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『オーレリア戦記』  作者: りあと
外伝『アンチアルマ避難民藩地』帝国歴303年
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オーレリア外伝『アンチルマ避難民藩地』その7

帝国歴303年10月下旬――。


昨年は本拠地アルヴェリアの豪華絢爛なる水上宮殿「アクアパレス」にて、盛大な大収穫祭を楽しんだアルヴェリア親王家の面々であった。しかし今年、彼女たちが身を置くのは、寒風吹き荒ぶ「アンチルマ避難民藩地」である。


過酷な環境ではあったものの、先日の「天子の大祈祷と奇跡」――皇帝アラリックを巻き込んだ、セシリアたちの裏での「空間調達」による壮大な演出劇――は見事に大成功を収めていた。数万着の暖かな毛布や外套が天から与えられた(ということになっている)ばかりか、なんと不思議なことに、祈祷の翌日には藩地の一角から滾々と温かな「温泉」までもが湧き出たのである。


「ふう……極楽、極楽ですぅ……」


「エミーナ、天幕の裏だからって油断しすぎよ。でも、本当によいお湯ね」


簡易的に囲われた木造の湯舟で、セシリアとエミーナは肩まで湯に浸かり、心地よさそうに息を吐いていた。リヴィエール一族の異能を少しばかり応用し、地底の熱源と水脈をほんの少し手繰り寄せた結果産まれたこの温泉は、寒さに震える避難民たちの疲労を癒やし、衛生環境を飛躍的に改善させていた。着々と、そして力強く、この集落の生活は日々快適になりつつあったのである。


湯から上がり、さっぱりとした身なり整えたセシリアは、収穫の秋の深まりを感じながら藩地の様子を眺めていた。


(去年はアクアパレスでみんなと盛大なお祝いをしたけれど……今年はここでも、ささやかでも何か楽しいことを行いたいわね)


家を失い、身を寄せ合う数万の避難民たち。温泉と防寒具で身体は温まったが、心から人々を跳ね踊らせるような「お祭り」が必要だとセシリアは考えていた。


そんなセシリアの思惑を打ち砕くかのように、遠くから盛大な泣き声が響いてきた。


「ひえぇぇぇんっ! セシリア様ぁぁぁ!! 酷いですぅぅぅ!!」


「……あら?」


セシリアが振り返ると、髪を振り乱した侍女エミーナが、両手に何かを抱えながら涙と鼻水で顔をグショグショにして走ってくるのが見えた。 エミーナの腕の中にすっぽりと収まっていたのは、うり坊模様の小さな「子供のイノシシ」であった。イノシシは「きゅぅ、きゅぅ」と不安そうに鳴きながら、エミーナの胸元に鼻先をすり寄せている。


「どうしたの、エミーナ? そんなに泣いて……その子イノシシはどこから?」


「セシリア様ぁ! 酷いですぅ! 酷すぎますぅ!」


エミーナは子イノシシをぎゅっと抱きしめ、ボロボロと大粒の涙をこぼした。


「ナデット様とロゼッタちゃんが……この子たちを『今夜のメインディッシュにする』って言ったんですぅ! こんなに小さくて可愛いのに! この子は絶対に食べたらダメですからぁぁっ!!」


エミーナの絶叫に、セシリアは困惑して目を丸くした。 ふと見れば、エミーナの背後から、黒髪の侍女ロゼッタがいつものように無表情のまま、静かに歩み寄ってくるのが見えた。


セシリアはすかさずロゼッタへ視線を送り、(ちょっとロゼッタ、なんとかしてあげて!)と目で切実な合図を送った。


ロゼッタは小さく溜め息をつくと、冷徹な分析官のような口調で、淡々と事態の経緯を説明し始めた。


「セシリア様。誤解です。私はただ、客観的な事実と兵站の数字を口にしたに過ぎません」


「数字……?」


「はい」 ロゼッタはすっと姿勢を正し、指を一本立てた。


「セシリア様が提案された『収穫のお祭り』ですが、私たちは今夜、藩地の民を集めて『お肉祭り』を行う予定です。ですが、この藩地には現在数万人の避難民がいます。彼ら全員が満足できるようにお肉を焼き、腹一杯食べさせるためには、最低でも成体のイノシシが『200頭』必要なのです」


