第24話 帰ってきた
もうすぐ、夏休みぃ~♪
狐ヶ崎駅に着いた僕たちは改札を出、家路を共にする。
「わぁ、桜きれいだね」
四ノ宮紅葉が目を輝かせる。半ば興奮しているようだった。その表情が子供っぽくて、成長してないななんて思ってしまう。
「……あっちでも、隅田川とか行けば、綺麗なの見れるんじゃねぇの?」
「今年は引っ越しもありましたし、皆様もご多忙でしたので残念ながら花見には行けませんでした。──しかし、これはこれで、綺麗です」
由比藤紫苑も、満開の淡いピンク色の桜と子供っぽいご主人様のマッチングを愛でるように、優しい声音で言う。
先頭を行く紅葉はくるりとターンし、笑顔で提案する。
「それならさ、何日かして落ち着いたら、どこかお花見行こうよ」
「あぁ、行ってきな」
「って、陸も行くんだよ」
「は? ……マジですか?」
思わずため息が漏れてしまう。
紅葉は上目で僕の顔を覗き込む。うーん、そういう行動がですね、男心というものを過剰に刺激するんですよということを少しは学んで頂きたいものです。
「ヤダ……?」
「え? あ、いやぁ……」
あー、何と答えようか……。
一、『別に、全然。行こう行こう!』……何か僕じゃないな。
二、『あぁ、ちょっと用事あってさ、ゴメン』まぁ、ないんだけどね。
三、『うん、めんどい……』……。真実、だな。
「あぁ、まぁ……ちょっと」
「……そっか」
あ、紅葉があからさまにションボリしてるんですが。
「あ、いや、ゴメン。でも、背に腹は替えられないって言うし、面倒に時間は替えられない、みたいな」
「説明になってません」
ちょ、改心のネタだったんだけど却下された。
しかし、紅葉を落胆させてしまったのは事実である。どうやって機嫌を取り直させるか。
悩んでうーんうーんと唸るが、一向に良いアイディアは出てこない。
その時、紫苑が紅葉の左手を両手で握った。彼女は凛々しい顔で紅葉に向いた。
「大丈夫です。これは、自分の趣味以外は全て面倒になってしまう人間です。だから、紅葉と余所に行くことが嫌な訳ではないでしょう。こんなことで落胆していたら、これから先これと付き合うのは難しいですよ」
紫苑の言葉を聞くと、紅葉は急にうるうると目に涙を滲ませる。顔を赤く染め、少し膨らんだ頬が瑞々しい果実のようであった。
紅葉はズズズ~ッと洟を啜り、紫苑が差し出したハンカチで涙を拭う。準備良いなこの人……。
紅葉は暫く俯いていたが、ムスッとして言う。
「じゃぁ、今度はめんどくないことにするね」
「あ……いや、悪いな。……家でできることは何かする」
「家って決まってるの!?」
紅葉は苦笑した。
いや、でも実際家なら何でもできそうな気がする。
勉強? できる。ゲーム? できる。読書? できる。アニメ? できる。時刻表? できる。乗り鉄? できねぇ……。流石にこれはアウトドアを以てしないと気が収まらない。また今度、どっか行きたいなぁ。
暫く三人で歩き、遂に進行方向が分かれる所まで来た。
僕は軽く手を挙げてじゃあと言い、家の方向へと歩みを進める。
すると、いきなり肩を強く握られ、ギリギリと爪が食い込んでくる。
「……イッ!?」
「静かに」
耳元で小さく囁かれる。
紫苑だった。
「何だよ……?」
「折角久々の再会を果たしたというのに、別れ際の挨拶が『じゃあ』で許されると思っているんですか?」
「いや、許されねぇのかよ。ってか、離して! 凄く痛い!」
何で許されないんだよ。挨拶基本法みたいな法律があって、僕はその法律に違反したのか。などと、少しイライラしながら思考していると、紫苑はさらに強く爪を食い込ませてくる。
「ごめんなさい許されないですねすみません」
もう、こう言うしかないじゃん……。
「物分かりが良いですね」
そう言って紫苑は爪を食い込ませるのを止める。しかし、依然として僕の肩には彼女の手が置かれている。一体何なのか……。
「紫苑ちゃーん、どうしたのー?」
後方から紅葉の声がする。
紫苑はクルッと振り向き、少し談笑を、と答えた。何だよ、いつ僕たちが談笑したんだ。拷問だ拷問。
さらに彼女はサッと僕を向く。
「……ですから、久々に会った日の感想くらい、紅葉に言って差し上げて下さい。あの娘だって、今日をとても楽しみにしていたのですから。さっ」
紫苑はそう言って、スルッと僕の背後に回り込み、背中をドンッと押した。
上半身に力を受けた体の下半身は勿論慣性でその場に留まろうとするため、前方に倒れそうになり、反射で足が一歩二歩前に出るが、それよりも前方に倒れる力の方が大きい。
漸く停止したのは紅葉の目の前で、まぁ簡単に言えばつんのめった訳である。わぁ言葉って難しくできるんだ……。
紅葉は当然ビックリしたようで、両手を胸の前で小さく握る。
「だ、大丈夫?」
どうやら僕が紫苑に突き飛ばされたとは見えていないらしい。だったら、(頭が)大丈夫? と思っても仕方ないよね!
