表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
面倒な僕を助けてくれ  作者: 柱蜂 機械
第三章 二年一学期編
44/69

第40話 テスト勉強[3]to teach to Kureha

 こんにちは。さぁ一番下まで読破する人は一体何人居るだろう。

「で……別れる意味あんの、これ……?」


 まぁ効率が良いという話には理解を示そう。確かに最近は「man to man」という言葉が流行っているし。ローマ字読みだと「まんとまん」うんダサい。

 だから二組に別れるというのは分かるのだが、四ノ宮(しのみや)家の次女の奈津(なつ)とお手伝い(?)の由比藤(ゆいとう)紫苑(しおん)が別の部屋に行ってしまい、リビングには僕と紅葉(くれは)だけが取り残されてしまった。目の前のテーブルはデカいし、さらに二人分のノート類を広げるのも全く無理な話では無い。むしろ余裕。それなのに、彼女等は別室に向かってしまった。何故だろう……?

 というか、流石にここまで、あそこまで、強引にやられれば嫌でも分かる。「あぁ、きっと、勉強中に音が結構出るから、それに集中を妨げられないようにしてるのかな(笑)」なんていう、都合の良い解釈なんてしてやらない。僕の取り柄はラノベ主人公でも無く、鈍感でも難聴でも無い事だ。言うなれば敏感易聴主人公。胃腸が敏感らしいですはい。

 まぁ兎に角、僕は最良の事態も最悪の事態も、常に想定出来るので紅葉と危うい事にはならない。でも、最近は想定外という言葉も流行っている。まぁそんな時にはホリエモンに助けを求めよう。


 のび太になりながらも、僕は奴とは違うので自分の荷物の中からさっと、理科系科目のワークやらノートやらを引っ張り出してテーブルに広げる。


 紅茶などは先ほど紫苑が片して一掃してしまったので、もうソファで優雅にティータイムを楽しむ必要も無い。床(カーペット?)の上で胡座である。

 さてと……やりますかね。


「ね、ねぇ……」

「ん?」


 僕が丁度化学の問題に手を付けようとしたところで、斜め向かいに座っている紅葉からお声が掛かった。

 その方を向くと、クエスチョンマークを頭に浮かべている。


「『式量』って、何だっけ……?」

「分子量の、金属とかイオン結合バージョンだな……」


 あら……? 一年でやるヤツだよね、それ……?


「『分子量』って、何だっけ……?」

「物質量の、分子バージョンだな……」

「『物質量』って、何だっけ……?」

「物質の質量を相対的に表す値……とかだったっけ? 確か質量数12の炭素原子が……ってか覚えてろよ」

「だっ、だってぇ……分かんないんだもん」


 で、出たー……。分かんない事の言い訳に「分かんない」って言っちゃう奴ー。

 これを言う事により自らを正当化し、他者が自らに教えるのが然も当然であるかのように、自らを錯覚させる効力を持った頭の悪い反論。

 まぁ……分かんない奴に「バーカ」とか言うのもどうかと思うので、折角頼ってきてる訳だし、教えてやろう。キャー、水野(みずの)サンカッケー!


「で、具体的には、何が分かんないんですか……?」

「これ……。硫酸銅かっこ2五水和物……? っていうのの問題なんだけど……」

「あぁ……それね……」


 これは高校生なら割りと見掛ける問題だろう。硫酸銅(Ⅱ)五水和物 CuSO₄·H₂O は無水部分の式量が160、水の部分の分子量が90で、合計して物質量250というスッキリした数字になる物質だ。それ故に、ちょっと難しくしようとした水溶液の計算系の問題ではよく出題される。

 紅葉の持つワークの問題には

「硫酸銅(Ⅱ)の水への溶解度は20℃で20g、60℃で40gである。60℃の硫酸銅(Ⅱ)水溶液300gを加熱し、水を20g蒸発させ、さらに水溶液を20℃まで冷却したとき何gの硫酸銅(Ⅱ)五水和物の結晶が析出するか。値は四捨五入し、少数第一位まで求めよ。式量、分子量は CuSO₄=160 H₂O=18 とする。」

