入れ替わり
翌日から前回覚えたマナを光らせない方法で、家の中で細かな魔法を行使する。
両腕を少し前に出して、手の平を向かい合わせて、交互にマナを叩きつけた。
叩きつけると言っても、大した威力ではない。手を叩いた程度の威力だ。
大した音も鳴らない。
「あ~、うう~あ~?」
布の上に寝ているネルケが何事か声をあげた。もしかして、マナが見えてるとかじゃないよね?
「ロモロ、何かした?」
「いや、別に。おねしょか、ご飯かな?」
「うーん。どっちでもなさそうねぇ。目の前のものに興味がありそうな声してたけど」
怖いな、ネルケ。
とはいえ、一番近くにいるお母さんにバレてないのだ。
とりあえず、この叩きつける魔法を使い続ける。この威力を抑えるというのが、制御する訓練には丁度いい。
これが上手くいけば、本のページをめくるのに魔法が使えるようになるかもしれない。
現状ではまだ制御に不安があるから、本を破りかねないので使えないけど。
制御に絶対の自信が出たら、やるようにしよう。
「ふう、疲れたな。一旦、お母さん。ちょっと昼寝するね」
「あら。珍しいわね。本も読まずに」
「そういうこともあるよ」
魔法を使い続けていると、疲労が溜まってくる。
制御に神経を使う魔法だからなおさらだ。
横になると心地よい疲労は眠気を促進し、あっという間に僕の意識を眠りへと落としていく。
少しだけ、ノイズが走った気がした。
ふと、目が覚めると、とても心地よいベッドの中にいることがわかった。
眠ったまま、周囲を見渡すと、まったく違う光景。
平民の家ではない。テアロミーナ様の侍女が作り上げた館とも違う。
それよりもさらに豪奢な作りの部屋だ。
「え……?」
何が起こったの?
僕は魔法の訓練が終わってから、昼寝をしていたはず。
ここはどこだ?
眠っている間に、こんな場所に連れて来られたのか?
まさか、また誘拐された? 僕がまったく気付かれないうちに?
「んむ……」
聞き慣れない声が響く。
よく見ればかけられていた厚い布寝具は、こんもりと盛り上がっていた。
それが、身体を起き上がらせる。
かつて出会った少女、マブルだった。前と同じ格好で腕と足の肌をすべて晒している。
「え……。マブル? なんでここに?」
「おはよう、ロモロ。……なんで声?」
マブルは首を傾げて、変なことを聞かれた、みたいな顔になっていた。
彼女が僕をここに連れてきたのか?
それになんだろうか。
縛られているわけではないのに、妙に束縛感というか、身体の怠さがあった。
「あれ……?」
マブルは逆の方に再び首を傾げて、僕をまじまじと見る。
「あっちの、ロモロ?」
「あっちって、どういう意味?」
「ロモロ、入れ替わった?」
マズい。まったく理解ができない。
そう言えば、彼女は僕のことを勘違いしていた。
同姓同名の人間で、似ている人間と。
その人と、入れ替わったと言いたいのか? いや、だけど、そんなことあり得るのか?
もう一度、落ち着いて周囲を見る。
その中に、壁に掛けられた鏡があった。鏡があるなんて、やはりここに住んでいる人は、高い地位にある人なのだろう。
鏡はマブルと、見知らぬ少年の姿を映し出していた。
……いや、待って。ここにはマブルと僕しかいない。
「……動いた」
僕が腕を動かすと、鏡の中の少年も動く。
この姿は間違いなく僕じゃない。
肌も青いし、顔も青い。身体つきは似ていても、顔付きからして違う。
なんだ、これ?
「だから、入れ替わった」
マブルが腕を交差させるジェスチャーをして念を押すように言う。
要するに、この魔族の少年もロモロという名であり、僕と入れ替わってしまった?
しかし、それが事実だとしても、以前、彼女は僕を誰かと間違えていた。この魔族の少年がロモロという名前なら、この少年と間違えていたことになるわけだけど、間違えるか? 見た目が、まったく違うのだけど。
というか。
もしかして。
僕が今、魔族なのだとしたら。
「ここって、魔族領?」
「人間にはそう言われてる」
いやいやいやいや、夢?
