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『オーレリア戦記』  作者: りあと
『オーレリア戦記』帝国歴303年
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第58章『黄山原の戦い。クラーク・ダナミアの最期』

オーレリア帝国 13 万の軍勢を率い、東海を北上して半島に上陸したアルヴェリア親王イリアードは、ラシル王国の

兵とともにダラーン王国の都・ビガンテを目指していた。オーレリア帝国軍の圧倒的な物量と洗練された戦法、そしてラシル王国の熾烈な情熱。この二つの刃が交わる時、ダラーン王国という国家の命運が潰えることは、火を見るよりも明らかであった。

しかし、ビガンテ城の南西に広がる荒れ果てた平原——黄山原(こうざんげん)から届く報せは、異様な膠着を告げ

ていた。

ラシル王国のムジン・ユシン率いる五万の大軍が、わずか五千のダラーン兵に足止めされているというのだ。

「五万の軍勢が、たった五千の残党に苦戦しているだと?」

陣幕の中で報せを聞いたイリアードは、笑った。ラシル勢の戦力不足を嘲笑うためではない。異国の戦場で足止め

を食らう時間が長引けば、兵糧の補給が途絶え、13 万もいる帝国軍の優位性が揺らぎかねないからだ。

「敵の将は誰だ」

若き親王の問いに、斥候の兵は身震いしながら答えた。

「ダナミア……クラークにございます。あの男、出陣にあたり自らの妻子を自らの手で斬り捨て、『生きて辱めを受けるより、死して忠義を全うせよ』と兵に言い含めたとのこと……」

「……己の家族を殺して出陣したか」

イリアードは腕を組み、天幕の隙間から黄山原の空を見上げた。重く垂れ込めた雲が、泥色の野を覆っている。

自らの退路を断ち、生への執着を一切捨て去った狂気。それは兵法において最も厄介な「死卒」の群れを意味す

る。五千の兵すべてが、己の命を捨てて道連れを探す鬼と化しているのだ。イリアードは馬を走らせ、ラシル軍の陣営に近い丘へと向かった。遠く見下ろす黄山原は、血と泥、そして双方の叫

び声が渦巻く地獄と化していた。

ダラーン陣を取り囲むラシルの青い旗印。だが、その巨大な波を押し返しているのは、わずかな黒い

一群だった。真ん中に立つ男——身の丈が高く、血で塗れた甲冑を纏った将軍が、自ら剣を振るっているのが見えた。あれがクラーク・ダナミアか。

ラシル軍は果敢に突撃を繰り返していた。ラシルの将・ムジン・ユシンは、若き騎士たちを先鋒に立て、死を恐れぬ

特攻を命じている。ラシルの若者たちが、単騎でダラーン陣へ飛び込み、次々と討ち取られていく。

「哀れな……」

イリアードは呟いた。ムジン・ユシンは、死を恐れぬダラーンの狂気に抗うため、若者の尊い犠牲によって自軍の士気を鼓舞しようとしているのだ。若い騎士の首が返されるたび、ラシル陣営から怒号が上がり、悲憤に狂ったラシル

兵がダラーンの陣へと雪崩れ込んでいく。

一回、二回、三回、四回。

四度にわたるラシルの猛攻を、クラーク・ダナミアの五千はすべて押し返した。敵を屠るたびに、ダラーン陣営から

上げる勝鬨は地響きとなって親王の耳に届いた。だが、イリアードには見えていた。押し返すたびに、その黒い群

れが確実に小さくなっていることを。

ダラーンの兵は一人、また一人と倒れ、もはや立ち上がることすらできぬ者も、這いずりながらラシル軍の足に噛み付いている。

「親王殿下、我が帝国の騎兵を投入し、一気に踏み潰しますか?」

側近の副将が進言してきた。イリアードの一言で、洗練された帝国の鉄騎兵が一千も動けば、疲弊しきったクラークの陣など一溜まりもなく踏み潰せるだろう。しかし、イリアードは首を振った。

「無用だ。ムジン・ユシンにやらせろ。これは彼らの戦争だ」

何より、私はクラークという男の「最期」を、この目で確かめたかった。

五度目の突撃が始まった。ラシル軍は怒涛のごとき全軍前進を始めた。数に勝るラシルが、もはや陣形も何もなく、ただダラーン兵を押し潰すために押し寄せる。

クラークの周囲には、すでに百人も残っていなかった。槍は折れ、剣は刃こぼれし、甲冑は朱に染まっている。それ

でもクラークは退かない。一歩も退かないのだ。

「来い! 我らダラーンの魂は、この黄山原に潰えず!」

嵐のような喧噪を突き抜け、男の叫びが聞こえた気がした。

オーレリアの将軍として、イリアードはこれまで幾つか国を滅ぼし、数有る名将を討ち取ってきた。オテゲン皇国の騎馬軍団も、燕国の

猛将も、皆それぞれの誇りを持って戦った。だが、クラーク・ダナミアという男の発する光は、それらとは異なっていた。

国が滅びゆくことを悟り、王が無能であり、もはや希望などどこにもないことを知りながら、なぜこれほどまでに戦え

るのか。

それは「勝利」のためではない。「尊厳」のためだ。一国の武士として、滅びゆく祖国への最後の手向けとして、彼は自らの命を薪とし、命の限りの炎を燃やしているのだ。

泥の中で、最後のダラーン兵が倒れた。

クラークの周りには、もはや誰も立っていなかった。ただ一人、血の海の中に孤立した将軍。彼を取り囲む数千のラシル

兵も、あまりの気迫に一歩退がっていた。クラークはゆっくりと剣を掲げた。その刃は幾人もの血を吸い、黒く澱んでいた。彼は空を見上げ、短く何かを呟いた。

家族の名か、それとも神々への祈りか。

そして、彼はラシルの兵のただ中へと、たった一人で躍り出た。

無数の槍が、一斉に彼の体を貫いた。

静寂が、黄山原を包み込んだ。

ラシル軍からは、勝利の歓声すら上がらなかった。ただ疲弊と、恐ろしいほどの徒労感、そして異様な静けさが野を支配していた。ムジン・ユシンは馬から降り、倒れた階伯の遺体に向かって静かに頭を下げたという。

「……見事であった」

イリアードは呟き、馬の引き綱を絞った。

クラーク・ダナミアの奮戦は、ダラーンの滅亡をほんの数日遅らせたに過ぎない。オーレリア・ラシル連合軍は、そのままビガンテ城へと押し

寄せ、間もなくダラーン王・ギジルを捕らえ、この国を歴史の露と消し去るだろう。軍略の観点から言えば、彼の戦いは無

駄死にであり、無意味な抵抗に過ぎなかったのかもしれない。

だが、オーレリア帝国の将として、イリアードは知っていた。

国は滅び、城は灰燼に帰しても、この黄山原で一人の将軍が見せた誇りは、千年先まで語り継がれるであろうことを。ダラーンのという国は消えても、「クラーク」という名は歴史の夜空に永遠に輝く星となったのだ。

「全軍、ビガンテ城へ向け進軍を開始せよ」

私は背を向け、冷たい風が吹く荒野をあとにした。頬を掠めた風には、ほのかに血の匂いと、一人の男の凄絶な魂

の余韻が残っていた。

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