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『オーレリア戦記』  作者: りあと
『オーレリア戦記』帝国歴303年
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第65章『アクスアルブの異端児』

オーレリア帝国南西部の繁栄する都市アクスアルブは、交易路と大河アシェロンの水運が交差する熱気に満ちあふれた帝国都市であった。南方の香辛料の匂いが漂う喧騒の中、レミ川に架かる石橋のたもとに、周囲の空気とは画然と異なる気配を纏った若者が立っていた。身頃の短い異国風のベストを肌脱ぎにし、腰には漆黒の鞘に収まった片刃の剣を帯びている。その風貌は、街へ紛れ込んだ一頭の若い黒豹のようであった。

彼の名はブランガ・オデュヌ、二十歳。都督の庶子で放蕩の末にこの都市へと漂着したのだが、その目に絶望の彩りは皆無であった。むしろ巨大な石造りの大聖堂や重厚な銀貨、市場を埋め尽くす圧倒的な物資を貪欲に脳裏へと刻み込んでいた。

そこへ「徴税使の馬車だぞ!」と荒々しい声が響き、武装した従者を従えた肥満体の役人が通りを突き進んできた。民衆が蜘蛛の子を散らすように道をあける中、ブランガだけは不敵な笑みを浮かべたまま動かない。「おい、乞食! 聞こえんのか!」と従者の一人が長剣を抜いて喉元へ突っ込んできたが、ブランガは身体をわずかに捻って刃をかわすと、相手の懐へ滑り込み、腰の剣を鞘ごと兵士のみぞおちに叩き込んだ。兵士が石畳へ崩れ落ちる中、ブランガは「威張るだけで腰の入っておらん突きだ。農夫でももうちっとマシな槍を突くぞ」と吐き捨てる。

激昂した数人の傭兵が一斉に剣を抜いたその時、「待たれよ! 白昼堂々、この美しき市場で血を流すとはエレガントさに欠けるのではないか?」と軽やかな声が響いた。酒場の二階から飛び降りてきたのは、上質な羊毛のタバードを身に纏った流浪の吟遊詩人であり剣士でもある男、ヴォルフラムであった。彼は懐から重みのある金貨を取り出して役人の胸に押し付け、「これにて治療代と酒代とされたい。街角の小競り合いで騒ぎを大きくするのは、領主様のお耳にも障るのでは?」と告げ、役人たちを退散させた。


◇

「余計な真似を。あの豚ども、全員の首を跳ねてやるところだったものを」と睨みつけるブランガに、ヴォルフラムは「お前のその眼、ただ者ではないな。名を何と呼ぶ?」と問いかける。ブランガが名を名乗ると、ヴォルフラムは「どうだ、あちらの酒場で一杯付き合わぬか? お前の着ているその奇妙な服と、その眼の奥にある狂気について話を聞かせてくれ」と誘った。

酒場の個室で香辛料の利いた肉料理を突きながら、ブランガは驚くべき速さでこの地の情報を呑み込みつつあった。彼は窓の下の街並みを見下ろし、「この国は一見華やかだが、中は腐りきっているな。上の者が領民を搾り取り、下の者が怯えているだけだ」と断じる。その凄まじい洞察力にヴォルフラムは驚き、「まさにその通りだ。貴族や役人たちは己の利益にしか興味がない。そして西方の国境からは、異教徒の大軍勢が怒涛の勢いで押し寄せている」と応じた。

異教徒の兵力が十万とも十五万とも言われていると聞いたブランガは、怯えではなく純粋な興奮に目を輝かせた。「十数万……面白くなって来た。その辺で泥仕合をしているのが馬鹿らしくなる規模だ」

ヴォルフラムが「正気か? この都市の騎士など、奴らが押し寄せれば一溜まりもない」と驚くが、ブランガは「ふん。兵の数など飾りに過ぎん。問題は『要塞』と『金』と『鉄』だ」と不敵に笑い、テーブルの上のブドウの粒を並べ始めた。

ブランガはこの都市が川と崖に囲まれ、敵の侵入ルートが山脈の限られたルートしかないことを見抜いていた。「あそこに石造りの要塞を築き、長柄の槍を持たせた歩兵を密接陣形で配置すれば、十万の騎兵でも止まる。そして、この街には銀と織物がある」

