第22話 雑談
四ノ宮紅葉は、静岡に支社を置く大手玩具メーカーの社長の弟の娘、つまり社長さんの姪にあたる人間だ。彼女の父はその会社に勤務しており、確か結構偉いポジションにいた気がする。まぁ元は家族経営だったらしいし、そういうものだろう。
そして、由比藤紫苑は、四ノ宮の家の手伝いをしている父親──雰囲気的には執事感がヤバかった──がいるため、本当に幼い頃から四ノ宮家に出入りしていて、紅葉とは姉妹同然に育ってきているのである。
僕はと言えば、水野家の長男にあたる訳だが、たまたま幼稚園が一緒でたまたま家が近くたまたま二人とは仲が良くなった。いや、他に親しい人間がいなかったからそう思うのかも知れない。それでも、嬉しいことに、彼女たちは僕の話をしっかりと聞いてくれ、応答してくれた。当時の僕は幼心にも、彼女たちのことが「好き」だと勘違いしていた。いや、まぁとどのつまりは、嬉しかったということだ。
それが永遠に続くとは確かに思っていなかったが、しかし、早くにその夢幻は崩れ去った。中学一年の時に、彼女らは紅葉の父の仕事の関係で東京に引っ越してしまったのだ。結局、別れの挨拶もろくにしなかったため、その後は大いに後悔した。なぜもっと話をしなかったかとか、なぜもっと話を聞かなかったかとか、そんな事で悩んでいた。こういうことがあって、僕の面倒癖にはますます拍車が掛かった訳である。
しかし、僕の前に彼女たちは、再び現れた。何の因果かは皆目見当もつかないが、また、僕たちは出会った。
で、あるならば、もう後悔はしたくないし、恩を返すべきなのだと思う。
しかし──どうやって?
場所を変える、と言ってもよく分からなかった。家へは静鉄で向かうと言うので少し歩いてもらって新静岡駅の近くのスタバまで来てしまった。
二階のテーブル席に陣取る。窓からは人々が行き交う通りや、ビルたちが見渡せそこそこ都会感あるような優越感を覚える。もっとも、東京帰りの二人にはこんな風景は田舎にしか見えないのだろうが。
僕はドリップコーヒー択一で、紅葉はカプチーノ、紫苑はエスプレッソを選んだ。
紅葉はカップを両手で持ちふーふーと、カプチーノを冷まそうとしていた。
僕はコーヒーを啜りつつ、他愛のない話を振る。
「しかし、よく僕のこと見つけられたな……。どっちかって言うと、目立たない方だと思うんだけど」
紅葉はブンブンと首を振る。
「そんなことないよ。だって陸いっつも寝癖ついてるもん」
「え? ……あぁ、そうか」
言われて頭を触ると、なるほど、どうやら今日は後頭部の髪がハネているらしい。
紫苑は口角を少し吊り上げて言う。
「そんな身嗜みで外を彷徨くとは流石に水野君ですね。尊敬の念を禁じ得ません」
「いや、これは髪が重力に逆らってる訳だし、僕が凄く健康だってことの表れだなうん」
「そのおかしな理屈っぽい屁理屈を耳にするのも久々です。脳が当時の出来事を思い出さんと必死ですね」
「何その回りくどい言い方……」
まぁコイツは昔からこんなのだった気がする。幼稚園の頃からこんな喋り方だったなぁ。
今度は紅葉が口を開く。
「そう言えば、海ちゃん玉葉大学に行くんだってね。さっき言ってたよ」
「『さっき』ってのは……あれか。空と姉ちゃんが飲み物買いに行くって言ってた時の──」
「へぇ……よく分かるね」
紅葉が感心したように言う。まぁ別段難しい話でもなかろう。あの時、二人とも何か変だったしな。
「何か、私たちと入れ違いになっちゃった感じだよね」
「今日は……わざわざ狙った訳?」
僕の問いには紫苑が答えた。
「まぁ狙いましたね。丁度、ドッキリを仕掛けるには良い人混みですから」
「はぁん……。聞いてなかったけど、戻ってきたのは何、おじさんのあれか? 仕事関係?」
「うん。お父さん、今度は静岡の支社のトップになるとかって言ってて。それでまた、帰ってきたの」
大方予想通りの返答で、何となく安心してしまった。
しかし、支社のトップってどのくらい偉いんだろうか……? それってつまり支社長ってことですよね。確かに東京に本社があるが、第二拠点は工場を構える静岡だ。
本社の偉そうな役職と、支社のトップ、どっちが偉いんだか。……いや、どっちも偉いな。相変わらず、一般市民のスケールとは掛け離れたそれの中で生きていらっしゃる。
そして、ふとあることに気づく。
「……ってことは、師匠も帰ってきてるのか?」
紫苑は首を横に振る。
「未だにそんな呼び方をするのかと言いたいところですが、置いておくとして──父はまだ東京で、四ノ宮本家で職務に従事しています。来月中にはこちらに来られると言っていました」
「そっか……」
「残念そうですね。水野君が父を慕っているのは存じていますが、なぜなのか判然としません」
「そう言われてもなぁ……特に、理由なんて覚えてないな」
「そうですか」
そう、理由はあった。けど、覚えていない。それだけのことだ。
まぁ、紫苑の言う通り少し落胆したのは事実だ。久々に会えると思ったのだが……。まぁ、致し方ないか。
来ないなら 来るまで待とう ホトトギス
少し徳川家康になっていると、紫苑が尋ねてくる。
「あれからどうなのでしょう? 少しは友人をお作りになったんですか?」
友人、ねぇ……。まぁいんのかなぁ……。
「まぁまぁかな……。まぁ、ご主人様、みたいのはできたけど──いや、それも違うなぁ……」
「ほぅ……。水野君も人にお仕えするようになりましたか。驚異的で芸術的な進歩ですね」
お前もポケゴーやってんのかよ。意外すぎるわ。
「……というか、うーん、何だろ。良いように使われちゃってるって言うのかな……」
「それって、パシりってこと?」
紅葉が会話に入ってくる。
空みたいな反応だな。実際身長おんなじくらいか……。いや、空より低いか?
