第18話
蒸気管設備の一件から二日後。
真壁悠は、自室の机に突っ伏したまま死んでいた。
「……働きたくない」
最近、起床後最初の言葉が完全に固定されている。
しかも問題なのは、それを聞く周囲が誰も否定しなくなってきたことだった。
騎士団宿舎の食堂でも、「まあ分かる」「今日はどこだ?」みたいな空気になっている。真壁としては非常に不本意だった。なぜ異世界で労働疲れキャラとして定着しなければならないのか。
「(俺、もっと静かに生きる予定だったんだけどな……)」
机に頬を押し付けながら、真壁はぼんやり考える。
ここ数日で、街を見る感覚が変わってしまった。
以前は、王都はただうるさいだけだった。
人が多い。
音が多い。
視線が多い。
それだけだ。
だが今は違う。
街の中を歩いていると、嫌でも気づいてしまう。
微妙に歪んだ荷車の車輪。
負荷の偏った橋脚。
緩み始めた屋根金具。
水流の偏った排水路。
全部が「崩れかける前の音」を出している。
しかも最近、その数が増えている。
「……最悪だ」
知らなければよかった。
見えなければ、ただの異世界の街だったのに。
コン、コン。
扉が鳴る。
真壁は顔を上げずに言った。
「今日は休みます」
「半分は休みだ」
ララ・バーンの声だった。
「半分って何ですか」
「入るぞ」
扉が開く。
今日のララは騎士服だった。腰の剣。肩の外套。完全に仕事モードである。
真壁は死んだ目になった。
「終わった……」
「まだ始まっていない」
「その返し最近よく聞きます」
ララは机へ小袋を置く。
金属音。
真壁の目が少しだけ動く。
「……報酬」
「蒸気管設備の追加分だ」
「神」
「騎士だ」
もう反射で返ってくる。
真壁は袋を持ち上げた。
重い。
かなり重い。
しかも今回は騎士団側からの正式危険手当まで含まれているらしい。
「……これ、結構まずくないですか」
「何がだ」
「命の危険と報酬が比例してる」
「当然だ」
「慣れると危険です」
ララは少しだけ考えた。
「その感覚は正しい」
「否定しないんだ……」
ララは椅子へ座る。
真壁はその時点で察した。
「……話ありますね」
「ああ」
「嫌な予感します」
「たぶん当たっている」
「最悪だ」
ララは机へ一枚の紙を置いた。
王都簡易地図。
いくつかの場所に赤印が付いている。
水門。
鐘塔。
北門見張り塔。
蒸気管設備。
全部、今まで真壁たちが関わった場所だった。
「……うわ」
真壁は顔をしかめた。
改めて並べられると嫌な感じが強い。
点じゃない。
街の各所に散っている。
「騎士団とギルドで調査した」
ララが言う。
「異常設備の共通点をな」
「……誰かがやってる件ですか」
「ああ」
ララは赤印を指でなぞる。
「全て、“都市機能”に関わる場所だ」
真壁は地図を見る。
確かにそうだ。
排水。
警報。
蒸気供給。
見張り塔。
街を維持するための設備。
「壊れたら困る場所ばっかですね」
「しかも、一気には壊していない」
ララの声が低くなる。
「少しずつズラしている。限界寸前で止め、事故として崩壊させる形だ」
「……」
「蒸気管もそうだ。あと少し遅ければ爆発していた」
真壁は黙った。
分かる。
あれは完全に仕込みだった。
古い補助管。
不自然な接続。
外部への逃がし。
全部、人の手が入っていた。
「目的は何なんですかね」
「まだ分からない」
ララは腕を組む。
「だが、単なる破壊ではない」
「……?」
