日、柑奈がタイムカプセルの中に入れたあるものを思い出してしまったこと。
それは、今のみんなにはどうしても見られたくないものだったこと。
午後から予定があると嘘をついて、その日の作業を切り上げさせたこと。
その日の夕方、柑奈が一人でもう一度、常土山のあの広場へ行ったこと。
六年前のことを思い出して、本当の場所が分かったこと。
一人で、タイムカプセルを掘り出したこと。
最初は、見られたくないものだけを抜き取って、元に戻すつもりだったこと。
でも、半斗缶の中の袋は、どれが誰のものか分からない状態だったこと。
自分のものではない袋を開けてしまうかもしれないと思うと、ひとつも開けられなかったこと。
ビニールもテープも剥がしてしまって、気づいた時には、もう元通りに埋め直せる状態ではなくなっていたこと。
言わなきゃいけないと思いながら、理由を聞かれるのが怖くて、みんなに嫌われるかもしれないと思って、言えなかったこと。
話し終えたとき、しばらくは誰も口を開かなかった。
「柑奈の、バカ……」
三咲が、ぽつりと言った。その目には、涙が浮かんでいた。それは、柑奈のしたことへの怒りというより、柑奈が一人でそこまで抱え込んでしまったことへの、涙に見えた。
「そんなの、ちゃんと言ってくれればよかったのに」
「そうだよ」
弥太郎が、少し強い声で言った。
「ほんと、バカだよあいつは」
怒っているようにも聞こえた。
けれどそれ以上に、悔しそうだった。
「見せたくないって言えば、見ねえよ。掘り出しちゃったって言われたら……まあ、怒るかもしれねえけどさ」
弥太郎は、そこで一度言葉を切った。
「でも、嫌いになんてなるわけねえだろ」
珠美は、珍しく何も茶化さなかった。
半斗缶をじっと見つめている。
「……私の五万円のことも、あったからかな」
その声は、いつもの珠美よりずっと低かった。
「お金をこっそり持ち帰っちゃってる状況なんだもん。たぶん、それもあるよね。……私も反省だな、これは」
珠美は、少しだけ目を伏せる。
「なにしてんの?って思うところはあるよ、五万円だし」
笑顔は、ない。考え込むような間のあと、珠美は深く息を吐いた。
「でもさ。そんなにしてまで回収したいもののはずなのに、袋をひとつも開けなかったって聞いたら……やっぱり柑奈だなって思っちゃうじゃん」
三咲が、小さく頷いた。
「うん」
また、沈黙が落ちた。
窓の外では、夕方の光が少しずつ薄くなり始めていた。
「なあ、蓮」
しばらくして、弥太郎が口を開いた。
蓮は顔を上げる。
「その、さ。あのー……」
弥太郎は珍しく、言いづらそうに視線を泳がせた。
「柑奈が見せたくなかったものが何か、蓮くんは聞いたの?」
三咲が涙を拭いながら言った。赤くなった目で、まっすぐ蓮を見る。
弥太郎は少し驚いたような顔をした。三咲が弥太郎の言いあぐねていた言葉を引き継いだ形になったのだろう。けれど、すぐに蓮の方を見る。珠美も黙って、答えを待っていた。
蓮は、少し考えた。
どう答えるかは、家を出る前から決めていた。
いや、もっと前から、たぶん決まっていた。
それでも、本当にそれでいいのか、もう一度だけ考えた。そして、
「聞いた」
蓮は、それだけ答えた。
場の空気が、その次の言葉を待っていた。でも、蓮はその期待には応えなかった。
「でも、ごめん」
受け止めるように、三人の顔を見る。
「それが何かは言えない」
弥太郎が、なんだよそれ、と食ってかかってくるかもしれない。
珠美が、それじゃ納得できないよ、と言うかもしれない。
三咲が、黙って不満そうな顔をするかもしれない。
蓮はそう思いながら、三人の言葉を待った。
「ま、そりゃしゃーねえか」
最初に言ったのは、弥太郎だった。
「言えるようなことなら、こんな大騒動になってないだろうしね」
珠美も、眼鏡の位置を直しながら言う。
「うん」
三咲が頷いた。
「蓮くんは正しいよ」
思っていたのとまるで違う反応に、蓮は少し呆気にとられた。
「逆に」
珠美が、じろっと蓮を見る。
「もし蓮がここであっさり喋っちゃってたら、私は蓮を一発ぶん殴らなきゃいけなくなるところだったよ」
「私も、そのときは珠のこと止めなかったかも」
「危ないとこだったな、蓮」
弥太郎が真顔で言う。
蓮は、思わず笑ってしまった。
なんてずれた心配をしていたんだろう。
こいつらが、柑奈を吊るし上げて、糾弾して、その理由を問い詰めることなんて、望むわけがなかった。
自分の中だけで抱えて、無駄にこねくり回して、勝手に悩んで。そのせいで、仲間のことがちゃんと見えなくなっていた。なんてバカなことをしていたんだろう。そう思って、ふと気づく。
ああ。
柑奈も、そうだったのかもしれない。
自分の中だけで抱えて、勝手に怖くなって、勝手に一人になって。見えていたはずのものまで、見えなくなっていた。
三人が笑っていて、蓮も笑っていた。もう少しだけその空気に浸っていたかったけれど、蓮はパン、と両手を叩いた。
「で、だ」
空気を切り替えるつもりだった。
「どうする?」
柑奈を許すか。
そう聞いたつもりだった。
もちろん、空気はそんな簡単には切り替わらなかった。
「どうするって言ってもさあ」
珠美が、困ったように笑う。
しかし、そこで弥太郎が腕を組んだ。
「いや、俺は柑奈を許せねえな!」
三人の視線が、一斉に弥太郎へ向いた。弥太郎の口元が、わずかに上がる。その言葉が本気ではないことは、誰にでも分かった。
「だからさ」
弥太郎は、いたずらを思いついた子どもみたいな顔をした。
「なんか、仕返ししようぜ」
一瞬、全員がその言葉の意味を考えた。
真っ先に反応したのは、もちろん珠美だった。
「柑奈がみんなに嘘ついたんだから、今度はみんなで柑奈に嘘つこう大作戦、ってこと!?」
「作戦名で全部説明しちゃったね」
三咲が笑った。
それをきっかけに、本当に作戦会議が始まった。
珠美は、まず水をぶっかけるドッキリを提案して、三咲に即座に止められた。
「柑奈が可哀想だよ」
「いや、でも青春っぽくない?」
「っていうか珠、水かけるの好きだよな」
弥太郎が思いついた作戦は、決行まで三ヶ月くらいはかかりそうな壮大なスケールのものだったので、珠美により一言で却下された。
「長い」
「仕返しが終わる頃には、夏休みになっちゃうよ」
三咲は二人の提案に呆れながらも、時々笑っていた。
柑奈が可哀想だよ、と言いながら。それでも、楽しそうに。
蓮は、その様子を見ていた。さっきまで半斗缶のまわりにあった重さが、少しずつほどけていくような気がした。
もちろん、柑奈がしたことが消えるわけではない。珠美が怒っていないわけでもない。弥太郎が傷つかなかったわけでもない。三咲が泣かなかったわけでもない。
それでも、三人は柑奈が戻ってこられる場所を作ろうとしていた。
早く帰ってこい、柑奈。
蓮は、そう思った。
ふと、窓の外を見る。夕方の色をした空の向こうに、常土山の影が見えた。その山を見て、蓮は思い出す。
「なあ」
蓮は、三人を見た。
「土守様の話ってさ」