彼は自分の服の袖を掴み、「これを他国に高く売り、その金で北方の馬を買い集め、鉄を鍛え、新たな武器を作る。アシェロンの水運を使えば、物資はどこへでも運べるはずだ」と熱弁する。地形と流通の仕組みをわずか数日で理解し、軍事戦略へと昇華させようとする若者にヴォルフラムが息をのむ中、ブランガは木杯をテーブルに叩きつけた。

「決まっている。この『オーレリア帝国』という巨大な天下を俺が取ってみせる」



◇

それからのブランガの行動は疾風のごとく迅速であった。ヴォルフラムの紹介を通じてアクスアルブの裏社会の無頼漢や闇商人たちと接触したブランガは、圧倒的なカリスマ性で瞬く間に彼らを心服させた。「命が惜しくなければ、俺について来い。腹いっぱいのパンと、黄金の山を見せてやる」

ブランガは商人たちから資金を募り、都市の免税区画で自由市場を実践し始めた。関所を回避して誰もが自由に通商できるようにしたこの改革に対し、既存の利益を貪っていた大商人ギルドや領主の官僚たちは反発し、暗殺者を送り込んできた。しかし、夜陰に紛れて襲撃してきた暗殺者たちを待ち受けていたのは、ブランガが短期間で訓練し上げた「傭兵歩兵隊」であった。ブランガは彼らに、一般的な長槍よりも二尺以上長い超長柄の槍を持たせていた。

「引きつけるな! 寄ってくる前に上から叩き潰せ!」

石造りの回廊に響くブランガの怒号とともに、狭い通路に突き出された長槍の群れに対し、個人の剣技に頼る暗殺者たちは接近すらできずに叩き潰された。ブランガは捕らえた刺客の首領の首を躊躇なく跳ねると、大商人ギルドの本部である組合会館の門前に晒させた。「ブランガ・オデュヌに逆らう者は、神の裁きを待つまでもなくこの地獄へ送る」

苛烈極まる恐怖と、通行税撤廃による商業上の利便性。相反する二つの車輪を回し、ブランガの名はオーレリア帝国全体の表舞台へと急速に轟いていき、その噂はアクスアルブを統括する刺史の耳にまで届いた。

ゴシック様式の館へと召喚されたブランガは、ひざまずく騎士たちの前で堂々と胸を張って立った。本来ならば火刑に処されてもおかしくない場面だが、側近の騎士の「ひざまずけ!」という怒声を無視し、をまっすぐ見据えて言い放った。

「老いぼれ役人。お前の顔には『死相』が出ているぞ」

館の中に重苦しい緊張が走る中、ブランガは続けた。「西方のグラッデェ……異教徒の大軍勢が、破竹の勢いで進撃していることすら気づかんのか。異教徒の騎兵がなだれ込んできたとき、お前はどこへ逃げる?」

「帝国の騎士団ですら苦戦しているのだぞ!」と反論する刺史に対し、ブランガは不敵に笑い、懐から数ヶ月かけて自ら測量させて作らせた詳細な兵站地図を床に広げた。

「帝国の騎士など、重い鎧を着て馬に乗っているだけの動く標的に過ぎん。俺に三千の歩兵と、アクスアルブの鍛冶場をすべて任せろ。『鉄の城と兵器』を作り上げてやる」

兵器――それは黒色火薬と鉄を組み合わせた、雷を吐く筒であった。より軽量で正確に連続射撃ができる「火縄銃」の大量生産に着手していたのである。刺史はブランガの圧倒的な覇気と現実的な軍事分析力に呑み込まれ、「しくじれば、お前を異端として火刑台に送り、その首を市門に晒す」と条件付きで彼の要求を受け入れた。


◇

西方の異教徒大軍勢十五万が、帝国西部を蹂躙したのである。オーレリア帝国全土が絶望の渦に叩き落とされ、帝国の重装騎士団は異教徒の軽騎兵と大砲軍団の前に惨敗。西の大都市。古都アンチルマが陥落した。

皇帝アラリックの異母弟親王イザークはボルゲーゼ親王領を捨て山脈を背にした南部の要塞へ逃走を開始した。世が暗黒の混沌へ突入しようとする中、山脈の入り口に位置する山隘「ヴェロニカ峠」に、突如として一隊の異形の大軍が現れた。

