『琥珀色の蜂蜜酒と白い花冠』
大河コミュシュルツの川面を渡る風はどこまでも穏やかで、初夏の陽光がアンチアルマの白い新城壁を眩しく照らしていた。
一年のうちで最も昼が長い、夏至の日の午後。
帝都オクタヴィアの権力構造を内側から爆破し、シュタインベルク家を失脚させた宮廷クーデターから2週間ほどであるとは信じられないほど、この地には穏やかな時間が流れていた。
「リゼリア様、セシリア様。キャニオンポートの商人から買い付けた、極上の蜂蜜酒が冷えておりますよ」
宴席の準備が進む庭園に、楽しげな声を響かせながら歩み寄ってきたのは、親王妃リゼリアに幼少期から仕える忠実な侍女、ベルナデットであった。彼女は避難民藩地での過酷な一年間も、常にリゼリアの影として物資の差配や救護活動を支え抜いた、気丈で聡明な女性だ。彼女が抱える銀のトレイの上には、琥珀色の美しい酒が満ちた杯が並んでいる。
「ありがとう、ベルナデット。あなたも今日は仕事を置いて、こちらへ座りなさい」
リゼリアが優しく微笑むと、ベルナデットは「恐れ入ります」と、嬉しそうに一礼して杯をテーブルへ並べた。
「これ、ベルナデット。殿下の杯が空のままよ?気が利かないな」
あえて厳しい口調で、しかしその双眸に悪戯っぽい笑みを浮かべて割って入ったのは、側室セシリアの侍女、ロゼッタであった。上質なエプロンを纏って給仕に徹していた。
「まあ、ロゼッタ。私はリゼリア様とセシリア様を最優先にしているだけよ。殿下への給仕は、あなたの役目でしょう?」
ベルナデットが負けじと言い返すと、庭園に爽やかな笑い声が弾けた。
「二人とも、せっかくの夏至の休暇なのですから、喧嘩はいけません」
そんな二人を宥めるように、大皿に盛られた焼きたての白いパンを運んできたのは、もう一人のセシリアの侍女、エミーナであった。彼女は藩地にて、セシリアと共に民たちの間を回り、不満や要望を細かく聞き取ってきた、心優しい苦労人だ。彼女の持ってきたパンからは、アンチアルマの隠された黄金によって買い付けられた、極上の小麦の甘い匂いが立ち上っていた。
◇
「ははは、賑やかで良い。オクタヴィアの白亜宮には、これほど心地よい羽音は響かなかったな」
総督イリアード親王は、三人の侍女たちの賑やかなやり取りを眺めながら、豪快に蜂蜜酒を飲み干した。帝都の朝議で大臣たちの喉元に剣を突きつけていた軍神の姿はそこになく、今はただ、愛する家族と、窮地を支え合ってきた仲間たちとの時間を心から楽しんでいた。
「本当に……。ベルナデットも、ロゼッタもエミーナも、あの地獄のような避難民藩地で、一枚の毛布を分け合って冬を越した『戦友』ですものね」
セシリアが感慨深そうに呟き、エミーナが運んできたパンを小さく千切って口に運んだ。
「左様でございます、セシリア様。あの凍える夜、ロゼッタが『寒さで手が鈍る』と泣き言を言ったので、私がスープを分けてあげたことを、私は一生忘れませんわ」
ベルナデットがふんぞり返ると、ロゼッタは顔を真っ赤にして抗議した。
「な、何を言うのよベルナデット! あれは冷え込みが厳しすぎただけで、私の仕事は寸分も鈍っていなかったわ!」
「はいはい、ロゼッタの強がりはいつものことです」
エミーナがくすくすと笑いながら、リゼリアの髪に、庭園で摘んだばかりの白い野花で編んだ花冠をそっと載せた。
「リゼリア様、とてもよくお似合いです。まるでアンチアルマに春を連れてきた女神のようですわ」
「ありがとう、エミーナ。でも、この街に春を呼び戻したのは、ここにいる全員の力よ」
リゼリアは頭の上の花冠を愛おしそうに触りながら、夫であるイリアード、そしてセシリア、そして三人の侍女たちへと、心からの感謝を込めて視線を巡らせた。
黄金の光が降り注ぐ庭園で、主従の垣根を越えた温かい絆が交錯する。
彼女たち侍女の存在こそが、過酷な復興劇と、血に塗れた宮廷クーデターという張り詰めた日常のなかで、イリアードや二人の妃の心を繋ぎ止める、一輪の清涼剤であったのだ。
◇
宴が黄昏時に差し掛かると、大草原の方へと沈みゆく巨大な夕陽が、庭園全体を美しい赤金色に染め上げていった。
「ベルナデット、ロゼッタ、エミーナ」
イリアードは杯を置き、三人の侍女たちを真っ直ぐに見つめた。
「明日からは、また厳しい現実が始まる。アンチアルマの復興はまだ遠い先だ」
その言葉に、三人の侍女たちは一瞬だけ表情を引き締めた。しかし、彼女たちの瞳に不安の色は微塵もなかった。
「殿下、私たちは一年間、この地で頑張ってきました」
ベルナデットが、リゼリアの傍らに毅然と立ち、頭を下げた。
「ですが、ここには私たちの家があり、リゼリア様が、そして殿下がおられます。守るべきものがある私たちは、苦難など恐れません」
「私の存在は、セシリア様と両殿下のためにあります」
ロゼッタが微笑み、そのエプロンの下で指を小さく鳴らした。
「私は、民たちの避難と兵糧の管理を徹底いたします。皆で復興できるよう、後ろは私たちが支えます」
エミーナもまた、優しく、しかし確かな決意を秘めた声で応じた。
イリアードは、二人の妻、そして彼女たちを支える三人の不屈の侍女たちの顔を見渡し、深く頷いた。
「よし。ならば恐れるものは何もない。このアンチアルマを、二度と誰にも渡さない」
夏至の最も長い昼が終わり、紫の夜の帳が焦土へと降りていく。
しかし、新しく築かれた白い城壁と、その奥に眠る古代の黄金、そして何より、この日さらに強固に結ばれた六人の絆は、明日から始まる終わりの見えない復興作業に、絶対に折れることのない最強の「盾」へと仕上がっていたのであった。




