集落での生活
エルフの領域に迷い込んで、集落で世話になってから二日が経った。
僕らは特に不便もなく普通に過ごせている。食事が質素……というか肉がないことにゲルドは少し不満そうだが、僕らが平民の時に普段食べていたものよりも上等だ。文句どころか絶賛してしまう。野菜や木の実だけなのにどれも味わい深い。
ここに来てから生活している間はずっと雨だったし、もしこの部屋で過ごせなかったらと思うとゾッとするね。
そして、僕らは部屋とは別に広めのスペースをセンニから貸してもらっていた。
ここは木の内部に作られた部屋で壁や床、天井が木とは思えないほど硬い。剣で斬りつけてもビクともしないし、ちょっとした攻撃魔法が当たってもまったく崩れる気配がなかった。
「この部屋いいなぁ……。学校にも作ってほしい」
「特殊な木だろうしなぁ」
元々はお姉ちゃんが訓練できる部屋を貸してほしいと言ったら紹介されたのだが、お姉ちゃんが本当にほしそうな顔をしていた。
とはいえ、センニ曰く無理らしい。
「人間じゃ無理に決まってんじゃない。この木はエルフの特殊な魔法を使って強化してるし」
「じゃあ、教えてもらえない?」
「え、いや、無理だし……。そもそもウチ、知らないし、魔法使えないし」
とのことで、何のことはない。彼女は知らないだけだった。
「エルフなのに魔法が使えないのか。エルフと言えば、あらゆる魔法を使いこなす弓のエキスパートと伝説にはあるが」
「そんなどこで仕入れたのか知らない伝説に興味なんかないし。ウチは魔法も使えないし、弓も下手くそだよ~。エルフらしくないって、周囲からは差別されてっけどぉ」
「そ、そうなのか。悪いことを聞いたな……。すまん……」
「アハっ。ゲルドクンってばちょっと同情引いたら慰めてくれるなんて、チョロぉ」
「き、貴様っ!?」
「あはははははっ!!」
ゲルドがやり込められてるのは最近よく見るからいいとして。
仮に僕らに使える魔法なのだとしても、教えてもらうのは無理な気がするな。
センニやタルヤ殿以外とは交流できないし。他の人に聞くにしても、彼女以外のエルフはどうも排他的で聞ける雰囲気ではない。
ちなみに訓練自体はしっかりできるので、ゲルドもそこには文句を言わなかった。
「こうして訓練できるのはありがたいがな。一日でも鍛練しなければ穂先が狂う。オレは兄上を支えるためにも少しでも強くならなければならん」
「私とて王子として最低限の強さは持たなければならない。ゲルド、もう一戦、頼む」
「はっ!」
貴族や王族は大変である。
強さというのはわかりやすいステータスであり、交渉の材料とも言えるしね。
ちなみに、お姉ちゃんとデジレも同様に修行をしていた。
「ゲルド君の言うとおり! 訓練ってのは毎日やるもんだよ。武器も魔法もね」
「わたしは剣が上手く扱えないので……まだ魔法だけですけど」
「ところでゲルド君にリナルド様。また、あたしと一緒に打ち合わない?」
「え、遠慮する!」
「すまないな、モニカ嬢。初日に打ち合った通りだが、貴方と私たちとはレベルが違いすぎる。お互いの練習にはならないだろう」
ここに来て翌日から四人で訓練していたが、ふたりとも相当ヒドい目に合ったらしい。
ゲルドは全力で拒否していたし、リナルド様も平静を装っているものの、顔が引き攣っていた。
こっそりとゲルドが僕に寄ってきて耳打ちしてくる。
「……おい、ロモロ。お前の姉の強さ、あれはなんだ? スライムの核を一撃で倒したのもそうだったが、異常ではないか?」
「いや、僕に聞かれても……」
「お前の姉だろう!? 正直、武器の立ち会いでも魔法でも勝てる気がしないのだが……」
「……年の差じゃない?」
「あれなら『王武祭』でも優勝できるのではないか……? いや、さすがにないか」
僕らとは実年齢で二歳差があり、さらにお姉ちゃんは七年後から戻ってきている。
ゲルドとは合計で九年差だ。倍近い差がある。間違ったことは言ってない。
「王武祭って何?」
「生徒同士で戦い合うトーナメント形式の大会だ。武器も魔法も両方使う」
