第20話
真壁悠は、その朝、珍しく悪夢ではなく「音」で目を覚ました。
カン。
小さな金属音。
それだけだった。
だが、目が覚めた瞬間、胸の奥がざわついた。
「……何」
まだ薄暗い自室。
窓の外から朝日が入り始めている。
騎士団宿舎は静かだった。廊下にも人の気配は少ない。まだ騎士たちが起ききっていない時間だ。
なのに、真壁の神経だけが嫌な方向へ覚醒していた。
カン。
また鳴る。
遠い。
だが、聞き覚えがある。
古い金属が、無理やり噛み合った時の音。
「……やめろよ」
真壁は布団を頭まで被った。
無視したい。
寝たい。
最近、本当に眠りが浅い。
鐘塔以来、街全体が微妙に揺れている夢を見る。蒸気管以来、圧がどこかで暴走する感覚が残っている。市場の昇降機以来、「次に壊れる前の音」が妙にはっきり聞こえるようになってしまった。
そして昨日。
旧配送管制所で、事故になる前の仕掛けまで読めてしまった。
「(悪化してない? 俺)」
かなりしている。
自覚がある。
カン。
また音。
真壁は布団の中で顔をしかめた。
「……無視、無理か」
嫌だった。
本当に嫌だった。
だが、最近分かってきている。
この「気になる」を放置すると、余計に頭から離れなくなる。
真壁はゆっくり起き上がった。
窓へ近づく。
外を見る。
朝の宿舎中庭。
まだ人はいない。
だが、視線を下ろした瞬間、真壁は顔をしかめた。
「……あ」
中庭の石畳。
端の排水溝。
そこへ、小さな金属片が挟まっている。
薄い鉄片。
ズレた歯車の刻印。
「うわ」
背筋が冷えた。
昨日見たばかりの印。
犯人側の刻印。
それが、騎士団宿舎の中庭へ置かれている。
「いやいやいや……」
真壁は一歩下がった。
怖い。
何これ。
嫌すぎる。
完全に「見てるぞ」じゃないか。
その時。
コン、コン。
扉が鳴った。
真壁は本気で飛び上がった。
「うわぁ!?」
「……真壁?」
ララだった。
「何だその声は」
「びっくりしただけです!」
「入るぞ」
「待ってください今ちょっと心臓が」
扉が開く。
ララは入ってきた瞬間、真壁の顔色を見て眉を寄せた。
「どうした」
「これ」
真壁は窓を指差した。
ララが中庭を見る。
そして、一瞬で空気が変わった。
「……誰が見つけた」
「俺です」
「触ったか」
「触ってないです。怖いので」
「正解だ」
ララは即座に部屋を出た。
数十秒後。
騎士二名を連れて戻ってくる。
中庭封鎖。
金属片回収。
周囲確認。
動きが早い。
真壁は部屋の入口から、その様子を見ていた。
「……完全に事件じゃないですか」
「事件だ」
ララが低く言う。
「騎士団宿舎内部への侵入。挑発行為。しかも、お前への接触を意図している」
「俺、普通の引きこもりなんですけど」
「今さらだな」
「そこ否定してくださいよ」
ララは回収された金属片を見る。
昨日と同じ。
ズレた歯車。
中心から少し外れた針。
見ているだけで気持ち悪い。
真壁は視線を逸らした。
「……何なんですかね、これ」
「挑発だろう」
ララが言う。
「あるいは宣言だ」
「嫌すぎる」
その時。
騎士の一人が中庭の排水溝を調べながら言った。
「団長、ここ」
ララが近づく。
真壁も嫌々ながら見る。
排水溝の格子。
そこに、小さな細工がされていた。
細い針金。
見えにくい位置。
しかも、格子の一部へ負荷が偏るように引っ掛けられている。
「……うわ」
真壁は即座に嫌そうな顔をした。
「またです」
「何が見える」
「排水詰まらせる気です。たぶん、大雨来たらここから逆流する」
騎士が青ざめる。
「宿舎中庭が水浸しに……?」
「いや、もっと嫌です」
真壁は格子を見る。
「これ、排水圧偏らせる用です。詰まり始めた瞬間、地下側へ負荷が流れる」
「地下?」
ララの声が低くなる。
「蒸気管設備と繋がってる可能性があります」
空気が止まった。
真壁は頭を抱える。
「もうやだ……」
つまり、これはただの嫌がらせではない。
宿舎地下の蒸気設備へ、排水負荷を流し込むための下準備。
小さい。
