刻遡の魔法
刻遡の魔法の名前を口にして反応したのは、タルヤ殿。そして、お姉ちゃんもだ。
お姉ちゃんは何か言いたげな顔をしているが、何も口にしない。
今は余計なことを言ってほしくないから、ひとまずそのまま口を挟まないでほしいね。
「少年。名は?」
「ロモロです」
「ロモロ以外、全員この部屋から出て行ってほしい」
「し、しかしタルヤ様――」
「構わん。下がれ」
こちらもリナルド様が心配そうな顔をする。
お姉ちゃんも何か言おうとして、口を引き結ぶという奇行を繰り返していた。
「ロモロ。お主、大丈夫か?」
「もちろんです。お姉ちゃんも、ひとまず部屋を出て」
「う、うん……。ロモロに任せるからね? 何かあったら大声で叫ぶんだよ?」
「そんな事態にはならないから……」
お姉ちゃんに残ってもらうべきか悩んだけど、いても元のお姉ちゃんとの違いがわからないなら意味はないかな。
そして、全員が部屋から出て行った。
広い部屋でタルヤ殿とふたりきりだ。
「ロモロ。君はそれをどこで知ったのだ?」
「名前を知ったのは偶然で、知り合いが口にしたくらいです」
「なぜ、それを我々が知っていると? ……いや、この領域の結界から導き出したか」
「ええ。センニが『こっちと向こうで時間の流れが違う』と言っていたので、この結界は時間の流れとか捻れとか、そういった魔法を利用しているのでは、と思ったので」
「センニの話だけでか?」
「いえ。僕らが結界内に入り込んで、時間の違うであろう木を見たのもありますね。突然出てきた濃霧や雲ひとつない天気から雨に変わったとか。なので、何かしら知っているのではないかと」
学校や影の樹海は比較的、標高の高い場所にある。
山の天気は変わりやすいという言葉を使うこともできるけど、少し不自然だった気がしたんだよね。
すると、タルヤ殿は大きく溜息をついた。
そして、問い質すように聞いてくる。
その瞳は鋭く冷徹で、こちらを警戒しているような、あるいは見極めようとしているようでもあった。
「『刻遡の魔法』とは文字通り時を遡る魔法であり、よほど絶望的な過去を変えたいといった理由でもなければ追い求めるものではない。君はなぜ、そこに行き着いた?」
さて、どこまで言うべきか、誤魔化すべきか。
どっちにしろ、一週間後にここを出てしまえば、お互い関係は断たれるのだ。
お姉ちゃんの話をするだけして、少しでも情報を聞き出す方が建設的のはず。
「さっき一緒にいた僕の姉なんですが、時を遡ってきています。七年後に死んで、それから戻ってきたらしいですが」
「……我が眼の力を以て君が嘘を言っていないのは理解した。しかし、その話を聞くに君自身が実体験した話ではなさそうだが、君は姉の話を信じたのか?」
「戻ってきた日の姉と、昨日までの姉と全然違ったので。正直、別人かと思ったほどです。突然、魔法を使い始めて、いくつか未来も言い当てています」
センニにも使ってたけど嘘を暴く目という特性があるんだろうか。
ランチャレオネ家は揃って耳がいいみたいな話も聞いたけど、それと似たような特異体質かな?
でも、こっちが嘘を言っていないと理解してもらえるのは話が早くてありがたいね。
タルヤ殿は腕を組んで、天井を見遣った。
しばらくそうしていたが、改めて僕に向き直る。
「……『刻遡の魔法』の存在自体は伝えられている。だが、まさかまだ使える者が人族の中に存在していたとはな」
「本当に実在する魔法だったんですか?」
「使える者は人族の世界で多分に生きてきたワシ自身も見たことはない。だが、『刻遡の魔法』は時を司る魔法の中でも最高峰のものだと聞く。ごく狭い範囲で時間を遅らせるくらいであれば、ワシもできるが『刻遡の魔法』は対象が世界だ。膨大なマナを使う。世界すべてのマナを食らう程度にはな」
「……使える者がいたと仮定して。ただ、そうなると姉の記憶が保持されているのが気になるんですが。僕は当たり前ですが、伝聞だけでしか姉の前時間軸の話を知りません」
「確かに妙な話だな……。ロモロの話から察するに、姉御自身が『刻遡の魔法』を使ったわけではないのだろう?」
「子供に戻ってることを明らかに驚いてましたし……」
「時の流れを越えて記憶を保持する魔法自体はおそらく別にある。元々は別の人間に記憶を埋め込むとか、記憶消去魔法への対抗手段としてだがな。それ自体は『刻遡の魔法』に比べれば遥かに容易と聞く。事実、『刻遡の魔法』を使う者は記憶保持の魔法も覚えなければならない。世界を巻き戻しても、本人が覚えていなければ世界は同じように進むだけだからな。それでは使った意味がない」
