第43話
王都が、鳴っていた。
低い。
重い。
腹の奥へ響くような鐘の音。
南区だけではない。中央区、東区、工房街、外縁水路、荷運び橋、地下排水路。街そのものが、どこかで同時に震えている。
真壁悠は橋の上で、その振動を足裏から感じていた。
嫌だった。
音が大きい。
情報が多い。
見えすぎる。
王都全体の水流が、一つの“流れ”として繋がり始めている。
「……気持ち悪い」
思わず漏れる。
黒外套の男――バルド・イェーガーは、水門残骸の上で笑っていた。濁流の中、右腕へ埋め込まれた黒杭が脈打つたび、水路の流れが変わる。
「いいだろぉ?」
バルドが笑う。
「街ってのはよ、結局“流れ”なんだよ。人も、水も、金も、命も。全部どっかへ流れてる」
黒杭が鳴る。
キィン、と高い金属音。
「だったら、その流れ全部を一個に繋げりゃぁ、街そのものが術式になる」
真壁の胃が冷えた。
王都全体を術式化。
普通の術者なら不可能だ。
だが、アルゴが残した術式基盤がある。
北方戦役後に補修された水路。
古い地下導線。
街全体へ巡らされた流体制御管。
それら全部を“線”として使えば。
「……マジでやってる」
真壁は呟いた。
セイル・グランツの顔色も変わっていた。
「王都基盤術式の転用……」
「そんなもん作ってたんですか」
「元々は災害制御です。洪水、火災、排水、熱流制御、地下水圧分散。王都規模の都市では必要になる」
「それを今、逆に使われてる」
「はい」
ララが剣を構える。
「止める方法は」
セイルは即答しない。
それだけで、真壁には嫌な予感がした。
「セイルさん」
「……術式の核を止める必要があります」
「核」
「共鳴中心点です」
バルドが笑った。
「さっすが観測官! でも遅ぇよ!」
黒杭が振り下ろされる。
次の瞬間、橋下の水流が爆ぜた。
濁流が渦を巻き、巨大な水柱となって吹き上がる。
「下がれ!」
ララが真壁を抱えて飛ぶ。
水柱が石橋を貫いた。
石片が飛び散る。
橋脚が軋む。
だが真壁の視線は、水そのものではなく“その奥”を見ていた。
「……あ」
見える。
水流の中心。
黒い線。
王都全体から集まる振動。
全部が、ある一点へ向かっている。
「中央旧水路……!」
セイルが即座に反応した。
「地下第二制御層か!」
ララが問う。
「何だそれは!」
「旧王都時代の中央排水制御施設です! 現在は封鎖済み――」
「その言い方やめろって言ってるでしょうが!」
真壁が叫ぶ。
「封鎖済みって言われてまともだった試しないんですよ!」
バルドが腹を抱えて笑った。
「ははっ! いいなぁ、お前!」
真壁は本気で嫌そうな顔をした。
「嬉しくないです!」
黒杭がまた鳴る。
今度は南区全域の地面が揺れた。
建物が軋む。
悲鳴。
遠くで崩落音。
真壁には見えた。
このまま共鳴が進めば、水だけじゃ終わらない。
地下導線そのものが暴走する。
王都全域の地盤が割れる。
「ララさん!」
「分かってる!」
「いや絶対分かってないです!」
「何が見えた!」
「あと三回共鳴したら、南区沈みます!」
空気が変わる。
セイルが低く問う。
「根拠は」
「見えるんです!」
「具体的に!」
「地下圧が限界です! 今、水流が地盤支え始めてる!」
真壁は頭を押さえる。
見えすぎる。
橋脚。
地下空洞。
古い排水路。
全部繋がる。
王都は、何重もの空洞と流路で支えられていた。
そして今、その支えそのものが術式化されている。
「……狂ってる」
真壁は震える声で言った。
「こんなの、街そのものを人質にしてるのと同じだろ」
バルドが笑う。
「そうだよ?」
即答だった。