まぁそんなことはどうでも良いのだが。
「まぁ似てんのかなぁ。分かんないな」
ただ昼飯食ってるだけだしな。
「その人って怖いの?」
「ああ。それだけは断言できる。怖い。そこらのチンピラ男子の百倍は怖いな」
事実だ。第一印象怖かったし。何か春休み前、可愛いなとか思ったけど、春休み終わればすぐ元に戻るだろうし僕に絡んでくることもなくなるかも知れない。
紅葉がゾッとしたように体を震わす。
紫苑は身を乗り出して訊いてくる。
「それはゴリゴリの筋肉野郎ということですか?」
「は? ……いや、全然そんなんじゃないけど」
ってか言葉遣い……。
「マッチョじゃないの?」
「え、うん……」
何故か二人とも首を捻っている。んん? 何か分かんなかったかな? 別に大川井さんって、筋肉じゃあ──ないよなぁ……。まぁ今は彼女のことは置いておこう。せっかく、文芸部は春休みは休みな訳だし。無論、部活があったところで、年中休暇パスを持つ僕にとっては意味のないことであるが。
何か二人が迷宮入りしそうだったので話を切り替える。
「まぁそんなことはどうでも良いんだけど、東京の学校ってどんなんなの?」
尋ねると紅葉が空中に目を彷徨わせて、うーんと唸る。答えにくいのだろうか。
「……ええと……何て言うのかなぁ。その、お金持ち、みたいな感じ?」
「それ、人に言えんの?」
紅葉はまたしてもブンブンと首を振る。どうやらこれが得意技になったらしい。
「違う違う。えっと、その──」
言葉を紫苑が継いだ。
「つまり、お嬢様気質の人間が多いということです。どこぞのブランドの商品がどうのとか、回りの人間を見下していると取られても仕方のない言動をするなど、下衆が多いです。無闇矢鱈と自己の裕福さを顕示してくるんですよ、彼女たちは」
「……成る程」
なーんかイメージしてたのと違うなぁ。何かもっとウフフとかオホホとかふわふわしてるのかと思ってた。何だそれ。
しかし、流石に穿った見方をしすぎではないかと思う。別に全部が全部、そういう訳ではアルマーニ。ヤ、ヤバッ、金持ちって聞いたからつい……!
自分から思考の焦点を反らし、見ると、紅葉は苦笑を浮かべ、紫苑は言いたいことを言ってすっきりしたのか、ふぅと息をついてコーヒーを啜る。
話すことはまだまだたくさんあるのだろうが、誰からということもなく口を閉じる。二人とも考えごとをするように、カップの中の自分を見据える。斯く言う僕もいつの間にか黒く染まった自分と対面していた。
三年前──二人がいなくなった時と寸分違わない間抜けな顔。
ボサボサで癖の付いた髪。
ぼんやりとしていて、視点が定まっていないような虚ろな目。
やっぱり、これといって特徴もない面だ。
変化ばかりが良いという訳でもないが、しないはしないで問題があろう。それは停滞だからである。
人類史に於いて停滞なぞは今までに許されておらず、また今日でもそれは認められない。いつ何時でも人類は歩みを進め、暮らしを豊かに、エゴ的に世界を良くしていった。そして、これからも立ち止まることはない。
それを縮小した、個々人に於いてはどうだろう。
社会全体では進歩していても、個人では、止まっている人間も多かろう。しかし、そういう人間は、遅れているだの古いだの幼稚だのと周囲に指摘される。
悲しいかな、古き良きなんてのは捨て去られるものと化しているのだ。これだから国電が「酷電」なんて言われてしまうのだ。無情。
だが、僕の目の前の二人は果たしてどうだろう。
見た目で言えば紅葉なんて三年前のまんまである。体格、顔、髪、服装、どれを取っても三年前と一緒だ。いや、服は変わっているのだろうが、雰囲気が似通いすぎている。本人から放たれる天然オーラも健在だ。
対して紫苑は──体格は、大きく変わったと言って良いだろう。身長はグーンと伸びたし、出るとこ出て、引っ込むとこは引っ込んでるというか……。アレだ「ないすばでぃ」ってヤツだ。これが西洋人の血の力か……などと偏見も良いところ、な感想を持ってしまう。
しかし、紅葉に対しての気遣いなんかは全く変わっていない。主人と従者という立場を確と弁えているようだ。紅葉の方も、紫苑に対して、相変わらず友達のような接し方をしている。まぁこれが彼女たちの適切な関係なのだろう。
しかし、どうにも紫苑の服が気になる。まだ十六なのにスーツってどうなんでしょう……。どっかの交通系YouTuberですか? 年相応と一括りにするのは良くないが、もうちょっと一般的な女子高生の服装なんかにするべきだと思う。せっかくスタイルが良いんだから、もっとお洒落してキメてけば良いのでは……?
