第14話 言えない、思い出。
蓮は、少し寝不足だった。授業中、黒板の文字を写していても、先生の声を聞いていても、気がつけば昨日のことばかり考えていた。
見間違いだったのかもしれない。思い違いだったのかもしれない。記憶なんて、もともと当てにならない。そうやって、いくつも逃げ道を探した。
けれど、そのたびに昨日の写真が頭に浮かんだ。
あの写真の中で、五人は笑っていた。泥だらけになって、軍手をはめて、シャベルやスコップを手にして、何も疑っていない顔で並んでいた。
弥太郎も、珠美も、柑奈も、三咲も、蓮も。
六年前の自分たちは、あの時きっと、自分たちが埋めたものは二十歳になるまでそこにあるのだと信じていた。
「蓮、明日以降どうする?」
昼休み。いつものように机を寄せ合っていると、弥太郎がそう言った。購買で買ってきたらしいパンの袋を片手で開けながら、もう片方の手で蓮の机を軽く叩く。
「このまま迷宮入りってわけにもいかねえだろ。ピクステ2はいよいよ今月末発売だし」
「正直、昨日メイカのおじさんに“楽しみだな!”って言われて、ひきつった笑いしか返せなかったよ」
珠美が心底困った表情を浮かべる。
「そろそろ逃げる方法も考えといた方がいいんじゃねえか?」
いつも通りのやり取りだった。
弥太郎。木崎弥太郎。
五人の中で一番背が高くて、運動が得意で、勉強はたぶん一番苦手で、そしてたぶん、一番分かりやすい。
本人は何も考えていないような顔をしていて、実際、本当に何も考えていない時も多い。けれど、五人の空気が少し沈んだ時、最初にふざけるのはだいたい弥太郎だった。誰かが何か言いにくいことがあって困っているとき、代わりに軽口を叩くのもだいたい弥太郎だった。
そういう役を、自分から選んでいるのかどうかは分からない。
たぶん弥太郎は、そんなことを聞かれたら「いや、別に」と笑う。何なら、本当に意識をしてやっているわけではないのかもしれない。
どちらにしても蓮には、弥太郎のそういうところがありがたかった。
蓮が考え過ぎて動けなくなっている時、弥太郎は何も考えていないみたいな顔で、少し乱暴に空気を動かす。珠美が暴走した時には一緒になって騒ぎ、柑奈が怒った時には余計なことを言ってさらに怒らせ、三咲が困った顔をした時には、すぐにさりげないフォローを入れる。
アホだけど、いいやつ。
雑だけど、優しいやつ。
本人に言ったら絶対調子に乗るから、口には出さないけれど。
「今日の放課後って、どうするの?」
柑奈が、机に頬杖をつきながら言った。
柑奈。菱野柑奈。
小さくて、よく動いて、昔から声が大きかった。好きなものは好き。嫌いなものは嫌い。言いたいことは、たいていその場で口にする。
小学生のころは、男子と取っ組み合いの喧嘩をして、先生にまとめて怒られたりしたこともあったけど、中学生の後半あたりからは、さすがに少し落ち着いた。……少しだけど。
今でも柑奈は、思ったことが顔に出やすい。怒れば怒った顔をする。楽しい時はすぐ笑う。悔しい時は唇を尖らせる。強がっている時は、少しだけ声が大きくなる。
三咲が前に一度、柑奈のいないところで言ったことがある。
柑奈は、私なんかよりずっと女の子らしい女の子だと思うよ。
そう言われても、当時はよくわからなかった。走るのが速くて、声が大きくて、怒るとすぐ手が出そうになって、トレードマークのショートカットを跳ねさせて男子と同じように海や山を駆け回っていた柑奈。
けれど今は、少し分かる気がした。
柑奈は、平気そうに見せるのが上手いだけなのかもしれない。思ったことをすぐ口にしているようで、言えないことだってあるのかもしれない。
今も弥太郎の肩を小突く柑奈を見て、蓮はそう思った。
「筋肉痛とも相談しないといけないな」
両方の手をブラブラと振りながら珠美は笑った。
珠美。御牧珠美。
ボブの髪に眼鏡。漫画とアニメとゲームが好きで、たいてい何かしら妙なことを言っている。今回のことだって、始まりは珠美だった。
思えば、昔からそうだ。
何か面白そうなことを持ち込むのは、だいたい珠美だった。秘密基地を作ろうと言い出したのも、変な遊びのルールを作ったのも、商店街の古いゲーム筐体に妙なあだ名をつけたのも、珠美だった。