「王都ってさぁ、結局“上”の連中だけ綺麗に生きてんじゃん? だったら下から崩しゃいいんだよ。水路も地下も、全部下だろ?」
真壁は顔をしかめた。
分かる部分があるのが嫌だった。
南区。
低地。
工房街。
地下作業区。
全部、王都の“下側”だ。
アルゴもそこを見ていた。
名前を消された人間。
使い潰された側。
でも。
「だからって街ごと壊すなよ……!」
真壁は叫んだ。
バルドが笑う。
「旦那も最初はそう言ってたぜ?」
その言葉に、真壁の胸がざわついた。
「最初?」
「“壊すつもりじゃなかった”ってな」
水煙の向こうで、バルドの笑顔が歪む。
「でも、見えちゃったんだろうなぁ。街そのものが、最初から壊れてたって」
真壁は言葉を失った。
その瞬間。
頭の奥で、アルゴの地下施設がよぎる。
認識票。
失敗。
名前。
戻らないもの。
ガレウスの言葉。
資源。
全部が繋がる。
アルゴは、最初から狂っていたわけじゃない。
壊れたものを見続けた結果、壊れた。
真壁は、急に寒くなった。
「……真壁」
ララの声。
真壁はハッと顔を上げる。
「拾いすぎるな」
低い声だった。
だが、その一言で呼吸が戻る。
「……はい」
危なかった。
また引っ張られていた。
アルゴへ。
見えすぎる側へ。
セイルが真壁を見る。
「今、何を見ました」
「言いたくないです」
「ですが必要です」
「だからその言い方!」
真壁は叫ぶ。
「俺、必要だから見るわけじゃないって言ったでしょう!」
セイルが一瞬だけ黙る。
ララが静かに前へ出た。
「真壁。今は必要かどうかではない」
「……」
「お前が、自分で見ると決めるかどうかだ」
真壁は息を止める。
ララは真っ直ぐこちらを見ていた。
「見るか」
短い問い。
命令じゃない。
確認だ。
真壁は橋の下を見る。
濁流。
黒杭。
崩れかけた街。
逃げる人。
泣いてる子供。
全部見える。
見たくない。
でも。
「……見ます」
ララが頷く。
「なら、私は剣を振る」
その瞬間、真壁は少しだけ救われた気がした。
全部を一人で抱えなくていい。
ララがいる。
だから、見られる。
「セイルさん!」
真壁が叫ぶ。
「地下第二制御層、入口どこですか!」
「中央旧水路管理塔の下です!」
「遠い!」
「ですが、あそこが核です!」
バルドが黒杭を肩へ担ぐ。
「行かせると思う?」
次の瞬間、水流から黒杭が無数に飛び出した。
槍みたいに。
橋へ向かって。
「っ!」
ララが前へ出る。
白銀の剣閃。
黒杭を弾く。
だが数が多い。
真壁には見える。
全部は止めきれない。
「左!」
ララが左を斬る。
「下!」
セイルが真壁を引く。
黒杭が石橋を貫く。
破片。
水飛沫。
騎士たちが後退する。
バルドは笑っていた。
「いいなぁ! 観測官と騎士と無職!」
「無職を並列にするな!」
真壁は叫びながら、水流を見る。
黒杭の軌道。
圧力。
共鳴点。
そして。
「……あ」
違和感。
バルドの右腕。
黒杭を埋め込んだ腕。
そこだけ、水流とズレている。
「ララさん!」
「何だ!」
「右腕です!」
「核か!」
「違う!」
真壁は叫ぶ。
「逆です!」
ララが一瞬止まる。
「……何?」
「右腕だけ、共鳴に耐えてない!」
黒杭は術式を動かしている。
だが、バルド自身はその出力に耐えきれていない。
右腕だけが、術式の流れからズレている。
「つまり!」
ララが問う。
「無理やり繋いでる!」
真壁は叫ぶ。
「だから、右腕を止めれば術式全体が乱れる!」
バルドの笑顔が止まった。
「……は?」
真壁は息を呑む。
今、当たった。
図星。
「お前、そこ見えんのかよ」