「そんなのあるんだ……。死人とか出ないの?」
「数年に一度くらいは出るし、大怪我をして再起不能になるやつもいるな」
恐ろしい。僕がそんなのに出ることはよほどのことがない限り、ないだろうけど。
そんなものには出ないが、僕とて訓練の必要性は感じている。漫然と過ごすのも気が滅入るし。ただ、お姉ちゃんと魔法の訓練をするのは、今の基礎的な授業内容からすると非常に危ういので僕としても避けていた。
また変な癖でもついたら困るからね。
だから、リュディと一緒に魔法の訓練でもさせてもらおうかと思い、誘ってみたのだけど、
「悪いね。ちょっと遠慮するよ」
と言って断られてしまった。
珍しい。彼女はこういった時は常に貪欲だ。
ここに来てから少し様子がおかしいのもあるけど、なんだからしくなかった。
無理に聞き出すことでもないが、少し気になるな。注意は払っておきたい。
それから自主的な訓練を終了し、許された範囲内を歩く。
木の上を歩くというのは新鮮で、歩ける範囲は狭いが上下にはそれなりに動くことができる。
これで天気さえよければよかったんだけど……。
ずっとぐずついた天気で、よくよく思い返すと太陽を一度も見ていない。分厚い雲の向こうに太陽はあるんだけどね。
時間の捻れによる影響なのか、何なのか。
でも、センニは「最近は天気が悪いせいで」と言っていたから、晴れない日がないということはないと思うんだけど。
しばらく当てもなく適当に木の上を巡っていると、ふたつの人影が見えた。
リナルド様と、タルヤ殿だ。
雑談でもしてるのだろうか。
「何か不都合があれば……」
「いえ、雨風を凌げるだけで……」
そんな声が聞こえてきた。状況の報告だろう。
だが、タルヤ殿が去ろうとする時、リナルド様が引き留めた。
「エルフは人間に恨みを抱いている。タルヤ殿は違うのか?」
「なぜ、そのようなことを? ワシが恨みを抱いていたところで、其方に関係があるとは思えぬ」
「……ええ、関係はありません。ですが、気になるのです。もし、恨みを抱いていたのであれば、なぜ我らを手厚く保護してくれるのか」
タルヤ殿は少し面倒そうに溜め息をつく。
「ロモロという少年にも言ったが、我々は争いを好まぬ。大地を血で汚すことは禁忌なのだ」
「それは……エルフの教えですか?」
「いや、本来ならばこの世界の人間、すべて規範とするべき話だ。……話だった」
タルヤ殿は空を見上げながら続ける。
「仮に我らが力を持っていて、人間を駆逐する術を得ていたとしよう。しかし、人間をひとり残らず全滅させることはできまい。人間がエルフをすべて駆逐できなかったように。我らが復讐を選んだら結局は同じことの繰り返しだ。いつかまた人間は力を取り戻す。そして、人間がエルフを殺して、またエルフが人間を殺して、人間がエルフを殺して……。人間もエルフも、知恵を持つ者の本質というのは変わらない」
人類は歴史から何も学ばないことを学ぶのが歴史を学ぶこと、なんて言葉を思い出す。
人は何千年も前から何かしらの理由をつけて戦争を行う。人種や宗教の違いで。
「そんな輪廻を避けるために、我々は世界から分かたれたのだ」
「復讐は何も生まない、と?」
「そんな高尚な話ではない。過去を忘れ、復讐を諦めた方が我々にとっては生きやすいという生存戦略の話だ」
「………」
「何かに悩むようであれば、ワシよりもお主を知る身近な者に相談することだ。ちょうど、そこにおるのだからな」
タルヤ殿がこちらを見遣る。バレてた。
そして、タルヤ殿は去り、僕とリナルド様だけが残される。
雨がぽつぽつと降ってきて、葉から落ちていった。僕らを濡らすことこそないが、少し肌寒い。
「聞いていたのか、ロモロ」
「すいません。たまたま見かけてしまったので」
「いや、お主なら構わない。せっかくのタルヤ殿の進言だ。ひとつ、聞こう」
「復讐の話ですか?」
リナルド様は顔を引き締める。
先ほどまでの無邪気さが鳴りを潜め、暗い面持ちだ。
「ああ。例えば、お主に危害を加える者がいたとして、それが勝てない相手だとしよう。お主ならばどうする?」