 ふぅ……。


「分かる?」


 紅葉が不安そうに僕の顔を除き込んでくる。僕も君の将来が心配だなぁ……。


「あーっと……まず、この問題で求めたいのは、何か分かる?」

「え……? えっと、析出した硫酸銅(Ⅱ)五水和物の量?」

「まぁそう。質量な。取り敢えずそれをxとして置いとく。これが最初。この手の問題は 溶質の質量/溶液の質量 で方程式を作るのが分かりやすいんだけど」

「方程式……」

「そう。左辺も右辺も、同じ値になるようにイコールで繋ぐって事。中学でやった、一次方程式だよ」

「あ、あぁ……!」


 紅葉は大袈裟に頷き、然も理解したかのようにその小さな頷きをうんうんと繰り返した。ホントに分かったのかなぁ……。


「……じゃあ、何=何になるか分かる?」

「……」


 紅葉は問題とにらめっこを始め、沈思黙考。いや、それは格好良く言ってるだけで、本当は五里霧中。全然分かっていないようだが、まぁ何もやらずにすぐ投げ出すのよりは余程マシだろう。前から、諦めないというか、負けず嫌いというか、そういう節はあったように思われる。

 だけど、もう少し手動かしてノートに書くなり何なりした方が良いと思うけどなぁ……。頭だけじゃ、どうにもならん事もある。


 端からボーっと見ていると、ついぞ理解不能だったらしく、紅葉はうーと呻いてテーブルに突っ伏した。


「分かんない……」


 まぁしょうがないか……。


「ヒントって言うとちょっとアレだけど、これは20℃の時の飽和水溶液の濃度を考えるヤツなんだよな」


 僕がポツリと言うと紅葉はムクッと起き上がり、ムーと問題を睨む。


「20℃のとき……20/120……?」

「え……正解。……よく分かったな」

「ちょ、ちょっと、バカにしないでよ。私、これでも高校二年生なんだよ? JKだよ?」


 JKか。京浜東北(けいひんとうほく)·根岸(ねぎし)線ですね。因みにJSは湘南(しょうなん)新宿(しんじゅく)ラインで、JCは中央(ちゅうおう)快速線系統、で、JDは無しって言うね。でも、これはJR東日本の話で、確かJR九州も路線記号が「J~」で出来ていたはず……。まぁ調べれば分かる事ですね。

 しかし、おふざけ抜きにしても、JKって、紅葉に一番似合わないワードだなぁ。主に体格の問題で。


 でも、今のはマジでビビったわ。まさか、紅葉が分かるとは……。


「じゃあその 20/120 とイコールになるのは、どういう式か分かる? こっちも 溶質の質量/溶液の質量 つまり、濃度だけど」

「うーん……?」


 上手く分かっていないらしい。


「……じゃあ、まず、最終的に溶液の質量は何gかってのを考える。300から20消えて、析出した硫酸銅(Ⅱ)五水和物の分も消えるだろ?」

「え、えっと…… 300-20-x ……?」

「正解。……マジで、紅葉?」

「う、うるさいなぁ……! ただの引き算じゃん!」

「お、良い意気」


 紅葉は顔を真っ赤にしてぷんすかと怒ったようになる。いやぁ、どうしてこう、紅葉って僕の中でイジリ対象なんだろう? 本当にイジりたくなる。はっ……! こ、これが実は、リア充の素質、なのか? つまり僕はリア充か! やったぜ。


 茶化してみたものの、しかし、問題はここからだ。まぁ聞いている事は簡単なのだが、数字がデカくなってダルくなってやる気失うみたいな事にもなり兼ねないし、気を付けなければならない。


