第9話
「追加報酬、確定です」
ギルドの受付嬢がそう言った時、真壁悠は一瞬だけ、この世界で生きていけるかもしれないと思った。
銅貨が、増えた。
薬草の仕分けと害虫駆除の分が上乗せされ、昨日よりも明らかに重い音を袋が鳴らす。手の中で、その現実的な重さがはっきり分かる。
「(……いけるかもしれない)」
単純な話だ。
危険なことはしたくない。戦いたくない。人とも関わりたくない。だが、飯は食いたいし、寝る場所も欲しい。
ならば――雑務で稼げばいい。
今日の薬草倉庫のように、危険度が低く、誰かの役に立ち、なおかつ自分の力が「壊す」ではなく「整える」方向で使える仕事。
それなら、やれる。
そう思えた。
「真壁」
横に立つララ・バーンが、静かに声をかけた。
「浮かれるな」
「浮かれてません」
「顔に出ている」
「そんなに分かりやすいですか」
「分かりやすい」
即答だった。
真壁は小さく咳払いをして、表情を引き締めるふりをした。
だが内心では、まだ少しだけ期待が膨らんでいた。
雑務で生きていく。
その可能性が、ゼロではなくなった。
それは彼にとって、かなり大きなことだった。
受付嬢が次の依頼票を差し出す。
「真壁さん、こちらもどうですか」
「もうですか」
「薬草倉庫の件で、倉庫管理の方から推薦が入っています。仕分けが非常に正確だったと」
「推薦……」
嫌な響きだった。
目立つ。期待される。仕事が増える。全部、真壁の苦手な要素だ。
だが、依頼票を見る。
『倉庫整理補助(軽作業) 報酬:銅貨○○ 危険度:低』
「軽作業」
その文字に、心が揺れる。
「……内容は?」
「古い道具倉庫の整理です。壊れた器具、使えない部品、再利用できる素材の仕分けになります」
「壊れたやつ……」
真壁の指先が、わずかに熱を持つ。
壊れているもの。
繋がっていないもの。
ほどけているもの。
それを分ける。
「(……それ、得意なやつでは?)」
危険は低い。
魔物もいない。
人と戦う必要もない。
ただ、壊れたものを分けるだけ。
「……行きます」
言ってから、少しだけ嫌な予感がした。
ララが横で小さく息を吐く。
「連続依頼か」
「駄目ですか」
「駄目ではない。だが、疲労は蓄積する」
「俺、もうだいぶ疲れてます」
「それでも受けるのか」
真壁は銅貨袋を軽く握った。
「飯が増えるなら」
「……そうか」
ララはそれ以上何も言わなかった。
倉庫は、ギルドのさらに奥にあった。
薬草倉庫とは違い、こちらは埃と油の匂いが強い。木箱の中には、錆びた刃物、曲がった釘、割れた陶器、外れた歯車、壊れたランタン、折れた柄、用途不明の金属片などが無造作に積まれている。
「うわ……」
真壁は思わず声を漏らした。
視界が、うるさい。
どこもかしこも「壊れている」。ひび、継ぎ目、歪み、外れた部分。全部が目に入る。全部が気になる。
薬草よりも、ずっと強く反応してしまう。
「真壁」
ララが低く言った。
「見るな」
「無理です」
「視線を外せ」
「外したらどこ見ればいいんですか」
「床を見ろ」
真壁は床を見た。
床にもひびがある。
「無理です」
「……そうか」
ララは少しだけ考え、真壁の前に立った。
「私の背中を見ろ」
「またですか」
「一番安定している対象だ」
真壁は素直に従った。
確かに、少し楽になる。
ララの背中は、相変わらず整っている。揺れが少ない。乱れがない。見ていて気持ち悪くない。
「……じゃあ、指示出してください」
「できるか」
「背中見てると、箱の中見えないので」
「なるほど」
ララは小さく頷いた。
「では、私が箱を開ける。お前は中を一瞬だけ見て、すぐ視線を戻せ。そして、言葉で判断を伝えろ」
「かなり難しくないですか」
「やれ」
「はい……」
訓練の延長だった。
ララが箱を開ける。
真壁が一瞬だけ中を見る。
ひび。歪み。接合部。
そして、すぐに視線をララの背中へ戻す。
「……使えるやつ、三割くらい。あとは駄目です」
「どれだ」
「左上のやつは使えます。右は全部駄目です。下の金属は、部品取りなら使えます」
ララが中身を確認する。
「合っているな」
「なんか、ゲームみたいですね」
「ゲーム?」
「いや、なんでもないです」
作業は進んだ。
真壁は視線を制御しながら、言葉だけで仕分けを続ける。直接触れると発動しやすい。だから触らない。見すぎると反応する。だから一瞬だけ見る。
思ったより、できた。
「(……いけるな、これ)」
手を使わない。
壊さない。
ただ、見て、分ける。
それだけなら、まだましだ。
その時だった。
倉庫の奥から、金属の擦れる音がした。
――ギィ。
真壁の肩が跳ねる。
「……今の」
ララがすぐに剣へ手をかける。
「下がれ」
「またですか……」
真壁は心底嫌そうに後ずさった。
箱の山の向こう側。
影が動く。
人ではない。
小さい。
低い。
四足。
「……機械?」
出てきたのは、小型の装置だった。
金属でできた体。四本の細い脚。中央に歯車のようなものが露出している。目のような部分が淡く光り、ぎこちない動きでこちらへ近づいてくる。
「自律機構……?」
ララが呟いた。
「古い警備装置か」
「警備……?」
真壁は顔を引きつらせた。
「なんで倉庫にそんなものが」
「廃棄予定だったのだろう。だが完全には停止していない」