つねる。痛い。さらにつねる。もっと痛い。
あまりにも現実感が強すぎて、夢とは思えない。
「なんでこんなことが?」
「混線した……のかも」
マブルは何かを知っていそうなのだけど、如何せん僕の頭では理解が追いつかない。
彼女の言っていることは、僕の所持している知識では咀嚼すらできなかった。
「も、元に戻れないの?」
「ロモロ、魔法、使えるようになった?」
「う、うん……」
「それなら……しばらくすれば、多分あっちがなんとかしてくれる」
「あっちって……あっちのロモロってやつ?」
「そう。こっちのロモロも魔法は使えるから、連絡を取ろうと思えば取れる」
マブルの言うことが事実なら、ここでしばらく待ってればいいってことか?
いや、しかし……。
不安がっているとマブルが口を開く。
「こんなことが起こったのは初めて」
「その割には早々と理解したよね?」
「わたしは、それが見えるから」
「……君は魔族だったの?」
マブルはふるふると首を振る。
「わたしは魔族じゃない」
「じゃあ、人ってことだよね……?」
どう見ても人間の子供にしか見えないし……。
「人でもない」
「えっ……。じゃあ、幻の種族って言われている亜人? エルフとか……? ドワーフには見えないけど。獣人……にも見えないし」
「それも違う」
じゃ、なんなんだ。
人間でも、魔族でも、亜人でもないなら……。
そもそも亜人は、人間と魔族以外という括りだ。
人型の種は、このどこかに入る。
「じゃあ、マブルは何なの……?」
「……鍵? 違う気がする……。兵器? これも正しくない気がする」
そう言えば、物語にはインテリジェンス・ソード……喋って主人に助言やサポートをする剣があって、そういうものは人に変化するタイプもあるとかなんとか。
あれは物語の話だけど本当にあるのだろうか。
……いやいやいやいやいやいや。待て待て。僕、ひとまず落ち着け。この話は保留だ。
「そうだ。ロモロは魔族を知らなきゃいけない」
「え? どういうこと?」
「あっちのロモロが言ってた。だから、少し散歩する」
僕は手を引っ張られて、着替えることもなく、部屋の外へと連れ出された。
マブル、見た目からは信じられないほど力強いな……。
どうやら、僕がいた部屋は大きな城の中の一室だったらしい。
とても広い廊下に出た。
絵画や壺など高価そうな調度品が置かれている。
魔族の城だとすれば物語ではおどろおどろしく、表現されるのが普通なんだけど……。
ここは本当に魔族領なのだろうか。マブルに担がれているのでは?
いや、でもさっきから擦れ違う人は全員が魔族としか思えない。人間とは明らかに肌の色が違う。彼らはただただ僕を見て、ぺこりと頭を下げるだけ。
部屋の大きさや内装からして、結構身分の高い魔族なのかな。この身体の持ち主は。
しかし、まったく誰も喋っていない。でも、魔族は喋らないのだから当然だった。
ボロを出したりしないだろうかと不安になりながら、マブルに連れて行かれる。
『魔将。嬢ちゃんとお出掛けですかい』
突然、声をかけられた。いや、直接脳内に響き渡ったのだ。すぐ傍には魔族の男がいる。緑色の肌で、上半身裸。筋骨隆々で、如何にも戦士といった様相だ。
一瞬だけマナの流れを感じ取れた気がする。つまり、これは以前お姉ちゃんがやったのと同じ魔法だ。
やっぱり、魔族は魔法で意思の疎通をしてたのか。
魔将ってのは多分僕のことで、お嬢ちゃんがマブルのことだよな。
言葉を届ける魔法はお姉ちゃんから教えてもらっているけど、どう返答しよう。
口調からして気易い仲だと思うけど……。
『ん。散歩』
僕が発信する前に、マブルが答えた。
『魔将は引き籠もってばかりですからな。たまには陽の光を浴びるのもいいでしょうや。護衛がいるなら、付き合いますぜ』
『いや、それには及ばない』
僕が当たり障りなく伝えたのだが、目の前の男は眉根を顰めた。
マズい。高い地位にある人ならこういう口調かと思ったけど、違ったか?
