第22話 やさしいうそ。
五人は、山頂へ向かって歩いていた。常土山の頂上には、小さな展望台がある。蓮が、そこへ行こうと言い出したのだ。
「なあ」
少し前を歩く弥太郎が、先頭の蓮へ不機嫌そうな声を投げた。
「そろそろ聞かせろよ」
「だね」
珠美も、わざとらしく足を引きずるようにしながら続く。
「私の足も、そろそろ理由も分からず歩かされるのは嫌だって言ってる」
山道は、思っていたより急だった。
発掘作業をしていた広場からさらに上へ続く道は、木の根がところどころ地面から顔を出していて、落ち葉も多い。先頭を歩く蓮と弥太郎はそれほどでもなさそうだったが、三咲は遅れないように必死だった。
柑奈は、その後ろを歩いていた。
みんなの背中を見ながら。
自分が、少しだけ離れた場所にいるような気がした。
「……そうだな」
蓮は足を緩めた。
「じゃあ、歩きながら話す」
「やっとか」
弥太郎が大げさにため息をつく。蓮はそれには答えず、少しだけ振り返った。
「みんな、土守様の話、ちゃんと覚えてるか?」
唐突な問いに、全員が一瞬考え込んだ。
「たしか」
最初に口を開いたのは珠美だった。
「常土山にゴミを捨てると、いつの間にかなくなるってやつよね?」
「それを、山が片付けてくれるんだって思った人たちが、たくさんゴミを捨てるようになって……」
三咲が、息を整えながら続ける。
「でもそれは、形を変えて、自分たちに返ってきた」
「で?」
弥太郎が蓮を見る。
「タイムカプセルは?」
「弥太郎くん」
三咲が、少しだけ眉を寄せた。
「めっ」
「……はい」
弥太郎はバツが悪そうに肩をすくめる。
そのやり取りを見て、柑奈は少しだけ目を伏せた。いつも通りのようで、いつも通りではない感じがするのは、自分の心のせいだろうか。みんなが何を考えているのか、分からなかった。
「その後の話があったよな」
蓮が言った。
「反省した人たちは、山を汚すのをやめた。お供え物も添えるようになった。米とか、野菜とかだったっけ」
「そうそう」
珠美が頷く。
「そしたら山は、またたくさんの恵みを返してくれるようになった」
「うん」
三咲も小さく頷いた。
「そんな話だったね」
蓮は足を止めた。
つられるように、五人の足が止まる。
木々の隙間から、山頂の明るさが少しだけ見えていた。もうすぐそこまで来ているらしい。
「ここで問題です」
蓮が言った。
「俺たちの埋めたタイムカプセルを、土守様はどう思ったでしょうか?」
あまりに唐突な出題に、珠美も弥太郎も三咲も、そして柑奈も、きょとんとした。
最初に反応したのは、やはり珠美だった。
「まさか」
大きく目を見開く。
「ゴミって思われちゃったってこと!?」
「ふざけんなよ」
弥太郎がすぐに言った。
「あれは俺たちの宝物だろ」
「確かに、私たちにとっては宝物だけど……」
三咲が、そこで言葉を切った。
全員の視線が、柑奈へ向いた。
どう思う?
そう聞かれているような気がした。
柑奈は、ぎゅっと手を握った。みんなの意図が分からない。蓮が何をしようとしているのかも、まだ分からない。
それでも、答えなければいけない気がした。
「……私は」
声が少し震えた。
「宝物だと思ってる」
自分で言って、胸の奥が痛くなる。
「だから、土守様が本当に神様だっていうなら、分かってくれると、思う」
蓮が、ぱっと顔を明るくした。
「正解」
その声があまりに普通で、柑奈は戸惑った。
「土守様は、この山を守る神様だろ。小三の頃の俺たちの気持ちを、ゴミ扱いするほど意地悪じゃないさ」
そう言って、蓮はまた歩き始めた。
山頂は、もうすぐそこだった。
「そうだよね!」
珠美が勢いよく頷く。
「っていうか、私の五万円は少なくともゴミではないでしょ!?」
今度は、弥太郎が笑った。
「まあ、価値で言うと米とか野菜よりはあるかもな」
「でも、お賽銭ってことにならない?」
三咲がくすくす笑う。
「それだと、返ってこなくても仕方ないかも」
「ちょっと待って土守様!」
珠美が山頂へ向かって駆け出した。
「話し合おう!」
「元気じゃねえか」
さっきまでの不機嫌そうな声ではなく、呆れて笑っているような声だった。
