第10話 自宅にて、しばしの休息
遅くなってすみませんマジで。
一日過ごして分かったのだが、結局僕は要らなかった。いや、人としてとかじゃなくて。大川井縹のグループに不要だったのだ。
お昼ご飯は、会話に参加せずとも何だかのほほんとした空気となっていて、知らない間にお開きであった。
その後、例によって深沢怜が何をしていたのかと問うてきたが、別段何かをした訳ではない。事実をありのままに伝達すると、つまんねぇなと面白くなさそうに口を尖らせたのだった。彼が何を期待していたのかは、まぁ分からないところではないがそこまで大切なことでないのも明々白々である。
午後も気にする事なく授業をこなした。
放課後、大川井さんや中村さん、宮城島さん、ゆっきーくんといった大川井グループの幹部に会ったり、清水五十六や小澤望といった教師陣に絡まれたりもしなかったので、何日かぶりに通常通り帰宅できることとなった。
思えば大川井さんと初めて会話したのが二日前なので、急な展開だなぁと感心した。よくもまぁこの短期間であの人とお近づきになれたものだ。ただ僕としては、迷惑ここに際まれり、ではあるのだが。
今日は何となくどこかに寄る気になれなかったので直で帰宅することにし、帰りの行程つまり緩い坂を上って行くのだ。
ギィコギィコと自転車を漕ぎ、家の車庫の車の横に止める。
鍵を引き抜き玄関ドアに向かい、手を掛けた。
ドアを開くと自宅玄関が視界に写る。
中学登校用の白を基調とした運動靴が、キチンと一組になってちんまりと置かれている。それに対して、横には水色のスニーカーが乱雑に脱ぎ捨てられていた。
これが意味するは至極単純な事で、完ペキ妹の水野空が帰宅しているということ、不肖の姉、海が居座り続けているということである。
僕は姉のような堕落した人間にはなりたくないので妹を見習い、脱いだ靴を整頓する。まぁ妹を手本にする兄というのも中々救い難い。
廊下を通ってリビングのドアを開くと、ソファに座った姉がまたもや例のイカゲーをやっていた。しかし僕の妹はというと、左手のテーブルの上にノートやら何やらを広げていて勉強中らしい。
二人とも僕が帰ってきたのに気づき、姉はテレビを見つつ、妹は顔を上げて、それぞれお帰りと言った。
「あれ……早いんだねお兄」
「ん? まぁな……。今日は何もなかったし」
「お兄に何かあった時なんてあった?」
「いや、……ないな。今日は直で帰ってきたんだよ」
まぁ大川井さんたちとのアレは、何かあった、には入らないだろう。事実は、官僚と政治家意外、ありのままに伝えるのがこの国のルールである。
空は特に何かを思うでもないらしく、ふぅんと返した。
「それよか、何でこんなとこで勉強してんの? アレ、うるさいでしょ。部屋でやれば?」
僕はテレビ画面を指差して、空に促す。
画面にはヒトになったりイカになったりする謎生物が、ちょうど弾けてインクになる様が写し出されていた。
空のような聖処……じゃなくて、青少年の教育に良くないですなうん。ああいうのをずっとやってるからすぐに死ねだの殺すだのと、物騒な言葉を使うようになってしまうのだ。
「よっしゃあザマァ見ろ!」
「うっさい死ね」
姉の大声はとんでもなく耳障りだ。しかし、だからと言って汚い言葉遣いをしてはいけない。え……? 僕がした? あれはベリークリーンワードだ。
「ん、何?」
姉は再びスイッチくんを、カタカタと慣れた手つきで操作しながら訊いてくる。
「いやだから、今空が勉強してんだから止めてやってよ」
僕が言うと、空の方から返事があった。
「別に良いよ。アタシも今、休憩中だし」
「そう……?」
空はうんうんと頷く。
「なら、良いけど……」
何か納得行かないがまぁ良しとしよう。
僕は自分の定位置となっているテーブルの椅子にリュックを置き、キッチンの食器棚からコーヒーカップを取り出す。それを近くのバリスタくんにセットする。
電源を入れてブラックのボタンを押すとしばらくしてからガァー、ゴォーと、機械音が響いて、コーヒーカップに深い色のコーヒーが満ちてゆく。
インスタントでここまでできるのはすごいと思う。何年か前、親父によってもたらされたこれを見たときはマジで脳が震えた。
キメ細やかな泡が立ち、また香りも豆から淹れたコーヒーに迫るものがある。味も、通常のインスタントに比べて酸味が抑えられていて、しっかりとした苦みが口の中に広がる。
最近はコンビニのコーヒーがマジですごいのだが、家で飲むんだったらこれでも充分。というか十二分まである。もっと知識と金があれば、いつしか自分で豆から淹れたいなと思う。