『……魔将。何か言葉が固くねーか?』
『今、実験のために集中している』
マブルがよくわからない言い訳をしてくれる。
『なるほど。また変な発明してるってことですかい。また爆発とかさせんでくだせーよ』
『ん。気をつける』
マブルが答えると、男は手を振りながらさっさと行ってしまった。
『ありがとう、マブル。助かった』
『大丈夫。実験って言っておけば、大抵なんとかなる』
『……魔族のロモロは何をしてるんだ』
『いろいろ、いっぱい、すごく忙しい』
そして、階段を下りて地上部分へ。
……と思ったら、空中庭園に出た。魔族の建築技術、すごいな。
まだまだここは高い場所にある。
空中庭園では中央の噴水から四方に水が流れ、それに沿って道があり、色取り取りの花が彩っていた。
バグナイアの中央区でも教会の辺りは綺麗だけど、ここはそこよりも遥かに芸術的だ。
庭園には数人の魔族がまばらにおり、そのうちのひとりがこちらに気付いた。
その瞬間――マブルが警戒したように前に出る。
『ほう、珍しいな。いつも引き籠もっているホムンクルス風情が。陽の光を浴びても灰にはならないのか』
明らかに敵意を持った言葉が響いた。
さっき護衛を申し出てくれた魔族や擦れ違って笑みを向けてくれた人が多かったから、好かれているのだろうと思うが、やはりすべての人というわけではない。
どれだけ聖人であろうと、嫌う者は嫌うのだ。
『邪魔』
僕の代わりにマブルが答えた。端的に辛辣だ。
『ふん、気色の悪い女だ。まあいい。わたしも暇ではないのでな』
そう言って去っていく。暇じゃないなら嫌いなやつに話かけなきゃいいのに。
嫌味を言わなきゃ気が済まない人というのは、どこにでもいるものだけど。
『あれは政敵カスペルの子飼いの将』
『政敵?』
『魔族は主戦派と講和派で分かれている。ロモロは講和派』
『……対象って人間だよね?』
『そう』
魔族にも人間と似たような政治があるのか。
つまり、人間が気付いていないだけで、しっかりと知性がある。
ならなぜ、軍団においては無策で突撃なのかという疑問もあった。
それを矜恃としている? 人間でも一番槍を誉れとする騎士は多いって書いてあったしね。
ただ、知性があるなら、今後魔族と戦う上で、『講和』を考慮できるというのは大きいだろう。この身体の持ち主は『講和派』と言っていたし。
あとはお姉ちゃんの目論見通り、僕がそれを活かせる立場まで上り詰められるかどうか。
……って、これ、ちゃんと戻るんだよね?
一生このままってわけじゃないんだよね?
入れ替わりってマブルは言ってたけど、どういう理屈でそうなってるんだ……。
『そもそも魔族はなんで』
戦おうとしているのか――そう問おうとした時、異変は起こった。
空に、黒が渦巻いている。
雷雲というには、あまりにも禍々しい。
音もなく、風もなく、ただただ、空を黒が覆う。
それは見ているだけで、精神を削られているような……そんな気がしてしまう。
マナでできた、雲なのだろうか。
あの空には、異常なほどのマナを感じる。
そして、気付いた。
ここに来てからずっと妙な束縛感に囚われていたが、みるみるうちに強まっていく。
空中庭園にいる他の者たちが、苦しみ始めていた。
悲鳴が聞こえることこそなかったが、頭を抱え、膝を折り、倒れている魔族もいる。
色鮮やかだった花は枯れたり、変異したり、ただただ大きくなったりと、整備した者を嘲笑うかのように滅びに向かって行く。
『こ、これは……?』
『マナ変異。ここでみんなを苦しめている現象』
『こんなの、聞いたことない……』
『この大地、特有の現象。まだ原因をロモロも解明できていない。でも、今のロモロの負担はとても少ないはず』
確かに僕は倒れるほどじゃない。多少の倦怠感と、微かな頭痛ぐらいだ。
だが、異常はまだまだ終わらない。
「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