勉強はできる。記憶力もいい。発想も妙に鋭い。昨日だって、あの小さな写真の中にあった柄を見て、すぐにトーフちゃんだと気づいた。蓮たちが何となく見過ごしていたものを、珠美は当たり前みたいに拾い上げたりするのだ。
そういうところは、本当にすごいと思う。
ただ、そのすごさを本人が台無しにする。
真面目なことを言った直後に、しょうもないことを言う。いいことをしたあとに、余計なことをする。
昔、弥太郎と柑奈が少しだけ本気で喧嘩した時もそうだった。珠美は二人の間に入って、妙にしっかりしたことを言って、ちゃんと仲直りさせた。
そこまではよかった。
そのあと「喧嘩両成敗」と言って、二人にバケツの水をかぶせなければ、たぶんもっと尊敬されていた。
けれど、そういうところも含めて珠美なのだと思う。
前に進む力が強すぎて、たまに壁にも突っ込む。けれど、誰も動けなくなった時、最初に走り出すのはたぶん珠美だ。
「私は今日は無理かなぁ」
三咲が申し訳なさそうに、顔の前で小さく手を合わせた。
三咲。西浦三咲。
長い髪と、柔らかい声と、いつも少し引いたところからみんなを見ているような笑い方。五人の中で一番おっとりしていて、一番成績がいい。手芸やお菓子作りが好きで、造園業の家の娘らしく、花や植物のことにも少し詳しい。
正直、小学生のころの蓮は、三咲がどうして自分たちと一緒にいるのか、よく分からなかった。
山で木に登る。海に飛び込む。秘密基地を作る。くだらないことで競争する。どれも、三咲が好みそうな遊びには見えなかった。
けれど三咲は、いつもちゃんとそこにいた。
走るのが遅くても、手が汚れるのが苦手でも、虫を見て小さく悲鳴を上げても、最後にはだいたい笑っていた。蓮たちが漫画やゲームの話で盛り上がっていても、分からないなりに首を傾げて、楽しそうに聞いていた。
たぶん三咲は、ただ大人しいだけの子ではない。優しいだけでも、上品なだけでもない。
みんなのちょっとだけ後ろにいて、誰かが前に出すぎた時、誰かが置いていかれそうになった時、三咲は大きな声で止めたりはせずに、ただ、少しだけ声をかける。それだけで、五人の空気が変わることがある。
珠美が勢いを作り、弥太郎と柑奈が続いて、三咲がどこかでそっと形を整える。三咲がいるから、五人は今の形でいられるんだと、蓮は思った。
あらためて四人を見る。
弥太郎はパンの最後のひとかけらを口に放り込んでいる。柑奈はそれを見て「もう食べ終わったの?」と呆れている。珠美はどこで仕入れたのか分からないピクステ2の情報を得意げに語っている。三咲は笑いながら、珠美の話に相槌を入れている。
いつもの昼休みだった。いつもの教室で、いつもの机で、いつもの五人が、いつものように話している。
蓮は、この時間が好きだった。
この五人でいる時間が、好きだった。
このまま高校を卒業して、それぞれ別の場所へ行ったとしても、きっと何かは残るのだと思っていた。形は変わっても、呼び方が変わっても、会う回数が減っても、どこかにはちゃんと残っているのだと。
今でも、そう思っている。
そう思っているからこそ、怖かった。
この四人の誰かが、自分だけのために、みんなに嘘をつくようなことをするとは思えなかった。
そんなやつらじゃない。
分かっている。
だけど。
そうじゃなかったのか?
腹が立った。気付いてしまった自分と、それなのに何も気づいていないみたいに笑って、この昼休みを過ごしている自分に。
そしてその腹立たしさが、ほんの少しでも目の前の四人へ向きそうになるたびに、自己嫌悪と焦燥感に駆られた。
「蓮くん?」
不意に、柑奈の声で我に返った。
顔を上げると、四人がこちらを見ていた。
「どうしたの?」
三咲が首を傾げる。
「あ、ごめん。なんか……ボーっとしてた」
慌てて取り繕うように返す。
「なんか、ちょっと顔赤いかも。体調悪かったりしない?」
柑奈が少し身を乗り出して蓮の顔を覗き込む。
「いや、ちょっと寝不足なだけ。大丈夫」
「授業中ならともかく、昼休みまで寝るなよ」
「本来は授業中こそだめなんだよ、弥太郎くん」
みんなは、いつものように笑った。
蓮も笑おうとした。
けれど、うまく笑えたかどうかは、自分でも分からなかった。