柑奈は、まだ追いつけなかった。みんなが何をしているのか。何を言おうとしているのか。分からないまま、ただ足を動かした。
両側に生い茂っていた木々が途切れた。山頂は、発掘作業をしていた広場よりもずっと空が大きかった。
先に登りきった珠美が、膝に手をついて肩で息をしている。
「大丈夫だよ、珠」
追いついた蓮が言った。
「土守様は、俺たちの宝物をゴミだとかお賽銭だなんて思わなかった」
蓮は山頂の中央へ目を向ける。
「この山に預けられた、大事な思い出だって思ってくれたんだよ」
その先には、古い展望台があった。朱色に塗られた太い柱が何本も立ち、その上に、分厚いコンクリートの屋根が乗っている。寺の建物を意識しているようにも見えるが、近くで見るとずいぶん無骨だった。一階部分は柱だけの吹き抜けになっていて、内側には白いコンクリートの階段がある。薄緑色の手すりに沿って、その階段は上の展望スペースまで続いていた。
「ほら」
蓮が言う。
「もうちょっとでゴールだぞ。行こう」
そう言って、展望台の階段へ向かう。
「くそー」
珠美が、わざと台詞みたいな口調で言った。
「負けねえからな!」
「何にだよ」
弥太郎が呆れたように突っ込む。それから、三咲と柑奈の方へ振り返った。
「ほら、もうちょっとでゴールだとさ。頑張れ」
優しく微笑んだ顔に、さっきまでの苛立った様子は、もうどこにもなかった。ほらほら、と言いながら二人の後ろに回り込むと、三咲と柑奈の背中を押すようにして歩き出す。
五人は、展望台の階段を上った。白い階段には、雨の跡なのか、ところどころ薄く汚れが残っている。手すりの塗装も少し剥げていた。古いけれど、何度も誰かが上り下りしてきた場所なのだと分かる。
最後の段を上りきった瞬間、視界が開けた。それまで自分たちを取り囲んでいた木々が、下に見えた。その先に、町と海がいっぺんに広がっている。
山の緑の向こうに、いくつもの家々の屋根がぎゅっと寄り集まっていた。細い道がその間を縫って、港の方へ続いている。海沿いの建物が並び、そのすぐそばを、青い水道がゆるやかに曲がっていた。
海は、近くで見るよりずっと静かに見えた。その向こうには島があって、さらにその奥にも、いくつもの島影が薄い青に霞みながら重なっていた。
「わあ」
誰が言ったのか分からなかった。
もしかしたら、全員だったのかもしれない。
その声に合わせるように、風が吹いた。山道を登ってきて汗ばんだ頬を、涼しく撫でていく。
しばらく、誰も何も言わなかった。
タイムカプセルのことも、土守様のことも。
その一瞬だけは、みんな忘れていた。
ただ、町と海を見ていた。
「ほら」
やがて、蓮が言った。
「土守様は、返してくれただろ?」
「それ、どういう意味だい、蓮くん?」
珠美が、妙に芝居がかった声で言った。目は少しだけ笑っている。
「確かに絶景だけどさ」
弥太郎も、わざとらしく顎に手を当てた。
「俺たちの宝物に釣り合ってるかな?」
三咲は、そんな二人を見て、とうとう我慢できなくなったように小さく吹き出した。
「ん」
蓮は短く言って、展望台の中央を指さした。一同の視線が、そちらを向く。
階段を上ってきて、そのまま景色の方へ向かっていたから、死角になっていた場所。
建物と繋がったコンクリートのベンチの上に、それは置かれていた。
きれいに折りたたまれた、土だらけのビニール。
紙筒に巻き直された、しわくちゃのトーフちゃんのテープ。
そして。
土汚れのついた、半斗缶。
六年前、五人で埋めたタイムカプセルが、そこにあった。
最初に動いたのは、珠美だった。
「うわ、ほんとにある!」
声を上げて、ベンチへ駆け寄る。
続いて弥太郎も、半斗缶の前にしゃがみ込んだ。三咲も少し遅れて、その隣に立つ。
「マジかよ」
弥太郎が、土汚れのついた半斗缶を覗き込みながら言った。
「土守様、ほんとに返してくれたじゃん」
「だから言っただろ」
蓮は少しだけ得意げに肩をすくめる。
「俺たちの思い出を、ゴミ扱いするような神様じゃないって」
「うんうん」
珠美は大げさに頷く。
「さすが土守様。話の分かる神様だね」
その少し後ろで、柑奈だけが動けずにいた。状況が、まだうまく飲み込めなかった。
ベンチの上にある半斗缶。