耳に響く咆哮。
魔族の国は声を使わず静寂なため、それは大気を震わせたと錯覚するほど強烈だった。
倒れていた魔族が立ち上がり、その身体が大きく変異していく。手が根本から二本新しく生えたのだ。
その場で四本の腕を振り上げ、空中庭園の床に向かって振り下ろした。
石造りの庭園が、無慈悲な暴力によってあっという間に破壊されていく。
癇癪でも起こしたかのように、庭園の崩壊が進んでいた。
周囲の魔族たちは苦しみながら、這いずるように逃げ始める。
だが、この束縛感の中、逃げるのは容易ではない。
マブルは僕の負担が少ないと言っていたが、普通の魔族にとっては相当に危険なのだろう。
変異した魔族の腕が、逃げる女性の魔族に狙いを定めた。
あの四本の腕を振り下ろされたら、魔族と言えど無事では済まない。
僕は自然にマナを呼び寄せていた。自分の身体のようにすんなりと……。
意思を乗せ、防壁を想像する。
魔族の女性を包む盾を展開。
魔族の腕は防がれた。
しかし、魔族は攻撃をやめず、苛ついたように四本腕でガンガンと叩く。
僕はさらにマナを呼び寄せ、盾に風の刃を纏わせた。
魔族が盾に攻撃を加えると、その腕が逆に傷付く。
『攻陣防壁とは。ロモロは器用』
マブルが褒めてくれるが、こちらとしては混乱していて、それどころではない。
この場をどう解決するべきか、答えを導き出そうとしていると、隙のない動きで数人の武装した魔族たちが空中庭園へと突入してきた。
戦闘……というよりは、制圧が始まる。
まるで軍の一部隊だ。
彼らは手慣れたように、変異した魔族を拘束し、無力化した。力を使い果たしたように倒れ、ようやく場が落ち着く。
そのまま四人ほどで担ぎ、立ち去っていった。慣れていると言わんばかりに。
他の隊員たちは残り、検分や倒れた人の手当てを行っている。
未だ、黒の空は晴れていない中、制圧した部隊の魔族がひとり近づいてきた。
マブルは動かない。つまり、この人は警戒する必要もないのだろう。
『魔将。お手を煩わせました』
『いや……』
元の口調もわからないので、無難な発言に留めた。
向こうも長話をするつもりがなかったのか、一言挨拶しただけで自分の仕事に戻っていく。
なんだったんだ……?
『マナ変異。マナが過剰な土地にいると、生命体に異常な変異が起こる』
『魔族特有の現象じゃないの?』
『違う。そもそも魔族は元々人間。何百年もマナ変異に晒され続けて、意識を保って生存し続けているのが人間に魔族と呼ばれる種族』
さらっと言われたマブルの説明が、すぐには信じられなかった。
そんな話、本でも読んだことはない。
だが、ここが生物の住むべき場所ではないことは理解できる。
だとすれば――。
『……まさか、魔族は人間の土地に攻め込んでくるのではなくて、人間の土地に逃げようとしているだけ? 過剰なマナがない普通の土地を求めて?』
『そう』
そう言ってマブルは小さく頷いた。
それからしばらくして、少しずつ空が晴れていく。
すでに体調を崩していた人は運び出されており、空中庭園は僕ら以外は無人となっていた。
庭師が精魂を込めて作り上げたであろう花々は惨たらしく萎れている。
マブルは枯れた花を慈しむように撫でていた。
『今の彼らはこのマナ変異に呑まれると、ああしてさらに行き過ぎた進化をして、正常な意識を失う。正常な思考も、この過剰なマナで阻害される』
『……なんなんだ、一体これは』
少し連れ出されただけで大惨事が身近な大地。
きっと、今のようなトラブルが起こるのは空中庭園だけではない。
魔族領全体で被害が発生していてもおかしくなかった。いや、むしろそうなのだろう。
『来た。……ん、わかった』
マブルが突然の独り言。どうやら何か連絡が来たらしい。
噂のあっちのロモロ……入れ替わり先だろうか。
『今から、連れてく』
『え?』
『少し、息を止めてて』
手を繋いできた、と思った瞬間――僕は大空に飛び出していた。