「じゃあ、次求める物も分かる?」


 紅葉はノートに目を落として、少し考えてから言う。


「300gのやつの溶質の質量、だよね……?」

「そう。こっちも溶液の質量と一緒で、20℃まで冷やした時に溶けてる溶質の質量を出せば良い」

「えぇ……っと、元々あったのから、析出した分だけ引けば良い……?」

「おぅ……大正解なんだが……」

「ひどい……」


 紅葉は半泣き顔になる。


「あ、あぁ悪い。いや、別にバカにしてる訳じゃ無いんだけど。何だ、その、偉くなったなぁみたいな──」

「……?」


 何言ってんだろ僕……。


「ま、まぁ良いや。じゃあ、元々あった溶質の質量を出す式を組み立てて、それから析出した分のを引いてご? それで、お求めの物が出るでしょ」

「式……」

「元々の水溶液は飽和してるから、問題で言ってる事が使えるんだ。元々、水溶液何gって言ってる?」

「60℃だから……100gに40g溶けるんだよね。だから、濃度は40/140で…… 300×40/140 ってこと……?」

「……うん」


 驚き過ぎて物も言えない。

 僕が目をまん丸に見開いていると、フフンと、幼げのある顔が得意そうに笑みを浮かべる。


「どう? 私、バカじゃないんだよ?」

「あぁ……いよいよそうらしいな。……じゃあバカじゃない紅葉さんは、次何するか分かりますか?」

 

 自信ありげな紅葉に問題を吹っ掛けてみると、大仰に頷き「任せなさい」と返答。大丈夫だろうか……。


「だって、今のから()()()()()を引けば良いんでしょ? なら、こっちもxだよ」

「……あぁー。やっちまったかー」


 案の定、である。僕は背中を後ろのソファに預けて天を仰いだ。

 紅葉は「え? え? な、何?」と、慌てている様子である。


「……紅葉、ここで一つ、勘違いを訂正しておくけど──」

「勘違い……?」

「この時に、()()()()のは硫酸銅(Ⅱ)五水和物だけど、()()()()()()()のは硫酸銅(Ⅱ)なんだよ」

「え?」


 紅葉はポケーっと、口を半開きにして「分かりません」感を淀みなく滲み出させていた。


「えっとな……硫酸銅(Ⅱ)五水和物の化学式、分かる?」

「硫酸銅(Ⅱ)はこれ、CuSO₄ でしょ? 五水和物は……」

「水和物ってのはこの時は単に水の事。だから『5』水和物の化学式だと?」

「あ、5H₂O か……。え……? でも、化学式でしょ? じゃあ CuSO₉H₁₀……?」

「あぁ、まぁ、良いのかも知んないけど『硫酸銅(Ⅱ)っていうのと、水が仲良く手繋いでる』みたいな感じに、結晶中にしっかり水分子が存在してるんだよ。あー、何て言うんだろ……。まぁH₂Oを一つの原子みたいな風に考えれば良いと思う」


 僕はノートの端にCu²+と、SO²-が並んでその回りにH₂Oの丸が五つ配置された図を描いた。簡単にするとこんな物だろう。本当はもっと面倒臭い事になっているのだが、今それを言っても糞の役にも立たない。


「つまり、水に溶けてる時はこの仲良く繋いでる手が離れちゃうんだけど、水から出てくるとまたくっつくって言う話。だから化学式は CuSO₄·5H₂O で……あー、まぁ、覚えて下さい」

「え、えっと……ちょっと待って……だから……」


 紅葉はそう言って、何かをノートに書き出す。うーん、上手く説明出来たとおもったんだけどなぁ。


 少しすると、書き終わったらしくそのままノートでも見せてくるのかな……とか思ったら、立ち上がった。

 え……? この気、何の気、何する気? と内心びくびくしていると、少し場所を移動して僕にノートを差し出して、座った、僕の隣に。


 ……どういう事かな? いや、おかしい。僕はどんな最悪、最良の事態でも予想出来る男(?)。このシチュも当然想定の範囲内である。しかし……何故こんなにも拍動が速くなる……?


