第47話
翌朝、真壁悠は扉の前でしばらく立ち尽くしていた。
扉には、昨日と同じ紙が貼られている。
『休息中。緊急時を除き入室・接触禁止。用件は騎士団第三隊長ララ・バーン、または指定代理騎士を通すこと』
その下には、しっかり追記も残っていた。
『窓からの侵入も禁止』
昨日は、それを見て少し安心した。
今日も安心はしている。
しているのだが、それとは別に、扉の向こうへ出るのが嫌だった。
今日、見るものは分かっている。
王都墓籍保管庫から届いた封書。
収容所跡より回収された認識票について、照合不能名あり。
真壁悠殿およびララ・バーン隊長の確認を求む。
照合不能名。
嫌な響きだった。
死者の名前を、記録と照らし合わせても一致しない。
名前があるのに、場所がない。
記録のどこにも戻れない。
それは、真壁にとってかなり嫌な種類のズレだった。
「……今日は、見る範囲を決めてる」
真壁は小さく呟いた。
自分に言い聞かせるためだ。
昨日作った条件は、もう効き始めている。扉の向こうから勝手に情報が流れ込んでこない。セイル・グランツも廊下越しに報告した。ヴォルフも、たぶん少しは窓から入る回数を減らす。たぶん。ララは封書を部屋へ置いていかなかった。真壁が今日見ると決めるまで、持ち帰った。
だから、今日見るのは自分で決めたことだ。
強制ではない。
それだけでも、少し違う。
それでも嫌なものは嫌だった。
コン、コン。
扉が鳴った。
真壁はびくりと肩を跳ねさせる。
「ララだ」
扉の向こうから声。
いつもの声。
真壁は息を吐いた。
「どうぞ」
扉が開く。
ララ・バーンは軽装だった。今日は外套も薄く、剣も通常装備。戦場へ向かう格好ではない。手には盆。朝食だった。
「先に食べろ」
「墓籍保管庫より肉優先ですか」
「当然だ」
ララは机の上に盆を置いた。
パン。スープ。肉二切れ。卵料理。焼き菓子。
安定している。
真壁はそれだけで少し落ち着いた。
「神」
「騎士だ」
「この流れも安定してきましたね」
「そうだな」
ララは椅子に座らず、窓の鍵を確認した。
真壁はその動きを見て、少しだけ笑いそうになる。
「ヴォルフさん対策ですか」
「対策というより、条件の確認だ」
「条件が仕事してる」
「仕事をしているのは私だ」
「それはそう」
真壁は素直に頷いた。
食べる。
今日の肉もうまい。
味は近い。
頭痛はほとんどない。身体の重さも昨日よりましだ。医務官が言っていた過負荷は、少しずつ抜けているらしい。
食べながら、真壁はララを見る。
ララは椅子に座り、封書を机には置かず、膝の上に持っている。真壁が食べ終わるまで見せないつもりなのだろう。
「徹底してますね」
「条件だからな」
「俺、昨日からその言葉好きになってきました」
「良い傾向だ」
真壁はスープを飲み干した。
腹に温かいものが落ちる。
それだけで、少し現実に立てる。
「……食べました」
「ああ」
「じゃあ、今日の見る範囲を決めましょう」
ララは頷いた。
封書をまだ開けない。
「今日は墓籍保管庫へは行かない」
「行かないんですか」
「まず封書の内容だけ確認する。開封は私が行う。お前は全文を読まない。表題、対象認識票の名前、照合不能の理由だけ見る。時間は十五分。違和感が強ければ即中断」
「めちゃくちゃしっかりしてる」
「条件書の試運転だ」
「試運転って言い方、少し機械っぽいですね」
「分かりやすいだろう」
「はい」
真壁は深く息を吐いた。
十五分。
全文は読まない。
表題、名前、理由だけ。
見えすぎるな。
拾いすぎるな。
「セイルさんは?」
「呼ばない」
「神」
「騎士だ」
「ヴォルフさんは?」
「廊下待機」
「入れないんですか」
「最初は入れない。必要なら呼ぶ」
「すごい。ちゃんと部屋の人数まで制限されてる」
「人数が増えるほど情報量が増える」
「俺より俺の扱いが上手い」
ララは少しだけ目を伏せた。
「お前自身も、これから覚えればいい」
「はい」
真壁は頷いた。
