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『オーレリア戦記』  作者: りあと
外伝『アンチアルマ避難民藩地』帝国歴303年
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オーレリア外伝『アンチルマ避難民藩地』その2

戦火を逃れた市民や近隣の農民を収容するため、フェルゼンヴァルデンとグリムシュルヒトという帝国東部を支える二大要塞の中間に急造された「アンチルマ避難民藩地」。 連日、着の身着のままで押し寄せる避難民。膨れ上がる人口に対し、現場で絶対的に不足しているもの――それこそが、命を繋ぐための「食料」であった。

薄暗い本陣の大天幕。羊皮紙の匂いと湿気った土の臭いが立ち込める室内で、机上に広げられた戦術地図を前に、アルヴェリア親王妃リゼリアは毅然たる面持ちで佇んでいた。

彼女の流れるような銀髪と、澄み渡る蒼穹のごとき瞳。そこには、古代より継承される血脈――「リヴィエール一族」の超常の力が秘められている。公には決して明かされぬ異能、「予知」と「精神干渉」。リゼリアの視界には、現状のまま推移した場合に訪れる、飢餓によって凄惨な泥沼と化す藩地の未来が、あまりにも明瞭に映し出されていた。

「ナデット、軍から15%回してもらえたけれど……全然足りないわね」

リゼリアの静かだが峻厳な問いに、その傍らに控える側近であり侍女のベルナデット――後に敵味方の双方向から「無慈悲のナデット」と恐れられることになる冷徹な少女が、眼鏡の奥の眼光を小さく光らせた。

「未だ、非合理的極まりない状況にございます、リゼリア様」

ベルナデットの声には、寸分の私情も、同情の揺らぎすら挟まれていなかった。

「大河コミュシュルツの港町から南下する既存の輸送ルートは、現在、フェルゼンヴァルデン砦に展開する帝国軍主力の輜重隊によって完全に占有されています」

分析および統計において右に出る者のないベルナデットは、手元の木札と計算盤から算出した数値を淡々と告げた。 リゼリアの美貌に、微かな陰りが差す。

「殿下の軍糧を緊急融通してもらうにしても、軍の輸送網だけに頼っていては根本的な解決にはならないわ。軍の動きに民間の物流が寄生する形では、遅かれ早かれ限界が来る……。なら、兵站の『経路』そのものを完全に分けるべきよ」

リゼリアは指先で、戦術地図の南方に描かれた青い筋をなぞった。

「フェルゼンヴァルデン砦の駐留軍は、北のキャニオンポートから大河コミュシュルツを下るルートを独占している。ならば……私たちは南からの食料供給ルートを新設するの。これなら軍の輜重隊と鉢合わせることもなく、軍側の不満や物流の混乱を未然に防ぐことができるわ」

「南……とおっしゃいますと?」

ベルナデットが手元の資料から顔を上げ、細い眉を微かに潜めた。

「アルヴェリアから大河アシェロンを遡上し、西の埠頭で水揚げしたのち、陸路を北上して藩地へと直接搬入するルートよ」

その構想に、ベルナデットの眼鏡の奥で知性の光が鋭く閃いた。

「大河アシェロン……。たしかに水路の川幅、水深ともに大型漕運船の航行は十分に可能です。ですが、アシェロン川沿いは水流が複雑で、さらに帝国直轄の関所や地方領主の利権が複雑に絡み合っています。民間の一般商会が短期間で大規模な船団を通せるような甘い水域ではありませんが……」

「ええ、普通の商人ならね」

リゼリアは凛とした微笑を浮かべ、地図の一点を静かに指で叩いた。

「ですが、私達の実家であり、親戚一同が結束する『リヴィエール一族』なら話は別でしょう? 一族が表向き築き上げてきた大陸全域の物流ネットワークと、秘匿された異能の力を結集すれば、関所や利権の壁など無力に等しいわ」

リヴィエール一族。表向きは大陸屈指の豪商・政商として名を馳せる一族だが、その本質は「空間移動」「千里眼」「予知」といった超常の力を血脈の中に秘めた異能者の集団であった。彼らの物流網は、天候や地形の障害を異能の裏打ちによって無効化し、不可能を可能にする圧倒的な機動力を誇る。

「ベルナデット。一族の商会を活用して大河アシェロン経由で米や根菜、干し肉を大量輸送した場合、何日で必要量が届くか……あなたの計算を見せて」

ベルナデットは目にも留まらぬ速さで木札を繰り、頭の中で膨大な変数――水流、船速、積載量、陸路での馬車手配効率――を弾き出していった。わずか数十秒の沈黙の後、彼女は一切の迷いなく結論を口にした。

「……可能であり、かつ最適解です。アシェロン川の水揚げポイントから藩地までの陸路整備を含めても、初回船団の到達までわずか五日。軍の補給線から完全に独立しているため、兵站の途絶リスクは九十二パーセント減少します。さらに、一族の商会名義であれば、他国の間諜に『帝国の軍需物資』と警戒されるリスクも最小限に抑えられます」