「退け! アクスアルブ義勇卿・ブランガ・オデュヌが軍である!」

漆黒の胸甲を身に纏い、整然と隊列を組む四千の歩兵。その先頭には、漆黒の馬に跨り赤いマントを羽織ったブランガと、大剣を背負ったヴォルフラムの姿があった。逃走途中で略奪を働いていた親王イザークの敗残騎士たちが「たかが傭兵隊長がしゃしゃり出るな!」と槍を構えて突進してくる。大陸最強とされた重装騎兵の突撃に対し、ブランガは冷ややかに右手を高く掲げ、そして振り下ろした。

「放て」

ドドドドォン!! と天を割るような大轟音が響き渡った。木製の防護柵の背後に控えていた一千の兵が掲げたのは、改良型火縄銃であった。凄まじい硝煙の中、突撃してきた重装騎士の前衛数十騎が鎧ごと撃ち抜かれて転倒し、後続の馬も折り重なって激しい混乱に陥る。未だかつてない雷鳴のような音と破壊力に恐怖し、戦意を喪失してひれ伏す騎士たちの中を、ブランガが馬を進めてくる。

「動くな。動く者は容赦なくこの雷で撃ち抜く。親王を出せ」

豪華な馬車から姿を現した老いた親王と若い側室に対し、ブランガは馬から下りることもなく不敵に言い放った。「そうだ。腰抜け親王よ。お前の領土と地位はお終いだ。だが、このブランガがいる限り、このアクスアルブとお前の命は保ってやる。俺の作った要塞へ来い。そこで異教徒の十五万を迎え撃つ」

数ヶ月後、異教徒軍の最精鋭・三万の先鋒隊が南部へと押し寄せてきた。切り立った岩壁に挟まれた狭い谷間を抜けようとする彼らの前に現れたのは、常識を遥かに超越した巨大な防衛陣地であった。三段に組まれた土の塁壁と木製の防護柵、その背後に立ち並ぶ黒い筒を持った兵士たち。中央の丘の木製の椅子に腰掛け、ワインを飲みながら見下ろすブランガの隣で、ヴォルフラムが「本当にあの大軍を、この数千の歩兵で破れるのか?」と尋ねる。ブランガはニヤリと笑った。

「お前は吟遊詩人だろう。なら、これから起きることを、とびきり派手な叙事詩にして後世に残せ」

異教徒の精鋭騎兵「シパーヒ」の集団が地鳴りを立てて谷間へと突入してきた。狭い道ゆえに兵は極度に密集せざるを得ない。それはブランガが描いた通りの殺戮の構図であった。

「間合いに入れ……引きつけろ……」

ブランガが采配を振り上げた。

「第一列、構え! ――放て!」

ズドォオオオン!! 狭い谷間に爆音と煙が充満し、先頭の騎兵たちが吹き飛ぶ。

「第二列、前へ! 放て!」「第三列、放て!」

絶え間なく打ち出される鉛の弾丸。ブランガが構想し、この欧州の地で完全なる形へと昇華させた「三段撃ち」の戦術である。さらには、両側の崖の上から大量の黒色火薬を詰めた「鉄製手榴弾」が投げ落とされ、谷底は地獄の業火と爆砕音に包まれた。

「魔王だ! 黒い魔王が現れた!」

異教徒の誇る無敵の騎兵隊は、ブランガが仕掛けた「未来の軍制」と「地形の絶対的利用」の前に、自らの血の海に沈んでいった。数時間の戦いで異教徒軍は一万以上の死傷者を出し、潰走したのである。

戦いの後、夕日によって真っ赤に染まるヴェロニカ峠の丘で、ブランガは一人立ち尽くしていた。


ヴォルフラムが近づいてきて、いま起きた衝撃の戦いを詠んだ詩を手渡したが、ブランガは一読して鼻で笑ってそれを叩き返した。

「詩などどうでもいい。ヴォルフラム、次は古都アンチルマだ」

ヴォルフラムが「敵の本陣を突くつもりか?」と問う中、ブランガは空を見上げた。繋がっている夜空の色は同じであった。

「異教徒の大軍を完全に叩き潰し、西方を平定する。そして、帝都オクタヴィア……すべて俺の足元にひれ伏せさせる。オーレリア皇帝など、俺の飾りにしてやる」

二十歳のブランガ・オデュヌ。

「面白くなってきたな、この国も」

若き魔王の不敵な笑い声が、暮れなずむボルゲーゼ親王領の山々にどこまでも響き渡っていた。


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