第15話
鐘塔から戻った翌日。
真壁悠は、騎士団宿舎の食堂で机に突っ伏していた。
「……働きたくない」
朝一番の言葉がそれだった。
周囲の騎士たちは最初こそ気にしていたが、最近は「ああ、いつものか」という顔をするようになってきている。適応が早い。真壁としては適応してほしくなかった。
目の前には朝食。
肉。
パン。
スープ。
最近少しずつ量が増えている。
ありがたい。
非常にありがたい。
だが同時に、「こいつは働くから餌を増やしておこう」という空気も感じる。
「(家畜化されてない? 俺)」
嫌な想像だった。
向かいに座るララ・バーンは、静かにスープを飲んでいる。昨日の鐘塔騒動の後とは思えないほど平然としていた。真壁はまだ耳の奥に鐘の余韻が残っているというのに、この騎士団長は朝から姿勢が整いすぎている。
「真壁」
「嫌です」
「まだ何も言っていない」
「仕事の話ですよね」
「半分は」
「残り半分は」
「報酬の話だ」
真壁の顔が少し上がった。
「……聞きます」
「現金だな」
「生きるのに必要なので」
ララは小さく息を吐き、机の上に小袋を置いた。
ずしり、と音がする。
真壁の目が見開かれた。
「増えてる」
「鐘塔の件で特別手当が出た。崩落防止、緊急対応、設備延命処置として正式に記録された」
「延命処置」
嫌な単語だ。
修理ではない。
だが、ただの応急処置でもない。
真壁は袋を持ち上げる。
重い。
かなり重い。
「(うわ……)」
現実感がある。
この世界へ来てから、自分が最も命の危険を感じた仕事ほど、報酬が増えている。理屈としては分かる。だが、それはつまり「次も危険な仕事をすればもっと増える」ということでもある。
それは非常に危険な思想だった。
「……ララさん」
「何だ」
「俺、これ以上命削ると駄目な気がします」
「私もそう思っている」
「じゃあ止めましょう」
「それとこれとは別だ」
「ですよね……」
真壁は再び机に突っ伏した。
その時、食堂の入口が騒がしくなる。
騎士が一人、慌てた様子で駆け込んできた。
「団長!」
ララが顔を上げる。
「何だ」
「北門側の見張り塔で異常です! 夜明け前から警報鐘が誤作動を繰り返していると!」
真壁が顔を覆った。
「もう嫌だ」
早すぎる。
鐘塔の翌日に鐘。
世界がこちらを休ませる気ゼロだった。
「原因は」
ララが即座に聞く。
「不明です。見張り兵の話では、風もないのに鐘が鳴ると」
「……」
ララが少しだけ真壁を見る。
真壁は全力で目を逸らした。
「見ないでください」
「まだ何も言っていない」
「でも今、『行けるか?』って顔したじゃないですか」
「した」
「正直!」
「隠しても仕方ない」
「俺は隠してほしかったです」
騎士は困惑した顔で二人を見る。
事情を知らない人間からすれば、騎士団長と謎の青年が「鐘が変だ」「嫌だ」「でも行けるかもしれない」という会話をしている状況はかなり意味不明だった。
ララは少し考えた。
「……真壁」
「嫌です」
「北門側は外縁ほど危険ではない」
「昨日もそんな感じのこと聞きました」
「今回は騎士団施設だ。管理状況も把握できている」
「鐘ですよね?」
「鐘だ」
「嫌な予感しかしません」
ララは少し黙った。
それから、珍しく慎重な声で言った。
「無理に行かせはしない」
真壁が顔を上げる。
ララは続けた。
「昨日、お前はかなり消耗していた。鐘の振動を直接止め続けた反動もある。今日動かすべきか、私も迷っている」
「……」
真壁は少しだけ驚いた。
ララは最近、ちゃんと迷うようになった。
最初はもっと機械的だった。「危険だから監視する」「制御のため訓練する」という感じだった。それが今は、「真壁に負荷が大きいか」を考えている。
その変化は、少しだけ分かる。
「団長?」
騎士が困った顔をする。
ララは視線を落とし、それから真壁を見た。
「選べ」
「……え?」
「行くか、休むか。お前が決めろ」
食堂が静かになった。
真壁は固まる。
選ぶ。
今まで、そんな選択を渡されることは少なかった。
気づけば流され、気づけば現場へ連れて行かれ、気づけば何かを止めていた。だが今回は違う。ララは、本当に真壁へ判断を投げている。
「……」
嫌だ。
働きたくない。
鐘は気持ち悪い。
また崩れるかもしれない。
また止めることになるかもしれない。
怖い。
だが。
北門の警報鐘が誤作動している。
見張り塔。
もし、本当に壊れかけているなら。
放置したら。
崩れたら。
警報が必要な時に鳴らなかったら。
「(ああもう……)」
真壁は頭を抱えた。
自分のこういうところが嫌だった。
放っておけばいい。
知らなければいい。
だが、「壊れている」と聞いてしまった。
それだけで、頭から離れなくなる。
「……午前だけ」
真壁は小さく言った。
「見て、危なそうなら帰ります」
ララが少しだけ息を吐く。
「分かった」
「あと報酬」
「交渉する」
「お願いします……」
真壁は机に沈んだ。
騎士は状況がよく分からないまま敬礼して走っていった。
◇
北門側見張り塔。
そこは西倉庫街の鐘塔より、さらに軍事施設寄りだった。
石壁。
見張り台。
弓兵用の足場。
そして、高所に吊られた警報鐘。
鐘自体は西のものより小さい。
だが問題は別にあった。
「……うわ」
塔へ近づいた瞬間、真壁は顔をしかめた。
うるさい。
鐘ではない。
塔全体。
石。
鉄。
縄。
全部が微妙に震えている。
「これ、何でずっと揺れてるんですか」
見張り兵が困惑した顔になる。
「風じゃないのか?」
「風でこうはならないです」
ララが塔を見上げる。
「鐘ではなく、塔全体か」
「たぶん」
真壁は塔の根元へ近づく。
見る。
石の継ぎ目。
内部鉄骨。
固定杭。
そして――。
「……あ」
見つけた。
「地下です」
「地下?」
「下から振動来てる」
ララの目が鋭くなる。
「地下水路か?」
「分かりません。でも、何か動いてる」
その瞬間。
ゴォン!!
