オーレリア外伝『アンチルマ避難民藩地』その3
アルヴェリア親王妃リゼリアと、その側近ベルナデットの完璧な策謀により、南の大河アシェロンを経由した緊急補給ルートが接続され、「アンチルマ避難民藩地」を覆っていた餓死の影は、ひとまずは退けられつつあった。
しかし、急造された藩地の一角、本陣から少し離れた天幕の裏手では、また別の「問題」に頭を悩ませている人物がいた。
アルヴェリア親王イリアードの側室であり、十九歳の若き美貌に「物理的破壊」と「空間調達」という圧倒的な異能を秘めた少女——セシリアである。
日頃の天使のような愛らしさはそのままに、彼女は天幕の陰から、延々と立ち並ぶ避難民たちの簡易テント群を見つめ、腕組みをして小さく唸っていた。
「ダメね……これじゃ全然足りないわ」
「セシリア様? 何が足りないのですか?」
そう問いかけたのは、セシリアの侍女であり、黒髪をなびかせた十六歳の美少女ロゼッタであった。彼女はリヴィエール一族の血を引く異能者であり、遠方の情勢や未来の兆候を察知する「千里眼」と「予知」の使い手である。
セシリアはふくれっ面で、広大な藩地を指差した。
「糧食の供給よ。お姉様たちが軍を動かして、南の川からお米や干し肉を運ばせてくれているけれど……数万人が暮らす集落となれば、外部からの供給だけに頼っていたら絶対にどこかで破綻するわ。最終的には自給自足の割合——自給率を上げなきゃダメなのよ!」
「自給率、ですか」
ロゼッタは感心したように頷いた。普段はお茶目で気まぐれに見えるセシリアだが、その思考は驚くほど鋭く、時に本質を穿つ。
「たしかにセシリア様のおっしゃる通りです。ですが、季節はすでに秋。今から急いで開墾して畑の準備をしたところで、最初の収穫が得られるのは来年の春か夏になってしまいます。この秋と冬を越すための『今すぐ手に入る自給資源』など、そう都合よく——」
「あるじゃない、そこに!」
セシリアがビシッと指差したのは、藩地の背後に広がる深い原生林であった。
「……森、ですか?」
「そうよ! 森には秋の恵みが山ほど眠っているわ! ——というわけで、エミーナ!」
セシリアがパンと手を叩くと、天幕の影から、ぽろぽろと涙を流した十六歳の少女がのそのそと姿を現した。セシリアのもう一人の侍女、エミーナである。彼女もまた、セシリアと同系統の空間調達能力を持っていた。
「うぅ……セシリア様ぁ、また私に何か恐ろしい労働を命じるのですかぁ……? 私、悲劇のヒロインとして一日中お布団の中で泣いて暮らしたいのにい……」
「泣くのはあと! ほら、あなたの得意な念動力と空間調達で、あの森から『どんぐり』を大量に集めてきなさい!」
「ど、どんぐりぃ!?」
エミーナが目を丸くする。セシリアは不敵な笑みを浮かべ、胸を張った。
「どんぐりはアク抜きをすれば立派な主食になるわ。粉に挽いて練ればパンにもなるし、スープのトロミ付けにも使える優秀な穀物よ。森中のどんぐりを、根こそぎ集めてくるの!」
「ひええぇ! 森中のどんぐりなんて集めたら、またナデット様に『不自然な物資の集中です』って査問されちゃいますぅ!」
怯えるエミーナに対し、ロゼッタも眉をひそめて懸念を示した。
「セシリア様、エミーナの言う通りです。数千キロ単位のどんぐりが突然天幕の裏に現れれば、どれだけ隠してもナデット様の監視の目を誤魔化すことは不可能です。『一族の異能を不用意に使うな』と厳しく叱責されるのでは……」
しかし、セシリアは全く意に介した様子もなく、ケラケラと可愛らしく笑い飛ばした。
「大丈夫よ! もしナデットに詰め寄られたら、こう言えばいいの。『私たちが暇だから、みんなで森に行って手で拾ってきたのよ。だって私達、今すっごく暇でしょ?』って!」
「暇だから手で拾った……で通る量ではありませんが!?」
ロゼッタのツッコミを華麗にスルーし、セシリアは「さあ、お仕事お仕事!」とエミーナの背中を押した。観念したエミーナが「ひぃん……」と情けない声を上げながら空間に手を伸ばすと、次の瞬間には、天幕の裏手に山のような熟したどんぐりが、音もなく落とし込まれていった。
「よし、どんぐりは確保! だけど、植物性タンパク質だけじゃスタミナがつかないわね……やっぱりお肉よ、お肉!」