「ば、場所動いて、どうかしたのか?」

「反対からだと見にくいから、ちょっと来ちゃった」


 そんな恥ずかしそうに笑われてもマジで困るんだけど……。とういうか、僕のキョドりがキモい。


「さっき、私がxってしたところって、本当は水に溶けてる硫酸銅(Ⅱ)になるんだよね?」

「そ、そうだな……」


 いやぁキョドるキョドる。でも、ここから目に入る物がそもそも良くないのだ。


 クリッとした大きな目、ピンク色の唇、オレンジ色のシャープペンを握った小さな手、女の子座りをする事によって露になった太もも、ふくらはぎ、そして足裏。多分ショートデニムを開発したヤツはこういう状況になるのを想像して作ったに違いない。変態だ。いや僕がか。


 いやでもホントに、今までとは一線を画するヤバさ。近い。ATフィールド張れないレベルで壁が無い。


「でも、硫酸銅(Ⅱ)の質量ってどうやるの……?」

「……」


 しかもなんか良い匂いがしませんか。シャンプーですよね? 香水なんかじゃ無さそうな、ふわっとしたほわっとしたみたいな、何か頭蕩けそうみたいな……。


「うーん……」

「……」


 いやぁ僕って幸せ者だなぁ。男子の汗臭いのとは友達じゃないし、紅葉とは友達だし。しかも金持ちだし。幼児体型って言っちゃうのは良くない事だけど、それを鑑みても、顔も良くて金持ちとかもうステータスとして完璧だよなぁうん。


「陸……」

「……」


 紅葉もその内誰かとくっつくんだろうけど、ソイツは多分この世から抹殺されるな。良い思いし過ぎっていう理由で。主に僕に。なれるものなら僕が……って、何言ってんだこの変態。完璧に金目当てじゃねぇか。


「ねぇ、陸」

「は、ひゃい? 何、どうした?」

「もったいぶってないで、ちょっとくらいヒント教えてよ」


 紅葉が可愛らしくムーッと頬を膨らませる。バ、バカ、止メロ! ソウイウ事スルカラ、下心ガ丸出シニナッチャウンダロウガ!


「えっと、りゅうしゃん……んッ、ゲホッ……んんッ。……ゴホッ。……で……硫酸銅(Ⅱ)の質量ッゲッホエホッ……アァッ…………だっけ?」

「だ、大丈夫……?」


 紅葉は目を丸くして僕の背中をさすろうと、手を伸ばすが、華麗に僕は回避。身を捻り、見事に彼女の手から逃れる。

 くそ、これ以上想定外を作って堪るか。ここは格好良く、ピシッと決めてやるぜ。


「大丈夫だ。問題……ッグ、ウゥ……無い……」

「ほ、ホントに大丈夫? 何か、変なのでも突っ掛かった?」

「あ、いや、唾、変なとこ、入っちゃっただけだから。……気にしなくて大丈夫……ゲホッ」

「そ、そう? なら、良いんだけど……」


 格好悪さしか無かった。ごめんよイーノック……。つまりは、女子と話をする時は、そんな装備(無防備)では大丈夫じゃないという事だ。これからはちゃんと目逸らさないといけないなぁ……。


 ろくでもない事を考えるのは止して、本題に戻る。


「あぁそうだ硫酸銅(Ⅱ)の質量だけど、えっと……析出させて答えを出したいのは硫酸銅(Ⅱ)五水和物の方だから、全体──x、五水和物の方の中の幾等かっていう数字になるのは分かる?」