言ってしまうと、案外と、僕の想像よりも変わっていなかった。まだまだ見えていないところが多いのも事実だが、二人とも見違える程の、なんて変化はしていなかった。
変わったとすれば──僕たちの距離は、変わったのだろうか……。ふと、そんな疑問が頭を過った。
コーヒーの深くて苦い香りが満ちていく。一瞬、その香りに脳内を占領されそうになったが、復帰する。
僕が人知れず頭を振っていると、徐に紅葉が呟く。
「なんか……懐かしいね……」
「……そうですね」
紫苑が微笑して頷く。
紅葉が言っているのは、恐らく三年前の事か。確かに、三年前までは三人で何かすることが多々あった。こんな風に、洒落たお茶会なんかしたことはないが、それでも親しくしていたと、僕は思っている。
「そうかもな……」
意図せず呟いていた。
その言葉は、液面に小さな波を立てる。いや、単に僕の手が震えただけかも知れなかった。
何れにせよ、僕の動揺によって生じた波紋であった事に違いはない。
紅葉は続ける。
「……また、前みたいに、三人で──」
その後の言葉は、しかし、聞こえてこなかった。理由は──僕の知るところではない。
しかしながら、僕の中には、それに応えられるものが一つ生まれた。
──どうだろう……。
心ない一言だと思い、すんでのところで止める。ほとんど自然に出てきそうになったから──自分が、怖い。
前みたいに、は出来るのだろうか。三年も別離していた僕たちに。
しかし、その疑念を払拭する奴はいた。
「できるでしょう。そうであろうと、お望みであるならば」
紫苑は優しい瞳をカップの中に落としている。
柔らかい声音だったが、実際、その中には力強さのようなものがあった。
確かに、そうなのかも知れないと、思い直す。僕がそう考えなかったのは、僕がそうであろうとしなかったから。きっと、そうであろうと望めば、どれほどの時間をかけようが、できるのだ。
まぁ、なるようになってしまえと、今はそう思うことにした。
紅葉は紫苑の言葉を受けて、彼女の方を向く。
何だか、驚いたような、真剣な眼差しだった。
「だよね……。そうだよね」
「はい、当然です」
紫苑も合いの手を入れる。
「だよね」
「……えっ? おおぅ。そう、じゃない……?」
突然僕の方を向いて、同意を求めてきたのでへんてこりんな回答をしてしまう。
──が、紅葉は気にする様子もなく、うんうんと頷いていた。
しかし、しようと、そうであろうと思っても、中々困難なものがあるのではないだろうか。精神的、ではなく物理的に。これから会う機会なんて、以前のようには行かないだろう。特に、僕たち高校生には学校があるではないか。
それに──そもそもこの人っち、どこの高校行く訳?
「市内の公立校です」
尋ねると、紫苑はそう答えた。
へぇ、公立……。ちらと、視線を紅葉に送る。目が合うと、彼女は慌ててそれを逸らした。
「私立じゃないんだ」
「はい、この辺りは──言っては何ですが、あまりマシなのがありませんので」
「本当に何だな……」
「実際そうでしょう。私立より、公立の方が学力もスポーツも名があります」
「まぁね……」
私立の、馬鹿みたいに頭の良い学校は都会にしかない。大体、静岡みたいな地方は、公立にしっかり頭が良い学校がある。無論、そのせいで私立が弱くなってしまうのかも知れないが。
「じゃあ、時間が合う時にまた、だな」
僕が言うと紅葉が顔を上げてうんうんと頷く。相変わらずテンションの掴めない奴だ。
「そうですね」
紫苑も同意する。彼女も心なしか微笑しているようだった。
……何だ、コイツら?
まぁ良いか。
いよいよコーヒーが尽き、話題も大したものは出なくなった。
僕たちはスタバを後にして、新静岡駅へと向かった。
最後までお読み下さりありがとうございます。
何だか夏休みの宿題とか部活とか、忙しくなりそうです。これからは一週間ペースぐらいになりそうですが、ご了承下さいませ。
西日本の豪雨、とんでもないですね。自分にどうにか出来るものでは無いですが、頑張れとそのくらいしか言えませんが、復興を期待しています。