僕は振り向いて睨もうとするが、当の本人はあっけらかんとしている。あの女め……許さん。
「陸……?」
何にしてやがんだとっとと目の前にでしゃばってきた言い訳でもしてみろぃ、みたいな意味を孕んでいるのかしらと思い、紅葉にさっと向き直る。どうやらそんなことは思っていないらしい。良かった。
だが、何だか、目の前に女子の顔があると言うのは、何とも言い難いのだが、気恥ずかしい。
多分、耳まで真っ赤なリンゴとトマトとパプリカをミックスしたみたいな色になっていると思う。やだ、そんなに野菜食べたら健康になっちゃう!
紅葉の方も少し恥ずかしそうに上目遣いで見上げてくるものだから、咄嗟に目線を真正面──紅葉の登頂部に移行してしまう。
見えるのは、彼女の焦げ茶色の、綺麗な髪。
取り敢えず、紫苑に言われたお題は、何とかするか。
「あ、っ……と……、今日は、その、何か……久し振り、だったな……」
……え? え? ええ? え? え? え、何? 何々? 何々々々言ってんの僕? 何この状況確認のためのような語調は? 阿呆なの馬鹿なの死ぬの? え、何なの、クソウザいちょっとイケメン風な男が言いそうな白々しいこと何で言っちゃってんの? ヤバい死にたい!
僕が、恥の多い生涯を送っちゃったから玉川上水に身を投げたいなぁ、とか文豪になっている一方、紅葉はどんな反応を見せているのかと見てみると、彼女の方も耳を赤くして俯いている。
そりゃそうだよね。いきなり男から意味不明な言葉掛けられたら、何言ってんだコイツキモいなと思っても仕方ない。
しかし、紅葉は僕の予想に反して意外な返答をする。
「そ、そうだね……」
普通なら「そ、そうだね……(シラー)」なんだけど、紅葉のは明らかに、それとは違うように聞こえた。その、何というか、僕と同様動揺しているというか、洒落にもなってないというか……。
しかし、人間というのは相手が自分と同じだったり、もしくは相手の方が低レベルだったりと、そういうことが知れるとすぐに心が軽くなるのだ。あ、変な気遣わなくてもいいやとか。え、何コイツカッス! プークスクスとか。
という訳で、今の僕も大分心が軽くなった。
しかし、それでも、手汗は止まんないし、喉はカラカラでキューウッと締め付けられるような感覚に陥っている。口を開けば噛みまくりで、八九寺のレベルを凌駕できる自信がある。
自分が唾を飲み込む音が聞こえる。拳を、握った。
「その、何と言うか……」
ちらりと、紅葉の顔を覗く。いつの間にか、俯いていたその目は僕に向けられ、視線が交錯する。その、紅い瞳は、触れれば静かに壊れてしまいそうな美しい水晶のようだった。
「今日は……嬉しかった……」
その後は、言葉を継ぐ事ができない。
どうにか出たその言葉は、稚拙で、束の間もなく、三文の価値すらもないようなひ弱なものだった。それなのに、その言葉を口にできたことに、僕はなぜか大いに満足していた。
時が止まったように、紅葉の瞳は僕を認めたままだった。しかし、時はゆっくりと動きを再開し、彼女は破顔する。
ほんのりと、赤色に染まった頬が僕には少し強すぎた。
「うん……。私も、嬉しかった」
本当に、言葉通りに笑うな、と思った。
彼女の笑顔には建前も、嘘も、同調も見受けることができず、そこにはただ、自身の本音がありありと放たれていた。
そんなことを言われたら、簡単に落ちてしまいそうで怖い。ついつい嬉しくなってデレデレしてしまうところだった。危ない。
妙な嬉しさとこそばゆさを抱えたまま、ふっと、空を見上げると、風に桜色の花弁が舞っている。空の川のそれは、ひらひらと動きを変え、流れの中に拡散する。しかし、かと思えば一様に同一方向を目指して流れていく。自由気ままなことこの上ない。
