『清涼公園と含涼殿』
帝国歴304年8月。灼熱の太陽が、乾燥したアンチアルマの大地を容赦なく焼き尽くしていた。城壁の外からはグラッデェの軍勢の地鳴りが迫りつつあったが、堅牢な城内の、とある一画にだけは、およそこの世のものとは思えない「涼やかな風」が吹き抜けていた。
そこは、新しく落成した総督府の前方の広場。
周囲を高い石壁と漆黒の垂れ幕で囲み、一般の兵や民の立ち入りを厳重に禁じた場所に、それは存在していた。
「……ふう。これで最後の仕上げですね、セシリア様」
侍中のエミーナが、額の汗を拭いながらふっと息を漏らした。彼女の手のひらからは、かすかに白く冷たい霧が立ち上っている。
セシリアとエミーナには異能の力があった。二人はこの八月の猛暑のなか、体力をすり減らす兵たちや、不慣れな復興作業に追われる民たちのために、皆にバレないよう細心の注意を払いながら、その力を密かに解放したのだ。
そうしてアンチアルマの内部に作り上げられたのが、驚異の「清涼公園」であった。
その中心には、どこまでも透き通った冷水を湛えた「池」が広がり、古代遺跡の石材を削って作られた見事な「噴水」が、涼やかな音を立てて飛沫を上げている。周囲にはリゼリアが整えた緑豊かな木々が植えられ、心地よい日陰を作る「東屋」が点在していた。
そして、この清涼公園の最大の目玉こそが、古代の叡智と二人の異能を融合させた冷房建築——『含涼殿』であった。
◇
「水車が回り始めました! 地下の冷気が、見事に汲み上げられていきますわ!」
ロゼッタが、建物の裏手にある巨大な木製の「水車」を見上げて歓声を上げた。
この含涼殿の仕組みは、実に精緻であった。噴水から流れ落ちる冷水の勢いを利用して、裏手の巨大な水車を回転させる。その水車の動力は巧みな歯車を伝って「地下の暗渠」へと繋がり、地下の凍てつく冷気を地上へと絶え間なく汲み上げる仕組みになっていた。
さらに、汲み上げられた冷気は、含涼殿の床下に張り巡らされた銅製の管を通り、部屋の四隅に設けられた美しい彫刻の通気口から、絶え間なく涼風となって室内へ噴き出すのだ。
「これは……素晴らしいな。オクタヴィアの宮殿よりも遥かに涼しい」
前線での軍議を終え、鎧を脱ぎ捨てて含涼殿へと足を踏み入れたイリアード親王は、肌を撫でる冷涼な空気に、驚嘆の声を上げた。
彼の隣では、親王妃リゼリアが、ベルナデットの淹れた冷たいハーブティーを口に含み、幸せそうに目を細めている。
「セシリア、エミーナ。二人がこれほどのものを作ってくれるなんて。これなら、八月の猛暑のなかでも、将兵たちの疲労は一晩で吹き飛びますわ」
「はっ。皆には『古代遺跡の水利施設を修復した副産物』と説明してあります。まさか、私とエミーナが夜な夜な異能の力で造成したとは、誰も気かないと思います」
セシリアが不敵に微笑んだ。
◇
含涼殿の涼風に癒されたイリアードの双眸には、いつもの冷徹な総督としての光が満ち満ちていた。
アンチルマの帝国軍十三万は、この隠された「清涼公園」と含涼殿によって、常に最高の体調と、凍てつくほどの冷静さを維持していた。
ベルナデット、ロゼッタ、エミーナら侍女たちの献身的な隠蔽工作に守られ、二人の妃の愛と異能によって完成した「含涼殿」。
この涼やかな要塞は、最も贅沢なご褒美として、八月の復興作業を応援するのであった。