「素晴らしいわ、ナデット」

「ですがリゼリア様。この大掛かりな民間ルートの開設と藩地内への大規模搬入には、現地を管轄する総大将・親王殿下の直筆による『特例通行許可』および『南方水路優先権』の書状が絶対に必要となります。軍の硬直した行政手続きを通せば、公印を得るまでに二週間は要しますが……」

「その心配はいらないわ」

リゼリアは美しく目を細め、静かに両目を閉じた。

「直接、殿下に判を捺してもらうもの」

◇

遥か西、重厚な石造りの要塞――フェルゼンヴァルデン砦。本陣の軍議室では、アルヴェリア親王イリアードが、連日連夜に及ぶ防衛軍議の最中にあった。

その最中、イリアードの脳裏に、突如として澄んだ鈴の音のような「声」が直接響き渡った。

『――殿下。忙しいところ申し訳ないけれど、少し時間をいただけるかしら』

イリアードの体がピタリと硬直した。周囲の将軍たちが「殿下?」と怪訝そうな顔を向けるが、イリアードは手を挙げてそれを制した。リゼリアの「念話」による直接的な精神干渉であった。

『……リゼリアか。軍議の真っ最中なのだが』イリアードは脳内で問い返す。

『分かっているわ。けれど、藩地の命運がかかっているの。キャニオンポートからの軍用ルートは、あなたの輜重隊でパンク状態よ。あなたに軍糧を分けてもらう交渉も進めているけれど、根本的な解決策を用意したの。我がリヴィエール一族の物流網を動かし、南の大河アシェロンを遡上させて西で水揚げ、北上して藩地へ搬入する独立供給ルートを構築するわ』

イリアードは思わず脳内で絶句した。 (アシェロン川の遡上だと……? あの難所を、それもこの短期間で商隊に通わせるというのか? いや……あのリヴィエール一族の商網なら、あるいは……!)

『軍の兵站線とは完全に分離させるから、フェルゼンヴァルデン砦の補給には一切の邪魔をさせないわ。その代わり、殿下。あなたにはアシェロン川の水路使用および南方陸路の「特別通行許可書」を、全権を持って即座に発行してほしいの』

『……フッ、相変わらず無茶を言う妻だな。だが、軍の補給線を乱さずに後方の不安を払拭できるというのなら、断る理由などない』

『ありがとう、殿下。ナデットの送った最速の早馬が、あと十分でそちらに着くわ。届いた書類にすぐ署名と捺印をして返して頂戴ね。……おねがいします』

脳内からすっと気配が消え、イリアードは深く息を吐き出した。額に滲んだ微かな汗を拭い、目の前の将官たちへ鋭い視線を向ける。

「……物見より急報だ。避難民藩地の食料危機を回避するため、我が軍の輜重線とは別に、南の大河アシェロンを経由した民間物資の緊急搬入ルートを開設する」

軍議室が騒然となった。 「殿下! アシェロン川の水路許可など、手続きに何日かかるかと!」 「それに、どこの馬骨とも知れぬ商会にそのような大役が――」

「わかっている」

イリアードの一声が、沸き立つ将軍たちを静まり返らせた。

「動くのは、大陸全域にネットワークを持つリヴィエールの大商会だ。文句のつけようがない。間もなく藩地より特例許可の要請書が届く。受領次第、私が直ちに署名する。全軍、南方ルートからの物資搬入に対し、一切の過剰検問および妨害を禁ずる! 最速で手配せよ!」

「は、ははっ!」

総大将の絶対的な命令により、頑迷な軍の官僚組織は、わずか数分でその方針を強制転換させられることとなった。

◇

それからわずか四日後。

アンチルマ避難民藩地の南方に位置するアシェロン川の河岸埠頭には、リヴィエール一族の家紋を掲げた大型の漕運船が、幾隻も静かに接岸していた。

船から次々と水揚げされるのは、山のような糧食用穀物の袋と、厳重に保存された塩漬け肉の樽である。異能によって天候と風を読み、川の難所を難なく破ってきた一族の船団が、計画よりも一日早く到着したのだ。

藩地の天幕の前で、整然と積み上げられていく物資を見つめながら、リゼリアは静かに胸を撫で下ろしていた。

「完璧な着荷です、リゼリア様」

横に立つベルナデットが、満足げに帳簿に筆を走らせる。

「南方ルートの開通により、今後の糧食供給は安定いたします。軍との摩擦もゼロ。数字の誤差は〇・一パーセント以下に収まりました」

「ええ。これで……この藩地の誰も、飢えで命を落とさずに済むわ」

遠く西の空を見つめるリゼリアの瞳に、もう凄惨な滅亡の未来は映っていなかった。

表舞台で一国を揺るがす軍略を練る男たち。そして、その裏で異能と知略を駆使し、民の血脈を繋ぎ止める美しき女性たち。公の歴史書には決して残らぬ「もう一つの兵站戦」は、若き王妃と冷徹なる侍女の完璧な手腕によって、鮮やかな勝利を収めたのであった。

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