オーレリア外伝『アンチルマ避難民藩地』その13
帝国歴304年2月――。
初春の兆しがかすかに漂い始めた「アンチルマ避難民藩地」は、どこか浮き立ったような熱気に包まれていた。 先月の「大厄祓いの儀式」によって人々の心から絶望の影が拭い去られ、集落の空気は劇的に明るくなっていたが、暦の上ではまもなく「節分」――旧年の終わりと新年の真の始まりを告げる節目を迎えていた。
「旧年の終わりに現れる悪鬼や疫病を追いはらい、新しい春の福を呼び込む……。それが、古くから伝わる『鬼追い』の節分行事よ!」
本陣の天幕にて、セシリアはふんわりとした笑顔で可愛らしく胸を張った。
「先月はお姉様が中心となって神聖な祈祷を行ってくださったけれど、今度はもっと賑やかに、子供たちも巻き込んで楽しく悪鬼を追い払いたいの!」
その傍らで、侍女エミーナが「わあぁ! 素敵ですぅ!」と目を輝かせてパチパチと手を叩いた。
「鬼追いですか! お菓子を配ったり、太鼓を叩いたりするんですよねぇ? 私、お祭り大好きですぅ!」
「ええ。でもね、ただの鬼追いじゃないわ」 セシリアはおもむろに、背後に隠していたものを取り出してみせた。 それは、セシリア、ロゼッタ、エミーナの三人のために作られた、色鮮やかで愛くるしい「木彫りの鬼のお面」であった。
赤鬼のお面は丸っこい角が二本生え、にっこりと笑ったような可愛らしい表情。青鬼のお面はちょこんとした一本角に、キュートな丸目が描かれている。
「じゃーん! この可愛い鬼のお面を被って、太鼓やかけ声と一緒に藩地の街中や本陣の陣営を練り歩くの! 恐ろしい鬼じゃなくて『福を呼ぶ可愛い鬼さん』が、悪鬼や疫病を追い払う……どうかしら?」
黒髪の侍女ロゼッタが、整った眉をひそめて静かに分析する。
「……セシリア様。鬼の扮装をして練り歩くことで、人々に親しみやすさを与えつつ、集団での歩行運動と発声によって熱気を生み出す……。旧来の厳粛な儀式とは異なり、民の娯楽としての効果も極めて高いと考えます」
「ふむ、合理的ですね」 侍女ベルナデット――「無慈悲のナデット」が、木札にペンを走らせながら淡々と頷いた。
「節分行事の実施による避難民のストレス解消効果、および集団の一体感向上による治安安定率はプラス18パーセントと算出されました。……ただし、あまり騒ぎすぎて本陣の軍務に支障をきたさぬよう、カモフラージュと安全確保は徹底してください」
「任せてちょうだい、ナデットお姉様!」 セシリアは嬉しそうにお面を手に取ると、「さあ、エミーナ、ロゼッタ! 出発よ!」と声を上げた。
◇
「——鬼は〜外! 福は〜内! 悪鬼も病も、飛んでいけ〜!」
ドン! ドンドン!