それから、机の上を少し片づけた。食器を端へ寄せ、紙とインクを離す。封書を置く場所を作る。こうして準備するだけでも、何となく気持ちが違った。勝手に差し込まれた紙を慌てて見るのではない。自分の机に、見る場所を作る。
ララが封書を机の中央に置いた。
王都墓籍保管庫の封蝋。
古い紋章。
真壁はそれを見ただけで、少し胸が重くなった。
ララが布越しに封を切る。
中から出てきたのは、厚い紙が三枚。
「三枚」
真壁が言う。
「多いか」
「思ったより少ないです。でも、少なくても嫌です」
「分かっている」
ララは一枚目だけを開いた。
「表題を読む」
「はい」
「『北方戦役臨時収容施設跡より回収された認識票および墓籍照合報告』」
真壁は頷く。
まだ大丈夫。
ララは続ける。
「照合不能件数、一件」
「一件」
それなら少ない。
だが、一件だから軽いというわけではない。
一人。
あるいは、一つの名前。
「対象認識票の表記名」
ララは少しだけ間を置いた。
「エリオ・ノート」
ノート。
真壁の眉が動いた。
「……ノート?」
「ああ」
「ガレウス・ノートと同じ?」
「同じ家名だ」
ララの声も低くなる。
真壁は紙を見たくなった。
だが、すぐに視線を落とす。
全文は読まない。
見る範囲を守る。
「関係者ですか」
「まだ分からない。照合不能の理由を読む」
「お願いします」
ララは二枚目を軽く確認し、必要な箇所だけ読む。
「王都墓籍に、エリオ・ノートの死亡記録なし。出生記録なし。軍籍記録なし。ただし、旧軍務局の戦時補助員名簿に、類似名『E・ノート』の記載あり。年齢欄、所属欄、身分欄は削除済み」
真壁は顔をしかめた。
「削除済み」
「そうだ」
「また消されてる」
「ああ」
嫌な沈黙。
ノート家。
ガレウス。
削除された名前。
収容所跡の認識票。
墓籍にない名前。
嫌な線が、勝手に繋がり始める。
真壁は目を閉じた。
「拾いすぎるな」
今度は自分で言った。
ララが静かに頷く。
「そうだ」
「照合不能の理由は、それだけですか」
「もう一つある」
「ありますか」
「認識票の裏面に刻印あり。墓籍保管庫は、刻印が通常の軍務式ではないと判断している」
「何て刻んであるんですか」
ララは紙を見る。
少しだけ表情が硬くなる。
「『名を返すな』」
真壁は息を止めた。
名を返すな。
名前を戻すな。
記録へ戻すな。
誰かが、そう刻んだ。
「……最悪ですね」
「ああ」
「名前を返すために確認してるのに、返すなって」
「意図的だ」
「ですよね」
真壁は机の木目を見た。
紙は見ない。
名前だけを頭に置く。
エリオ・ノート。
墓籍にない。
軍籍にもない。
旧軍務局補助員名簿に類似名。
削除済み。
認識票裏面に、名を返すな。
「これ、ガレウスさんが隠した名前ですかね」
「可能性は高い」
ララは否定しなかった。
「でも、それだけなら墓籍に照合不能で来るだけですよね。俺に確認求める理由が薄い」
「墓籍保管庫長は、お前が収容所跡で名前の照合に関わったことを知っている」
「それでも、わざわざ俺宛に?」
「そうだな」
真壁は嫌な予感がした。
紙の中ではない。
紙が届いた流れの中に違和感がある。
「封書、誰が運んできました?」
「騎士団の通常便だ。墓籍保管庫から、騎士団記録課を経由して届いた」
「普通?」
「手続き上は普通だ」
「普通すぎます」
ララが目を細める。
「どういう意味だ」
「今まで、アルゴさんとかセイルさんとか評議会とか、変な接触ばっかりだったじゃないですか」
「ああ」
「今回、普通の手続きで来てるのが逆に気持ち悪い」
真壁は机を指先で軽く叩いた。
「誰かがちゃんとした経路に乗せた感じがする」
「罠か」
「罠というより……見せたいけど、直接渡したくない?」
自分で言って、少し分からなくなる。
だが、そう感じた。
アルゴの金属片は挑発的だ。セイルの封書は整いすぎている。評議会の通達は圧がある。
今回の封書は違う。
普通の形をしている。
普通の形をして、真壁の条件を破らないように届いている。
