第38話
襲撃事件の翌日。
真壁悠は騎士団宿舎の中庭で、ぼんやり空を見上げていた。
青い。
雲が少ない。
風は少し冷たい。
平和そうだ。
だが、実際は全然平和ではない。
評議会側と思われる襲撃。
自害毒。
地下収容所。
アルゴ。
ガレウス・ノート。
ここ最近、真壁の周囲は「できれば関わりたくない単語ランキング上位」が怒涛の勢いで増えていた。
「……帰りたい」
いつもの呟き。
最近では、宿舎の騎士たちも「ああ、通常運転だな」という顔しかしなくなってきた。慣れは怖い。
その時。
シュッ。
空気を裂く音。
真壁の視線が自然に動く。
木剣。
ララ・バーンだった。
中庭の端で、一人、剣を振っている。
だが、いつもの鍛錬とは少し違った。
止まる。
動く。
また止まる。
視線を固定していない。
ぼんやり周囲を見ながら、それでも剣先だけは異様に正確だ。
「……あ」
真壁は少し身体を起こした。
やっている。
本当にやっている。
昨日話した、“追わない見方”。
ララは木剣を振りながら、わずかに重心を変える。
その瞬間。
背後から騎士見習いが投げた小石が飛んできた。
普通なら死角。
だがララは振り返らない。
見てもいない。
それでも。
カン。
木剣が、正確に石だけを弾いた。
騎士見習いたちがざわつく。
「今の見えてたんですか!?」
「見えてはいない」
ララは静かに答えた。
「流れが変わった」
真壁は思わず頭を抱えた。
「うわぁ……」
本当に吸収している。
しかも早い。
ララは元々、一流だ。
だからこそ、真壁の“感覚”を理屈ではなく技術として咀嚼し始めている。
怖い。
「真壁」
ララがこちらを見た。
「何ですか」
「少し付き合え」
「嫌な予感します」
「鍛錬だ」
「やっぱり嫌な予感当たった」
◇
「いやいやいや」
数分後。
真壁は中庭の端で全力拒否していた。
「俺、教える側とか無理です」
「別に剣を教えろとは言っていない」
「でも師匠っぽい空気出てますよね?」
「出していない」
「出てます」
ララは木剣を肩へ担いだ。
「お前は、どうやって“ズレ”を見ている」
「だから分からないんですって」
「感覚でもいい。言語化しろ」
「無茶振りだなぁ……」
真壁は頭を掻いた。
騎士見習いたちが少し離れた場所で興味津々に見ている。
やめてほしい。
視線が増えると帰りたくなる。
「……あのですね」
真壁は渋々話し始めた。
「人って、普通、“動いたもの”を見るじゃないですか」
「そうだな」
「でも俺、逆なんです」
「逆?」
「動かなかった場所の方が気になる」
ララの目が細くなる。
真壁は続けた。
「例えば人混みでも、“誰も通らない場所”ってあるんですよ。みんな無意識で避ける場所。空気が変な場所。危ない場所」
「昨日の空白か」
「はい」
「つまり、お前は“動き”ではなく“偏り”を見ている?」
「……あ」
真壁は少し止まった。
「それかも」
ララが頷く。
「なるほど」
「いや、なるほどって言われても俺も今気づいたんですけど」
「だが理屈としては通る」
ララは木剣を軽く回した。
「剣士は普通、敵の刃を見る。肩を見る。重心を見る。だが、お前は違う」
「たぶん」
「お前は“そこに来ないはずのもの”を見ている」
真壁は黙った。
それは、少しだけ腑に落ちた。
紐。
水滴。
埃。
石片。
短剣。
全部、“そこに来る”違和感だった。
自然な流れからズレたもの。
だから気持ち悪い。
だから、止めたくなる。
「……俺、性格悪くないです?」
「なぜだ」
「ズレてるもの見ると、止めたくなるので」
「騎士向きだな」
「嫌すぎる」
その時。
中庭入口から騎士が走ってきた。
「ララ隊長!」
空気が変わる。
真壁は反射的に嫌な顔をした。
「ほら来た」
「まだ何も言っていない」
「でも絶対嫌な話です」
騎士はララの前で敬礼した。