警報鐘が鳴った。
全員が跳ねる。
「まただ!」
「誰も触ってないぞ!」
見張り兵たちが騒ぐ。
真壁は耳を押さえた。
「うるさっ……!」
鐘の振動が塔全体へ伝わる。
そして、地下から別の振動が返ってくる。
ズレている。
ぶつかっている。
まるで、塔の下で何かが鐘へ反応しているみたいに。
「……下、掘れます?」
真壁が言った。
「可能だが、時間がかかる」
「でも原因そこです」
ララは少し考え、騎士へ命じる。
「地下通路を確認しろ。水路でも貯蔵庫でもいい、塔の真下へ繋がる経路を探せ」
「はっ!」
騎士たちが動く。
真壁は塔を見続けた。
嫌な感じだった。
鐘塔よりもっと不気味だ。
あちらは壊れかけだった。
こちらは――。
「(動いてる)」
地下で、何かが。
ゴォン!!
また鐘。
真壁が顔をしかめる。
その瞬間。
地下から、ミシ、と音がした。
「……ララさん」
「何だ」
「下、います」
ララが剣に手をかける。
「魔物か」
「分からない。でも……」
真壁は塔の石壁へ触れた。
振動。
流れ。
反響。
その先。
暗い地下。
何か細長いものが動いている。
「……絡まってる」
次の瞬間。
塔の地下格子が吹き飛んだ。
「来るぞ!」
黒い影が飛び出す。
巨大な蛇。
いや、蛇ではない。
金属片と泥を体に絡ませた、地下水路の魔物だった。
「うわぁ!?」
真壁が後退る。
魔物は鐘の振動に反応して暴れている。
塔へ体を打ちつける。
石が揺れる。
鐘が鳴る。
さらに魔物が暴れる。
「最悪な循環だなこれ!?」
ララが飛び出す。
銀閃。
だが魔物の体表は泥と金属で硬化している。
浅い。
「硬い!」
「地下で廃材食ってる!」
真壁には分かった。
この魔物、地下で流れてきた金属や縄を体へ絡め続けている。
だから振動が狂っている。
だから鐘へ共鳴している。
「(気持ち悪い……!)」
体の中で、変な接続が起きている。
縄。
金属。
骨。
肉。
全部が無理やり繋がっている。
見ているだけで吐き気がした。
「真壁!!」
ララが叫ぶ。
「何か分かるか!」
「……絡んでます!!」
「見れば分かる!」
「だからそこです!!」
真壁は半泣きだった。
「無理やり繋がってる!! だから振動が変なんです!!」
魔物が鐘塔へ突っ込む。
塔が揺れる。
鐘が鳴る。
振動。
反響。
悪循環。
「(ああもう!!)」
真壁の右手が上がる。
今度は、壊すつもりではなかった。
ほどく。
この変な接続だけ。
無理やり絡んだ部分だけ。
「そこだ!!」
ヴォルフの声。
いつの間にか塔の上にいた。
「お前なら見えるだろ!」
「うるさい!!」
だが、見えてしまった。
魔物の中心。
金属と骨と泥が、最も無理やり絡み合っている一点。
そこを――。
――パツン。
音。
次の瞬間。
魔物の体がほどけた。
「な……!?」
ララが目を見開く。
泥が落ちる。
金属が外れる。
縄が切れる。
巨大だった魔物の体が、一気に崩壊した。
中から現れたのは、痩せた地下蛇型の本体。
「今だ!」
ララの剣が走る。
一閃。
魔物の核が断たれる。
静寂。
鐘も止まった。
「……」
真壁はその場に座り込んだ。
「もう嫌だ……」
心底そう思った。
ララが剣を収める。
見張り兵たちは呆然としていた。
ヴォルフだけが、楽しそうに笑っている。
「ははっ、やっぱお前、修理屋じゃなくて“ほどき屋”だな」
「嫌ですその名前!!」
「でも今、完全にほどいたぜ?」
「気持ち悪かったので!!」
「そこが才能なんだろ」
真壁は否定できなかった。
嫌だった。
だが、あの魔物は無理だった。
無理やり繋がったもの。
ズレた接続。
見た瞬間、ほどきたくなってしまった。
「……ララさん」
「何だ」
「俺、この街と相性悪くないですか」
ララは少し考えた。
「逆だ」
「え?」
「相性が良すぎる」
真壁は絶望した。
その答えが、一番聞きたくなかった。