「本当に街を壊したいなら、もっと直接的な方法がある。火を放つ。爆薬を使う。魔物を放つ」
「確かに」
「だが相手は、あえて“事故”に見せている」
真壁は地図を見る。
嫌な感じだった。
じわじわ壊す。
誰にも気づかれないように。
限界まで。
「……性格悪い」
「同感だ」
ララは真壁を見る。
「そして、お前はそれを見つけてしまう」
「見つけたくないです」
「だが見える」
「……」
否定できない。
嫌になるほど。
その時、廊下が騒がしくなった。
ドタドタと足音。
扉が勢いよく開く。
「団長!!」
若い騎士だった。
息を切らしている。
「東側市場で騒ぎです! 荷揚げ用昇降機が暴走し、作業員が閉じ込められています!」
真壁が机へ突っ伏した。
「始まった……」
ララが即座に立ち上がる。
「被害は」
「現在確認中です! 昇降機が途中で停止と急加速を繰り返していると!」
真壁は顔を覆った。
昇降機。
滑車。
重量。
ワイヤー。
絶対嫌なやつだ。
ララが真壁を見る。
真壁は先に言った。
「嫌です」
「まだ頼んでいない」
「でも頼む顔してます」
「している」
「正直!」
騎士が困惑している。
完全に状況が分からない顔だ。
ララは真壁へ向き直る。
「今回は、人命優先だ」
「その言い方ずるくないですか」
「事実だ」
「俺、人命出されると弱いんですよ……」
ララは少しだけ目を細めた。
「知っている」
「そこ把握されてるの嫌なんですけど」
「だから無理強いはしない」
「……」
「行くか?」
まただ。
選択を渡してくる。
前までのララなら、もっと強引だった。必要なら連れていったはずだ。だが最近は違う。本当に真壁へ判断を投げる。
それが逆に困る。
「(ああもう……)」
作業員が閉じ込められている。
昇降機が暴走。
しかも市場。
人が多い。
放置すれば、たぶんもっと事故が起きる。
真壁は頭を抱えた。
「……確認だけ」
「分かった」
「危なかったら逃げます」
「逃がす」
「本当に?」
「ああ」
ララの返事は即答だった。
◇
東側市場は、王都でも特に騒がしい場所だった。
荷車。
木箱。
肉。
魚。
野菜。
叫び声。
値段交渉。
全部が混ざっている。
その中央付近に、人だかりができていた。
「下がれ!」
「近づくな!」
騎士たちが規制線を張っている。
真壁は遠くから見た瞬間、顔をしかめた。
「……うわ」
嫌な音。
ギシ、ギシ、と軋む音。
そして、一定じゃない揺れ。
市場中央の荷揚げ昇降機。
大型の木製昇降台が、途中階で止まり、また急に動き、ガン、と揺れている。
滑車機構がおかしい。
しかも――。
「ララさん」
「何だ」
「ワイヤー一本、死にかけてます」
ララの顔が変わる。
「切れるか」
「あと数回揺れたら」
昇降機の上から叫び声。
「助けてくれ!!」
荷運び人らしき男たちが三人、途中階へ閉じ込められていた。
昇降機は上下を繰り返している。
不規則に。
まるで誰かが無理やり引っ張っているみたいに。
「停止できないのか!」
ララが管理人へ怒鳴る。
「駄目です! 制御輪が戻らない!」
「……制御輪?」
真壁は機構を見る。
歯車。
鎖。
滑車。
そして、地下へ伸びる駆動軸。
「……また下か」
「何が見える」
「地下側で引っかかってる。たぶん、わざと」
ララは舌打ちした。
「騎士二名、地下点検口へ! 真壁、上はどうだ!」
「ワイヤーが先に限界来ます!」
ギシッ!!