「評議会より使者が到着しました」
真壁は即座にしゃがみ込んだ。
「帰ります」
「待て」
「嫌です」
「お前宛だ」
「最悪」
ララが小さく息を吐く。
「どこの名だ」
「評議会特別監査局。署名は――」
騎士は紙を見る。
「セイル・グランツ」
ヴォルフの声が、後ろからした。
「うわ」
全員が振り返る。
いつの間にか、ヴォルフが中庭の塀に座っていた。
「いつからいたんですか」
「途中から」
「盗み聞き」
「聞こえてた」
ヴォルフは珍しく、本気で嫌そうな顔をしていた。
「セイル・グランツか。よりによって面倒なの寄越してきたな」
ララが問う。
「知っているのか」
「評議会の猟犬」
ヴォルフは吐き捨てるように言った。
「笑いながら首締めてくるタイプだ」
真壁は頭を抱えた。
「本当に会いたくない人ランキング更新されてく」
「ちなみに強いぞ」
「情報増やさないでください」
ララは騎士へ言う。
「使者はどこだ」
「応接室です」
「分かった。待機させろ」
騎士が去る。
中庭に重い空気が落ちる。
真壁は真顔で言った。
「俺、病欠ってことにできません?」
「昨日まで普通に動いてた」
「精神は病んでます」
「それは知っている」
「知ってて行かせるんですか」
「今回は私も同席する」
「そこじゃなくて」
ヴォルフが塀の上で笑った。
「諦めろ、ほどき屋」
「嫌です」
「もう向こう、お前を見つけてる」
その言葉に、真壁の表情が少し止まった。
「……見つけてる?」
「そうだ」
ヴォルフの顔から笑みが消える。
「気をつけろ。“見る側”ってのは、逆に“見られる側”にもなる」
真壁は眉をひそめた。
「どういう意味ですか」
「お前、自分じゃ気づいてねえけど、最近かなり“読んでる”」
「読んでる?」
「空気。ズレ。流れ。気配。人の偏り」
ヴォルフは中庭を見渡した。
「そういうの見始めると、逆に同類から拾われる」
真壁の背筋が冷える。
「……アルゴさんみたいに?」
「それもある」
「他にもいるんですか」
「王都は広い。表に出てねえ変なのも多い」
真壁は本気で嫌そうな顔をした。
「聞きたくなかった」
「特に評議会は、“見る奴”を集めたがる」
ララが静かに問う。
「なぜだ」
「管理するためだろ」
ヴォルフは肩をすくめる。
「普通の騎士より、異常者の方が便利だからな」
真壁はその場でしゃがみ込んだ。
「やだぁ……」
「お前、本当に嫌そうだな」
「だって絶対ろくな組織じゃないじゃないですか」
「まあ、ろくではない」
「即答やめてください」
◇
応接室は静かだった。
窓から午後の光が入っている。
茶器。
長机。
重たい空気。
そして。
「初めまして」
男は笑っていた。
セイル・グランツ。
三十代後半ほど。
細身。
灰色の長衣。
黒手袋。
整った顔。
だが、真壁は入った瞬間に嫌な汗をかいた。
この男。
“音が少ない”。
歩き方。
視線。
呼吸。
全部が静かすぎる。
存在感を消しているわけではない。
むしろ逆だ。
“ここにいる”ことを、意図的に整えている。
「お会いできて光栄です、真壁悠さん」
「いや全然光栄じゃないです」
反射で出た。
ララが横で軽く咳払いする。
だがセイルは怒らなかった。
ただ微笑む。
「率直な方だ」
「取り繕う元気ないので」
「素晴らしい」
「全然褒められてる気しない」
セイルの視線が真壁へ向く。
その瞬間。
真壁は妙な違和感を覚えた。
見られている。
ただの視線じゃない。
測られている。
重さ。
間。
呼吸。
全部。
「……っ」
真壁の肩がわずかに強張る。
ララが一歩前へ出た。
「用件を」
セイルは視線をララへ移した。
「もちろん。単刀直入に言いましょう」
笑顔のまま。
「我々は、地下収容施設の件について共同調査を提案します」
真壁は心の中で叫んだ。
絶対嘘だ。