それが妙だった。
「……条件を守ってる」
真壁は呟いた。
ララの顔が変わる。
「誰が」
「分からないです。でも、この封書、俺の条件に沿ってます。直接じゃない。騎士団経由。封書はララさんが持ってきた。俺の部屋に置かない。必要箇所だけ読む」
「条件書はまだ評議会へ提出したばかりだ」
「でも、知ってる人は知ってる」
「セイルか」
「セイルさんなら、もっと自分で言いそうです」
真壁は首を振る。
「これはセイルさんの感じじゃない」
「なら墓籍保管庫長か」
「かもしれません」
ララは封書を見つめた。
「墓籍保管庫へ行く必要があるな」
真壁は即座に言った。
「今日は行きません」
「分かっている」
「よかった」
「だが、近いうちに行く」
「ですよね」
真壁は深く息を吐いた。
墓籍保管庫。
死者の記録が集まる場所。
名前がある場所。
アルゴが聞いているかもしれない場所。
行きたくない場所がまた増えた。
「……十五分経ちました?」
「まだ十分だ」
「体感三十分」
「中断するか」
真壁は少し考えた。
頭はまだ大丈夫。
引っ張られかけたが、戻れている。
見る範囲は守れている。
「あと一つだけ」
「何だ」
「認識票の状態。どこに組み込まれてました?」
ララは三枚目を確認する。
「地下作業台の胸部中央、重ねられた認識票群の最下層」
真壁は思わず顔をしかめた。
「最下層」
「ああ」
「中心に近い」
「そういうことか」
「はい」
認識票群の一番下。
つまり、見えにくい場所。
支えるように置かれていた場所。
エリオ・ノート。
名を返すな。
この名前は、失敗作の中でも中心に近い。
アルゴの実験において、何か特別な意味があった。
あるいは、隠されていた。
「……ここまでにします」
真壁は言った。
ララは即座に紙を畳んだ。
「中断する」
「はい」
「体調は」
「嫌な感じはあります。でも、昨日ほどじゃないです」
「ならよかった」
ララは封書を机から離し、封筒へ戻した。
真壁の視界から外す。
それだけで、少し楽になる。
条件。
範囲。
中断。
ちゃんと機能している。
「……見られました」
真壁は小さく言った。
「必要な分だけ」
「そうだ」
「たぶん、前なら全部読んでました」
「今は違う」
「はい」
少しだけ、自分でも分かった。
見えるものへ飛び込まなくてもいい。
全部読まなくても、違和感は掴める。
それは大事なことだった。
その時、廊下から声がした。
「終わったか?」
ヴォルフだった。
扉越し。
ちゃんと廊下にいる。
真壁は少しだけ笑った。
「終わりました」
「入っていいか?」
真壁はララを見る。
ララが頷く。
「どうぞ」
扉が開き、ヴォルフが入ってくる。
本当に扉から入ってきた。
今日はかなり偉い。
「その顔、何か分かったな」
ヴォルフが言う。
「分かりたくないことが少し」
「いつものやつか」
「はい」
ララが短く説明する。
「照合不能名、エリオ・ノート。認識票は地下作業台の胸部中央、最下層。裏面に『名を返すな』の刻印。墓籍、出生、軍籍に記録なし。旧軍務局補助員名簿に類似名E・ノート、詳細削除済み」
ヴォルフの顔から、笑みが消えた。
「……ノート?」
「ガレウスと同じ家名だ」
ヴォルフはしばらく黙った。
珍しく、すぐ軽口が出ない。
「知ってるんですか」
真壁が聞く。
「名前だけな」
「誰ですか」
「噂だ。北方戦役の頃、ガレウスには息子がいたって話があった」
真壁の胃が重くなる。
「息子」
「公式にはいないことになってる。未婚、子なし。ノート家の直系はガレウスだけ。そういう扱いだ」
「でも噂では」
「いたらしい。病弱で表に出なかったとか、私生児だったとか、軍務局の実験に関わってたとか、色々」
ララが低く言う。
「エリオ・ノートが、その息子の可能性」
「ある」
ヴォルフは頷いた。
「そして、名を返すな。墓籍なし。軍籍なし。補助員名簿は削除。つまり、誰かが徹底的に消した」
「ガレウスさんが?」
「最有力だな」
真壁は目を閉じた。