一口啜った後、冷蔵庫の中の、あんまり高くないチョコレートを口に放り込む。
やはりコーヒーにはチョコレート、猪口齢糖には珈琲。これ常識な。漢字は非常識。
四角のチョコレートが口の中を冷やす。そしてじっくりと溶けていき、甘みが苦みをホールドするように舌に広がる。
一回噛むと甘さがさらに広がり、二回噛むともっと広がる。
じっくり味わってから再びコーヒーを口に含む。苦みが回帰する。これが堪らん。
コーヒーとか一日二、三杯は飲んでる。おかげでコーヒーの残量を気にせず抽出して、透明なほとんどお湯状態のものが出てきた時の絶望感は底知れない。うーん、こいつも苦い。
僕はコーヒーの入ったカップをテーブルに置き、椅子に座る。頬杖をついて、目を閉じる。
「お兄どうしたの? ため息なんかついちゃって」
見ると空が訝しげな視線を僕に向けている。どうやら意図せずため息が出てしまったらしい。デジャヴュだ……。
「んん……。まぁ、色々あってさ……」
「疲れてるってこと?」
「かも知れない」
何を以て「疲れている」と言うのかはよく分からないが、まぁ自分のキャパシティを超えるようなことがあったのは事実だ。脳の回転やら身体の動作やらが、追いついていないのかも分からない。
空はへぇと、おもしろおかしく感心するような顔付きになる。
「お兄に色々って、ウケるんだけど。色々なくない?」
「えぇ……、あー……いっぱい人と知り合ったんだよ」
空はふへぇと、さらに目を丸くする。
「え、友達になったの? すごいじゃん」
友達作って褒められるって、僕って終わってんなぁ……。
「いや友達っていうか……、下働き?」
「エッ……」
空は一気に顔色を悪くする。どこか体調が悪いのかしら……? 悪いのは僕の頭。
「それって、パシリってこと?」
「おぉ、それ近い」
「えぇ……」
空はため息にも似た声を漏らす。
ちょっとぉ? 何でそんな、可哀想なものを見る目をしているのかな? 見られてる奴が一等可哀想でしょ? 例えば僕とか。
空は呆れるような顔つきであったが、すぐ調子を取り戻す。
「んん……、でも疲れてるのかぁ」
「いや、別に空が気にすることないからね?」
「……でも、ただでさえ元気ないお兄が疲れてるって、家の空気がもっと重苦しくなっちゃうってことじゃん? ヤバいよね……」
「あぁ、そういう……。ご、ごめんね……。迷惑かけて……」
えぇ……。僕っていっつも元気なさそうなのん? いやでも自分が元気百倍アンパンマンとかいう姿、想像したら気持ち悪すぎてトイレに一週間引きこもるレベル。……いやそれは流石に死ぬわ。
僕が謝ると、空はブンブンと首を振り少しばかり胸を張る。無い物ねだりは良くないなうん。
「別に、お兄は謝んなくて良いよ。それを何とかするのがアタシの役目なんだから。……さて、でもどうしよう」
空はそう言って、うーんとかあーとかと、呻きながら考え始める。
こうやって僕のことを気に掛けてくれる辺り、さすがすぎる妹だ。なんて良い娘だろうか。
親父が単身赴任で、母さんも帰りが遅い中、唯一家事をこなしてくれるのが空だ。洗濯物やら風呂洗いやら晩飯やらを、ほとんどやってもらっている。
面倒が嫌いな僕だが、可愛い妹が家事をいっぱいしてくれているので、週一で良心の呵責に堪えられなくなる。しかし「手伝おうか?」と尋ねても「大丈夫」と、素っ気なく言われてしまうので逆に僕が窮屈になってしまうのである。
兄と姉がゴミクズだと妹はこんなにも良い娘になってしまうのだろうか。いや「なって」というのは適切な語ではない。僕たちが、彼女を良い娘に「させて」しまってるのではなかろうか。
僕と姉は母さんからもダメだこりゃと、半分諦められてしまっている。そのため、兄弟の中でも一番利口な空に期待している節がある。
そして僕たちも頼りきりで、責任感のあるこの娘は軽々しくNOと言えないのではなだろうか。
もしそうだとしたら何かしてやらねばと思うのだが、それでも空は「大丈夫」と、無理をするのではないか。結局堂々巡りになってしまうのだ。
僕が気兼ねしたところでどうにかなる訳ではないが、今年から空は受験生だ。姉の大学受験勉強を見て、そういう意識を既に持っているかも知れない。
空には是非とも志望校に合格してほしい。
であれば、今年は空を出来る限り楽させてやりたい。でき損ないの兄はそんなことを言える立場ではないが、その考えは嘘ではない。