絶対ろくでもない。
「共同?」
ララが問う。
「はい。評議会としても、過去の戦時遺構に関する危険性は無視できません。特に、最近の襲撃事件もありました」
セイルは自然すぎるほど自然に言う。
「ですので、真壁悠さんには、評議会側調査班への一時協力をお願いしたい」
「嫌です」
即答。
ララが止めるより早かった。
セイルは少し目を細める。
「理由を伺っても?」
「怖いので」
沈黙。
だがセイルは笑った。
「正直だ」
「あと、あなた絶対怖い人ですよね」
「心外だな」
「いや怖いです」
ヴォルフが壁際で吹き出した。
「ははっ」
セイルの目が、初めてヴォルフを見る。
「これはこれは。“灰狼”がいるとは」
「その呼び方嫌いなんだよな」
「相変わらず自由な方だ」
「お前よりはな」
空気が少しだけ軋む。
真壁はその間を見ていた。
ズレ。
静かだが、ぶつかっている。
この二人、昔から知っている。
しかも仲は悪い。
「真壁さん」
セイルが再びこちらを見る。
「あなたは、特殊です」
「嫌な言い方」
「失礼。では、“稀有”と言い換えましょう」
「もっと嫌」
セイルは少し笑った。
「あなたは“読む”。だから我々は協力したい」
「……」
真壁はその言葉に、背筋が冷えた。
読む。
アルゴも似たことを言っていた。
ヴォルフも。
そして今、この男も。
「……何を知ってるんですか」
真壁が低く聞く。
セイルは答えない。
代わりに、静かに言った。
「見る力というのは、選ばれるものではありません」
「?」
「気づいた時には、もう向こう側から拾われている」
真壁の指先が冷える。
ヴォルフが低く言った。
「おい、やめろ」
「脅してはいませんよ」
「同じだ」
セイルは微笑を崩さない。
「真壁さん。あなたは既に、“糸”へ触れている」
アルゴ。
銀糸。
地下。
失敗作。
真壁の呼吸が少し浅くなる。
「だからこそ、我々の保護下へ入った方が安全だ」
「嫌です」
また即答だった。
「なんでですか」
「あなた達の“保護”って、絶対自由なくなるやつだからです」
セイルは初めて少しだけ黙った。
その沈黙で、真壁は確信した。
当たりだ。
「……鋭い」
「嫌な方向にだけ」
ララが一歩前へ出る。
「返答は保留だ」
「もちろん」
セイルはあっさり頷いた。
「急ぎません。ただ――」
その視線が、再び真壁へ向く。
「見え始めた者は、いずれ深く潜る」
部屋の空気が少し冷えた。
「気をつけてください。“見すぎる”と、戻れなくなる」
真壁は反射的に言い返した。
「俺、元から戻る場所ないんで」
セイルが少し止まった。
ほんの一瞬だけ。
その笑みが崩れた。
ヴォルフが小さく笑う。
「効いてんじゃねえか」
ララも、わずかに目を細めた。
だがセイルはすぐ笑みに戻る。
「……なるほど。面白い方だ」
「全然嬉しくないです」
「では今日はこれで」
セイルは立ち上がった。
完璧な動作。
音が少ない。
静かすぎる。
真壁は、その背中を見ながら、強い違和感を覚えていた。
この男。
“ズレてない”。
違う。
ズレを全部、自分で整えている。
だから逆に、不自然だ。
完全すぎる。
「……気持ち悪い」
思わず呟いた。
セイルは振り返らない。
ただ、扉の前で一度だけ止まる。
「真壁さん」
「……何ですか」
「あなた、もう普通には戻れませんよ」
静かな声だった。
そのまま、男は去る。
扉が閉まる。
部屋に沈黙が落ちた。
真壁はしばらく動かなかった。
そして。
「……怖っ」
全力で言った。
ヴォルフが吹き出す。
「だろ?」
「なんなんですかあれ」
「評議会特別監査局、第一観測官」
「観測官って何」
「“見る”仕事だ」
真壁は頭を抱えた。
「俺、絶対あの人達と相性悪い」
ララは静かに扉を見る。
「……いや」
「え?」
「多分、かなり似ている」
「最悪だ」