「見えちゃったんです!」
バルドの顔が歪む。
今までの笑いじゃない。
苛立ち。
「旦那より厄介じゃねぇか……!」
黒杭が一斉に震える。
来る。
大きい。
「ララさん!」
「分かってる!」
ララが地面を蹴る。
速い。
真っ直ぐ、バルドへ。
水流が牙みたいに立ち上がる。
ララは斬る。
一撃。
二撃。
三撃。
水そのものではない。
水流の“芯”だけを斬っている。
真壁の見方だ。
ララはもう、それを剣へ落とし込んでいる。
バルドが叫ぶ。
「んな剣、聞いてねぇぞ!」
「私も最近覚えた!」
ララが踏み込む。
黒杭が迫る。
真壁には見えた。
右腕。
そこだけ、術式の流れが遅れる。
「今!」
ララの剣が閃く。
白銀の軌跡。
バルドの右腕、その黒杭の接続点だけを斬る。
血が舞う。
「がッ――!?」
黒杭が悲鳴みたいな音を立てた。
次の瞬間。
王都中へ響いていた共鳴が、一瞬だけズレる。
キィン、と高い音。
真壁はその瞬間を逃さなかった。
「……ここ!」
右拳が上がる。
狙うのはバルドじゃない。
王都全体を繋いでいる“共鳴の一点”。
水流のズレ。
黒杭の振動。
地下導線。
全部が重なる瞬間。
そこへ。
――パツン。
乾いた音。
世界が、一瞬だけ静かになった。
次の瞬間。
王都中の鐘が止まった。
水流が崩れる。
共鳴が切れる。
黒杭が次々と砕け散る。
「……は?」
バルドが呆然とする。
右腕から煙が上がる。
黒杭が崩れていく。
「お、おい……」
真壁はその場へ膝をついた。
頭痛。
吐き気。
視界が揺れる。
規模が大きすぎた。
街全体。
そんなものを相手にしたことなんかない。
「真壁!」
ララが駆け寄る。
真壁は息を切らしながら言った。
「……止まった?」
セイルが周囲を見る。
水流。
地下振動。
共鳴音。
全部。
止まっている。
「……はい」
セイルが静かに言う。
「王都共鳴術式、停止しました」
橋の上が静まる。
騎士たちも、避難民も、誰もすぐには動かなかった。
止まった。
本当に。
その実感が遅れてくる。
バルドだけが、水門残骸の上で立ち尽くしていた。
「……なんだよ、それ」
黒杭が崩れる。
右腕が血に染まる。
男の顔から、笑いが消えていた。
「旦那でも、そこまで綺麗に止められなかったぞ……」
真壁は息を整えながら、小さく言った。
「だから、後継じゃないって言ったでしょう」
バルドが真壁を見る。
その目には、恐怖と、少しの理解不能が混ざっていた。
「お前……何なんだよ」
真壁はしばらく考えた。
そして、本当に疲れた顔で答えた。
「……働きたくないだけの無職です」
沈黙。
ララが吹き出しかける。
セイルが目を閉じる。
バルドは数秒固まり、それから腹を抱えて笑い始めた。
「ははっ……! はははははッ!!」
狂ったような笑い。
でも、その笑いはさっきまでと違った。
少しだけ。
本当に少しだけ。
楽しそうだった。
その時。
遠くで、別の鐘が鳴った。
今度は警鐘じゃない。
王都中央から響く、重い鐘。
評議会招集鐘。
セイルの顔色が変わる。
「……まずい」
「何ですか今度は!」
真壁が叫ぶ。
セイルは中央区の方向を見る。
「王都評議会、緊急招集です」
「だから何ですか!」
「今回の件で、責任追及と統制権限の集中が始まる」
真壁は嫌な予感しかしなかった。
「つまり?」
ララが低く問う。
セイルは静かに答えた。
「真壁悠の“管理権”を巡る会議が始まります」
橋の上が静まる。
真壁は数秒固まり、それから本気で嫌そうな顔をした。
「……帰りたい」
だが、その願いは。
もう、四畳半へは届かなかった。