「に、二百頭!?」


セシリアも思わず目を剥いた。数万人規模の宴ともなれば、必要とされる肉の量は尋常ではない。


「ええ」とロゼッタは頷く。


「そして、もうすぐ本格的な冬が来ます。近隣の森や飼育場で管理しているイノシシの数をいま適切に減らしておかなければ、冬場の飼料が不足し、全頭が共倒れして餓死することになります。つまり、間引きと兵站管理の一環として、成長した個体を200頭出荷するのは、極めて合理的かつ必要な処置なのです」


「ううぅ……! 理由が正論すぎて反論できないのが余計に悔しいですぅ……!」


エミーナは子イノシシをかばうように後ろへ引き下がり、なおもぽろぽろと涙を流す。


「でもでも! 発送の計算の中に、この子イノシシちゃんまで入っていたんです! 『小さいから肉が柔らかそうだ』って、ナデット様が冷たい目で計算の木札に書き込んでいましたぁ!」


「あはは……ナデットらしいわね」


セシリアは苦笑いを浮かべた。侍女ベルナデット――「無慈悲のナデット」なら、効率と数字のために容赦なく判断を下しかねない。


セシリアは屈み込むと、エミーナの肩に優しく手を置き、その目を見つめた。


「大丈夫よ、エミーナ。子供のイノシシは絶対に殺したりしないから。ね? 泣かないで」


「ほ、本当ですかぁ……? セシリア様、嘘ついたらバツとしてお菓子禁止ですよ……?」


「本当よ」


セシリアは微笑み、子イノシシの頭を優しく撫でてあげた。子イノシシは安心したように「うりー」と鳴いた。


「ロゼッタ。大人になったイノシシの調達と、足りない分のお肉は……ふふ、いつもの『お茶目な裏工作』でなんとかしちゃいましょう。エミーナと私がいれば、200頭分の新鮮なお肉を用意することなんて、一瞬じゃない」


「……セシリア様。ナデット様の査問室に送られたくはありませんが、背に腹は代えられませんね。監視の目を誤魔化すカモフラージュは、私が引き受けます」 ロゼッタもあきらめたように、口元に微かな笑みを浮かべた。


「さあエミーナ、涙を拭いて! 子イノシシちゃんは藩地の子供たちのマスコットにしてもらうとして、私たちは大人たちとお腹を空かせた子供たちのために、最高のお肉祭りを作りにいくわよ!」


「はいっ! セシリア様! 私、お肉の仕込み、全力で頑張りますぅ!」



◇

その夜――。


アンチルマ避難民藩地の中央広場は、熱気と見たこともないような黄金色の歓喜に包まれていた。


あちこちに大きな焚き火が焚かれ、巨大な鉄板や串に刺された肉が、香ばしい煙を上げながらジューシーに焼き上がっていく。滴る脂が火に落ちるたび、パチパチという心地よい音と、食欲を激しくそそる香煙が夜空へと舞い上がった。


「うわあぁぁ! お肉だ! 本物のお肉だぁ!」


「すごいぞ、一人あたりこんな大きな塊肉をもらえるなんて!」


「柔らかい……! 噛むと肉汁が溢れてくるよ!」


子供も大人も、焼き立てのジューシーな肉を豪快にかぶりつき、口いっぱいに頬張っていた。先日授けられた防寒具と温泉によって身体が温まっていた民にとって、この温かく豊かな肉の味わいは、疲弊した魂を底から呼び覚ますようなご馳走であった。


