オーレリア外伝『アンチルマ避難民藩地』その4
「ねえ、ロゼッタ、エミーナ。子供たちのあんなに暗い顔、見ていられないわ」
アンチルマ避難民藩地の一角、簡易天幕の影でセシリアはふんと可愛らしく胸を張った。リゼリアたちの手腕と自分たちの裏工作によって、主食となる芋や穀物、そして軍の兵糧は確保されつつある。しかし、家族を失い、住み慣れた古都を追われた子供たちの瞳には、未だ深い絶望の影が落ちていた。
「食料はあるけれど、子供たちには『心のごちそう』が必要よ。甘くて、おいしくて、食べた瞬間に笑顔になっちゃうような、とびっきりの焼き菓子と山楂飴を作るわ!」
「まあ、セシリア様! なんて素敵なアイデアでしょう!」
エミーナはぽろぽろと流していた涙をハンカチで拭うと、ぱっと表情を輝かせた。
「サクサクのクッキーに、真っ赤で甘酸っぱい山楂飴……想像しただけで、私のお腹も鳴ってしまいそうですぅ!」
「ですがセシリア様、エミーナ」
黒髪の侍女ロゼッタが、整った眉をひそめて冷徹に指摘する。
「藩地の子供たちの数は千人を軽く超えます。一人に数個ずつ配るとなれば、必要な菓子と飴の数は数千個規模。それを一から手作業で作れば、数日はかかります。それに、砂糖やバター、山楂の実といった贅沢品は、いまの藩地には一グラムも存在しません」
「ふふっ、何を言っているのロゼッタ? 私たちに『作れないもの』なんて、ないじゃない」
セシリアは悪戯っぽく微笑むと、白い指先をすっと空中に滑らせた。 リヴィエール一族に伝わる「空間調達」の異能。セシリアとエミーナの圧倒的な能力をもってすれば、材料の調達どころか、工程の九割を瞬時に終わらせることなど造作もない。
「さあエミーナ、やるわよ! ナデットに見つからないように、手早くね!」
「はいっ、セシリア様! 過酷な労働……じゃなくて、夢のお菓子作りですぅ!」
二人はクスクスと笑い合いながら、異能を発動させた。 セシリアが空間を揺らすと、天幕の中に、香ばしい小麦粉、上質なバター、黄金色の砂糖、そして鮮やかな朱色の山楂の実が、まるで魔法のように次々と出現する。
「ロゼッタ、周囲の監視は?」
「……半径200メートル以内に人影なし。ナデット様の巡回ルートからも外れています。異能の発動、許可します」
ロゼッタは溜め息をつきつつも、「千里眼」で周囲の安全を完璧に確認し、監視役を引き受けた。
ここからは、彼女たちの独壇場だった。 エミーナが「えいっ!」と手をかざせば、小麦粉とバターと砂糖が一瞬で最適な比率で混ざり合い、美しい型抜きクッキーの生地へと変貌する。セシリアが指を鳴らせば、空間の微小な熱操作によって、クッキーは瞬時に香ばしく焼き上がり、狐色のサクサクとした焼き菓子へと姿を変えた。
山楂飴も同様だ。熟した山楂の実に竹串が自動的に突き刺さり、煮煮詰まった透明な砂糖蜜が、まるで生き物のように実を包み込んでカチリと固まる。艶やかな朱色の飴玉が、太陽の光を浴びて宝石のように煌めいた。
「すごい……! セシリア様、見てください! 一分間に数百個ペースで完成していきますぅ!」
「ふふ、これで九割は出来上がりね! でもね、最後の仕上げだけは、私たちの『手』で愛情を込めなくちゃダメよ」
セシリアたちは、最後の数百個だけは実際に自分たちの手で型を抜き、砂糖蜜を絡める作業を和気あいあいと楽しんだ。甘い香りが天幕いっぱいに広がり、三人の弾んだ笑い声が静かに響く。
「……セシリア様、甘い香りが漏れ出しています。そろそろ仕上げないと、匂いで人が集まってきてしまいます」
ロゼッタが冷静に警告するが、その手にはしっかりと焼き立てのクッキーが握られており、小リスのように一口かじっていた。
「ん……美味しいです。サクサクで、ほのかにミルクの香りがします」
「あ! ロゼッタちゃん、ズルいですぅ! 私も試食しますぅ!」
「こらこら、二人とも配る前にお腹いっぱいにしないでね?」