初春の澄み渡る空に、威勢の良い太鼓の音と、鈴の転がるような愛らしい掛け声が響き渡った。
藩地の中央通りに姿を現したのは、見る者すべての心を和ませる不思議な「鬼の一団」であった。
先頭を行くセシリアは、真っ赤な丸角の鬼のお面を少し斜めに被り、鮮やかな朱色の和装の袖をなびかせながら、小さな太鼓を「ドンドン!」と軽快に打ち鳴らしている。 その隣では、青鬼のお面を被ったエミーナが、両手に持った小さな鈴を「シャラン、シャラン!」と鳴らしながら、飛び跳ねるように踊っていた。
「鬼は〜外! 福は〜内ですよ〜! 悪い病気なんて、みんな吹き飛んじゃえ〜!」
そして後方では、黒鬼のお面を被ったロゼッタが、静かな佇まいで大きな和太鼓を背負い、寸分の狂いもない正確なリズムで「ドン、カラリン、ドン!」と重厚な低音を響かせていた。
その愛くるしい姿と楽し気な音色に、天幕からおそるおそる顔を出していた避難民たちが、次々と破顔した。
「わあ……! 見て、可愛い鬼さんだ!」 「お姉ちゃんたち、何をしてるの〜!?」
通りかかった子供たちが、目を輝かせて駆け寄ってくる。 セシリアはお面の下から飛び切りの笑顔をのぞかせ、子供たちに手招きをした。
「みんな! 一緒に悪鬼や病気を追い払うわよ! 私たちの後ろについてきて! 鬼は〜外! 福は〜内!」
「「「鬼は〜外! 福は〜内!!」」」
子供たちは大喜びで、セシリアたちの後ろに列を作った。一人、また一人と、天幕から飛び出してきた子供たちが加わり、あっという間に十人、五十人、百人……と、行列はどんどん膨れ上がっていく。
「はいっ! みんなでお豆(炒った大豆)を撒きますよ〜! えいっ、えいっ!」
エミーナが竹籠から香ばしい炒り豆を取り出し、空中に可愛らしく撒き散らす。 実はこの大豆、セシリアとエミーナの「空間調達」の異能によって、極小の暖かな光の粒子が込められた特別な代物であった。大豆が泥や空中に弾けるたび、かすかな光の粉が舞い散り、周囲に漂う冬の冷気や人々の身体の疲れを優しく拭い去っていく。
「あはは! お豆だ! つかまえろ〜!」 「鬼は〜外! 病気なんかに負けないぞ〜!」
子供たちは歓声を上げながら豆を拾い、セシリアたちの真似をして元気に声を張り上げた。 行列は賑やかな大行進となり、避難民藩地のぬかるんだ通路を、まるで春の嵐のような温もりと活気で満たしていった。
◇
その様子を、本陣の天幕の影からリゼリアが温かな眼差しで見守っていた。 隣に立つベルナデットが、手帳をパチンと閉じる。
「本陣敷地内への子供たちの進入によるセキュリティリスク……ゼロ。皇帝陛下および総大将のメンタルストレス軽減効果、絶大。……セシリア様の奇策、今回も完璧な成果です」
「ふふ、そうね。セシリアたちは、本当にみんなを笑顔にする天才だわ」
リゼリアが微笑むと、練り歩き隊は本陣を通り抜け、再び藩地の広場へと向けて進んで行った。
◇
夕刻――。
黄金色の夕空の下、練り歩きを終えた広場には、大仕事をやり遂げた子供たちと、セシリアたちの晴れやかな姿があった。
「みんな、今日はとっても上手に悪鬼を追い払えたわね! ありがとう!」
セシリアが叫ぶと、集まった子供たちから「ワーッ!」と大きな拍手と歓声が上がった。
「お姉ちゃん、楽しかったよ!」 「もう病気なんか怖くないよ!」 「また来年もやってね!」
子供たちは満足そうに、セシリア、エミーナ、ロゼッタの手を代わる代わる握り、それぞれの天幕へと元気に帰っていった。
子供たちを見送った後、セシリアはお面を外し、ほっと心地よい息を吐いた。
「ふう……! たくさん歩いて、たくさん叫んで、すっごく楽しかったわね!」
「はいっ! セシリア様!」 エミーナもお面を頭の上にちょこんと乗せ、満足そうに顔を綻ばせる。 「子供たちの笑顔がいっぱいで、私、胸がキュンとなっちゃいましたぁ!」
ロゼッタも黒鬼のお面を外し、静かに汗を拭った。 「……太鼓の音波と皆様の歓声により、藩地全体に滞っていた陰気が完全に払われました。物理的にも、精神的にも、最高の節分となりましたね」
「ええ!」
セシリアは愛くるしい鬼のお面を胸に抱きしめ、夕暮れの街並みを愛おしそうに見渡した。
寒く厳しい冬は、もうすぐ終わる。 可愛い鬼たちが追い払った悪鬼と疫病の向こう側から、暖かい春の光と、確かな福の神が、このアンチルマ避難民藩地へと、まっすぐに歩み寄ってきていたのだった。




