隙間録 菱野柑奈「わかってないじゃん。バカ」
いろいろ――本当にいろいろあったゴールデンウィークが終わって、柑奈たちはまた日常に戻っていた。
昼休みの教室で、いつものように五人で集まって、どうでもいい話をする。弥太郎がくだらないことを言って、珠美がそれに乗っかって、三咲が少し困ったように笑って、蓮が呆れたような顔をする。
前と同じようで、少し違う。それは、みんなが変わったのか、柑奈が変わったのか。それとも、その両方か。わからなかったけど。
弥太郎はバカなことばかり言っているけれど、そのバカにも、ときどき意味があるように思えた。
珠美は、柑奈が思っていたよりずっと大人だった。
三咲は、柑奈のしたことを自分のことみたいに受け止めてくれた。……あと、抱きしめられたとき、思っていたより柔らかくて、少しだけびっくりした。あの子、成長してる……
それから、蓮。
柑奈は、蓮を見る。
なんで忘れていたんだろう、と思う。ラブレターのことも、それを書いたきっかけも、その時の気持ちも。
小学三年生の十二月。
常土山の広場で、五人は宝の地図に描く目印を探していた。
みんなが、通りかかった人懐っこい野良猫に気を取られているあいだ、柑奈だけは少しだけその輪を離れて、斜面の方を見て回っていた。誰よりも先に、いい目印を見つけたかったのだ。
木の根元に、赤い実があった。昔、お父さんに教えてもらった、キイチゴみたいな、食べられる実に似ていた。
その実を取ろうとして、柑奈は斜面に足を踏み入れた。
落ち葉。
崩れる土。
浮いた足。
何が起こったのか分からないまま、身体が斜面の方へ引っ張られて――その腕を、強い力が掴んだ。
蓮だった。
蓮に引っ張り上げられて、ようやく心臓がばくばく鳴っていることに気づいた。
何してんだよ、と息を切らせながら蓮は言った。
柑奈は何も言えなかった。赤い実を取って食べようとして落ちそうになっただなんて、急に恥ずかしくなった。怖さと恥ずかしさが一緒になって、泣きそうになった。
すると蓮は、赤い実を見て、何か察したような顔をした。
「みんなには言わないから」
こっそり、そう言ってくれた。
そのあと、弥太郎と三咲と珠美がやってきた。なにやってんの、と何も知らずに聞いてきた三人に、蓮は言った。
「柑奈が、目印になりそうな赤い実を見つけたんだって。ほら、危ないからこっちから見てみろよ」
食い意地のせいで落ちかけた柑奈は、その一言で、一躍ヒーローみたいになってしまった。
すげー真っ赤な実!と弥太郎が驚いた。
よく見つけたね、と三咲が笑った。
これは地図に描けるね、と珠美がうなずいた。
蓮は、少しだけすました顔をしていた。
あの頃から蓮は、そんなふうにちょっと子どもらしくない素振りをすることがあった。でも、それが、かっこよかった。
それから、実際にタイムカプセルを埋める日までの間に、柑奈はラブレターを書いた。
蓮くんへ。
助けてくれてありがとう。
好きです。
二十歳になったら、蓮くんのお嫁さんに――。
今思い出すと、顔から火が出そうなことを書いていた気がする。
そして、あの日。
柑奈が間違えてしまった、あの日。
もう赤い実はなかったけれど、蓮を好きになった場所は思い出せた。そこに立つと、腕を掴まれた感触が蘇った気がして、心臓がばくばくと鳴った。
だから、見つけてしまった。
見つけなければ、掘り返さずに済んだのかもしれない。
そもそも、「絶対に見せられないものがある」と言えば、みんなはきっと、何も言わずに受け入れてくれたのかもしれない。
それなのに、焦って、勢いで動いて、失敗して、後悔した。
もう嫌だ、と柑奈は思う。
もっとしっかりしなきゃ。もっと強くならなきゃ。じゃないと、また同じことをする。
二十歳になって、タイムカプセルを開けるときには、あのラブレターをみんなの前で笑って読めるくらいになっていたい。
あの頃の私は、こんなに蓮くんのことが好きだったんだよ、と。恥ずかしがらずに、笑って言えるくらいに。
そこまで考えて、柑奈はふと気づいた。
蓮は、みんなにどこまで話したんだろう。
柑奈がタイムカプセルに、どうしても見られたくないものを入れていた、というところまでだろうか。
でも、それだと、さすがに「なにそれ」となる気がする。
じゃあ、ラブレターだというところまでは話したのだろうか。
だとしたら、次は「誰宛て?」となる。
やっぱり、全部?
柑奈は、じわじわと顔が熱くなるのを感じた。
いや、自分が悪い。自業自得だ。受け止めないといけない。
そう思うのに、もし全員が知った上で普通に接してくれているのだとしたら、気まず過ぎる。
別に、六年も前のことだ。
それに、今は別に、そんな――
「何考え事してんだよ、柑奈」
「ふぁいっ!?え、なに!?」
急に弥太郎に声をかけられて、柑奈は変な声を出してしまった。
「アンニュイな大人の女の魅力、目指してるとか?」
「柑奈には、まだちょっと早そうかな」
珠美も三咲も、くすくす笑っている。
「そ、そんなんじゃないってば!何言ってんのよ、もう!」
柑奈は慌てて立ち上がった。
「ほら、次、移動教室でしょ?そろそろ準備して移動しなきゃって考えてただけ!」
「あ、やべ。準備しねーと」
「私もー」
「私もだ」
弥太郎と珠美と三咲が、それぞれ荷物を取りに席へ戻っていく。
なんとかごまかせた。
柑奈が小さく息を吐いた、その時だった。
「柑奈」
蓮が小声で耳打ちする。
「え、あ。な、なに?」
「あのことは、みんなには言ってないから」
柑奈は、一瞬、息を止めた。
「あ、あのこと?」
「ほら……ラブレターのこと」
「……そう、なんだ」
「うん」
蓮は少しだけ気まずそうに目をそらした。
柑奈の胸の奥が、変なふうに揺れた。
その顔に、腕を掴んでくれた強い手と、自分のために小さな嘘をついてくれた小学三年生の蓮が重なった。
――今なら、言えてしまうかもしれない。
「……あのさ、蓮くん」
「うん?」
「…………」
「柑奈?」
柑奈は、ぎゅっと唇を結んだ。
「……一応言っとくけど、ラブレターを書いたのは、小三の私だから。今の私は、そんなんじゃないからね!」
「うん、わかってる」
「……わかってるなら、いいけど」
わかってる?
ふーん……。
わかってないじゃん。バカ。