装置は、ぎこぎこと音を立てながら動く。
明らかに壊れている。
脚の一本が歪んでいる。
歯車の噛み合わせがずれている。
それでも、動いている。
「(うわ、うわ、うわ)」
真壁の指先が震えた。
壊れているのに動くもの。
それは、かなり気持ち悪い。
止めたい。
直したい。
いや、止めたい。
とにかく、この不自然な動きを止めたい。
「真壁、見るな!」
ララの声。
だが、遅い。
真壁は、見てしまった。
歯車。
継ぎ目。
ずれ。
負荷のかかっている一点。
そこに触れれば、止まる。
確信があった。
――パツン。
真壁の右手が、前へ出る。
触れた。
瞬間。
装置の動きが、止まった。
だが、それだけでは終わらなかった。
歯車が外れる。
脚の接合部が外れる。
金属の継ぎ目が、次々とほどける。
ガラガラと音を立てて、装置は床に崩れ落ちた。
完全に、動かなくなる。
「……」
静かだった。
真壁は、自分の手を見た。
「……止めました」
ララは剣を下ろした。
「破壊したな」
「止めたかったんです」
「結果的には同じだ」
「……ですよね」
倉庫担当が駆け寄ってくる。
「だ、大丈夫ですか!?」
「装置は停止した」
ララが答える。
「助かりました……あれ、最近勝手に動き出すようになって、困ってたんです」
「廃棄対象だな」
「はい……でも、部品は再利用できるので……」
真壁はその言葉に反応した。
「部品、使えるんですか」
「え? あ、はい。歯車とか、金属板とか、修理に使えるので」
真壁は、崩れた装置を見る。
さっきほどの嫌悪感は、少し薄れていた。
動いていない。
ただの部品だ。
壊れているが、整っている。
「……これ、分けます?」
倉庫担当の目が輝いた。
「お願いします!」
ララは小さく息を吐いた。
「やるのか」
「動かないなら、怖くないです」
「そうか」
真壁は手袋越しに、装置の部品を触った。
歯車。
継ぎ目。
ひび。
ほどけそうな部分。
だが、今は「壊す」のではなく「分ける」ことを意識する。
「これは使える。これは駄目。これは……削れば使えるかも」
気づけば、作業に集中していた。
怖くない。
うるさくない。
静かだ。
壊れているものを、整える。
それは、真壁にとって少しだけ落ち着く作業だった。
ララはその様子を見ていた。
「(戦闘ではなく、処理と整理か)」
真壁の適性は、明らかにそこにあった。
壊れたものを分ける。
接続を外す。
不要なものを取り除く。
戦うための力ではない。
だが、だからこそ扱いが難しい。
その時。
倉庫の外から、誰かの声がした。
「おーい、ここか?」
軽い声。
聞き覚えがある。
真壁の肩が固まる。
「……来た」
ララが低く言う。
扉が、開いた。
そこに立っていたのは、くたびれた外套の男。
ヴォルフだった。
「また来ました」
真壁が呟く。
「また来た」
ヴォルフは笑った。
「いやー、今日は静かに仕事してるじゃん」
「邪魔しないでください」
「邪魔しに来たわけじゃねえよ」
ヴォルフは倉庫の中を見渡す。
壊れた道具。
分けられた部品。
そして、真壁。
「……いいね」
彼の目が細くなる。
「お前、壊すだけじゃねえな」
「壊してないです。分けてます」
「同じだろ」
「違います」
真壁は即座に否定した。
ヴォルフは少しだけ驚いたように眉を上げる。
「へえ。そこはこだわるんだ」
「違うものは違います」
少しだけ、強い口調だった。
ララがその横顔を見た。
真壁は、初めてはっきりと自分の意思を出していた。
壊すのではない。
分ける。
整える。
それが、自分のやり方だと。
ヴォルフは楽しそうに笑った。
「ますます面白いな」
「面白くないです」
「いや、面白い」
彼は一歩、近づいた。
ララの剣が動く。
「それ以上近づくな」
「分かってるって」
ヴォルフは止まる。
そして、真壁を見た。
「なあ、ほどき屋」
「その呼び方やめてください」
「じゃあ整備屋?」
「それも嫌です」
「注文多いな」
ヴォルフは肩をすくめた。
「ま、いいや。次は外だな」
「外?」
真壁が顔を上げる。
「動くやつ、いっぱい見れるぞ」
「見たくないです」
「そう言いながら、見たら止めたくなるんだろ」
「……」
否定できない。
ヴォルフはにやりと笑う。
「楽しみにしてるぜ」
「俺はしてません」
「してるって」
そう言い残して、彼は倉庫を出ていった。
静寂が戻る。
真壁は大きく息を吐いた。
「……あの人、何なんですか」
「お前に執着している」
ララが答える。
「なんでですか」
「面白いからだろう」
「最悪ですね」
「同感だ」
真壁は崩れた装置の部品を見つめた。
静かだ。
動かない。
うるさくない。
だが、さっきまで動いていた。
そして、また動くものが来るかもしれない。
「……ララさん」
「何だ」
「俺、雑務で生きていくの、無理かもしれないです」
ララは少しだけ考えた。
「無理ではない」
「本当ですか」
「だが、雑務だけで済むとは思うな」
「やっぱり……」
真壁は肩を落とした。
銅貨袋の重さが、少しだけ軽く感じた。
それでも、彼はまだ信じていた。
静かな仕事。
安全な場所。
誰とも関わらずに済む生活。
それが、この世界でも手に入ると。
だがその希望は、少しずつ、確実に削られていく。
真壁悠の異世界三日目は、まだ終わっていなかった。