「うん……」

「で、この時にさっきの原子量だか、式量だかを使うんだ」

「えっと、だからつまりは『硫酸銅(Ⅱ)の式量』/『全体(x)の分子量』って事だよね」

「いやぁ、マジその通り……」

「またバカにしたぁ……」


 紅葉が恨めしそうな目でこちらを見る。取り敢えず「してないしてない」と弁解し、話を進める。


「じゃあ、全体の式量って、分かる?」

「えっと、硫酸銅(Ⅱ)が一つと、水が五つだから、160+18×5 で……250?」

「そういう事。で、こん中に硫酸銅(Ⅱ)が含まれてるから……何/250?」

「じゃあ……こうだ」


 紅葉はそう言って、ノートを片手に持ちバンッと見せ付けてくる。

 160/250


「合ってる」


 僕が正当を告げると、紅葉は「はー、よかったー」等と、嬉しそうに口元を綻ばせた。


「でも、それで終わりじゃないからな」

「計算しなきゃ、だよね」

「そうだな」


 今回の思考から生み出せる式は


 20/120={300×(40/140)-(160/250)x}/(300-20-x)


 少し楽にすると


 1/6={600/7-(16/25)x}/(280-x)


「でも、数字、大きいね」

「まぁ、約分もしたし、なんとか出来るだろ」

「うん……」


 そう返してから、紅葉はせっせと計算作業に入る。


 中学の頃までなんかは、紅葉は結構勉強に関してはダメダメだった。粘り強くやるのだが、結果として分かりませんでした、みたいな感じだった。恐らくは、残念だが要領が悪かったのだろうと、今では思う。それ故に、勉強も嫌いだった。

 しかし今は──要領の良さは分からないが、少しヒントを与えるだけでしっかりと自分で考えて、こうして答えを導き出そうとしているのだ。

 三年間に何があったにせよ、中学で100位台後半グループだった人間が、当時のままのやり方でこうなるとは到底考え辛い。何かしらの目標を定めたのか、はたまた脅されでもしたのか、それは全く定かでは無いが、一つ分かる事がある。それは、彼女は勉学に対して諦観せず失望せず努力をした、という事だ。「私、これでも高校二年生なんだよ?」とは言っていたが、本当に高校二年生として頑張っているようだ。


 だからこそ、彼女が頑張るからこそ、そこで必死に頭を絞り問題を解こうとしている一人の女の子に僕は、賛辞を送れない。


「な、何これ……? 分数、大きすぎない?」


 紅葉はそう、ぶつくさ文句を垂れながらも、手を動かす事を止めない。

 今チラッと見えたけど、分母の数字が497って……問題作成者さん頭大丈夫?


 暫くすると、紅葉が「うぁ~」と嘆息のような唸り声を上げ、ドサリとソファに身体を預けた。そして、へにゃへにゃとへたり込む。疲れたようなのはすぐに分かったが、頬は赤らみ、口元は緩んでいる。満足した、という感じの顔だ。


「出来たっぽいけど、結局答え何になったんだ?」


 尋ねると、紅葉はそのままの状態で呻くように答える。


「82.5g……」

「へぇ……」


 四捨五入すると、割りと綺麗な数字になるんだ。まぁどうでも良いか。

 大切な事はプロセスとアンサーが正しいか否か、である。


 紅葉もそれを思ったか、上体を起こそうとするが──


「ち、ちからが……」

「どこのアンパンヒーローだよ……」

「陸、答え取ってくれる……? テーブルの上にあるから……」

「はいはい……」


 こうやって胡座かいてる状態から立ち上がるのはそれだけで少々億劫だが、頑張った人が居る為、僕も頑張る事にした。と言っても、やはり立つのは億劫だったので、うーっと、対角線上にある紅葉のノート類の中から化学の正答書っぽい物を探して引っ張り出す。