セシリアは満足そうに頷くと、今度は藩地の外縁にある広大な空き地に視線を向けた。
「お肉……ですか? ですが、家畜を買い集める予算も手配も、今の藩地にはありませんよ」
ロゼッタが指摘すると、セシリアは悪い顔でニヤリと笑った。
「買い集める必要なんてないわ。豚をどこかから連れてきたら、誰かの家畜を奪うことになって『泥棒』になっちゃうでしょ? だから——森から『イノシシ』をもらってくるの!」
「イノシシ!?」
「そう! 森からイノシシが消えたって、誰にも文句は言えないじゃない? 野生動物だもの、誰も所有権を主張できないわね! よし!」
言うが早いか、セシリアは自身の恐るべき異能を発動させた。 彼女が細い指先をすっと一閃させると、広大な空き地の周囲にあった倒木や巨石がガラガラと音を立てて動き出し、あっという間に人間数人分の背丈を超える、頑丈で巨大な「木の柵」が完成した。
「えいっ♪」
セシリアが可愛らしく可憐にウィンクした瞬間——空間がぐにゃりと歪んだ。
直後、完成したばかりの巨大な囲いの中に、ドサドサドサッ!! と音を立てて、大量の野性味あふれるイノシシたちが吐き出された。森の奥深くで平和に暮らしていたところを、何の前触れもなく空間ごとテレポートさせられた数百頭のイノシシたちは、「ブゴォ!?」「ウゴッ!?」とパニックを起こして走り回っている。
「か、完成〜! 自給自足用・即席イノシシ牧場よ!」
セシリアは満足気に腰に手を当て、フフンと鼻を鳴らした。
その一連の光景を一部始終目の当たりにしたロゼッタは、開いた口が塞がらなかった。
(……無茶苦茶だわ。常識というものが、何一つ通用しない……)
ロゼッタは己の額を押さえ、深く深いため息をついた。自分も含め、このリヴィエールの一族というのは、どうしてこうも破天荒な人間ばかりなのだろうか。表舞台で冷徹な計算と権謀術数を巡らせるリゼリアやベルナデットも大概だが、裏で思い付きのまま規格外の異能を振り回すセシリアの恐ろしさは、またベクトルが異なっている。
しかし——と、ロゼッタは暴れ回るイノシシたちと、山積みになったどんぐりを見つめた。
(ですが……これで確実に、藩地の子供や老人たちに温かいスープと肉が行き渡る。一族の異能を秘密にしつつ、誰も傷つけず、ただ世の中の役に立てている……)
そう考えると、セシリアの破天荒さも、どこか愛おしく思えてくるから不思議であった。
「……ふふ。まあ、これも『結果往らい』ということにしておきましょうか」
ロゼッタが思わず苦笑いを漏らした、その時であった。
「あわわわっ! セシリア様ぁ! 見てください、見てくださいっ!」
囲いの隅でどんぐりの処理をしていたエミーナが、甲高い声を上げた。彼女の腕の中には、茶色い体に可愛らしい白い縞模様が入った、小さな小さな「うり坊(イノシシの子供)」が抱えられていた。
「うり坊ですぅ! すっごく柔らかくて、小さくて、可愛いですうぅ〜!!」
「まあ! なにそれ、ずるい! 私にも抱っこさせなさいよ!」
セシリアの目が輝き、ドレスの裾も気にせずにダッシュでエミーナのもとへ駆け寄った。
「ほら、ロゼッタも来なさいよ! すっごくモチモチしてて可愛いわよ!」
「えっ、私ですか……? いえ、私は監視の任務が——」
「堅いこと言わないの! ほらっ!」
セシリアに強引に腕を引かれ、ロゼッタもまた、うり坊の目の前へと連れて行かれた。 抱き上げられたうり坊は、「フヒキュ〜」と情けない声を上げながら、ロゼッタの手に小さなお鼻をすり寄せてくる。その温かさと、つぶらな瞳の愛くるしさに、ロゼッタのクールな表情が一瞬で崩れ去った。
「……あ。……本当、ですね。すごく……可愛いです……」
「でしょー!? よーし、この子は我が牧場のアイドル第一号に認定よ!」
「キャッキャッ! うり坊ちゃん、なでなでですぅ〜!」
さっきまでの過酷な兵站戦や政治の策謀が嘘のように、天幕の裏手には、若い少女たちの明るい歓声と笑い声が響き渡っていた。
表舞台で論理と権謀を振るうリゼリアたち。そして、その裏で常識外れの異能を発揮しつつ、無邪気に民の胃袋を支えるセシリアたち。
リヴィエールの血を引く美しき乙女たちの、誰にも知られぬ日常の活躍によって、アンチルマの避難民藩地は、今日も少しだけ温かな希望に包まれていくのであった。