嫌な形が見えてきた。
ガレウス・ノート。
アルゴの実験を黙認、あるいは推進した人物。
死者を資源と言った老人。
その周辺に、消された息子らしき名前。
その認識票が、収容所地下の失敗作の中心に組み込まれていた。
アルゴは、何を戻そうとしていたのか。
死者一般ではなく。
もしかして。
「……ガレウスさん、自分の息子を戻そうとした?」
真壁は言ってしまってから、すぐに後悔した。
拾いすぎたかもしれない。
だが、ララもヴォルフも否定しなかった。
部屋が重くなる。
ヴォルフが低く言う。
「可能性はある」
「でも、ガレウスさんは死者を資源って」
「自分の大事な一人を戻すために、他の死者を資源にする奴はいる」
その言葉は、重かった。
ララの表情が険しくなる。
「アルゴの実験は、ガレウスの個人的目的と繋がっていた可能性がある」
「はい」
真壁は机を見る。
もう紙はない。
でも、名前は残っている。
エリオ・ノート。
消された名前。
返すなと刻まれた名前。
「……これ、アルゴさんじゃなくて、ガレウスさんの中心かもしれませんね」
「中心」
ララが問う。
「はい。アルゴさんは直せないものを直そうとした。でも、最初の“直したいもの”を用意したのはガレウスさんだったのかも」
真壁は自分の言葉が嫌だった。
だが、そう見える。
「息子を戻したい。だから実験を認めた。失敗した。隠した。アルゴさんは壊れた。名前は消された。でも認識票だけ残った」
ヴォルフが小さく息を吐く。
「最悪だな」
「はい」
最悪だった。
親が子を戻したい。
その感情だけなら、分からなくはない。
真壁にも親はいた。
葬式に出られなかった親。
もう戻らない親。
もし、戻せると言われたら。
一瞬でも、考えないと言えるだろうか。
真壁は言えなかった。
だからこそ怖い。
感情は理解できる。
でも、そのために他の死者を材料にするのは違う。
名前を消すのは違う。
失敗を隠すのは違う。
「……やっぱり、直せないものは直せないんですよ」
真壁は低く言った。
「それを認められない人たちが、全部壊してる」
ララは静かに頷いた。
「ああ」
ヴォルフも、珍しく何も茶化さなかった。
◇
その日の午後、真壁は医務官の診察を受けた。
朝に墓籍報告を見たため、条件に従って状態確認が必要だった。医務官は脈を取り、瞳を見て、いくつか質問した。
「頭痛は?」
「少し」
「吐き気は?」
「少し」
「視界の揺れは?」
「ないです」
「過去の記憶が勝手に浮かぶ感じは?」
真壁は少し止まった。
「……ちょっと」
「なら今日は追加確認禁止です」
「ですよね」
「休んでください」
「神」
「医務官です」
診断は分かりやすかった。
今日の追加調査は中止。
墓籍保管庫へ行くのは明日以降。
真壁としては全力で賛成だった。
部屋へ戻る途中、廊下でセイルとすれ違った。
真壁は反射的にララの後ろへ半歩隠れた。
セイルはそれを見て、足を止める。
「真壁さん。接触許可はありますか」
真壁は少し驚いた。
ちゃんと聞いた。
ララが真壁を見る。
真壁は考える。
今は医務官から追加確認禁止を受けたばかり。
でも、挨拶程度なら。
「挨拶だけなら」
「承知しました」
セイルは一礼する。
「本日は追加報告を控えます。墓籍保管庫の件については、ララ隊長を通します」
「ありがとうございます」
「条件書、読ませていただきました」
真壁は少し身構える。
「異議ですか」
「いいえ」
セイルは静かに言った。
「良い規定です」
真壁は目を瞬かせた。
「セイルさんがそう言うと、逆に不安なんですけど」
「でしょうね」
「自覚あるんだ」
「あります」
セイルは少しだけ視線を落とした。
「私にも、必要だったものです」
真壁は黙った。
その言葉は、少しだけ重かった。
「観測官にも、見ない権利があればよかった」
セイルは静かに言う。
「そう思いました」
真壁は、何と返せばいいか分からなかった。
セイルは嫌な男だ。
怖いし、利用しようとしたし、まだ信用はできない。