綺麗に折りたたまれた、土だらけのビニール。
紙筒に巻き直された、しわくちゃのトーフちゃんのテープ。
それらは間違いなく、昨日、柑奈の家のガレージにあったものだ。蓮が持って帰ったものだ。
土守様が返してくれたわけではない。
そんなことは、分かっている。
けれど、みんなはそれを、土守様が返してくれたものとして扱っていた。
「なにやってんだよ、柑奈」
弥太郎が振り返る。
声は、もうすっかりいつもの弥太郎のものだった。
「柑奈、早く来て」
三咲も明るく手招きする。
「ほら柑奈、開封の儀だよ!」
珠美は、ぱちぱちと小さく拍手までしてみせた。
でも、柑奈は動けなかった。
「柑奈」
すぐそばで、小さな声がした。
蓮だった。
柑奈が顔を向けると、蓮は何も言わずに、小さく頷いた。
その表情を見た瞬間、ようやく分かった。
そっか。
そうだったんだ。
土守様のせいに、してくれようとしているんだ。
思えば、おかしかった。
珠美の、いつもより大げさな、洋画の吹き替えみたいな喋り方も。
弥太郎の、無理に苛立っているような言葉も。
三咲が、そんな二人を見ても、いつも通りに笑っていたことも。
やっぱり、みんな、知っていたのだ。
蓮から、聞いていた。柑奈が何をしたのかを。その上で、こうしていた。
――みんながどう思うかは、俺には決められない。でも、俺も受け止めるから。
昨日の蓮の言葉が、胸の奥でよみがえる。
蓮は、本当に一緒にいてくれた。柑奈が一人で受け止めるはずだったものを、隣で一緒に受け止めてくれようとしていた。
そして、みんなも。
「……ご」
声が、うまく出なかった。
喉の奥がつまって、息が震える。
柑奈は、両手をぎゅっと握りしめた。
「……ご、ごめんなさい……!」
もう、涙で声が掠れていた。自分でも、いつから泣いていたのか分からなかった。
視界が滲んで、朱色の柱も、薄緑色の手すりも、ベンチの上の半斗缶も、ぐちゃぐちゃに歪んで見える。
「私、ほんと……ごめん!」
言葉にした途端、止まらなくなった。
「ごめんなさい……! ごめん、珠、ごめん、弥太、三咲、蓮くん……!」
みんなの顔を、ちゃんと見ることができなかった。見るのが怖かった。けれど、言わなければいけなかった。言いたかった。
「私、みんなの思い出、勝手に持って帰って……探してる時も黙ってて……ほんとに、ごめんなさい……!」
声が大きくなる。泣き声が混じる。まるで小さな子どもみたいだと思った。それでも、止められなかった。
「ほんとに……ほんとに、ごめんなさい……!」
誰の顔も見られない。自分がしてしまったことへの後悔と、みんなが用意してくれた優しい嘘で、胸の中がいっぱいだった。言葉にしようとすると、喉の奥で全部つかえて、涙ばかりがこぼれていく。
「柑奈」
声がした。
気づくと、三咲がすぐ隣にいた。
柑奈が少しだけ顔を上げる。その瞬間、三咲は柑奈を抱きしめた。
「なんで謝ってるの?」
耳元で、三咲の声が震えていた。
「土守様の仕業だったんだから、柑奈が謝ることじゃないよ」
三咲も、泣いていた。顔は見えなかった。けれど、優しいその声と、柑奈を抱きしめる腕の強さで、それが分かった。
三咲の肩越しに、蓮と弥太郎と珠美の姿が見えた。涙で滲んで、輪郭はぼやけている。それでも、三人がそこにいてくれることだけは分かった。
「泣くなよ、柑奈」
弥太郎が言った。困ったような、呆れたような、けれど優しい声だった。
「土守様への感謝の気持ちで泣いてるなら」
珠美が続ける。いつもの調子より、少しだけ大げさに。けれど、声の奥は少し震えていた。
「ごめんじゃなくて、ありがとうの方がいいかもね」
蓮は、何も言わなかった。
でも、そこにいた。それだけでよかった。きっと、ちゃんと見てくれている。そう思った。
みんなが、いつも通りでいてくれる。いつも通りのふりをしてくれている。
その優しさが嬉しくて、痛くて、柑奈はまた声を上げて泣いた。
「あり……がと……」
息が詰まって、うまく言えない。
それでも、今度はちゃんと言いたかった。
「みん、な……ありがとう……!」
嗚咽まじりの声で、なんとかそう口にして、柑奈は三咲をぎゅっと抱きしめ返した。
三咲も、さらに強く、柑奈を抱きしめた。