これらの案件は早急に対応せねばなるまい。
僕が思考してうんうん唸っていると、空が思いついたようにあっと声を上げる。
「春休み、どっか行こうよ」
「行こうって……誰と?」
「うん、アタシとお兄とお姉ちゃん」
「えぇ……」
「ダメ……?」
うーん、そうやって可愛くムスーッと見られて「ダメww」なんて言える玉じゃないんだよなぁ僕は。っていうかだんだんそういう風に男を見るのが得意になってきたんですかね様になってますよ。そうやってどんどん男を食い散らかしていくのね。お兄ちゃん今後も安心だわ。
でも、ゆるーくかわせればそれで良い。
「えー、ダメじゃないけど……。僕もう『日帰り中央線乗りつくしの旅』っていう計画があるんだけどなぁ」
そう、既に春休みのプランは策定済みだ。未乗車だった中央西線の多治見~塩尻を含めて乗りまくる。待ってろよ長野色。
「え……それってどうゆう?」
「っと、まず草薙から始発に乗って取り敢えず東京まで行って、そこから中央東線で塩尻まで。塩尻からは乗り換えて名古屋まで行ってその後は東海道線で帰ってくる」
「むぅぅ……、何かよく分かんないけど、どのくらい時間かかんの?」
「んん、草薙に五時で、帰ってくると九時だから……ざっと十六時間だな」
「じゅ、じゅうろくじかん……」
空は今にも倒れてしまいそうな青冷めた表情を浮かべている。
ここで最後の一押し。
「着いてくる?」
「……いい」
「そっか」
ふ、これで一緒にお出掛け作戦は消滅都市した。僕とどこか行こうとするとこういう事になってしまうので、皆気をつけた方が良い。
しかし、この計画にも一抹の、と言って良いのかどうかよく分からない問題点がある。適当に考えた結果、岡谷~辰野~塩尻の旧本線区間に乗車できないのである。
別に時間ずらせば行けるけど、家に着く時間が多分二十三時くらいになるのでおかんが怒り出しそう。まぁ前に乗ったことあるから良いんだけどね。
小野~塩尻は、塩尻市を含む松本盆地が高所から見渡せて結構好きな景色ではある。まぁその近くで言うとやっぱ姨捨が最強すぎるけどね。
昼飯は何を食べようかしらと思案していると、空はまたしてもあっと声を上げる。
「よし、今から皆でゲームだ」
「え、何? どうしてそうなった?」
僕が不思議がると、空はパンと手を叩く。
「いいのいいの。という訳で、スマブラやろう」
「だからどうしてそうなった……」
空は僕の言葉を無視したのかあるいは単に聞こえなかったのか、どちらにせよ反応することなく立ち上がって、姉の元へ向かう。
「お姉ちゃん、スマブラやろう」
空がにこにこしながら姉に話しかける。何か女の子が自らスマブラやるとか、中々ないよなぁ……。
姉はイカゲーを絶賛プレイ中だが、空を見てニッと笑う。
「良いよ。他ならぬ空ちゃんからのお願いごとだもん。聞き入れて進ぜよう」
「ありがと」
空は感謝を示し、テキパキとwiiuのswitchを入れる。ややこしや……。
画面には三匹のポケモンたち。そしてフィールドにはポツリポツリとモンスターが閉じ込められている例のボールが出現する。題して「スマブラで、ポケモンによるポケモンのためのポケモンのバトル」である。考案は誰か知らん。
「ねぇ……」
「ん?」
「スマブラって、空が強いからやりたいだけじゃないの?」
「違うよ。お兄のストレス発散のためだって」
「左様で……」
その割りには、ストレスをゲーム内数値に換算したダメージパーセントが刻々と上昇していくのですがこれ如何に。
言ってしまうとスマブラは空の独擅場である。うんピカチュウはマジでズルいと思う。でんきショックとかみなりはチート。
そして技術が至らない僕は、姉と妹に板挟みにされていた。とても痛い。「イタ」四連チャン、上手い! 勿論リアルでそんなことはなくて、ソファの端でちょこちょこやっている訳だが。
「うーん、こうしてみんなでスマブラやるのも久々だなぁ」
姉の海が感慨深そうに言うと、空も同意する。
「そうだね。……でも、たまにはこういうのも良くない?」
「うんうん。やっぱゲームはみんなでやんないとね」
二人は笑いながら高速でリモコンのボタンを叩いている。怖っ……。顔と手が一致してねぇ……。
「それにお姉ちゃん、もうすぐ行っちゃうじゃん」
その声は少しトーンダウンしていて、表に出していない空の心が見えそうだった。
姉貴は空の真意を悟ったか、空に肩を寄せる。
「大丈夫だよ。寂しがらないで」
「いや、でもすっごい不安。お姉ちゃん野垂れ死にしちゃわないか」