これは、例の魔法陣や夢と連動する話か。無関係とは思えない。
リナルド様は王族に恨みを持っている。しかし、その恨みを果たす方法を探していた。
だが、彼は自分ひとりではどうしようもないことを悟っているのだ。
ひとまず無難に答えておこう。
「危害を諫めてくれる方がいるのであれば相談します」
「助けてくれる者が誰もいなければ?」
「耐えて少しでも危害を少なくするようにします」
すると彼は明らかに失望の吐息を漏らした。
僕の答えに失望したというよりは、そんな方法しかないのを現状追認させられたというような。
だとすればもう少々、期待を持たせる答えを言うべきか。
そもそも僕自身の答えを言うだけだけど。
「ですが、私は耐えている間に少しでも力をつけて危害をはね飛ばせるようにします。暴力だろうと権力だろうと。こちらに喧嘩を売れば手痛い損失を被るぞ、と」
「……では、ひとつ聞こう。例えば危害を加えてくる相手を速やかに消す手段があったとしたらどうだろうか? ……お主は、使うか?」
その答えは決まっている。
「絶対に使いません」
「何故だ? 使えばもう危害を加えられることはないのだぞ」
「自分に危害を与えてきた人間を、ただ消すなど腹の虫が収まりません」
例えば誰かが僕に毎日のように暴力を振るってきたとして。
幸運にも崖から落とせる場面に出くわしたとしても。
僕はそこで短絡的に落としたりはしないし、できない。
「暴力でもってこちらに危害を加えてくるなら、金を用意して冒険者なりを雇って、やられたことを全部やり返してもらいます。権力を笠に着て危害を加えられたら、こちらが権力を握ってやられたことを全部やり返します」
「………」
「死んだ相手にやり返すことはできません。親族に対してやり返すことも可能でしょうが、本人が反省して泣いて謝ってきた方が溜飲が下がるでしょう?」
「お主、顔に似合わずなかなか過激だな。復讐など何も生まないとよく言うではないか」
「そうですね。でもこういうやり方ならスッキリすると思いますよ。やられたことを泣き寝入りしたままなんて、あとあと心に刺さる棘になります。だったら、幸せになるためにもその棘は抜いておきたいじゃないですか。耐えている中で自然と復讐心が消えるなら、それはそれでよし。でも、自分が成長するために行う復讐はありだと思います」
「そう、か……。お主はそう考えるのだな」
「もちろん理想論ですけどね。実際にその立場になってみないとわかりません。ただ、もし短絡的に相手を消すようなことをしたら、悲しむ人が――姉がいますので」
たぶん僕がそんな真似をしたら、お姉ちゃんは悲しむだろう。
むしろ今なら「あたしが殺してやったのに!」とか言いかねないが……。
命の扱い方や命の価値観が僕とは違っている気がする。
僕の言葉を聞いたリナルド様の表情が少しだけ明るくなったような気がした。
「ありがとう、ロモロ。やはりお主に聞いてよかった。タルヤ殿の進言にも感謝しなければな」
「お役に立てたのなら何よりです」
「うむ。では、部屋に戻ろう。雨も降ってきて、寒くなってきた」
「風邪を引かないうちに戻りましょう」
リナルド様と共に部屋に戻ると、その前にはリュディが待っていた。
見たことのない顔だ。少し焦っているような。いつも泰然としている彼女が珍しい。
「ロモロ。悪いが少々、付き合ってほしい。リナルド様。借りますね」
「あ、ああ……。特にロモロを所持していたわけではないんだが」
「リュディ、どうしたの?」
「すまない。今はこっちに」
彼女にしてはいつになく強引だった。
こっちの返答を待たずに腕を掴んで、僕を強引に引っ張る。
リナルド様は呆気に取られたのか、目を瞬かせて何も言わなかった。
僕らの生活している部屋から少し離れた枝葉の先まで移動し、リュディは突然、服の裾を捲り上げて、白いお腹を露わにする。
突然のことに何を見せられているのか、理解が遅れた。
「えーと……何?」
「す、すまない。実は焦っていて……色々と順序を飛ばしてしまったようだ」