 紅葉の方を向くが、とてもじゃないが起き上がれる様子では無い。

 仕方が無い。まぁ答え位、僕が教えて進ぜよう。ヤバい。僕メチャクチャ気ィ利かせてる。その内忖度要員として財務省に呼ばれちゃうわ。


 ページ数と問題番号は先程、紅葉のノートにあったのを見て分かっているので、どこかなーと、正答書のページをペラペラと捲る。お、ここか……。


「紅葉、答え……合ってる」


 僕が苦笑いして彼女を見ると、紅葉は目を見張る。


「ほ、ホントに!? み、見せて」


 さっきの「顔が汚れて──」状態は何処へやら、言うが早いか、紅葉は飛び上がって正答書を覗き込んだ。丁度、僕のすぐ側で。


「ホントだ……合ってる……! やったぁ……」


 彼女はホッとしたように胸を撫で下ろし、笑みを浮かべる。


 しかし、服の隙間から鎖骨が目に入り、甘さを含んだ柔らかな香りが鼻腔を満たす。

 ち、近いし、良い匂い……! ブラウスとシャンプー仕事し過ぎだぁ……!


 この状況は……想定外だ。ヤバい。


 精神衛生を少しでも良く保とうと、上体をのけ反らそうとしたが……そもそも後ろにはソファがある。その為限度があったのだ。


 そうこうしている内に、紅葉が嬉しそうな笑顔で振り向く。


「陸、ありがとう、教えてくれて」

「あ、あぁ……」

「ん? どうし……」


 紅葉の言葉は、その終わりまで発せられなかった。


 彼女の(つぶ)らな瞳も、小さな鼻も、ピンク色の柔らかそうな唇も、赤く色付いた頬も、全部すぐそこに、目の前にあった。


 多分一秒位だったと思う。そうでなければおかしい。こんな事、有り得ないのだから。


 瞳と瞳は向かう先で交錯し、彼女の吐息が肌を撫でる。僕の鼻に流入する薫りも、先のとは別になった。

 変わっていないようで変わっているはずのその面輪は何故かすーっと、あっという間に僕の脳内に保存されてしまった。これからいくらでも思い出せそうなくらいに。


 少しでも、頭を前に動かせば触れてしまいそうな、そんな距離。息を吐くだけで終わってしまう、そんな時間。ほんのりと暖かさのある、そんな温度。そんな僅かな物ばかりの中で、目が合っただけなのか、見つめ合ったのか、それさえも分からない。

 そのままで、僕は息を飲む。

 そして二人同時に、目を逸らしてしまった。


「ご、ごめん……」


 顔も見ず、顔も見せずに紅葉は小さな声で謝った。


「べ、別に……謝る事なんか、何も……」


 明らかに上気していて、喉が痛い。一瞬止まったかのように思えた心拍も、それを回復するが如く大音量でまたリズムを刻み始めた。

 僕は意味も無く瞬きを連発し、わざとらしい深呼吸をして、どうにか心を落ち着けようとしていた。


「……僕、ちょっと、トイレ借りるわ……」


 もう、こんな状況になってしまえば立ち上がるのなんて全く億劫では無いのだが、如何せん、膝が笑う。まるで痙攣しているかのような膝を手で補助し、何とか立ち上がった。


「う、うん……」


 紅葉も、震えるような声で返事した。

 見えてはいないが、恐らく彼女も相当身体が火照っている事だろう。


 僕は後ろを確認する事無く、フラフラとした足取りでリビングを出る。


 そして、へにゃへにゃと、廊下の壁に背中を預け、座り込む。


「それは……ズルいって……」


 普段冗談めかして可愛いだどうのと言ってるけど、あんな近くだと、マジで……。


 熱くなった顔を俯ける。


「はぁ……」


 僕の声は誰に向けてでも無く、廊下の隅に静かに消えた。




 その後も四ノ宮邸での勉強は粛々と続けられたのだが、何となく居心地は悪かった。紅葉も、本当に問題を理解しているのか、その後は一切を尋ねてはこなかった。僕も気軽に答えられる状態では無かったので、それはそれで良かったのかも知れない。