広場の特設調理場では、セシリアとエミーナが楽しそうにエプロンをなびかせながら、大盛況の屋台を取り仕切っていた。


「はい、焼き上がったわよ! 熱いから気をつけて持っていってね!」


セシリアが太陽のような笑顔で大皿を差し出す。


「おかわりもたくさんありますからねぇ! お腹いっぱい食べて、寒さを吹き飛ばしてくださいぃ!」


エミーナも元気いっぱいに肉を切り分けている。その足元には、先ほど助け出された子イノシシが、子供たちに「可愛い!」ともみくちゃにされながら、嬉しそうに走り回っていた。


「……ふむ。見事な手際だな」


ふと、焚き火の影から豪快な声が響いた。 名物の巨大肉串を片手に、商人服……ではなく、今夜は親王家の身内として、くつろいだ装いの皇帝アラリックが姿を現したのだ。


「陛下!」 セシリアが振り返る。


アラリックは大口で肉を噛みちぎり、満足そうに頷いた。


「うむ! 滋味に富んだ素晴らしい肉だ。先の『天の奇跡』に続き、今夜はこのような素晴らしい宴を開くとは……アルヴェリア親王家の者たちの民を想う心、まことに天に恥じぬものよ」


「恐縮です、陛下。みんなの笑顔が見たかっただけなのです」


「ハハハ! 良い心がけだ!」


アラリックは豪快に笑うと、近くで様子を見守っていたイリアード親王の肩をドンと叩いた。


「見たかイリアード! お前の妻や側室たちは、軍のいかなる精鋭よりも見事にこの藩地の治安と士気を維持しておるぞ!」


「……はっ。頭が下がる思いにございます」


イリアードは苦笑いを浮かべつつ、セシリアへ温かな視線を向けた。


その狂乱の熱気から少し離れた天幕の陰で、侍女ベルナデットが手元の木札と帳面を検分していた。


「……おかしいですね」


ナデットの眼鏡が、焚き火の光を浴びてキランと光る。


「藩地で飼育されていた成体イノシシの出荷数は正確に120頭。残りの80頭分の肉は、一体どこから『調達』されたのでしょうか。肉質も極めて上質で、保存状態も完璧……。明らかに通常の物流ルートを通っていません」


「ナデット様」


隣にすっと現れたロゼッタが、表情一つ変えずに割り込んだ。


「『天の奇跡』の余波により、周囲の森の野生動物が自ら藩地の罠にかかった……という統計データ(偽造)が上がっております。物理現象としては、何ら矛盾はありません」


ナデットはジロリとロゼッタを見つめたが、やがて「ハァ」と深く溜め息をついた。


「……まったく。あの方たちは、またしても異能を無駄遣いして……。ですがまあ、数万の避難民の栄養状態が急激に改善され、冬越えに向けた基礎体力が大幅に向上したと考えれば……計算上、今回も目をつぶるのが合理的でしょう」


ナデットは静かに帳面を閉じると、自身の分として取っておかれた小さな焼き肉の皿を手に取り、そっと口へと運んだ。


「……ん。焼き加減だけは、文句の付けようがありませんね」


「ふふ、セシリア様とエミーナが心を込めて焼きましたから」


夜が深まるにつれ、藩地には歌声と笑い声が響き渡り、人々の心からは戦火の恐怖や冬への不安がすっかり消え去っていた。


満ち足りた心地で夜空を見上げるセシリアの隣に、イリアードがそっと寄り添う。


「セシリア。素晴らしい宴だな。……いつも民のために尽くしてくれて、感謝している」


「いいえ、殿下。私、みんながこうして笑ってくれているのを見るのが、一番幸せなんです」


二人の頭上には、澄み渡る秋の星空が広がっていた。 ささやかな「お肉祭り」がもたらした満腹感と温もり、そして人々の絆。それらは、これから訪れる厳しい冬をも溶かしてしまうほど、強く、温かく、藩地の夜を照らし続けていたのだった。

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