「君が焦るなんて、希有なこともあるもんだね」
「ボクはそんな達観しているわけでもないよ。とにもかくにも、大変申し訳ないが、ボクのお腹に手を当てて、魔力を送り込んでほしい」
本当に焦っているのか、彼女は僕の手を取って強制的にお腹に当てた。
女の子のお腹を見ることは、お姉ちゃん以外なかったので、さすがに照れる。
「ちょっと!?」
「頼む。君ならここに魔力を入れられるのがわかるはずだ」
「……確かに何かあるね」
リュディの身に何かしらの異常事態が発生しているのは理解したが、本当に彼女が慌てていたので、こっちも急ぎ周囲のマナを取り込み魔力に変換。
それを少しずつリュディの身体に注入していく。
「……ふぅ……助かったよ」
「一体、何が起こってるんだ」
「ボクもまさかこんなことになるとは思ってなくてね」
そして、リュディはぽつぽつと語り始めた。
「ボクは生まれつき、貴臓がおかしいんだ」
「貴臓って確か……」
「魔力の生成に必要な臓器のひとつで、一時的に魔力を溜められる器官のこと。授業ではちょっと習ったよね」
「マナから魔力への変換の際に発生する不純物を濾過する役目があるんだっけ」
「そうだね。貴族にしかできない内臓器官だから、貴臓。もっとも君や君の姉君が魔法を使えてる時点で少々うさんくさい話だがね」
授業を聞いた時にも思ったが、実際怪しい話ではある。
それでリュディはその貴臓がおかしい、と……。
「外部からの魔力供給がないと不純物が濾過できず、貯まってしまうんだよ。不純物が貯まると身体に変調を来すんだ」
「それで慌ててたんだ?」
「普段は従者にやってもらうんだけどね。ここは外と時間の流れが違うというが、中の体感的な時間は変わらない。ボクの貴臓は三日魔力供給がなければ不純物で満ちてしまう。マナの変換をせずとも、貴臓に不純物は貯まっていくみたいだからね」
「……割と適当に魔力入れてるけど、大丈夫?」
「大丈夫。とても温かいよ。君の手が温かいのかもしれないけどね」
「というか、同じ女の子同士でお姉ちゃんやデジレにやってもらった方がよかったんじゃないの?」
「ふたりの訓練を見ていたが、あまりボクとは相性がよろしくなさそうだったからね。デジレはまだ力に振り回されている感じがしたし、君のお姉さんは乱……がさ……こういっては怒られるかもしれないが、魔力の扱いが自由すぎるというか……」
「怒ることもないよ。実際、そうだろうし……」
乱暴とかがさつを随分とオブラートに包んだ。そんなに気を遣わなくてもいいのに。
お姉ちゃんの真似というか、お姉ちゃんの言葉に従って魔法の訓練をしてたら、そのあとにマナから魔力への変換が下手くそと言われるハメになったわけだし……。
それにしても、リュディにこんな秘密があったのか。
「父にはこうして魔力供給を受けることでなんとかなるようにしてもらったが、やはり不便なことは不便でね。まさかこんなに長く従者と離れることになるとは思わなかったし。タイミングも悪かった。彼女がいないとどうしてもね……」
「さっき、身体に変調を来すって言ってたけど具体的には?」
「周囲の内臓が壊死していく。以前、そんな危険も間近にあったんだ」
「それって……」
「もちろん、その行き着く先は死さ」
あまりにも重い結果に背筋がゾクッとする。
リュディはいともあっさり言うが、これはかなり恐怖ではないだろうか。
何らかの処置を定期的に受けなければならない身体。
それが毎日、迫っているのだ。
「そんな悲観的な顔をしなくてもいいよ、ロモロ。君は本当に優しいな」
「そうでもないよ」
「否定するのが下手だね。それにしてもふたりきりでこんなことをしているところを見られたら、デメトリアに怒られてしまうな」
「デメトリアはそんな狭量じゃないよ。事情を話せば許してくれるから」
「ふふっ。なんだかふたりして理解し合っている気がするな。その関係性が羨ましい」
少しずつ彼女の表情に赤みが戻っていく。
どうやら僕の魔力供給は上手くいっているらしかった。