だが、その言葉は嘘には聞こえなかった。
「……今からでも、作ればいいんじゃないですか」
真壁は言った。
セイルが顔を上げる。
「今から?」
「はい。見ない権利。休む権利。セイルさんも書けばいいんじゃないですか」
セイルはしばらく黙った。
ララも何も言わない。
やがて、セイルは本当に少しだけ笑った。
いつもの整った笑みではない。
困ったような、人間らしい笑いだった。
「考えておきます」
「考えるだけじゃ駄目ですよ」
「では、書いてみます」
「いいと思います」
真壁は言ってから、少し変な気持ちになった。
自分がセイルに何かを勧めた。
最悪の観測官に。
しかも、条件書を。
世の中、何が起きるか分からない。
「では、失礼します」
セイルは去っていく。
足音は相変わらず少ない。
だが、前ほど気持ち悪くはなかった。
ララが真壁を見る。
「今のは、お前らしいな」
「そうですか」
「ああ」
「ちょっと余計なこと言いましたかね」
「いや」
ララは静かに言った。
「線を引く者は、他人にも線を引かせることができるのかもしれない」
真壁は困った顔をした。
「また大きい話にしないでください」
「すまない」
「でも……そうなら、悪くないかもですね」
小さく言った。
自分の条件が、自分だけでなく、セイルのような見すぎた人間にも届くかもしれない。
それは少しだけ、不思議な救いだった。
◇
夜。
真壁は自室で、墓籍保管庫からの封書のことを考えていた。
もちろん、深くは考えない。
医務官に止められている。
だが、名前は残る。
エリオ・ノート。
消された名前。
名を返すな。
その名前が、王都の底でアルゴが聞いている“全部の名前”へ繋がっているのだとしたら。
次に行く場所は、墓籍保管庫だ。
死者の記録が集まる場所。
たぶん、真壁にとってかなりきつい場所になる。
「……条件、増やしとくか」
真壁は机に紙を出した。
新しい項目を書く。
『墓籍保管庫へ行く時は、見る名前の数を決める』
少し考えて、もう一つ。
『一度に三名まで』
さらに。
『帰ったら肉』
これは少し悩んだが、書いた。
大事だ。
書いてから、真壁は少しだけ笑った。
自分の線は、まだ増えていく。
弱さも、怖さも、面倒さも、全部条件にしていく。
それでいいのかもしれない。
強くなるというより、壊れないようにする。
それが真壁に合っている。
コン、コン。
扉が鳴った。
「ララだ」
「どうぞ」
ララが入ってくる。
「追加条件か」
「見えました?」
「机に紙がある」
「なるほど」
真壁は紙を差し出した。
ララは読む。
そして、帰ったら肉、のところで少し止まった。
「食事改善に含める」
「お願いします」
「一度に三名まで、は良い」
「やっぱり名前多いときついので」
「ああ。明日、墓籍保管庫へ行くなら、その条件を使う」
「明日行くんですね」
「体調次第だ」
「体調悪いです」
「まだ診ていない」
「先制申告です」
ララは少しだけ笑った。
「医務官に任せる」
「ですよね」
真壁は寝台へ転がった。
怖い。
明日は嫌だ。
だが、今日のように条件を増やせるなら、少しは行けるかもしれない。
ララが扉へ向かう。
「今日はもう休め」
「はい」
「封書は私が保管する」
「お願いします」
「窓の鍵も確認した」
「ありがとうございます」
ララは出ていった。
扉が閉まる。
静けさ。
真壁は天井を見る。
四畳半ではない。
でも、少しだけ、自分の部屋になってきた気がする。
扉に紙がある。
窓は閉まっている。
机には自分で書いた条件がある。
外の世界と自分の間に、線がある。
明日、その線を持って墓籍保管庫へ行く。
嫌だ。
本当に嫌だ。
でも、少しだけ思う。
名前を返すな、と刻まれた名前があるなら。
それは、返すべき名前なのだろう。
少なくとも、誰かが返されたくないと思うほどには。
真壁は目を閉じた。
「……一度に三名まで」
小さく呟く。
それが今日の最後の線だった。
その線の内側で、真壁は眠った。