 途中、紫苑が気を利かせて紅茶を淹れてくれたのを挟みつつ、六時過ぎにはお開きと相成った。


 最後の最後、僕が四ノ宮邸を後にしようとすると、紅葉が玄関までやって来ていた。

 ドアノブに手を掛けていたが、何だろうかと思い、動きを止めて彼女の方を見る。


「その……さっきは、ごめん……」


 紅葉は目を落とし、体の前で組まれた指を忙しなく動かしながら、恥ずかしそうにそう言った。


 そんな風に言われても……しかし、こちらが恥ずかしくなるだけである。

 忘れようとしていたがまた思い出してしまい、無意識の内に顔を背けてしまう。


「いや……僕の方こそ、ごめん……」


 何が「ごめん」なのかというか、別に何も「ごめん」する必要は無いのだが状況を丸く収める為についつい口から出てしまう。


 後免(ごめん)があるなら、奈半利(なはり)もあるのかな等と、そんな事を考えて何とか羞恥を誤魔化そうとしていると、紅葉は落としていた視線を僕に向ける。


「あ、あのさ……」


 彼女は一瞬言葉に詰まったように見えたが、すぐに口を結んで、再び開いた。


「また、勉強教えてくれない……?」


 上目遣いで、少し緊張しているように言う。


 もう……そういうのは止めて欲しいなぁ……。

 ただでさえ、甘えん坊みたいな顔してんのに……。危うく告って振られそうになる。


「まぁ……暇、だったら」

「ありがとう……」


 僕が恥ずかしさから手で頭を掻きながら返事すると紅葉は、はにかんでその顔を綻ばす。


「じゃあ……またね」


 彼女はそう言って、片手を小さく振る。


 僕も何か返そうかと手を上げかけたが、何だか自分のガラじゃないなとか、そんなのイキリボーイだよなぁとか、どうでも良い理由をアレコレ考えてしまう。本当は単に気恥ずかしかった、という事なのだが。

 中途半端に上げられた手を、紅葉は不思議そうに見つめる。どっちにしろ恥ずかしかったですはい。

 もう今さらどうしようも無かったので、軍隊にでも入れそうな勢いで、気を付けのように高速で手を下ろし、もう片方でドアを開く。


「じゃぁ……」


 最後は、何処を見て言ったのかすら覚えていない。




 自転車に跨がり自宅への坂道を下っていく。既に日は、一番星の輝く西の山に没し、空は群青、紫、橙と様々に彩られている。自転車が勝手に進むのと一緒に、心地良い風が吹き付けて、火照った体を冷ましていく。


 恐らくこれにてGW中の勉強会が、また明日、明後日、開かれるという事は無いだろう。

 だから安心している。

 今日みたいな事が──そうそうあるとは思えないが──あると困るから、だ。

 僕も居心地が悪くなってしまうし、彼女にしてもそうだろう。


 しかし、最後にああやって仲直りっぽい事が出来る辺り、やはり彼女の方が僕なんかよりもそういうのに関して経験豊富なんだろうなと思う。

 頭に残ってしまったあの画像によって勝手に羞恥心を発動させてしまっている僕とは大違いだ。僕は最後まで緊張しっぱなしだった。はぁぁ……何かなぁ……。




 家に着くと、何だかすっかりと、体が冷えきってしまっていた。

 最後までお読み下さりありがとうございます。

 本当に最後まで懲りずに読んで下さった方、貴方は勇者です。

 懲りて中身を飛ばしてここに辿り着いた方、貴方は村人です。

 懲りる前にブラウザバックした方、貴方はラスボスです。

 おふざけはこの位にして──今回、こんなに長くなっているのは、どこで切れば良いのか分からなかったからです。自分には切れ目が見つけられませんでした。

 で、今回は自分がテスト勉強時に暇潰しで書いていたもので、化学のムズい問題をやろうかという勝手な思い付きによって出来ました。多分問題と答えは合ってると思いますが、自分で作ったヤツなので真偽は定かではありません。ご了承下さい。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