セシリアは楽しそうに二人を制しながら、出来上がった数千個にも及ぶ膨大な焼き菓子と山楂飴を、大きな竹籠に積み上げていった。
◇
天幕の外には、大きな荷車が用意されていた。 その荷車を引くのは、毛並みの整った一頭のロバ――セバスチャンである。セバスチャンは、山のように積まれた甘いお菓子の匂いに鼻をひくひくさせ、満足そうに「ヒヒーン」と可愛らしく鳴いた。
「よし、セバスチャン、出発よ! 子供たちに笑顔を届けに行きましょう!」
セシリアが声をかけると、セバスチャンはゆっくりと荷車を引き始めた。セシリア、ロゼッタ、エミーナの三人は、色鮮やかなエプロンを身につけ、荷車の脇を歩く。
ぬかるんだ藩地の通路を進むと、すぐに周囲の空気の変化に気づいた。 漂ってくる甘く香ばしい香りに引き寄せられるように、ボロボロの服を着た子供たちが、おそるおそる天幕の影から顔を覗かせたのだ。
「みんな、集まって! 今日はとっても美味しいお菓子を持って来たわよ!」
セシリアが太陽のような笑顔で手を振ると、子供たちが弾かれたように駆け寄ってきた。
「わあ……! すごい、クッキーだ!」
「真っ赤なお菓子……これ、なあに?」
「山楂飴よ。甘くて少し酸っぱくて、とっても美味しいの。ほら、どうぞ」
セシリアは目線を合わせ、小さな女の子の手に艶やかな山楂飴を握らせてあげた。女の子がおそるおそる飴を舐めると、その瞳がぱっと輝いた。
「あまい……! お姉ちゃん、すごく甘くて美味しいよ!」
「本当? よかったわ」
エミーナも涙目になりながら、両手いっぱいに焼き菓子を配る。
「たくさん食べてねぇ! おかわりもありますからねぇ!」
「お姉ちゃん、ありがとう!」
ロゼッタは混雑で子供たちが怪我をしないよう、静かに整理券代わりに小さな木の葉を配りながら、優しく子供たちの頭を撫でていた。
「順番を守ってくださいね。お菓子はみんなの分、十分にありますから」
カリカリ、サクサク。 あちこちで、子供たちが弾けるような笑顔でお菓子を口にする音が響く。親たちも、久しぶりに見る我が子の明るい笑顔に、涙を浮かべてセシリアたちに深々と頭を下げていた。
「ありがとう、お嬢さんたち……。こんな時代に、こんな美味しいものを子供たちに食べさせてくれるなんて……」
「いいのよ。お腹いっぱい食べて、たくさん笑うのが子供たちのお仕事なんだから」
セシリアは優しく答え、セバスチャンの頭を撫でた。セバスチャンも嬉しそうに子供たちに鼻先を寄せ、愛嬌を振りまいている。
数千個あったはずのお菓子と山楂飴は、夕暮れ時には見事に配り終えられていた。 夕日によって赤く染まる避難民藩地。そこには、数時間前までの絶望的な静寂はなく、子供たちの元気な歓声と、温かな温もりが満ちていた。
「ふう……やり切りましたね、セシリア様」
汗を拭うエミーナの顔は、すっかり晴れやかだった。
「ええ。やっぱり、みんなの笑顔を見るのが一番ね」
セシリアは満ち足りた心地で、遠くの夕空を見上げた。
その様子を、遠くの天幕の影から冷徹な眼鏡の奥の目を光らせて眺める人物がいた。侍女ベルナデットである。
「……全く。出所不明の大量の砂糖とバター。不自然極まりない供給スピード。……またあのお調子者たちが異能を無駄遣いしましたね」
手に持った帳面(算盤)を弾きながら、ナデットは溜め息をついた。
「ですが……まあ、子供たちの暴動リスクと精神的ストレスが大幅に低減されたと考えれば、兵站上の合理的数値の範囲内……ということにしておきましょう」
ナデットは静かに背を向けると、王妃リゼリアのもとへと報告に戻っていった。
夕闇が包み込む藩地で、セシリアたちは空になった荷車を押しながら、満足そうに歩みを進める。 戦火の絶えない過酷な世界の中で、彼女たちがもたらした小さな「甘い奇跡」は、傷ついた人々の心に、確かな希望の光を灯していたのだった。