嫌な音。
真壁の背筋が冷える。
「やば」
ワイヤーの一本が毛羽立っている。
しかも負荷が偏っている。
このまま揺れれば切れる。
上の作業員が落ちる。
「止めないと!」
若い騎士が叫ぶ。
「止めたら衝撃で切れます!!」
真壁も叫び返した。
完全停止は駄目だ。
荷重が一点に集まる。
だから揺れ続けている。
わざとだ。
完全停止も、自然停止も危険な状態へ調整されている。
「(性格悪すぎるだろこれ……!)」
真壁は昇降機を睨む。
全部見える。
滑車の歪み。
ワイヤーの張力。
負荷の偏り。
地下から引っ張る変な振動。
全部。
「真壁!」
ララが叫ぶ。
「何をすればいい!」
「……逃がす!」
「またか!」
「荷重を分けないと!」
真壁は駆け出した。
「お、おい!」
騎士が止めようとする。
だが真壁は止まらない。
昇降機横の補助滑車。
古い予備機構。
普段は使われない小型滑車。
「これ!」
真壁は補助滑車へ飛びつく。
錆びてる。
固い。
だが生きてる。
「ララさん!!」
「何だ!」
「上引いて!!」
ララは即座に理解した。
ワイヤーを掴み、力任せに補助滑車へ通す。
ギギギ、と音。
負荷が分散する。
だがまだ足りない。
「もっと!」
「おおおっ!!」
ララの腕が軋む。
騎士二人も加わる。
補助滑車が回る。
負荷が少し逃げる。
だが、地下からの揺れが止まらない。
「地下まだいる!!」
真壁が叫ぶ。
その瞬間。
地下点検口から騎士の声。
「いました!! 駆動軸に金具が打ち込まれてます!!」
ララの目が鋭くなる。
「破壊工作か!」
「抜け!」
「抜けません!」
「真壁!!」
「無理です!!」
真壁は半泣きだった。
だが見える。
駆動軸。
変な噛ませ金具。
あれが揺れを増幅している。
「(ああもう!!)」
右手が上がる。
今度は遠い。
直接触れない。
だが、見える。
接続。
ズレ。
引っかかり。
「……そこ!」
――パツン。
音。
地下からガンッ!! という衝撃。
次の瞬間。
昇降機の揺れが止まった。
「止まった!?」
市場がざわめく。
ワイヤーの負荷が均等になる。
補助滑車が安定回転へ入る。
昇降機がゆっくり停止する。
閉じ込められていた作業員たちが、震えながら這い出てきた。
「た、助かった……」
「生きてる……!」
真壁はその場へ座り込んだ。
「もう嫌だ……」
心底そう思った。
ララが息を吐く。
「被害は最小限だ」
「俺の精神被害は大きいです」
「それは後で考える」
「今考えてください」
その時。
市場の屋根の上から、聞き慣れた声。
「いやー、相変わらず器用」
ヴォルフだった。
真壁は即座に睨む。
「お前絶対近くにいると思った!」
「見物」
「帰れ!」
ヴォルフは笑う。
「でも今の、面白かったぜ。完全に“負荷をほどいた”な」
真壁は黙る。
確かに、そうだった。
壊していない。
止めてもいない。
負荷を分けた。
逃がした。
「……最近、できること増えてません?」
真壁が嫌そうに言う。
ヴォルフは笑う。
「最初は切るだけだったのにな」
「成長って言わないでください。怖いので」
ララは市場全体を見回していた。
騎士たちが地下の金具を回収している。
かなり新しい金属。
明らかに人為的。
「……同じ手口だな」
ララが低く言う。
「全部、“限界直前”へ持っていく」
真壁は市場を見る。
もし、あと少し遅れていたら。
ワイヤーは切れていた。
昇降機は落ちていた。
人が死んでいた。
「……これ、本当に街全体狙ってますね」
「ああ」
ララは頷く。
「そして、犯人はおそらく“お前が修復している”ことも把握し始めている」
真壁の背筋が冷えた。
「……え?」
「蒸気管も昇降機も、お前が来る前提でギリギリに調整されているように見える」
真壁は絶句した。
「待ってください」
「何だ」
「それって」
「お前を試している可能性がある」
市場の喧騒が、急に遠く感じた。
ヴォルフが、屋根の上で笑う。
「ほらな、面白くなってきた」
「俺は全然面白くないです」
真壁は本気で言った。
本当に。
本当に、静かな部屋へ帰りたかった。