「そうなると使った誰かが、姉の記憶だけは保持するようにしたってことですか」
「そうでなければ前時間軸の記憶は君や他の者と同様に喪失しているはずだ。仮に君の姉が記憶保持魔法を覚えていたとしても、『刻遡の魔法』が行使される瞬間に合わせて使う必要があるわけだからな」
話を聞いても、謎は深まるばかりだ。
それに別の人間に記憶を埋め込む魔法や、記憶消去魔法なんてものまであるのか。
そもそも記憶保持の魔法なんてお姉ちゃんは絶対に使ってないと思うんだよね。
あの魔族の少年は色々知ってそうだったし、そっちにも聞ければいいんだけど。
何にせよ、わかったことは三つ。
一。『刻遡の魔法』は確実に存在している。
二。『刻遡の魔法』によって、世界そのものが巻き戻った可能性がある。
三。だとしたら、お姉ちゃんは記憶保持の魔法をどこかで受けていたはず。
「……人の世の移り変わりは激しい。すでに『刻遡の魔法』まで手中に収めていたか」
「まだ、そうと決まったわけではないと思いますが」
「だが、それ以外にどう――いや、もはや我々に意見をする資格などないな。木と共に朽ち果てる命運だ。かつて我々は『刻遡の魔法』を使い、世界を調整してきたというが、その力もすでにない」
そんなことをしていたのか。もちろん、エルフの視点の話ではあるが。
踏み込んでいいのかどうかわからないけど、もう少し聞き出したい。
僕らの歴史には、エルフのことなど伝説以外で何も書かれていないのだ。
「以前は人間と関わっていたってことですよね?」
「……詮無きことだ。我々は争いを好まぬ。大地を血で汚すことは禁忌なのだ」
タルヤ殿はこのことについてそれ以上、口を開こうとはしなかった。
ただ、今の話と、側近の悪態を聞く限り、人間がかつてエルフを追いやったということはほぼ間違いないだろう。
その歴史がすでに書かれていないのは、歴史書が作られるより遥か前の話だからなのか、あるいは歴史が改竄されているのか。
歴史の改竄だって、そんな簡単なことじゃない。そして、改竄したのだとしたら理由だって存在するはずだ。その痕跡も――。
「長くなってしまったが、君の質問について語れることは以上だ」
「すいません。ありがとうございました」
「構わんよ。さほど惜しくもない情報だ」
この場を出ようと立ち上がろうとしたら、タルヤ殿に手で制された。
僕は再びその場に座りこむ。何の用だろうか……?
「君だけに残ってもらったのは別の理由がある。君の質問に答えた代価と思って、こちらにも質問をさせてほしい」
「なんでしょう?」
「君は――何者だ?」
この日、一番の冷徹――いっそ冷酷な瞳がこちらに刺さる。
モンスターと向き合わされた経験がなければ、腰を抜かしたかもしれない。
「何者、と言いますと?」
「子供とは思えない理路整然とした話し方もそうだが、そんなことが些事に思えるような、超然とした雰囲気を君には感じる。まるでこの世界の者ではないかのような、な」
「僕は普通の人間……のはずです。少なくとも、父と母が産んでくれた人間です。ただ……」
「……ただ?」
「自分のものではない知識が、存在しているのは確かです」
「自分のものではない知識?」
「そうとしか言えないです。この世界の知識とは思えないものが僕の頭にはあります。ただ、何かしらのトリガーがないとその知識は引っ張り出せないんですけどね。辞書みたいなものです」
タルヤ殿はこちらを見据えたまま腕を組む。
「君が嘘を言っていないのはわかる。しかし……例えばどんな知識だ?」
「この世界には我々の目には見えない生物がいるとか、この世界のあらゆる物質は最小単位の原子でできていて、その原子は量子が形作っているとか。様々なエネルギーの形態についてとか……逆に魔法についてはさっぱりなんですけど」
「賢者の神子か?」
その単語を、エルフの集落でまで聞くことになるとは思わなかった。
「その言葉、昔からあったんですか?」
「今も伝わっているのか。賢者の知識が入り込んだ者のことを言う。ただ、賢者の神子は自身の知識を十全に使いこなすと伝わっているがな」
「だとしたら、僕は違いますね」
「しかし、その片鱗は感じる」
それきり、タルヤ殿は黙り込んでしまった。
もう少し詳しい話をしたかったが、それ以上のことは知らないようだ。
「もうよい。引き留めてすまなかったな」
「いえ……。興味深い話が聞けましたので」
そして、僕は大広間を出て、お姉ちゃんたちと合流。
自分たちの部屋へと戻った。
何を話してたんだとしつこく聞かれたが、何をどこまで話したもんかなぁ。