地味。
だが放置すると危険。
完全にいつものやり口だった。
「撤去しますか!?」
騎士が聞く。
真壁が即座に叫んだ。
「待って!!」
全員が止まる。
「触ると逆に詰まります!」
「……解除方法は」
ララが聞く。
真壁は顔をしかめた。
「ほどくしかないです」
「できるか」
「できますけど」
「けど?」
「朝からやりたくないです」
本音だった。
ララが少しだけ目を閉じる。
「……短時間で終わるか」
「終わらせます」
「頼む」
真壁は深くため息を吐いた。
中庭へ下りる。
排水溝前へしゃがみ込む。
近くで見ると、さらに気持ち悪かった。
細い針金。
負荷誘導。
詰まりの偏り。
しかも、ただの工作じゃない。
「……これ」
「何だ」
「直したくない」
真壁が小さく言う。
ララが少し黙った。
「なぜだ」
「気持ち悪いからです」
真壁は排水溝を睨む。
「これ作った奴、多分“分かって”やってる」
「……」
「水がどこへ流れるか。どこに負荷が集まるか。どこが先に壊れるか。全部理解して組んでる」
それが嫌だった。
今までの異常は、まだ「事故っぽさ」があった。
だがこれは違う。
完全に“設計”されている。
壊れる流れを。
崩れる順番を。
人が困る形を。
「……俺と似てる」
その言葉で、空気が少し変わった。
ララが真壁を見る。
真壁自身も、言ってから嫌になった。
「いや、違いますけど」
「似ている部分はある」
「言わないでください」
「構造を理解している者同士だ」
真壁は黙った。
認めたくない。
だが分かる。
この犯人は、「どこをズラせば全体が壊れるか」を知っている。
それは真壁が「どこをほどけば全体が戻るか」を見てしまう感覚と、どこか近い。
「……最悪だ」
本気でそう思った。
真壁は右手を伸ばす。
針金。
格子。
負荷。
水流の未来。
全部が見える。
嫌でも。
「……そこ」
――パツ。
小さな音。
針金が外れる。
格子の歪みが戻る。
排水の偏りが消える。
同時に。
地下から、ゴォ……と低い音が返ってきた。
真壁の顔色が変わる。
「……ララさん」
「何だ」
「下、もう触られてます」
ララが即座に立ち上がる。
「騎士隊呼べ! 地下設備確認!」
「はっ!」
騎士たちが走る。
真壁は嫌そうな顔のまま中庭へ座り込んだ。
「なんで朝から地下なんだよ……」
数分後。
宿舎地下から、騎士の怒鳴り声が響いた。
「団長!!」
ララが走る。
真壁も嫌々ながらついていく。
「行かないと駄目ですか」
「今の反応を見たのはお前だ」
「ですよね……」
◇
地下蒸気設備区画。
以前来た場所よりさらに奥。
普段は封鎖されている補助管理通路。
そこへ問題があった。
「……うわ」
真壁は入口で止まった。
嫌な音。
嫌な振動。
そして、嫌な匂い。
油。
蒸気。
湿気。
そこへ、焦げた金属臭が混ざっている。
「何があった」
ララが聞く。
騎士が答える。
「補助管制弁が破壊されています! しかも内部に異物が!」
真壁は通路奥を見る。
管。
弁。
圧力計。
全部が微妙に震えている。
だが問題はその中心。
「……これ」
弁へ取り付けられた、黒い金属塊。
以前の針金とは違う。
もっと複雑。
歯車。
小型回転機構。
内部振動装置。
真壁は見た瞬間、鳥肌が立った。
「最悪だ……」
「分かるか」
ララが聞く。
真壁は頷いた。
「これ、自分でズレ続けるやつです」
「何?」
「内部で微妙に振動して、弁の噛み合わせを少しずつ狂わせる」
騎士が青ざめる。
「そんなことが可能なのか」
「可能だから今ここにあります」
しかも。
気持ち悪い。
構造が。
設計思想が。
全部。
「……これ作った奴、絶対性格悪い」
本気でそう思った。
真壁は弁を見る。
少しずつ。
本当に少しずつ。
ズレている。
今はまだ大丈夫。
でも数日後。
あるいは数時間後。
圧力が限界を超えた瞬間、一気に壊れる。
「止められるか」
ララの声。
真壁は答えなかった。
ただ、黒い装置を見ている。
嫌だった。
直したくない。
触りたくない。