「そうゆうこと!?」
二人のやり取りは姉妹だからこそ為るものなのだろうか。妹の方が頑張り屋で真面目で、姉の方がだらけててオタクでも、結局姉と妹という関係になるらしい。妹はどこかで姉を慕っていて、姉は妹を構って元気にさせようとする。
確か月末二十九日に出発だっただろうか。姉妹が一緒に居られるのもそれまでの間なのだ。無論僕もだが。
それならば今の内に思い出を作っておきたい、という気持ちの表れからの今なのかも知れない。先の僕へのお出掛けの打診もその一環だったのなら、無下にしてしまったことを申し訳なく思う。
思い出はいずれ消えてしまうし、残るものではない。それは人間が時間という概念の中で生きている以上避けることのできない事象だ。
では、なぜ人は思い出という名の産物を残そうとするのだろう。強迫観念に捕らわれているからか、あるいは自己満足か。
その人と過ごした時を作らねば、もしくは作ったという考えであるのならば何となく度しがたい気持ちにもなる。
一時の幸福しか与えられないものに未来永劫の望みを託すなど論理破綻も甚だしい。
思い出とは意図的に作るものではなく、自然に作られるものであろう。不純な動機で設えたものなど所詮はイミテーションだ。それは人に幸福をもたらすものではなく単なる枷にしか成り得ない。そしてその枷の中で、捕らわれの身である事さえも忘れようと人々は過ごしてゆく。
そんなものを「思い出」と言うなぞ到底できないことだ。
記憶に強く結び付くには、一時に見つけた純粋な出来事。無垢なそれは脳に、瞳に、鼻腔に、口に、耳朶に、膚にダイレクトに書き込まれる。そしてそれが思い出と成り得るのだ。
急造品がゴミクズだとは思わない。ただ、それはあくまでも作る事が枢軸となっていて、その経験というのは身体の中に入ってきにくいのではないか。
そも、そんなことをする前に思い出というのは必ずどこかに存在しているはずなのだ。焦って作る必要はないのである。
「もーらいっ」
「あ……」
僕の操作しているキャラクターに、空の横スマがクリーンヒットし画面外へふっ飛ばされる。
ボーッとしているとこれだからダメなのだ。残機は0になってしまった。
「よーし、後はお姉ちゃんだ」
「ふふ、掛かって来なさい。憐れな獣よ」
こうして姉と妹の一騎打ちが始まる。はてさてどちらが勝つものやら。
僕はぽけーっとその様子を眺めていた。
結局最終試合が終わったのは二時間後で空は「ヤバい!」と叫びながら夕飯の支度を始めた。
しかし、その表情はどこか晴れやかで嬉しそうだった。
思い出、ではなく一時の楽しさ、幸福さというのも彼女にとっては素晴らしいものなのかも知れない。
ソファの背もたれに身体を預け、天井を見上げる。
たまには、こういうのも良いかもなぁ……。
そう考えていると、左から声が掛かる。
「空ちゃんから聞いたんだけど、陸くんパシリにされてるんだって?」
「まぁ、そんなもんだよ……」
姉は、ゲームはいつまでやってもやり足りないのか、今度はスマホゲームを始めてしまった。一体いつ勉強してるのかしら。
「へぇ……。まぁ困ったらいつでもお姉ちゃんに頼りなさい。相談乗ってあげるからね」
「はいはいどうも」
ま、しないけどな。
この人は、やっぱり自分の姉なんだなと熟思う。
僕の方が背が高くなっても、僕の方が勉強ができても、僕の方が運動が得意でも、僕の方が力が強くても、この人は僕の姉なのだ。たまにそれが嫌になる時がある。
いつまで僕を弟扱いするのかと憎らしく思う。僕のことを心配して言ってくれていると、分かっていても何故だかその感情が拭えない。
そして、そう思っている自分が嫌になる。やっぱり僕は下衆だ。
毎度のようにそう思っては違う違うと否定し落ちつく。このルーティンももうすぐ終わりらしい。
リビングを煌々と照らす明かりが眩しい。目を瞑る。
暗いところに居ると心が静かになる。
キッチンで空が野菜を切る音、換気扇が回る音、姉がカタカタとスマホを叩く音。
それら全てがすーっと僕の中に入ってきて、消えていく。
こうやって水野家の夜は更けていく。
最後までお読み下さりありがとうございます。
長ったらしい文章をよくぞ読みきって下さいました。
え? 斜め読み? いや、え、良いんですよ別に。はい、こんな拙い字面を読んで頂けるだけでも光栄に存じます。
もうすぐテストです。なので、次話は来週テスト終了の金曜日以降に投稿したいと思います。
読んで下さっている方々、今しばらくお待ち下さい。




