第七話:英雄の帰還と、王都完全封鎖。――「逃げられると思ったのですか?」
「……おい、聞いたか? 今日の閣下の戦いぶりを」
魔物討伐から帰還したばかりの騎士団の列。その中で、側近のユージーンはまだ青ざめた顔のまま仲間にささやいた。
「理由はわからんが、あの時の隊長の鬼気迫る攻撃には恐怖しか感じなかった。魔物たちが哀れに見えるほどの圧倒的な蹂躙……あの大剣での撫で斬りだぞ? 一瞬で辺りが血の海だ。俺は、閣下が何かの魔神にでも憑りつかれたのかと思ったぜ」
騎士たちが震え上がるのも無理はない。ギルベルトは予定を大幅に繰り上げ、不眠不休で魔物を掃討し、まるで血に飢えた嵐のように王都へと戻ってきたのだ。
王宮の裏門をくぐる直前、ギルベルトは出立していく一台の商用馬車とすれ違った。
ふと、彼は手綱を引き、馬の足を止める。その鋭い視線が、すれ違った荷台を覆う厚い幌に向けられた。
(……気のせいか? 妙な胸騒ぎがする)
一瞬、剣を抜いてその荷台を暴こうかという衝動に駆られたが、国王への帰還報告を優先し、彼は馬を走らせた。
その薄暗い荷台の隅に、自分から逃げようとしている愛しい女神が息を潜めているとは、その時の彼はまだ確信していなかった。
国王への形式的な報告を最短で終わらせ、ギルベルトはそのまま離宮へと向かった。
愛しい婚約者の寝顔をひと目見る。ただそれだけのために、彼は念入りに返り血と汚れを拭い落とし、逸る心を抑えながら彼女の部屋の扉を開けた。
だが、そこに広がっていたのは、無情なまでの静寂だった。
「……ユーフェミア殿下?」
返事はない。主を失った部屋は冷え切り、開け放たれたバルコニーの窓から夜風が吹き込んでいる。
ふと机の上に目を向けると、そこには二通の手紙が並んでいた。一つは国王へ。そしてもう一つは、自分へ。
「…………嫌な予感は、これだったか」
かすかに震える指で、自分宛ての手紙を取り、封を開ける。
そこには、ユフィの真面目すぎる性格と、深い誤解、そして自分への「身を切るような愛」が綴られていた。
『本当の大切な方とお幸せになってください』――その涙の跡が滲む一文を読んだ瞬間。
ギルベルトのターコイズグリーンの瞳から、一切の光と温度が消え失せた。
「――ユージーン」
「は、はいっ! ここに!」
部屋の外で控えていたユージーンが、部屋から漏れ出る凍てつくような殺気に当てられ、反射的に直立不動になる。
「こちらの手紙を陛下にお渡ししろ。内容は、我が婚約者殿の『一時的な気まぐれ』だ。……それと」
ギルベルトは、ユフィの手紙を丁寧に、まるで壊れ物を扱うように折り畳み、懐の最も心臓に近い場所へと仕舞い込んだ。握り潰すことも、汚すことも決して許さない。彼女が自分に遺した、初めての「想い」なのだから。
しかし、その美しい口から放たれた言葉は、冷酷なまでに鋭かった。
「王都の城門を、今すぐ全て封鎖しろ。ネズミ一匹通すのも許さん。……逃げられると思っているのなら、とんだ勘違いだということを、たっぷりと教えて差し上げなければな」
「しょ、承知いたしましたぁ!!」
(ああ、終わった……王都の平和が終わったぞ……!)
ユージーンが絶叫(内心)しながら走り去る中、ギルベルトは開いたままの窓から夜の闇を睨みつけた。
その瞳は、逃げ出した獲物を地の果てまで追い詰める、飢えた獅子のそれであった。