なぜなら。
「……これ、“俺への回答”です」
全員が真壁を見る。
「回答?」
ララが聞く。
真壁は黒い装置を睨んだ。
「昨日の配送管制所で、俺が“事故になる前”を読んだ」
「……」
「だから向こうも変えてきた」
「どう変わった」
「放置しても壊れる。解除しようとしても危険。しかも、時間でズレ続ける」
真壁は気持ち悪そうに顔をしかめた。
「“読めるなら、これも読んでみろ”って言われてる」
沈黙。
ララの目が鋭くなる。
「お前を狙っているな」
「完全に」
真壁は壁へ頭をぶつけたくなった。
「俺、普通の引きこもりだったんですけど」
「もう無理だな」
ララが即答した。
「諦めないでくださいよ」
その時。
通路奥で、カン、と音がした。
全員が振り向く。
誰もいない。
だが。
真壁だけは気づいた。
「……いる」
「どこだ」
「奥。たぶん監視してる」
ララが剣を抜く。
「騎士二名、奥を確認!」
「はっ!」
騎士が走る。
真壁は黒い装置を見続ける。
嫌だ。
本当に嫌だ。
だが、視線を外せない。
「……直したくない」
また呟いた。
ララが聞く。
「なぜだ」
「これ、壊した奴の考え方が見えるからです」
真壁は低く言った。
「“少しずつズレるもの”を作ってる。しかも、誰かが気づく前提で」
「……」
「俺が気づいて、止めるところまで含めて組んでる」
だから嫌だった。
これは設備じゃない。
会話だ。
犯人と真壁の。
壊す側とほどく側の。
「……最悪」
真壁は右手を見た。
最近、できることが増えている。
見る。
読む。
戻す。
分ける。
負荷を逃がす。
事故になる前を読む。
そして今。
「(これ、“考え方”まで読まされてる……?)」
そこまで来ると、本当に怖かった。
ララが静かに言う。
「真壁」
「何ですか」
「無理なら離れろ」
真壁は少し黙った。
離れたい。
本当に。
でも。
「……放置すると」
「爆発する可能性が高い」
「ですよね」
真壁は深く息を吐いた。
「じゃあやります」
「いいのか」
「良くないです」
本音だった。
だが、やるしかない。
黒い装置へ近づく。
近くで見ると、さらに嫌だった。
小さな振動。
わずかなズレ。
内部で動き続ける歯車。
しかも。
「……これ、生き物みたい」
真壁が呟く。
ズレるために動いている。
壊れるために回っている。
まるで、構造そのものへ悪意を与えたみたいに。
「気持ち悪い……」
右手が伸びる。
ララがすぐ近くへ立つ。
何かあれば動ける距離。
真壁は少しだけ安心した。
「……触ります」
「ああ」
「爆発したら逃げてください」
「お前も逃げろ」
「善処します」
真壁の指先が、黒い装置へ触れた。
瞬間。
大量の“流れ”が頭へ流れ込む。
蒸気圧。
振動。
弁の噛み合わせ。
時間差。
崩壊順序。
そして。
――笑っている。
誰かが。
見えない誰かが。
「っ!!」
真壁が息を呑む。
怖い。
気持ち悪い。
でも見える。
どこをズラせばいいか。
どこをほどけば止まるか。
「……そこだ」
――パキ。
小さな音。
黒い装置の内部歯車が止まる。
振動が消える。
弁の揺れが静まる。
圧力計が安定する。
静寂。
「止まった……?」
騎士が呟く。
真壁はその場へ膝をついた。
「……最悪だ」
額から汗が落ちる。
ララがすぐに支える。
「大丈夫か」
「大丈夫じゃないです」
「何を見た」
真壁は答えなかった。
言いたくなかった。
だが。
「……向こう、多分楽しんでます」
それだけは言った。
ララの目が細くなる。
「遊び感覚か」
「違う」
真壁は首を振る。
「もっと悪い」
「……?」
「“分かる奴”が見つかって嬉しい感じです」
空気が凍った。
ララは何も言わなかった。
でも、その沈黙だけで十分だった。
真壁は理解してしまった。
この犯人。
ただ街を壊したいだけじゃない。
真壁と“対話”し始めている。
壊すことで。
ズラすことで。
崩すことで。
そして真壁は、それを読めてしまう。
「……ほんと最悪だ」
真壁は心底そう思った。