あの桜の花びらは何を思い、空を流れるのか。
問うたところで、答えなど帰ってくる訳でもない。ただ、流れはその向きを変え、淀むこよだけはない。
彼の花は春の花。別れの花。出会いの花。花の流れは時の流れ。
各々が別々の世界を、別々の時間軸の中を生きている。
斥力が働くこともあれば、引力もそうであり、交錯を繰り返す。
それが、人生というものであろうか。
ともすれば、ここに引き合わされた者達は、どうしていくのだろう──否、どうすべきであろうか。
彼の花は己の意志で時を進むのか、他の意思で時を進まされるのか、どちらなのだろう。それが、分からない。
故に、僕達がどうなるのか、神のみぞ──いや、神でさえも知り得ないのかも分からない。
考えるだけ無駄である。
分からない、ということは言ってしまえばどうにでもできるということだ。
そう、どうにかしてしまえば良い。僕と彼女と彼女が、またあの頃を取り戻したいと望むのなら、それは近いうちに本物となり得るだろう。
だから、その時まで、暫しを待つのみ。流れ行く時の中を、ただただ揺蕩うのみ。
そうして期は熟し、大輪が花開く。
それまで僕達はそれを楽しみに待っていれば良い。そう、望んでいる限り。
桜達が空に飛翔して行った。
紅葉と紫苑と別れ、家に着く。
しまった…………鍵持ってないや。
ダメ元でドアに手を掛けると、なぜかガチャッと開いた。
あれ? 空ちゃん帰ってるのかしらん? 奈津ちゃんに会いに行くって言ってたから、てっきり家にはいないんだと思っていたのだが。
「ただいまー」
そう言ってリビングに進入したのだが──誰もいない。というか、玄関に空の靴がなかった時点で色々判明はしていたのだが。
まぁつまりは、空は一度家には帰ってきたけど奈津ちゃんに会いに行くために家を出なければならなかった。しかし、そのまま家を出ると、僕が家に入れなくなる恐れがあったため、施錠せずに外出した、ということか。うっわ、泥棒よりお兄ちゃんの心配してくれるなんてやっぱり空ちゃん天使。でも、防犯には気をつけようね!
とろとろと歩き、リビングのソファに身体を沈める。
グヘェー、気持ち良いなぁ……。
やがて、とろんとろんと瞼が重くなってくる。
まぁ今日は色々あったからなぁ。何だかドッキリとか言ってたけど、やるんだったら徹底的に、という信念があった方が良かったんじゃないかなぁ。もうちょっと頑張って欲しかった。
故に、その一連の行為には綻びがあった。その綻びを足掛かりにすれば、自ずと真実が明らかになるだろう。彼女と彼女の目論見の終着はここではない。そして、彼女は巻き込まれたに過ぎない。このように僕は考えている。
なんて、格好良く言ったが、簡単に言えばもう一つ、隠し玉があるだろうということだ。まぁ、それも確かめなきゃなぁ……。
春休みは、まだ課題があるみたいだと思い聞かせ、眠りに落ちる。
周りの世界から音と光が消えていった。
夕方になって起きると、LINEの通知が200をマークしていた。海だった。感謝のメールだった。鬱陶しかったので、ブロックした。
最後までお読み下さりありがとうございます。
これにて春休み編終了な訳ですが、いかがでしたでしょうか。新キャラ登場という事で、自分としてはモチベーションも上がっております。
次回からは二年一学期編という訳で、高校に舞台が戻ります。まぁあんまり内容は変わらないような気がします(洒落です)。それでも、もし宜しければこれからも読んで頂けると嬉しいです。
※何だかある日、凄くポイントが増えたなぁと思ったら、評価が付いてました。もし暇だったら、自分を喜ばせる為に付けてくれちゃっても良いんですよ? ごめんなさい。




